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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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雨中嵐山の詩碑

 周恩来が日本留学中の1919年4月5日に嵐山で詠んだ「雨中嵐山」の詩の石碑が、保津川左岸の坂道を登った所に設置されている。この石碑は、日中友好の証として、日本人観光客のみならず、訪日中国人や留学生たちが、記念写真に収める有名なスポットである。
 この詩は、1920年1月20日に中国天津で発行された「覚悟」の創刊号に投稿されたもので、「雨の中二度目の嵐山に遊ぶ」から始まり、「両岸の蒼い松の間に、何本もの桜が咲いて美しい」と続き、京の美しい自然を讃えている。
 だが、一方で同じ日に書かれた「雨後嵐山」という詩が、同誌同号に掲載されていることは、一部の人を除いて、あまり知られていない。以下に、その詩の拙訳を試みる。
  (訳文)

  雨後嵐山
  山あいの雨が通り過ぎると、雲がますます暗くなり、
  ようやく黄昏が近づく。
  万緑に抱かれた一群の桜は、
  うっすらと赤くしなやかで、人の心を酔わせるほど惹きつける。
  人為も借りず、人の束縛も受けない、自然の美しさ。
  考えれば、あの宗教、礼法、旧文芸……粉飾物が、信仰とか、情感とか、美観とかを説く、人々を支配する学説に今なお存在する。
  高きに登り遠くを望めば、青山は限りなく広く、覆い被された白雲は帯のようだ。
  十あまりの稲妻が、ぼんやり暗くなった都市に光を射す。
  この時、島民の胸中が、あたかも情景より呼び出されるようだ。
  元老、軍閥、党閥、資本家……は、今より後、「何を当てにしようとするのか」?
  (原文)

  雨后嵐山
  山中雨過云愈暗,
  漸近黄昏;
  万緑中擁出一叢櫻,
  淡紅媚嫩,惹得人心醉。
  自然美,不假人工;
  不受人拘束。
  想起那宗教,礼法,旧文芸,……粉飾的東西,
  還在那講甚麽信仰、情感、美観……的制人学説。
  登高遠望,青山渺渺,被遮掩的白雲如帯;
  十数電光,射出那渺茫黒暗的城市。
  此刻島民心里,仿佛従情景中呼出;
  元老,軍閥,党閥,資本家,……
  従此后“将何所恃”?

 雨後嵐山は、雨中嵐山に比べると、政治的志向――「覚悟」をより強く打ち出しているようだ。
 二度の国立大学受験に失敗して帰国を決意した周恩来は、帰国の前に京都の友人を訪問し、九日間滞在した。その間、円山公園や嵐山などに遊んだが、彼は、この島国――日本の人々の心がどこへ向かって行こうとしているのか、とこの詩の中で問うている。
 この島国が、元老や軍閥、党派、資本家など、この国の支配層の意向に忠実に従って、周辺国を侵略し、植民地化していこうとするのか? 彼は、中国と中国人が小さな島国に支配されることに対し、断固として立ちあがり抵抗せねばならぬと覚悟を決め、帰国を決意する。
帰国後、彼は天津で政治活動を行って逮捕され、留置所での拘留を経験するも、釈放後はフランスへ渡り、中国共産党欧州支部の設立に関わっている。
フランスから帰国の後は、共産党員として政治活動を行ったことは周知の事実である。
2017.6.5 作成
2017.6.15 投稿

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