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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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花辺文学

花辺文学

序言

私が短評をよく書くようになったのは、「申報」の「自由談」に寄稿してからで:1933年のものを「偽自由書」と「准風月談」の2冊にした。その後、編者の黎烈文氏が叩かれ、翌年、ついに追放された。私も止めることもできたが、不満でもあったので、書き方を変え、筆名も変えて、人に代書してもらって寄稿した。後任は細かなことは気にせず、良く載った。また範囲を広げ「中華日報」の副刊「動向」や、小品文半月刊「太白」の類にも寄稿し、その間数編の同様の文章を書いた。1934年のものを集めたのが「花辺文学」だ。

この名はわたしと同陣営の青年の戦友が、名前を変え、闇からの矢に結んで、私に向けて発したものだ。その意向がとても巧妙で:一、この種の短評は紙面では往々「花紋」で囲んで、重要さを示し、我が戦友に頭痛を引き起こしたため:二、「花辺」とは一元銀貨の別称で、それゆえ、私のこうした文章は原稿料のためで、実は取るに足りぬものという。

二人の見解の相違は、私は外国人に対して我々を家禽より大事に扱ってくれなどということを望んでも無駄だ、と考えているのに対し、彼は、外国人に対し、我々を家禽より大事に扱うようにしてくれと言うべきだと考えていることだ。

私が西洋人を弁護しているから「買弁」だという。その文章は「逆提案」に附しておいたから、これ以上触れない。これ以外、何もかくべきことも無い。ただ「冗談は冗談として」のために、文公直氏から手紙をもらい、その筆伐はさらにひどいものになり、私を「漢奸」といいだした。今回私の返信も本文に附した。その他、こそこそ身を隠しながらの攻撃は、上述の二人よりずっと落ちるのでここには転載しない。

「花辺文学」も実はほんとうにまずい状況にある。34年は35年と違い、今年も「閑話皇帝」事件により、官憲の出版検査処は忽然行方不明となり、7人の検査官の首切りを行い、新聞も削除された所は空白のまま(業界語の「天窓を開けたまま」)でも可となった。

しかし、当時は実に大変で、こう言ってもダメ、何を書いてもダメだった。削除された部分は空白にしておくのが許されないので、つじつま合わせは作者がせねばならず、訳の分からないものには、責任を問われた。こんなあからさまで陰険な検閲下、何とか息をつなぎながら、読者の目に届けることができるのは、奴隷の文でなかったら、何だろう?

私はかつて友人数名と閑談した。ある人は言う:今の文章は気骨などあり得ない。例えば、新聞の副刊に寄稿すると、副刊編者がまず骨を何本か抜く。そして編集長も何本か抜く。検閲官も何本か抜くと残ったのは何だろう?私は言う:私は自分で何本か抜いておく。

さもないと「残る者さえ」残らないから。だから当時発表した文章は4回抜かれる可能性があった。――今一部の人が、文天祥・方孝孺を一生懸命賛美しているではないか。幸い、彼らは宋明代の人だから(書いたものが残って)良かった。もし、現在生きていたら、彼らの言行は誰も知ることはできない。

それゆえ、官許の気骨ある文章以外は、読者は気骨の無い物しか読めない。私は清朝の時代に生まれ、もとは(清の)奴隷の出自だが、今25歳以下の青年はそうではなく、生まれた時から中華民国の主の子となったが、彼らは世故にうとく、偶々「その所以を忘れ」釘にぶつかってしまった。私の寄稿の目的は発表するためで、勿論それはとても気骨があるようにせぬため「花辺」で飾られたものは、多分青年作家の作品より多く、且つおかしなことに、削除されたのも大変少ない。1年で3篇だけで、今それを補い、黒点を付けて置く、「秦理斎夫人を論ず」の末尾は申報館の編者が削除し、他の2篇は検閲官だ:このことから、彼らの考えが異なるのが明らかだ。

今年一年で私の寄稿した「自由談」と「動向」は停刊となり:「太白」も休刊。かつて感じたことだが:凡そ私の原稿は最初の12号は妨害されず、たとえ断続的に続くが、最終的には永続しない。それで今年からこの様な短文は書かぬようにし、同人に対して、彼らの背後からの不意打ちを避け、自分も切り込み隊員になりたくないからだ。だから私に何か書けという人に、ぐずぐずとして書かなかったのは「かっこつけ」ではなく、好意――しかし時々は悪意――を帯びた「世故」のためであり:この点、寄稿を求めた人たちのご了承を乞う。

それから、今年後半になって、新聞記者の「正統な世論擁護」の請願と知識分子の言論の自由の要求がでてきた。年越しも近いが、どんな結果になるか分からぬ。しかしたとえ今後、文章がすべて民衆の声になったとしたら、その代価はきわめて大きいと言える:

それは北五省の自治である。(北京周辺の5省を指す)これはまさしく、以前「正当な世論擁護と言論の自由」を敢えて懇願しなかった代価の大きさと同じで:東三省の淪落だ。

しかし今回とり換えたものは光明だ。が、万一不幸にも、後になってまた私の「花辺文学」と同じような時代にとり換えるなら、みなさん、その代価はどんなものか当てて下さい。

19351229日夜  魯迅記

訳者雑感:

この当時、上海の有名なバンド公園の入り口に「イヌと中国人入るべからず」との標記があった。魯迅と青年との考え方の違いは、1934年当時の租界で、外国人からイヌと一緒にされていることに対するものだ。魯迅はそんなことを外国人に言ってみても、そうなる可能性は少しも無いからダメだと考えている。青年は家禽より優遇するように要求すべきと言う。どちらが正しいのだろう。

先週、北京の中心地に近いレストランに「日本人、フィリピン人、ベトナム人とイヌは御断り」という表示が出されたという写真が載っていた。

昔、租界で「イヌと中国人 入るべからず」という扱いを受けたことへの「腹いせ」か。

2013/03/10

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後記12

後記12

楊邨人がAB団に転入

「左聯」に背き、プチブルの戦旗を掲げた楊邨人は、最近漢口から上海に来て、AB団の小卒・徐翔の家に住みつき、既にこの団体に加入、活動開始した由で、以前「大晩報」に柳絲名で発表した「新封神榜」は、楊が書いたもので、魯迅を大いに諷刺していたが、未完のまま即停止となり、「左聯」の警告を受けたためだと聞く。

{預}

「左聯」がかくも「諷刺」的な文章に神経をとがらし、また「左聯」に背いたプチブルの戦旗を掲げた楊邨人に「警告」を与えるとは、まさに奇怪な事だ。ある人は「第三種人」の「自分の芸術に忠実な者は、既に左聯の理論家の凶悪な批判に遭い、書けなくなっているという。今この「プチブル戦士」の英雄は、「左聯」の警告の為、「戦闘」しなくなった。

もう少ししたら、領土割譲や条約を呑まされること、戦禍や水害、古物の喪失、金持ちの病気などもすべて「左聯」の罪とされ、とりわけ魯迅の罪とされるだろうという。

 

今私は蒋光慈氏のことを思い出した。

45年前のことだが、蒋光慈氏が太陽社をつくり、創造社と連盟し「小将」を率いて私を包囲攻撃してきた時、彼は一文をものした。大意は:魯迅はこれまでよそから攻撃を受けた事が無く、自分は当代随一だとうぬぼれているが、今知らしめねばならぬ。

実はこれは間違いで、私が評論をはじめて以来、攻撃されない時とてなかった。この34ヶ月の「自由談」だけでも、ものすごい攻撃を受け、私の収録したのも一部に過ぎない。

以前もこうでなかったということでもないが、それらは時の流れと共に消えて行き、跡形も無くなり、もはや人はそれを気にしなくなっただけだ。今回数種類の雑誌が手元にあるので、その一部を「後記」に転載したが、これは自分のためだけではなく、戦闘は終わる時無く、古い手口が踏襲され、人への攻撃にはやはりこの手の方法を考えると思う。無論攻撃相手の名は変わることだろう。将来の戦う青年が似たような境遇に出会ったら、偶々この記録を見ることができれば、私はきっとほほをゆるめて一笑できると思う。さらには、

所謂敵とはいかなるものか、より明確にできると思う。

引用した中には、以前「革命文学者」だった者の文章がある。だが彼らは今、別の名前、別の顔を持っている。これも必然だ。革命文学者が彼の文学で以て革命をより深化・展開させようと考えず、革命を借りて、彼の「文学」を売り込もうとすれば、革命の高揚時は、彼はまさに獅子身中の虫で、革命がいちど受難するや、きっと以前の「良心」や「孝子」の名を見つけ出し、或いは「人道」の名を見つけ、「まさに受難している者より更に革命的」な名を以て、戦線の外側に出て行く。良い人は黙し、悪いのは狆(敵の手先)になる。

これは私の「毒ガス」ではない。これはあちこちで目にしてきた事実だ!

1933720日午、記す。

訳者雑感:

ようやく長い「後記」が終わった。夜型の魯迅が暑い720日の午に記すとある。

本文で一番読み答えがあるのは、最後の4-5行だ。

日本でもそうであったろうが、1930年代の左翼革命文学が一世を風靡していたころ、殆どの進歩的青年は「革命文学」に情熱を注いだ。だが革命運動が「受難」を迎えると、革命を借りて、自分の文を売り込もうとした手合いは、転向してゆく。その理由を「良心」とか「孝子」「人道」に見いだし、戦線から離脱する。敵の手先となって攻撃してくる者の何と多いことよ。彼はこれを残すことで、将来の青年達への「贈り物」とした。

文の国、中国は、文で以て相手を徹底的に陥れるノウハウは3千年の蓄積がある。京劇しかり、三国演技しかり、欺瞞と冤罪であふれかえっている。それらをしっかり見極めるようにしないと、すぐ足をすくわれることになる。1年前の重慶の薄氏のケースをみると、まるで京劇の古いシナリオを見ているようだ。

2013/03/08

 

 

 

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後記11

 

後記は本来これで終わってもいのだが、余興の続きがまだあり、スクラップの中に妙文が残っているので、散逸してしまってはとても惜しいので、特別に下記する。

これは617日「大晩報」の「火炬」に載ったもの――

 

新儒林外史

第一回、旗を掲げ、空営に屯し、師団を起こして迷陣を敷く

カール(マルクス)イリーチ(レーニン)の二人は、この日天国で中国革命問題を話していたら、忽然、中国文壇のゴビ砂漠に殺気がみなぎり、沙塵が弥漫し、左翼防衛区では、

老将が若造の将を急追し、戦鼓が天を振動させ、四方からおたけびがあがり、その老将は、

牙をむいて白霧を吐き出した。カールはそれを嗅ぐや即昏倒し、イリーチは卓を叩いてとても怒って:「毒ガスだ、毒ガスだ!」といいながら、カールを助け起こして逃げ去った。

元々、下界の中国文壇の砂漠には、左翼防衛区に最近新たに空営ができ、プチブル革命文学の旗を掲げ、プロレタリア文芸の陣営は奸人の挑発を受けたので、それを咎めるために、

軍を出した。この日、大軍は境界を圧し、空営の新駐屯軍の主将兼左官兼兵士の楊邨人は、

ペンの銃をとり、馬を躍らせて迎え撃ったが、戦鼓が天を震わすのを見、喊声が四方から起き、先鋒で刀を掲げて馬躍らせて来たのは、老将魯迅だった。楊邨人は挨拶して言った。

「老将軍、一別以来、恙なきや」老将魯迅はそれには答えず、馬躍らせて直進し、刀を挙げて刺した。楊邨人はペンの銃でそれを防ぎ:『老将、わけを話して下さい。何故、干戈を交える必要ありや?私が別の旗を掲げ、自ら空営に駐屯したのは、事態が急変した為で、

指揮をお願いに参上せずに、戈を逆立てて反攻しようとしたのではありません。実際一人で一方面に対応しようとしたものです。この気持ちは天も人もみな見ての通りです。

老将軍、左翼の諸将が空言を弄して勝とうとし、自己満足的におごり高ぶり、戦術も学ばず、武器も造らないのを考えてみてください。陣に臨んで軍容整わず、出陣しても槍を引きずって逃げ出すのみ。こんな状態では、何も以て威信を保てましょうや?老将軍は綱紀を整頓する暇も無く、師団を労して遠征するのは、私は革命群衆にすまないと思います』

老将魯迅は又も応じず、目を皿のようにして、虎髭を逆立て、口から白いガスを吐き出したのを見、小将楊邨人は、老将が毒ガスを出したと知り、すぐ防毒マスクをつけた。

これぞまさしく:感情は理屈では抑えきれない、是非は不分明で、天のみぞ知る!だ。

老将は果たして毒ガスで小将を悶死できたかどうか、次回のお楽しみ。

翌日、編者からの来信あり、大意は:柳絲と言う(「先生は内容から誰かはすぐ分かる」)

者から「新儒林外史」と題した滑稽な寄稿あり、個人的な名誉棄損も無いので公表すると決定したが、反駁の文があれば、載せても良いという。雑誌を戦場としてひと騒ぎ起こすのは、出版人の一般的な方法で、近年更に「世故」に長けた私は、天気もこんな暑いし、汗をかいて、一緒にトンボ返りなどする気はさらさらなかった。それに、滑稽な文章に対して「反駁」するのも奇妙だし、たとえ「個人」的な名誉が棄損されたとしても、私から

「旧儒林外史」を書いて、「カールとイリ―チ」の話しの真偽を弁明する以外、方法は無い。

ただ、私は巫師ではないから、「天国」の二人に会う事ができようか。柳絲は楊邨人氏で、

「プロレタリア文学者」だった頃、使っていた筆名で、内容を見ずとも分かる。いつ頃から「プチブル革命文学」の旗の下で、この様な幻夢を見、自分自身をこの様な形に書くようになった。時代という大きな車輪はかくも冷酷に人を押しつぶすのだ。ただ幸い、この押しつぶされたことによって、韓侍桁氏はその為に「小将」の胸中に「良心」を見つけた。

(プチブル文学者の韓氏が楊氏を自分たちの団体に忠実だと称賛している:出版社注)

 

この作品は1回きりで、もちろん完結していないし、私は「反駁」しようとも思わぬが、

この「良心」ある文学を読みたいと思っていたが、あれから1カ月余りたったが、「カールとイリ―チ」の「天国」でのと、「老将」と「小将」の地獄での消息は分からない。

ただ、「社会新聞」(79日4巻3号)に依ると、これも亦「左聯」が阻止した由。

 

訳者雑感:

この「新儒林外史」の内容は、魯迅もそれなりの価値を認めている、というか続けて読みたいとも望んでいるような書きぶりだ。プロレタリア文学では柳氏の指摘するように、

「左翼の諸将が空言を弄し(中略)戦術も学ばず、武器も造らないのを考えてみてください。陣に臨んで軍容整わず、出陣しても槍を引きずって逃げ出すのみ」という現実があり、

そこから「プチブル革命」へと転向していった多くの「昔の仲間」たちの文章をこうして、

彼の「偽自由書」に載せることで、将来、似たような局面に立つであろう青年たちの参考に供したいと望んでいるのだろう。

 話しは変わるが、ゴビの沙漠の黄沙が昨日から大発生したと報じられた。

全人代で、習主席は環境汚染、特にPM2.5に関して、「自分たち若い頃の北京では黄沙が大変で、当時はPM250だったが、今それがPM2.5になった」と語った由。

どういうニュアンス・背景か調べてみよう。

 本文でもゴビの沙塵と老将の口から吐き出される「白い霧」が描かれているが、天国からそれを見ていたカールは 「毒ガス」によって昏倒してしまった、とある。

PM2.5を中国語では霧霾(WuMai)と言う。手元の新華漢語辞典では、陰霧という詞は:空気中の混濁現象、大量の煙と塵などの微粒子が空中に懸浮して形成される意。

現代の毒ガスだ。それにしても全人代が開催されたら、人民大会堂がくっきり映っているのはどうしてだろう。先週は毛沢東の肖像すら見えなくなったのに。

今度の傅報道官はユーモアと知性のある好感度の人だ。この人選を歓迎する。

それに王毅外相は前外相のように顔をひきつらせるような話し方はしないだろうと思う。

2013/03/07

 

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後記10

後記10

崔万秋国家主義派に加入

「大晩報」のヘナチョコ編者崔万秋は、日本から帰国し、愚園坊68号の左舜生家に住み左と王造時の紹介で「大晩報」で働くこととなった。最近は国家主義と広東方面の宣伝に力を入れ、夜は舞庁か八仙橋荘に入り浸っている。

罪状もあり、住まいも知れていれば逮捕するのはたやすいこと。同時にまた小さなクセが見つかり、この詞人はかつて崔万秋の名で、自ら詩に序を書き、自分の詩をその序で大いに称賛している。軽病と重症がせめぎ合い、このやわな詩人兼詞人は立場がぐらつきだし、下野しようとし、「時事新報」(79日)にまた声明を載せた。近頃の文壇はどうやら「声明時代」に入ったようだ。――(崔は曾今可の別名)

 

曾今可の声明。

拙者、不日ならずして、上海を離れ、旅に出、且つまた文章生活から離脱する。今後私へのデマ中傷は一切相手にせぬ。この頃、強者のみが殴るのを許し、弱者には叫ぶ事すら許さぬ。私はもはや何も言うべきこともない。私は弱者だと認め、反攻する力も無く、英雄たちの勝利の笑い声の中、静かに文壇を去る。私を「意気地なし」と笑う者に対しては、

彼が私を「英雄」と尊敬していると考えるものである。ここに声明する。

 

以上で終わりだ。文章は面白く、結末の2句は出色である。

私の切りぬきを張り合わせて『「文人は品がない」を論ず』に書いたが、実はこの曾・張の二つをあわせたものだ。私はこちらの方がより陰険だと思い、短評をつけて「自由談」に投稿した。いつまで経っても載らないので、返して貰った。原稿はインクと手垢にまみれ、印刷の手配を済ませたが、誰かに抜かれた証拠だ。「大商人の妾になった姉妹がいなくとも」

「資本家の出版者」がこうした名士の「後ろ盾」になることが判る。だがそうした有名人から非難されたら、すぐ紅い帽子をかぶせられるから、命のためには、載らない方がいいかもしれない。今、その原稿を下記する。

 

「文人は品がない」に反駁する

「文人」という看板はいとも簡単に人をだます。現在の社会は文人を軽視するが、それでも所謂「文人」が自から軽んじ、賤しめることには及ばない。「人」としてけっしてやってはならぬことをしても、論者は彼を「品が無い」というだけで、「瘋人」と解し、「あわれさ」を許そうとする。だが、彼らはもともと商売人で、これまでひどくずる賢く立ち回り、以前の諸々は「商売の経典」に他ならず、今の諸々は「品が無い」のではなく、

「商売替え」をしようとしているのだ。

商売がだめになった結果、「商売替え」をさせられた。極低劣な三角関係の恋愛小説で、大量販売した。夜、通りを歩くと、チンピラが暗がりから声をひそめ:旦那、エロ本買わないか?中国のも日本のも西洋のも有るよ。買わないか」とすり寄ってくる。売れ行きも悪くは無い。引っかかるのは上海に来たばかりの青年と田舎者だ。だが、それもせいぜい

45回までで、数冊見たら嫌気がさし、嘔吐したくなる。

「中国のも日本の欧州の何でもあり」といっても効き目はない。時勢の推移で、読書界も変化し、有る者は二度とこんな物は読まなくなり:有る者は直接舞庁や娼館に行く。払う金は、手淫小説全集を買うより安い。それで、三角小説家の類が没落の憂き目にあった。

我々は洋館を建てれば、人は満足すると思ってはいけない。子供たちには、少なくとも十万元くらい稼いでやらなければならない。

それでひと暴れを始めた。しかし三角には出路は無い。それで、同類たちと結託、茶会を開き、タブロイド紙を出し、デマを飛ばし、はては友人まで売った。しかし彼らの大作はもう誰も見向きもせぬようで、それは数名の者が世間の人々の目を手で覆ってしまったからである。ただ、彼が本当にそう思っていると誤解しないで欲しい。彼はとても利口で、

そんなふうには考えておらず、今こういう顔つきをしているのは「商売経」のためで、

三角で何とか出路を切り開こうとしている。要するにこの種の商売しか稼げないからだ。

たとえば、「第三種人」たちもかつては「革命文学家」だったし、それで出版社を作り、

郭沫若の多くの印税を着服し、今住んでいる洋館も、一部は郭沫若の血と汗で飾ったのだ。

今のご時世で、どうしたらこんな商売ができるだろうか?今は徒党を組んで、左翼を攻撃し、デマで彼らのしてきた事を知っている人間を陥れ、自分だけが清廉剛直な作家だとし、

密告的な寄稿で、大金を稼ぐ。

以前の手淫小説は、下ネタのいかさま手口だったが、もはや通用しない。下ネタから上に進まねばならぬが、人々――とりわけ彼の昔から知っている相手――の首は大変危険になっている。こんな状況で、「品の無い」文人が何か書けるだろうか?

上述したのは、何か所か、まるで曾今可・張資平流の気味がするが、前の「張資平腰斬」

は明らかに私の意見では無い。この人の大作は私自身読みたくも無い。理由はとても簡単:

私の脳には三角四角とく沢山の角はいらないから。彼が自在に寄稿で稼ぎ、出版で儲けるのは、たとえ彼が女房子供を養う必要がなくとも、私は全くかまわない。理由は簡単だ:

私は従来からあの三角四角など数えきれない角を考えたことが無いから。

しかし、多角の連中は、私が「張資平腰斬」を策動したと言いだした。そんなことを言うから、私はX線でその五臓六腑を手に取る様に事細かに映しだしたのである。

訳者雑感:

「文人は品がない」という原語は「文人無行」で「文人は行いが無い」と訳しているのが多い。 これは魯迅が「文人無文」と題して、最近の文人は「文章」を書いていない。ろくなものを書いてない、ということから派生していると思われる。

文人という言葉は、本家中国でも、我が日本と同じく、社会的にも「尊敬」される対象となる人を指す。それが、三角四角恋愛小説で稼いで「洋館」を建てる。それのみならず

タブロイド紙を出して、デマ中傷誹謗で昔の友まで官憲に売る。かつては「革命文学家」だった連中が、商売替えをして、金もうけの為に売文する。

魯迅はそんな連中を許すことはできないから、X線で事細かに彼らの五臓六腑を映しだした。それがこの後記の長くなった理由の一つだろう。

2013/03/05

 

 

 

 

 

 

 

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後記9

後記9

黎烈文の声明

烈文は去年欧州より帰国し、上海に寓居している。

「申報」の史量才支配人は先代からの先輩で、よく訪問した。彼は私が如何なる党派にも属さず、且つ欧州で文学を専攻したので、申報館で「自由談」を編集させてくれた。

この2カ月、三角関係恋愛小説(商)の張資平から、私が彼の長編小説を中断させた為、憎さ骨髄で、大小の各誌に、デマ中傷で挑発し、私を陥れようとしてあらゆる手口を使い、

私はそれらの手段と目的があまりにも卑劣なため、見る目のある人ならすぐ分かってもらえるから、釈明する価値もないと考え、これまで一切取り合わず、放って置いたが、張氏は昨日の「青光」欄に声明を出し、ベールで包みながらも、好き勝手に中傷し、その中で、

「また、大商人の妾になった姉妹云々」というのがあり、それが何を指すのか分からない。

彼の声明は、すでに「自由談」に対して発せられたもので、私は今「自由談」の編者として、何らかの声明を出して、多くの疑いを晴らさねばならない。

私には実の妹2人がいるだけで、上の応元は嫁ぐ前に早逝、下の友元は今長沙の某校に通学中で、まだ嫁していない。2人とも湖南から外に出たことは無い。且つ、私の知る限り、湘潭の黎氏同族の姉妹の中で、近い親戚も遠いのも、一人も妾になっていないし、誰も「大商人」と結婚していない。

張某の言は全く遺憾に思う。(大商人の妾になるような姉妹がいない事が遺憾だ)

或いは、他の事を指しているのか、一種の病的な発作か、狂犬の遠吠えのようだ。そうであれば、私の関知するところではない。

 

この後、幾つかの声明が出たが、面倒だからこれ以上引用しない。

要は:比較的大きな問題は、「姉妹が大商人の妾」になっているのは誰かだが、これは「改名も改姓もしたことの無い」公漢、張資平氏に訊かねば分からない。

だが、中国には本当にもの好きがいて、暑いさなかに、真茹の「望歳小農居」の洋館に取材に行ったものがいた。その「訪問記」が「中外書報新聞」7号(7・15)に載った。

下記が「妾になった」問題などの一段だ――

 

(四)声明文に対する疑問

以上は掲載から中断に至った経過を述べただけで、次に声明の中の幾つかの疑問に答えてもらいたい。「声明の中の多くの点は外部の者には分からないので、お訊きしたい」

「何でしょうか?」

「姉妹を商人の妾にというのは、どういうことですか?」

「それは黎烈文の思いすごしで、私は文中に、ついでに別の人のことを書いたものだ」

「それは誰?」

「それは公開できない」無論彼が公開できぬ以上、それ以上追及はできない。

「もう一点、貴方の所謂『政治や国際情勢に関する見解を、発表しようにもその場が無い』とはどういうことか?」

「それは私が文芸以外の政治的見解や随筆の類を指す」

『「新時代」の「望歳小農居日記」のようなものですか?』(「新時代」7月号参照)

と私が質問したら、

「それは魯迅に対する批評で、私の言ったのは、政治への見解で、「文芸座談」に載せた。

(「文芸座談」1巻1号「朝から午後まで」参照)

「魯迅へのどういう批判ですか?」

「それは本題からはずれるから、君はそれについては、公表しないほうが良い」

これは真に「胸中が正しくないと、瞳がくもる」で、わずか数行でこの文学家の顔付きが浮かんできた。

「社会新聞」が彼を「意気地なし」と呼んだ。社会的に「弱きを助け、倒れた者に手を貸す」的な同情を得ようとしているが、声明文の自白については、中国文学の例に照らして、

大いに割引くべきである。(白羽遐氏が「某日」もし「内山書店」に行ったら、きっと老板から聞いたことだろう)

彼は自ら「改姓したことはない」と言った後、また「たとえ他のペンネーム」でと言っているのは、「公表した文章はすべて責任を負う」とはいえ、「やはり公表しないほうが良い」というなら、私に関する一文については、私もこれ以上論じないとしよう。

一つの文章で、2つの事は書けない。以前、私は「文芸座談」坐主で「詞の解放」をした人、曾今可氏を閑却していた。だが書き始めたらとても簡単なことで、彼は「反攻準備」をした外には、「密告」を弄んだだけだ。

崔万秋氏とこの詞の人とは古い知り合いだったが、小さないざこざで、タブロイド紙に投稿し、古い友人を裏切った。不幸にも原稿が崔万秋氏の手に落ち、銅版にされて「中外書報新聞」(5号)に載った。――

 

訳者雑感:

後記も残り8ページとなり、一気に訳し終えて、次に進みたいが、なかなかはかどらない。1933年前後の上海文壇の「デマ誹謗中傷による陥れ」を、事細かにスクラップブックから引用している魯迅の姿を思い浮かべながら訳していても、気が重くなる。

「人を罵り、人からも罵られた魯迅」という表題の本を見つけた。それよりは「奉納劇を魯迅と一緒にみる」の方が、こころが落ち着く。

2013/03/03

 

 

 

 

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後記8

  「文人は品が無い」を論ず   谷春帆

 私もかたじけなくも「文人」の中に入れてもらっているが、近頃「文人は品が無い」と言う点については、同感するし、「人心古(いにしえ)のままではなくなった」とか、「世の気風は日に日に悪化」と言う点については、まったく「道学先生」の偏った感慨だとも言えなくなった。

 実際問題、今日の「人心」の毒々しさは、とても恐ろしくさせる。とりわけ、所謂「文人」が思いつき、やり始めた数々の卑劣行為は陰謀中傷、デマ誹謗、公開密告、友を売って栄達を求め、貴顕に自分を売って、出世しようとする手口は、枚挙に暇が無い。

 そして一方では、自己宣伝巧みに、厚かましくも「天才」だとか「大作家」を自任し、他人のろくでもない作品を剽窃し、独りよがりで、いい気になって、ひどいことでも悪いことでも何でもやる。

 こうした心痛む事実を目にしたら「文人は品が無い」という真実を否定できるだろうか?

(無論、私も文人のほとんどがそうだという訳ではないが)我々は、「世道人心」を嘆くことをせずに済ませられるだろうか?

 勿論この感触は由来が無いわけではない。事実を示すと、以前、曾某がえらそうに、「そんなこと知ったことか」とか「麻雀をやろう」とかの言い回しを使って、「詞の解放」を唱えたとき、他の人から「軽薄青年」とか「色情狂の助平」と排斥された。曾某はくどくどと弁解したが、今となっては、新事実が出て、軽薄青年というだけでなく、憎むべき毒々しい蛇と証明され、崔万秋の名を借り、ホラを吹いた。(本紙の2月号の広告参照)更には、日本人女性の事務員と高校教員を「女詩人」と「大学教授」に仕立てあげ、事細かに自分を持ちあげさせた:最も卑劣な手段で、タブロイド紙に投稿し、彼の友人はXXX(共産党)だとし、住所を公開し、友人を売った。

(5号「中外書報新聞参照」

こんな大胆で、毒々しく、こんなつまらぬことをするのは、まったく廉恥心があるとは思えない。

――しかも「文人」がここまでやるのかと。だが曾某は本当にそれを考え出し、やったのだ。

私は如何なる人も曾某の神をも怖れぬ精神には度肝を抜かれるに違いないと思う。

曾某はまだ若く、勉強の機会もあると聞いているから、あのようなホラとおべっかばかりで、毒々しくて巧妙な思考力で以て、実学を求めたら、更に多くの事を会得できるだろうと思う。

 しかし曾は日々ホラとおべっか、デマと中傷を事とし、愈々以て曾某の恐ろしさを強固にしながらもう一面では亦、この青年が自ら道を踏み誤るのを見るのは残念なことだ。

 さて話を元に戻すと、高等教育を受けた者が、必ずしもよく身を修めるとは限らず、三角関係の恋愛小説ばかり書いて、名前を売りだし、大稼ぎしている張XXは、日本の某大学(東大)を出たことを自慢してきたが、最近はタブロイド数紙にでたらめを書き散らし、「亭主に棄てられた女」のような顔をして、毒づきながら、陰謀中傷デマ挑発などなんでもやり、人をブハーリンやレーニンの様だと決めつけ、相手を死地に陥れようとする。その人格の卑劣さ、手口の悪辣さは空前絶後だ。

こう見て来ると、高等教育は何の役に立つのか? と思う。

また、新しく出版された某誌というつまらぬ雑誌に、「白羽遐」という名で、「内山書店にて」という一文を載せ、公然と某人はいつも内山書店に行き、内山に命を救ってもらったとか、難から逃れるのを助けてもらったと書いている。

こうした公開密告の手口は、同じ連中が別名で弄んでいるのだと思う。

 しかし彼らがどの様にデマ中傷しようと、陰謀で陥れようとしても、見る目のある人が見ればすぐわかることで、騙しとおすことはできない。彼ら自身の卑劣さと人格の無さを暴露するのみだ。

 「品格ある」「文人」は、こうした醜い連中に対して、現在のように放置してはいけない。

彼らを文壇の外に駆逐すべく、力を奮って、現在の甚だ汚らしい中国の文壇を大掃除すべきだ!

 

 この後、この禍の水は「自由談」に流れ込み、翌日の「時事新報」に声明が出た。

方寸大のデカイ活字の題名は――

    張資平の声明

 5日「申報・自由談」の「文人は品が無い、を論ず」の後段はきっと私のことだと思う。

私は姓名を換えたことはないし、たとえペンネームを使っても、発表した物については全て責任を取ることを声明の1とする:

 白羽遐は別人であり、「内山書店にて」がそれほど悪い物とは思わぬが、私が書いたものではないから、それを承認できない。これが第2:

私の書いたものは自らの信念から出たものだが、政治的主張や国際情勢の研究に錯覚と間違いがあれば、いずれも訂正するにやぶさかではない。

 「デマや偽造の書面、意見の異なる相手に対し、自分勝手に誣告する」などは、いずれも常日頃私が反対してきたことで、これが第3点:

 私は単に資本家の出版社の後援を受けていないのみならず、大商人の妾になった姉妹の御蔭で、編集者になったなどと自慢したことは無い。さらに「誣告とデマ・偽造書面」など卑劣な行動もしていない。私は政治や国際情勢についての見解を発表しようにも、その方法も無く、故に凡そ私のこのような文章を、受け入れてくれる雑誌には、いずれにも投稿したいと考える。しかしその雑誌の他の文章については責任を負えぬこと、これが第4点:

 今度凡そ資本家を後ろ盾にした雑誌が、私を誣告すれば、私はそれは犬の遠吠えとみなし、取り合わないことを、ここに声明する。

 

 これはあきらかに、私以外、大部分は「自由談」の編集者、黎烈文に向けた物だ。それ故、翌日すぐ「時事新報」にこれに対する声明が出た――

 

訳者雑感:

 魯迅と内山完造の友情については、お互いに相手を百パーセント信頼していたと思う。

これから翻訳予定の彼の日記とか、内山が書いたものからそれが裏付けられると思っている。

しかし、現実世界では、魯迅が毎日のように内山書店に出かけて、よもやま話をしたり、それを材料にして文章にして、雑誌に載せていることについて、上述のように、内山は日本の密偵であり、

そこへ出入りしている魯迅は、情報の提供者であり、それと引き換えに、官憲から逮捕されそうになったときに、身をかくまってもらったり、避難場所を提供してもらっている、と「自分たちの雑誌」に公表し、それに応援団が尾ひれをつけて煽っている。

 この辺の事情は、泥仕合の様相を呈しているが、更に訳を続けてゆくと、新しい展開が出て来ると思う。

   2013年2月26日訳

 

 

 

 

 

 

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後記7

    内山書店と「左聯」

 「文芸座談」第1号に、日本浪人内山完造は上海で書店を開いているが、探偵だと言うのは確かで、更に「左聯」と関係がある、との記述がある。郭沫若が武漢から上海に逃げて来た時、内山書店の2階にかくまって、後に日本行きの乗船券を買ってもらった。茅盾は身に危険が迫った時、内山書店を唯一の避難所と考えた。そうであれば、同書店の役割はどこにあるのだろうか?

 蓋し、中国に共産党の匪賊がいるのは、日本の利なので、日本の雑誌に中国の共匪の情報を載せた記事は、中国自身が知っているよりも多い。この種のネタ取得も半ば命を救ってもらった恩のある共産党文芸分子の提供したものと:後の半分は、共産党自らが送って、その勢力伸長の為であり、ろくでもない文人が買収されて、その手先に甘んじて、情報を探る者がとても多い。

 この種探偵機関というと、内山以外に、日日新聞社、満鉄調査部などがあり、有名なスパイは、

内山完造の他に、田中・小島・中村などがいる。   {新皖}

 

  以上の2篇には2つの新趣向がある:

1.以前の誹謗者は、左翼作家はすべてソ連からルーブルを貰っていると書いたが、今は日本の間接スパイと書かれた。

2.以前、他人を剽窃者と言う時は、必ず書いたものを証拠としていたが、今はもっぱら人の口からでたものを、書くようになった。

私は内山書店にはこの3年来、確かによく行き、坐り込んで本を見、いろいろしゃべったりした。

だが、上海の所謂文人たちより、余ほど安心できる。彼は金を稼ぐために商売をしており、スパイのためではない:彼が本を売るのは金もうけのためで、人の血を売るようなことはしない:

この点については、凡そ自分では人間だと思っているが、実際はイヌにも及ばぬ文人たちは、しっかり学んでもらいたい点だ!

 しかし、まだ不満を抱く人がいて、7月5日の「自由談」にはついに下記の文章が掲載された。

訳者雑感:

 この後記には、本文で魯迅が書いたものに対する批判非難を再掲していて、訳すのに疲れるが、これを訳さないと、話しの展開につながらないから、訳している。

 2月20日のサンケイのコラム(春秋)に、最近政治協商会議の委員になった人の話しとして:

「以前はものをいう自由が無かったが、今はものを言わない自由もなくなった」という趣旨の話しが出ていた。

 この「自由」を「権利」に換えても意味は通じる。委員になると共産党政府の行為に対して、

ものを言わないという自由が無くなり、「支持・賛同」の言葉を言わなければならなくなる。

 1930年代の上海で、新聞社のコラム「自由談」に毎月何件か寄稿していたものを、

一冊の本にする時、「偽自由書」と題したのは、自由の無い状況下で書いた多くの文章が、

没にされ、残ったのがこの「偽」のついた自由書になったのだ。

      2013年2月21日訳

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後記6

 内山の話しは、べつにどうということもない事で、詩は科学的な方法で批評はできない。

内山は九州の片田舎出の小商人にすぎず、隠密であり、我々はうすら笑いを浮かべるしか無く、勿論それ以上なにもことあらためて弁じなかった。

 暫く前に「自由談」で何家干(魯迅のペンネーム)氏の文章を見たら、内山の話しと同じだった。

所謂「思想界の権威」、「文壇の老将」のこうした文章も「自分の考えから出た」のではないのだ!

 内山は更に我々にいろいろ話しかけ、「飛行機募金で救国」などの問題にも触れたが、一部は既に何家干氏が「自由談」で引用した話しだ。

我々はなんとかお茶を濁してやり過ごし、こちらからは何も話さず、彼の相手をしたくなかった。

内山がどういう人間か知っていたし、彼に命を助けてもらったり、危険を防いでもらったことも無く、今後もそのつもりはないから。

 友人と店を出て、歩いて虹口公園に向かった。

 

 一週間もせぬうちに、(7月6日)「社会新聞」(4巻2号)は、これに提灯を付け、「左聯」にまで広がった。

その中で、「茅盾」と記しているのは、本来「魯迅」とすべきところを、故意に間違えたもので、同一人が書いたのではないかとの疑念を起こさせぬ為だ。

 

  訳者雑感:

後記は長い。30頁もあり訳す方も疲れるほどだ。当時「自由談」に色々な名前で寄稿していたのだが、何篇かは没にされたりしたようだ。それらをまとめて「偽自由談」という本にまとめるにあたって、当時の他の雑誌に載った、彼の文章への批評・非難に対する反駁・罵りを拾い集めると、30頁と全体の15%を占めている。残り10頁に何が書いてあるのだろうか?

    2013年2月20日訳

 

 

 

 

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後記5

 

    曾今可 反攻準備

 

 曾今可が魯迅等からの攻撃で、完膚なきまでに打ちのめされた。

反攻を思わぬ時とてなかったが、力も無く、願望達成は困難だった。

また魯迅等は「左聯」をバックに、人数も多く、こちらで呼べば、あちらで応えるので、孤軍抗戦では防御不能であった。

そこでオルグを始めたら、およそ嘗て魯迅等の侮辱を受けた者から歓迎された。最近、張資平・胡懐・張鳳・龍楡生等十数人で、文芸漫談会を作り、新時代書店から、専ら左聯作家に対処すべく、半月刊発行を計画している。今月中旬出版予定。 {如}

 

 当時、曾今可に関しては取りたてて何も書いていなかったが、「曲の解放」(本書第15篇)に確かに触れていて、ひょっとすると、「侮辱」と言われるのかなと思った:

 胡懐は何の関係も無いが、「自由談」で彼の「墨インド人説」を嘲笑したことがある。

但し、張鳳・龍楡生氏はどうしてだろう?

私の記憶ではお互いに何の関係・交渉も無い。

この件は2巻26号の「涛声」(7月8日)を見、疑念が解けた。

 

   「文芸座談」遥領記       (曾)聚仁

 「文芸座談」は曾詞人の反攻機関紙、遥は遠くから、領は情を受ける意で、記とは座談に参加せずに遥か遠くで盛情を受けたことを記すもの也。

 解題は終わったので、本題に入る。

 ある日、曁南(大学)へ授業に行くと、休憩室の卓上に何やら一通の招待状があった:

開けると、「新時代月刊」からで、幸いにも私などもこの招待状をもらうとは!

きちっとたたんでしまって、家宝にしよう。

 「新時代」が招宴し「文芸座談」が生まれ,反攻の陣が整った。

新聞にでかでかと名将の名が連なった。

一昨日、張鳳先生に会ったので尋ねてみた:彼曰く:

「座談に出てくれとか何も知らない内にサインしたら、翌日、新聞に私が発起人になっていた」

昨日、龍楡さんに会ったら彼曰く:「上海は難儀な所よ。

彼らは再三私に何か話しをしてくれというので、ちょっとお茶を飲んだら、仲間に入れられてしまった:広告費も払えないのに」と。

私は言った:「彼らの茶を飲んだら、当然もう彼らの仲間さ!」

 私は幸い、茶を飲みに行かず、強奸を免れ、遥かに盛情を耳にしたことを謝すのみ!

 但し、この「文芸座談会」の機関誌「文芸座談」の第一期には、十数名の作家が名を連ね、7月1日出版された。その中の一篇は専ら私のために書かれた――

 

  内山書店にて       白羽遐

 ある日の午後、友人と上海北四川路を散歩していた。歩くうち北四川路の端まで来た。

虹口公園に行こうと提案したが、友は先に内山書店に何か新しい本が無いか見てみたいというので、我々は店に入った。内山書店は日本の浪人、内山完造が始めた店で、表向きは書店だが、

実は日本政府の探偵だ。中国人と何か話すとすぐ日本領事館に報告する。これは「公然の秘密」で、内山書店と接点のある者は皆知っている。

 私と友人は本や雑誌をめくっていた。内山は我々を見つけると、そそくさとやって来て挨拶し坐って話しましょうというので、いつものように閑談した。

内山書店に来る中国人は大多数が文人で、彼も中国文化を少し知っている。彼は中国人と中国文化及び中国の社会状況をよく語るが、中国の政治は余り口にしない。これは中国人に疑いを抱かせぬ為だ。

 「中国では何でも割引いて考えないといけない。文章もそうで、“白髪三千丈”は大風呂敷だ!割り引かねばならない。中国では他の問題も同じように考えないと…ははは!」

 

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後記4

  後記4

 

 「自由談」への寄稿は、去年11月黎が招待の宴席で、

彼に頼んだもので、たとえ魯(?)氏が地盤をきれいに、

しようと考えても、多少は配慮すべきで、こんな手荒な

まねはすべきではない。

 問題は、実は魯氏の文芸復興(?)運動の為で、

第一歩はまず全ての道を同じくせぬ者を打倒すべく、

それで今や張若谷・章衣萍などを「礼拝五派」として

批判し始めた:張資平が状況をもっと認識していたら、

自分はまさしく彼らのベッドの横でまどろんでいたら、

すぐにも追い出されると感じていたはずだ。

 千字十洋銀に恋々とし、こんな不運に遭うとは!

無論、人を打倒するには毒々しいほどよく、相手が

死刑か懲役になろうが構わない。

 張資平が「自由談」から追放されたのは、常識的には

誰も納得できないが、張資平の意気地なしは有名で、

女房子のために争う訳にはゆかず、また他の陣営と

集団を組んで争うともせず、わずかに「中華日報」の

「小貢献」に軟弱無力な陰口を書いて照れ隠しをした。

 今ではもう何も無くなった。「人参の髭」が彼に代わり、

沈雁冰が新たに造った文芸研究団の団員が大量に

「自由談」に移った。

 また「自由談」で曾今可を攻撃した「解放詞」は

「社会新聞」3巻22号(6月6日)で、またしても私が

下記のように騒ぎ出したとした――

 

 

 

 

 

 

 

 

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