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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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阿Q正伝 2

第六章 中興から末路へ
 未荘に阿Qが戻ってきたのは、丁度この年の仲秋を過ぎたころで、人々は大変びっくりして、阿Qが帰って来たぞ。どこへ行っていたのだ、と噂した。以前何回か城内に行ったときは、帰るとすぐ得意げに吹聴したものだが、今回はそれをしない。それで誰も気に留めなかった。祠を管理している爺さんには、話して行っただろうが、未荘では、趙旦那、銭旦那、秀才の長男が城内に行くとき以外、ニュースにならなかった。二セ毛唐すら数に入らなかったから、況や阿Qをや。爺さんも彼のことをニュースにしなかったから、未荘の社会では知る由も無かった。
 今回阿Qが戻ってきたが、以前とは様変わりで、確かに一驚に値した。夕闇迫るころ、眠たそうな目で、酒店に現れ、カウンターに身を預けて、隠しから出した手には、銀貨と銅銭をいっぱい握って、カウンターに放り投げ、「ほれ現金だ、酒をくれ!」着物も新品の袷で、腰には大きな腰巾着をつけている。ずっしりと重そうで、帯がその重みでだらりと垂れている。未荘の例として人目を引く人物に会ったら、ぞんざいな態度を取るより、敬意を表しておくのだが、今、明らかに目の前にいるのは、阿Qなのだが、ボロの袷をまとっていた阿Qとは別人のようである。
古人曰く「士は三日会わざれば、刮目して見よ」と。だから、ボスもマスターも酒客も通行人も、疑いの眼差しながら、敬意の態度で迎えた。
「ほー。阿Q、戻ってきたか」
「おー、帰って来たよ」
「金持ちになって」 「お前どこで?」
「城内さ」
 このニュースは翌日、未荘中に広まった。人々は現金と新品の袷の阿Qの中興の物語を知りたがった。酒店、茶館、廟の軒下で、噂がどんどんふくれていった。この結果、阿Qは、新たな畏敬を獲得した。
 阿Qの話では、挙人旦那の宅で、仕事をしたという。これを聞いたものは、みな粛然とした。この旦那は白という姓だが、城内には挙人は彼一人。だから姓を冠する必要なく、挙人と言えば彼のこと。未荘だけじゃない、百里四方すべてそうだった。たいていの人は彼の名は挙人だと思っていた。従って、そこで仕事するなんてことは、当然ながら、そりゃ大変なことだった。だが、彼の話ではもう二度とそこではしたくないという。なんでも、この旦那、実はとても「気に食わない奴」だったから、という。この話を聞いたものは、ため息をつきつつも、なにやら痛快にも感じた。阿Qは本来、挙人旦那の家で仕事をする柄ではないというやっかみもあり、またそれをもうやらないというのは、それはそれで惜しいからでもある。
 阿Qに依れば、帰って来たのも、どうやら城内の連中に不満だったようで、彼らが、長凳を条凳と言ったり、魚の油炒めにネギの細切れを入れたり、かてて加えて、通りを歩く女の腰のひねり具合が、いかにもよろしくないというのであった。
 だが、中にはたいへん敬服すべき点もあり、たとえば未荘の田舎もんは、32枚の竹牌しか打てないし、二セ毛唐くらいが「麻醤(マージャン)」を打てる程度だが、城内では「小鳥亀子」など、とってもうまく打つ。二セ毛唐といえども城内じゃあ、たかだか十数歳の子供の「小鳥亀子」の中に入ったら「子鬼が閻魔さまにひねられる」てなもんさ。これを聞いたものは、みな恥じいった。
「お前たち、首切りを見たことがあるか?」と阿Qは聞いた。
「こりゃ見ものだぜ。革命党を殺すのさ。まあ、見ごたえあるぜ……」頭を揺らしながら、唾の飛沫を対面の趙司晨の顔に飛ばした。これを聞いていた連中は慄然とした。が、阿Qはおもむろにまわりを見渡してから、右手を挙げて、首を伸ばして夢中で聞き入っていた王胡のボンの窪を直撃して、「バサリッ」と一声。
 王はビックラ仰天、瞬時に電光石火のごとく首をひっこめた。聴衆はみなゾクッとしたが、とても喜んだ。これ以降、王は長い間、うだつが上がらず、二度と阿Qのそばには寄ってこなかった。他の連中も同じだった。
 この時の阿Qは、未荘の人から見た地位は、趙旦那を超えていたとまでは言わないが、略同じくらいと言っても過言ではなかった。
そして暫くすると、阿Qの名声は未荘中の閨房にも広まった。未荘には銭と趙の二軒しか
深閨のある邸宅はないから、それ以外の十中八九は皆、浅閨に過ぎないが、閨房には違いない。これもいささか不思議な現象であったが、女たちは顔を会わせば必ず話題にした。鄒七おばさんは阿Qから藍の絹のスカートを買った。品は中古だけど、たった九角だって。また趙白眼の母親が、一説には趙司晨の母と言い、要チェックだが、子供用の大きな紅い西洋織の生地を買って、7割がた新品をたったの三百銭で、それも一串92個で百文。それで彼女らは羨望のまなざしで阿Qに会いたがった。絹のスカートを持っていない者は、ぜひ欲しいと。西洋生地の欲しい者は、ぜひ買いたいと思った。
それで、道で会っても、身をひそめるどころか、ときには阿Qが通りすぎてから、追いかけて来て、「阿Q、絹のスカートはあるかい?無いの?西洋生地も欲しいけど、無い?」
 その後、これは浅閨から深閨に伝わった。鄒七おばさんは得意のあまり、絹のスカートを趙家の奥様に見せに行った。奥方は旦那にそれを話した。品はとてもいいものだったと褒めた。旦那は夕食時に、秀才の長男に話した。阿Qはどうも怪しい。我が家も注意せにゃならん。が、彼の品物は他にいいものがあるかどうか知らん。まだいいのが残っているかも知れん。奥方も値打ちで質の良い皮のベストを欲しいと思っていた。家族会議の結果、鄒七おばをすぐ阿Qのところにやった。このために第3番目の例外を作った。今夜はしばらく灯をつけるのを許す、と。
 灯油はだいぶ減ったが、阿Qはなかなか来ない。一族郎党みなとても焦り出していた。
欠伸をしつつ、阿Qはずぼらな奴だからとか、鄒七おばさんがしっかりしないから、と怨んだりした。奥方は、春の一件(敷居)のせいで、おっかながっているのではないか、と気をもんだが、旦那は心配いらない、「俺」が呼んだんだから、と。果たして、旦那の見たてに狂いはなく、阿Qは鄒七おばさんについてやって来た。
「彼は、もうただただ無いよ、もう無いよ、というばかりで……。だから私は、自分で直接話してくれと言っても、同じことのくりかえしで、わたしは…」彼女は息を切らして、駆けつけながら言った。
「旦那!」 阿Qは軒下で立ったまま、うすら笑いを浮かべて声を出した。
「阿Q,お前だいぶ金儲けしたそうだな」そういうと、大股で歩み寄り、全身をなめ回し、「そりゃよかった。そりゃよかった。それでお前は中古のいい品を持っているそうじゃないか。全部持ってきて見せてみろ。他でもない、わしは、一つ欲しいものがある」
「鄒七おばさんに話した通り、みんな売っちゃって、もう無いよ」
「みんな売っちゃったって?」旦那は不覚にも声を失い、
「そんなに早くおしまいか?」
「あれは友達のもので、もともと大して多くなかったし、みんなが買っちゃったから」
「だが、少しは残っているだろ」
「もう、門幕一枚だけだよ」
「すぐ持ってきて見せなさいよ」と奥方は急いで口をはさんだ。
「じゃあ、明日持って来な」旦那はあまり熱心じゃあ無さそうだった。
「阿Q、これから何か入ったら真っ先に全部俺たちに見せろよ…」
「他所より安いことは言わんから」秀才も口を出した。
秀才の女房も阿Qの顔をちらっと見て、彼がこちらの意が通じたかどうか確かめた。
「私は皮のベストが欲しいのよ」と奥方。
阿Qは口では承知はしたが、ものうさげに帰って行ったので、本当にしっかり気に留めてくれたかどうか判然としない。それで旦那は失望し、憤慨しつつ、心配にもなって、欠伸も引っ込んでしまった。秀才は、阿Qの態度に不満で、この「忘八蛋」はよく注意せにゃならん。地保によく因果を含めて話させ、未荘から追い出そう、と言った。が、旦那はそれには反対で、恨みを買う方が心配だし、この手の生業をする奴は、大抵は「地元じゃあ、荒仕事はしない」というから、うちの村は心配無いよ、但、自分たちで夜警をしっかりすればいい、と。秀才もこの「庭訓」を聞いて、その通りだと思い、阿Q駆逐の提案は取り下げた。が、鄒七おばさんに、今のことは絶対口外しないように言いつけた。
 しかし、鄒七おばさんは翌日にはもう、藍のスカートを黒に染め、阿Qの疑わしいことを漏らしてしまった。だが、秀才が駆逐しようとした事は、触れなかった。情勢は阿Qにたいへん不利になっていた。真っ先に、地保が戸口に来て、趙の奥様が見たいからと言って、門幕を持って行った。更に毎月の上納金の額を決めよう、という。次には村民の畏敬も急に変った。ぞんざいな態度こそ取らないが、少し離れていた方が無難となり、この気持ちはこの前の「バサリッ」とやられないようにという時のとは違って、「敬して遠ざく」の入り混じったものだった。
 ただ、一部の閑人は、阿Qの本当の実情を根掘り葉掘り聞き出そうとした。阿Qも何も隠しだてや格好つけたりせず、自分の経験を自慢げにしゃべりだした。そこから分かってきたのは、彼はただのワキ役で、壁を越えられないだけでなく、蔵にも忍び込めなかった。ただ、外で、物を受けとるだけだった。
 ある夜、彼は包ひとつを受け取って、シテが再度入ってから、しばらくすると中は大騒ぎになった。彼は大慌てで逃げだし、夜じゅう走ってやっと未荘に逃れてきた。それでもう二度とやろうとはしなくなった、と。これが阿Qにはとても不利な結果になり、村民の「敬して遠ざけ」ていた者は、怨みを買うことを恐れていただけだったので、彼がもう再び偸みに入らない泥棒だとなれば、まったく「これもまた畏るに足らず」であった。
 
 
第七章 革命
 宣統三年九月十四日、阿Qが例の腰巾着を趙白眼に売った日。真夜中に大きな黒篷船が、趙府の船着き場に着いた。こっそり漕いできたので、村民は白河夜船、誰も気づかず、明け方に出て行った時に何人かが目撃した。よく調べた結果、挙人旦那の船だと判明した。
 この船が未荘に大きな不安をもたらした。正午前には村中の人心が動揺した。船の使命は極秘だったが、茶坊や酒肆では、革命党が城に進入したので、挙人旦那は俺たちの村に避難してきたのだ、と言っていた。ただ、鄒七おばさんはそうじゃないと言い、何個かの古い衣装箱を、預かってもらおうとしたけど、趙旦那は送り返したのだ、と言った。
実際、挙人旦那と趙秀才は、平素なんら行き来も無いし、理屈から言っても、「患難を共にす」などの情宜も無い。鄒七おばさんは趙家の隣で、彼女の見たのは確かなものに違いないから、大概は彼女の言うとおりだろうとなった。
 しかし、デマはますます広がり、挙人旦那自身が来たわけじゃなさそうだが、中に厚い手紙が入っていて、趙家とは遠い親戚だと書いてあり、趙旦那もちょっと考えなおして、損は無いと思い、箱を引き取って奥方の寝台の下に隠した、とか。革命党はこの夜城内に入ったが、白い鎧兜を着け、これは崇正帝(明末皇帝)の喪に服すためだという。
 阿Qは革命党というのはとっくに聞いていたし、今年は自ら革命党を殺すのを見てきた。が、どこかで聞いた話では、革命党は造反するというので、造反となると彼も困ると思い、これまでは「深く憎み、これを根絶しよう!」と考えていた。
それがどうしたことか、百里四方に名の知れた挙人旦那が、こんなに怖がるとは!阿Qはそう聞くと、なんだか恍惚となる自分の感情を抑えきれず、況や未荘の馬鹿どもが、あわてふためくのをみて、阿Qの気持ちは更に痛快になった。
「革命、それもいいじゃないか」と彼は思い、
「この馬鹿野郎たちの命を革(かく)してやろう。憎むべき連中、怨むべき連中、…俺も革命党に投降しよう」
 阿Qは最近、手元も不如意になり、不満がたまっていた。加えて、昼すきっ腹に二碗の酒を飲んだせいか、酔いが早くまわってきて、そんなこと考えながら歩いていると、飄々然としてきた。どうしたわけか、革命党とはすなわち俺のことだという気分になり、未荘の連中はみな俺の俘虜だ。うれしさのあまり、大声で「造反だ! 造反だ!」と叫んだ。
 未荘の人々はみな恐れおののいた目で、彼をみた。この一種憐れむべき目つきは、阿Qがこれまで見たことも無いもので、それを見ると、6月に氷水を飲むような爽快な気分になった。いっそううれしくなって叫んだ。
「よーし、俺の欲しい物は、みな俺のもの。好きな女も俺のもの。ドンジャンドンジャン」
「悔やんでも、悔やみきれぬは♪、鄭君よ、酔って君を斬ってしまったことよ。悔やんでも悔やみきれない♪ああ、あああ♪ ドンドンジャンジャンドンジャンジャン。
ハガネのムチを振り上げて、お前を懲らしめてやる♪」
 趙家の二人の男と、本当の一族の二人が正門の前で、革命の話をしていた。阿Qはそれも見ずに、頭をあげて、うたいながら通りすぎた。
「ドンドン…  」
「Qさん」趙旦那が心配そうに、近寄ってきて声を落として呼んだ。
「ジャンジャン」阿Qは自分の名前に「さん」が付いているので、別人だと思い、自分とは関係ないと思って、ただドンジャンドンジャンとうたった。
「Qさん」
「悔やんでも悔やみきれない♪」
「阿Q!」秀才が直接彼の名を呼んだ。
阿Qはやっと立ち止まって、頭をひねって、「何?」と応じた。
「Qさん… 最近 …」趙旦那は何の話もないので、「近頃、金儲けしたのかい?」
「金儲け、もちろん。欲しい物はなんでも……」
「アー Q兄さん、我々こんな貧乏人仲間は大した問題にはならないよね……」趙白眼は、びくびくしながら言ったが、革命党の手口を探ろうとしているようだった。
「貧乏人? の仲間? どう見たって俺よりずっと金もちだ。」と言って彼は去った。
 皆憮然として、話も途切れた。趙旦那父子は家に帰り、灯を点けるころまで善後策を相談した。趙白眼も戻って、腰巾着を女房に渡して、箱の底に隠すよう命じた。
 阿Qは飄々然と舞い上がるごとく祠に帰った。酔いはもうさめていた。この夜管理の爺さんは、意外なほどに丁寧で、茶まで出してくれた。阿Qはついでに餅菓子を2枚頼み、食べ終わると、火をつけたことのある四両のローソクと高い燭台を頼み、点火して、自分の小部屋で一人寝た。えも言われぬいい気持ちで、うれしくてたまらず、ローソクの火も元日の夜のようにゆらゆら揺れ、気持ちも跳びはねるようだった。
「造反、こりゃ面白い。…… 白い鎧兜の革命党がやってくる。手には、青龍刀、ハガネのムチ、爆弾、鉄砲、三又の両刃の剣,鈎鎌の槍を持ち、「阿Q行こうぜ!」と祠に呼びに来る。「そこで一緒に……」「この時未荘の馬鹿どもは、面白いことになるだろうな。
俺の足元にひざまずいて、‘阿Q、助けてくれ!’という。‘おめえ誰だ?俺様に向かって’
 最初にやるのは、小Dと趙旦那、それに秀才、そして二セ毛唐。何人生かしてやるか?
王胡は残してやってもいいが…、やはりいらん。
「品物は…突入したら真っ先に箱をあけ、元宝銀、洋銭、西洋シャツ、秀才の女房のあの寧波式豪華寝台をひとまず祠に持ってこよう。そのほかには、銭家の食卓と椅子、或いは趙家のでもいい。自分の手で運ぶんじゃない。小Dに運ばせよう。早く運ばなきゃ、一発くらわしてやる。……。
「趙司晨の妹はブスだし、鄒七おばさんの娘は何年か先の話。二セ毛唐の女房は、辮髪の無い男と寝るような女だから、ペッ、ロクな女じゃない!秀才の女房はまぶたの上にかさぶたがあるし。……呉媽はもう長いこと会ってないが、どこにいるんだろうな。
だがなあ、彼女は足が大きいからなあ(纏足ではない、阿Qも纏足の方が、の意)…。
 阿Qは計画を十分まとめる前に、鼾をかきはじめた。四両のローソクも半寸ほどしかへっていない。紅い炎が彼の開いた口を照らしていた。
「はーああ」阿Qは突然声をあげて、頭をあげ、周りを見回したが、四両のローソクを見て、また眠った。
 翌朝起きた時、だいぶおそくなっていた。街を歩いても元のままだった。腹がへったので、どうしようかなと考えたが、何も浮かばない。が、急にアイデアが出たらしく、ゆっくりだが大またで、なにかありげに静修庵に向かった。
 庵は春のときと同様静かで、白壁と黒い門。ちょっと考えながら、門を叩いたら、犬が中から吠えてきた。急いでレンガのかけらを数個拾い、力を入れて門を叩いた。黒い門にいくつかぼつぼつができたころ、やっと中から人が出てきた。
 阿Qは急いでレンガをつかみ、足を開いて黒犬との戦闘に備えた。だが、門はほんのわずか開いただけで、黒犬は出てこなかった。のぞくとあの年かさの尼だけがいた。
「何の用?」彼女は驚いて聞いた。
「革命さ。知っているだろ?」阿Qも言いながらあいまいだった。
「革命。革命。――革命して革命する ――お前たちを」
「私たちをどうする気だい?」尼は両目を紅くして言った。
「何?…」阿Qは、わけがわからなかった。
「お前、知らないのかい。彼らはもう来て革命していったよ」
「誰?……」阿Qはよけいわからなくなった。
「あの秀才と二セ毛唐」
 阿Qはとても意外だった。不覚にもうろたえてしまった。尼は彼が鋭気を失ったのを見てとり、ばたんと戸をしめ、阿Qが再度押してもびくともしなかった。門を叩いたが応答はなかった。
 それは午前中のことだった。趙秀才は早耳で、革命党が夜城内に入ったと聞くや、辮髪を頭上に巻いて、朝早く、元もとさして仲良くもなかった銭二セ毛唐を訪ねた。今や「ともに維新」のときが来た。それで話はとんとん拍子。すぐさま意気投合して同志となって、手を携えて革命に行くことになった。いろいろ考えた後、静修庵に「皇帝万歳、万々歳」の龍牌が掛っているのを思い出し、さっそくこれを取っ払わねばならぬ、とすぐ一緒に庵に行って、革命したのである。尼が阻止しようとしたので、ふたことみこと言って、彼女を満州政府と同一なるものとみなし、ステッキと人差し指と中指の二本を曲げて、何回かこつこつと叩いた。尼は連中が去った後、気を取りなおし、調べてみたら、龍牌は粉々になって地上に散らばっており、観音様の前にあった宣徳炉は無くなっていた。
 阿Qは後から知ったのだが、今朝おそくまで寝ていたことをひどく悔やんだ。
だが、彼らが自分を呼びに来なかったのはとてもけしからんと思った。また一歩退いて考えた。「まさか彼らは俺が革命党に投降したのを知らないのか」と。
 
第八章  革命は許さん。
 未荘の人心は、外見は静かだった。伝来した消息では、革命党は入城したが、別に大きな変動もなく、知県様ももとのまま、ただ何とかいう名に改称された由。挙人旦那も何とかという官になって――こうした官名は、未荘の人には分からない――軍隊もやはり前の隊長のまま、只ひとつ恐ろしいのは、悪い革命党が混じっていて、ひっかきまわしている。翌日辮髪を切りに来て、隣村の便船の七斤がやられて、ブザマな姿にされた。が、そんなのは大して怖くない。未荘人は、元来城に行くことは少なく、たまに出かけるにしても、すぐ予定を変えられるから、危険な目にあうことはまず無い。阿Qも城内の友達を訪ねに行こうと考えていたが、この件を聞いて、取りやめた。
 一方、未荘も改革無しとは言えなかった。数日後、辮髪を頭上に巻いた者が徐々に増えてきた。すでに触れたごとく、一番は茂才公、次が趙司晨と趙白眼、その後が阿Q。夏なら辮髪を頭上に巻いたり、結わえたりするのは珍しくも無いが、晩秋の今、それをやるのは「晩秋に夏もの」で、巻辮髪は大変な英断である。だから未荘も改革と無縁とは言えないのだった。
趙司晨が後頭部をきれいさっぱりして、やって来るのを見た人々は「おお、革命党が来た!」と大騒ぎ。
阿Qはそれを聞いて、大変羨ましくなった。秀才がとっくに巻いたというのは知っていたが、自分もそれができるとは思いもよらなかった。趙司晨もそうしたのを見て、まねようと決心した。竹箸で辮髪を頭上に巻いて、長いことためらってから思い切って外に出てみた。
街に出て、人々は彼を見たが何も言わない。阿Qは最初とても面白くなかった。後には不満に思った。ちかごろすぐかんしゃくを起こしやすくなった。生活は造反の前より苦しくなったわけではないし、人々もぞんざいな態度になったわけでもない。店も現金でなきゃだめだとも言わない。だが、阿Qは自分とした事が、こんなことではと失望していた。革命したら、こんな具合じゃあおかしい。小Dを見かけたとき、一層ムカッとしてきた。
小Dも辮髪を頭に巻き、なおかつ竹箸を使っている。彼ですらこんな風にできるとは思ってもみなかった。彼がこんな風にするのを許すわけにはいかないと思った。小Dは何と心得るか!即刻、竹箸を折って辮髪を降ろさせ、何回かびんたをくらわせ、身の程知らずに、革命党を僭称するなど怪しからんと膺懲せにゃならん。
だが、そう思っただけで、結局は放免し、単に目を怒らせてにらみつけ、ペッと唾を吐いただけにとどめた。
この数日、城内に行くのは二セ毛唐ひとりだった。
趙秀才も例の箱を預かった由来を頼みに、自ら挙人旦那を訪ねようと思ったが、まだ辮髪があるので、危ないことはせぬが良いとしてやめた。彼は傘型に文面を整える正式の書状を、二セ毛唐に託して城内に持参してもらった。また、彼から自分を紹介してもらって、自由党に入党した。二セ毛唐は戻るなり、秀才に立て替えた四元の洋銭を請求し、秀才は銀のスペードのバッジを中国服の大襟にかけた。未荘の人たちは皆畏れいって、これが柿油党(自由党の当て字)のバッジで、翰林(科挙の優秀者)に相当すると言った。趙旦那はこのため、俄然はぶりが良くなり、息子がはじめて秀才になった時より鼻息があらく、眼中になんぴとも無く、阿Qなど鼻にもかけなかった。
 阿Qはとても不満で、だんだん気も落ち込み、銀のスペードの話を聞くや、自分の冷落の原因を悟った。革命するなら、投降だけじゃだめ、辮髪を巻くだけでもダメ、第一に革命党に行き、彼らと知り合いにならねば、と。だが、これまで革命党で知っているのは二人だけ。城内の一人はとうに「バサッ」とやられ、残る一人は二セ毛唐のみ。すぐ彼の所へ行って、相談する外ない。
 銭府の門は開いていたので、阿Qはおっかなびっくり入って行った。入ると驚いたことに、二セ毛唐が庭の中央に立って、真っ黒の洋服を着て、その服に銀のスペードをつけ、手にはかつて阿Qが教えを受けたステッキ、一尺余のザンバラ髪を肩の後ろに垂らして、まるで劉海仙人(がま蛙に乗った伝説の仙人)のような格好であった。その前に背筋を伸ばした、趙白眼と三人の閑人が恭しく、尊敬のまなこで話を聞いている。
 阿Qはそっと近づいて、趙白眼の背後に立ち、気持ちの中では、早く挨拶しようとしたが、どう挨拶すべきか分からない。もちろん二セ毛唐などと呼んでは、とんでも無い。洋人も適切ではない。革命党もちょっと。洋先生とお呼びすべきだろうな。
 洋先生は目をかっと開いて、話しに夢中で、彼の方にまったく注意を向けなかった。
「私は性急なたちで、私たちが会ったときは、いつも洪兄さん!やりましょう!と言ったのだが、彼はNo!――英語だから諸君には分からないだろうがね。さもなければ、とっくに成功していた。しかしこれが正しく彼の非常に用心深い点で。彼は再三再四、湖北に来てくれと私に言ってきたけど、私は行かなかった。このちっぽけな県城では、誰も何かやれるとは思わんがね。……」
 「おお… この…」阿Qは彼の話が少し途切れた時、思い切って勇気を出して口を開いた。が、どうしたことか、洋先生とは呼ばなかった。
話しに夢中になっていた四人は驚いて彼を見、洋先生もやっと見た。
「なにい?」
「おいら…」
「出てけ!」
「革命党に…」
「さっさと出て行け!」洋先生はステッキを振り上げた。
趙白眼と閑人は大声で「先生が出ていけ、と言っているのが聞こえんのか」と怒鳴った。
 阿Qは手を頭に載せて、知らぬ間に門外に逃げ出していた。洋先生も追っかけては来なかった。六十歩ほど速く走ってから、ゆっくり歩きだしたらやるせない思いが湧いてきた。洋先生は彼の革命を許してくれない。他に方法は無い。今後、白い鎧兜の人が、彼を呼びに来ることはもう決してない。すべての抱負、志向、希望、前途、どれもみな帳消しだ。閑人たちが、言いふらして、小Dや王胡の輩に笑われることなどどうでもいい。
 かつてこれほどまでに無聊をかこったことは無い。自分の巻辮も今や何の意味も無い。侮蔑すべきと悟り、仇打ちのために、辮髪をたらそうとしたが、そうはしなかった。夜まで遊んで、酒二碗をつけで飲み、飲み終わるとだんだん元気が戻って来、気持ちの中では、白い鎧兜のかけらがまた出てくるようになった。
 ある日、いつも通り夜遅くまで遊んで、酒店が閉じるまでいて、それから祠に帰った。
バーン、バン、バン!
突如、一種異様な音がしたが、爆竹ではない。阿Qは根っから騒ぎが大好きな野次馬で、暗がりの中を音のする方に向かった。前方で足音がする。聴き耳を立てると、猛然、前方から人が逃げてくる。それを見るや急いで一緒に逃げた。男が曲がれば彼も曲がり、立ち止まると、彼も立ち止まった。後ろから何も来ないと分かって、その男を見ると、なんと小Dだった。
「なあんだ」阿Qは不満に感じた。
「趙家が…や ら れ た!」小Dはぜいぜいしながら言った。阿Qの心はポンと跳びは
ねた。小Dは話し終えると去って行った。阿Qも逃げながら立ち止まること2,3回。彼は必竟、「この種の生業」をやったことがある人間だった。肝も格別大きい、それで疲れた足を引きずって、街角までゆき、注意して聞いてみると、まだ騒いでいるし、よく見ると、
白い鎧兜の人が次々と箱を担ぎ出している。家具も出し、秀才の女房の豪華寝台を担ぎ出しているが、はっきり見えない。前に出ようとしたが、足が動かない。
 この夜は月が無く、未荘は真っ暗でたいへん静寂であった。静寂さは伏羲のころと同じくらい泰平だった。阿Qは立ったまま苛立っていた。さきほどと同様、次から次へと運び出され、箱も家具も秀才の女房の豪華寝台も、目を疑うばかりだった。だが、彼はそれより前には出ないことに決めて、祠に戻った。
 祠は真っ暗だった。戸を閉め、手探りで中に入った。しばらく横になってやっと落ち着いて、自分の気持ちを整理した。白い鎧兜の人は確かに来た。だが、呼びには来なかった。これはすべて憎っくき二セ毛唐のせいだ。俺の造反を許さないからだ。さもなくば、今日どうして俺の取り分が無いなどということになろうか。考えれば考えるほど、ムカムカし、しまいに、心のそこから怨みを押さえられず、猛烈に首を上下させ、「この俺の造反を許さず、自分だけ造反して、こん畜生の二セ毛唐! よーし、お前が造反するなら、造反は首切りの罪だ。お上に訴えてやるぞ。県城にしょっ引かれて首切りだ。一族郎党、財産没収の上、首切りだ、バサッ バサッ」
 
第九章 大団円
 趙家がやられてから、未荘の人の大半はとても痛快に思ったが、またその一方で恐れもした。阿Qも痛快だったが、恐れもした。四日後、阿Qは夜中に突然、県城にしょっ引かれた。その夜は月も出ず、兵隊、自警団、警察の一団と五人の探偵がひそかに未荘に来て、闇に乗じて、祠を囲み、正面から機関銃を設置したが、阿Qは出てこなかった。長い間、動きが無く、隊長は焦り出した。二万の賞金をかけ、二人の自警団が危険を冒して垣を越えて入り、内外呼応して一斉に突入、阿Qを捕えた。祠の外まで連れ出して、機関銃の左近くに来て、彼はどうやら目が覚めたようだ。
 城内に入るともう正午。阿Qは両手を縛られ、古い役所の建物に入り、5,6回曲がって、小部屋に押し込められた。ちょっとよろめいた途端、丈の高い丸太の柵戸が、かかとにくっつくように閉まった。他の三面は壁で、よく見るともう二人いた。
 阿Qはちょっとびくびくしたが、辛いとは感じなかった。祠の寝間はこことそう変わらなかった。同室の二人は田舎者のようで、話し始めてみると、一人は挙人旦那が、彼の祖父の代の年貢未納を取り立てに訴えたためだ、という。もう一人はどうしてだか知らない。彼らが彼にどうしてだ、と聞くので、「造反しようとしたからだ」ときっぱり答えた。
 午後、檻から裁きの場に連れて行かれた。正面にツルテッカンの爺が坐っている。
阿Qは和尚かと思った。後ろには兵隊が立ち、両側は十数人の長衫を着たのが、ツルテッカンと同じようなものや、一尺くらいの髪を二セ毛唐のように肩の後ろに垂らしているのがいた。凶悪な顔で、目を怒らせて自分を見ていた。この連中はその筋の人だと思ったら、膝関節がふにゃふにゃとし、膝を地につけてしまった。
「立って答えろ! ひざまずかなくていい」長衫の男が叫んだ。
 阿Qは分かったようだが、立ち上がれない。体がいうことをきかず、ひざまずいたままで、ついには本当に「ひざまづき」の形になった。
「奴隷根性め!」長衫の男が軽蔑しきったように言ったが、立てさせはしなかった。
「正直に白状しろ。(拷問にかけられて)苦しみたくなければ。とっくに分かっているぞ。話せば許してやる」ツルテッカンの爺は、阿Qの顔を見定めて、穏やかな声ではっきり言った。
「さっさと白状しろ」長衫の男も大声で怒鳴った。
「おいら、もともと、(革命党に入ろうとして、申請に)来ようとしたんだ」阿Qはでたらめなことを考えながら、ぼそぼそと話しだした。
「では、なぜ来なかったんだ?」爺はおだやかに訊ねた。
「二セ毛唐がおいらを入れて呉れなかったのだ」
「でたらめ言うな!今頃そんなこと言っても遅い。今お前の仲間はどこにいるのだ!」
「なに」
「趙家をやった連中さ」
「彼らは俺を呼びには来なかった。彼らは自分で運んじゃったんだ」阿Qはそう言って憤慨した。
「どこへ行ったんだ?話せば許してやる。爺さんはさらに穏やかになった。
「おいら知らない。彼らはおいらを呼びに来なかったんだ……」
すると爺は目配せして、彼はまた檻の中に入れられた。二回目に出されたのは翌日の朝だった。裁きの場は同じ状態。正面にツルテッカンの爺。阿Qはひざまずいた。
爺は穏やかに訊ねた。「何か話すことはないかね?」
 阿Qは考えてみたが何も無かったので「ありません」と答えた。
 すると、長衫の男が紙と筆を阿Qの前に置き、阿Qに筆を握らせた。阿Qはこの時
びっくりしてほとんど「ぶっ魂消てしまった」筆を握るのは初めてだったから、どのように握ったらよいか知らなかった。その男はある場所を指して、花押を描かせようとした。
「俺は字を知らない」阿Qは筆を握りながら恐れおののき恥じ入るように言った。
「じゃあ、負けてやる。丸を描きな」
阿Qは丸を描こうとしたが、筆を持った手はふるえるばかり。それでその男は、紙を地面に置いて、阿Qを伏せさせた。彼は懸命に丸を描こうとしたが、この憎たらしい筆は重くて、いうことをきかない。ブルブル震えながら丸をくっつけようとしたら、外にはみ出して、西瓜の種のようになった。
 阿Qは自分の描いたのが丸くないので、恥ずかしくてたまらなかったが、その男はかまわず、紙と筆を持ち去った。
 数人の男たちが再び檻の中に連れて行った。檻の中に入れられても大して悩まなかった。
人間、天地のあいだに生きていりゃ、まあたいてい引っ張り込まれたり、連れ出されたりするものさ。時には紙に丸を描かされる。ただ丸く描けなかったのは自分の「行状」の上で、汚点であるが。暫くしてやっと分かった。彼はこう思った。自分の孫の代なら、真丸の円が描けるようになるさ。そして彼は眠った。
 しかしこの夜、挙人旦那は眠れなかった。彼は隊長がとても癪にさわった。彼としては、盗品を探し出すことが最優先されるべきと考えた。隊長は大衆へのみせしめが第一と考えた。隊長は近頃、挙人旦那を軽んじだした。ケンカ腰で「一罰百戒ですよ。私が革命党になってまだ二十日も経ってないのに、蔵破りはもう十数件。一件も捕まっていません。私の面子丸つぶれです。今回やっと捕まえたら、迂遠なことをおっしゃる。ダメですよ。ダメ。これは私の所管事項です」挙人旦那は困って、自説を堅持して、もし盗品探しをやらないなら、民政支援の職務を即刻辞す、と脅した。隊長は「ご随意に」と言うのみ。で、挙人旦那はこの夜眠れなかった。幸い翌日辞職はしなかったが。
 阿Qが三回目に檻を出された時は、ちょうど挙人旦那が眠れない夜の翌朝だった。裁きの場に着くと、正面にやはりツルテッカン。阿Qも例の通りひざまずいた。爺は穏やかな口調で、訊ねた。「何も話すことは無いかね?」阿Qは考えたが何も無いので「ありません」と答えた。
 長衫と短衣を着た男が大勢で、西洋織の白い布のチョッキを着せた。上に黒い字がある。阿Qはとてもくさくさしてきた。というのも、なにやら喪服のような感じがしたからだ。
喪服なんて縁起でもない。それから両腕を後ろ手に縛られ、役所の外に出された。
 阿Qは幌の無い車に乗せられ、数名の短衣の男たちも一緒に坐った。車はすぐ動き出した。前には鉄砲を担いだ兵隊と自警団。両側は口をぽかんとあけた見物人が沢山いた。後ろはどうか、阿Qは振り向かなかった。が、突然悟った。首切りされるのだ。あわてた。
両の目はくらみ、耳の中はガーンと鳴った。くらくらしてきた。が、完全にやられてはいなかった。あわてはしたが、泰然としていた。意識の中では、人間、天地の間に生きていりゃ、時として首を切られることも免れまい、と考えた。
 道は見おぼえがあったが、どうもおかしい。どうして刑場に向かわないのか。自分が見せしめのため、市中引き回しされているとは知らなかった。知ったところで同じこと。人生、もとより見せしめにあうこともあろうと考えるだろう。やっと分かった。回り道をして、刑場に連れられ、バサッと首を切られることを。呆然として左右を見回したら、路傍の人の群れの中に、呉媽がいた。久しぶりだったが、城内に働きに来ていたんだ。阿Qは自分が急に士気が無く、越劇のさわりの文句ひとつも唱えなかったのを恥じた。なんとかしなきゃという気持ちが空回りした。「悲しき未亡人」じゃあ元気がないし、「龍虎の闘い」の「悔やんでも悔やみきれない」ではむなしすぎる。やはり「ハガネのムチでお前を懲らしてやる」か、と思ったが、手を振り上げようとして、両手が縛られているのに気づき、それも止めた。
 「二十年後に生まれ変わり、男一匹」阿Qは焦りながらも、「誰に教わるでもなく」これまでやったことのない文句を唱いだした。
「好!いいぞ」群衆の中から狼の遠吠えのような声がした。
 車は前進を続けた。彼は喝采の中、目を凝らして呉媽を見たが、彼女は自分の方は見ず、ポカンと兵隊の背中の鉄砲を見ていただけだった。
 そこで阿Qは再び喝采の群衆を見た。この刹那、彼の気持ちはぐるぐると回った。四年前、山の麓で、飢えた狼に出くわした。ずっと不離不即で彼をつけ狙ってきた。彼の肉を食おうとしていたことを思い出した。あの時もうほとんど死にそうだった。幸い柴刈刀を持っていたので、勇気を出しなんとか未荘までたどりつけた。しかしあの狼の目は永遠に忘れられない。凶暴なくせに、おびえたような目で、遠くから彼の皮と肉と見透かすようだった。いま、これまで見たことも無いような恐ろしい目、鈍いけれど、鋭利ですでに彼のしゃべったことを噛み砕き、皮と肉以外のものを食らわんとして、つかずはなれずついてくる。この目が一丸となって、彼の魂を噛み砕きはじめたようだ。
「助けてくれ」そう思ったが、彼は口には出さなかった。
とっくに目はくらみ、しきりに耳鳴りがし、全身は粉みじんにくだけて飛び散ったように感じた。
 当時の影響で一番大きかったのは、挙人旦那で、ついに何も取り返せず、一家全員泣いた。その次は趙府で、秀才が城内に報告に行ったとき、悪い革命党に辮髪を切られただけでなく、二万の賞金を払わされ、一家全員でおろおろ泣いた。この日以来、彼らは旧時を懐かしむ遺老の気持ちになった。
 世論は未荘では異議は無かった。阿Qが当然悪い。銃殺されたのは悪い証拠で、悪くなければなんで銃殺にされるものか。城内の世論はよくなかった。半分以上は不満で、銃殺は首切りのような見ごたえが無い。そしてあの死刑囚はまさに噴飯ものだった。あんなに長く市中引き回しにされながら、ついに越劇の名場面の唱(チャン)の一節すらうなれなかった。ただついて回っただけまったく無駄骨で、しょうもなかった、と。
  一九二一年十二月   
 
2010年5月31日 温家宝首相訪日の日に。
 首相の職務を害されることを懸念して宝飾関係の夫人と離婚したと伝えられる人と、女性の大臣を罷免して、それが当人を害することになることを懸念しなかった人との会談の日に。
 
 
 
 
 

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