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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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後記10

後記10

崔万秋国家主義派に加入

「大晩報」のヘナチョコ編者崔万秋は、日本から帰国し、愚園坊68号の左舜生家に住み左と王造時の紹介で「大晩報」で働くこととなった。最近は国家主義と広東方面の宣伝に力を入れ、夜は舞庁か八仙橋荘に入り浸っている。

罪状もあり、住まいも知れていれば逮捕するのはたやすいこと。同時にまた小さなクセが見つかり、この詞人はかつて崔万秋の名で、自ら詩に序を書き、自分の詩をその序で大いに称賛している。軽病と重症がせめぎ合い、このやわな詩人兼詞人は立場がぐらつきだし、下野しようとし、「時事新報」(79日)にまた声明を載せた。近頃の文壇はどうやら「声明時代」に入ったようだ。――(崔は曾今可の別名)

 

曾今可の声明。

拙者、不日ならずして、上海を離れ、旅に出、且つまた文章生活から離脱する。今後私へのデマ中傷は一切相手にせぬ。この頃、強者のみが殴るのを許し、弱者には叫ぶ事すら許さぬ。私はもはや何も言うべきこともない。私は弱者だと認め、反攻する力も無く、英雄たちの勝利の笑い声の中、静かに文壇を去る。私を「意気地なし」と笑う者に対しては、

彼が私を「英雄」と尊敬していると考えるものである。ここに声明する。

 

以上で終わりだ。文章は面白く、結末の2句は出色である。

私の切りぬきを張り合わせて『「文人は品がない」を論ず』に書いたが、実はこの曾・張の二つをあわせたものだ。私はこちらの方がより陰険だと思い、短評をつけて「自由談」に投稿した。いつまで経っても載らないので、返して貰った。原稿はインクと手垢にまみれ、印刷の手配を済ませたが、誰かに抜かれた証拠だ。「大商人の妾になった姉妹がいなくとも」

「資本家の出版者」がこうした名士の「後ろ盾」になることが判る。だがそうした有名人から非難されたら、すぐ紅い帽子をかぶせられるから、命のためには、載らない方がいいかもしれない。今、その原稿を下記する。

 

「文人は品がない」に反駁する

「文人」という看板はいとも簡単に人をだます。現在の社会は文人を軽視するが、それでも所謂「文人」が自から軽んじ、賤しめることには及ばない。「人」としてけっしてやってはならぬことをしても、論者は彼を「品が無い」というだけで、「瘋人」と解し、「あわれさ」を許そうとする。だが、彼らはもともと商売人で、これまでひどくずる賢く立ち回り、以前の諸々は「商売の経典」に他ならず、今の諸々は「品が無い」のではなく、

「商売替え」をしようとしているのだ。

商売がだめになった結果、「商売替え」をさせられた。極低劣な三角関係の恋愛小説で、大量販売した。夜、通りを歩くと、チンピラが暗がりから声をひそめ:旦那、エロ本買わないか?中国のも日本のも西洋のも有るよ。買わないか」とすり寄ってくる。売れ行きも悪くは無い。引っかかるのは上海に来たばかりの青年と田舎者だ。だが、それもせいぜい

45回までで、数冊見たら嫌気がさし、嘔吐したくなる。

「中国のも日本の欧州の何でもあり」といっても効き目はない。時勢の推移で、読書界も変化し、有る者は二度とこんな物は読まなくなり:有る者は直接舞庁や娼館に行く。払う金は、手淫小説全集を買うより安い。それで、三角小説家の類が没落の憂き目にあった。

我々は洋館を建てれば、人は満足すると思ってはいけない。子供たちには、少なくとも十万元くらい稼いでやらなければならない。

それでひと暴れを始めた。しかし三角には出路は無い。それで、同類たちと結託、茶会を開き、タブロイド紙を出し、デマを飛ばし、はては友人まで売った。しかし彼らの大作はもう誰も見向きもせぬようで、それは数名の者が世間の人々の目を手で覆ってしまったからである。ただ、彼が本当にそう思っていると誤解しないで欲しい。彼はとても利口で、

そんなふうには考えておらず、今こういう顔つきをしているのは「商売経」のためで、

三角で何とか出路を切り開こうとしている。要するにこの種の商売しか稼げないからだ。

たとえば、「第三種人」たちもかつては「革命文学家」だったし、それで出版社を作り、

郭沫若の多くの印税を着服し、今住んでいる洋館も、一部は郭沫若の血と汗で飾ったのだ。

今のご時世で、どうしたらこんな商売ができるだろうか?今は徒党を組んで、左翼を攻撃し、デマで彼らのしてきた事を知っている人間を陥れ、自分だけが清廉剛直な作家だとし、

密告的な寄稿で、大金を稼ぐ。

以前の手淫小説は、下ネタのいかさま手口だったが、もはや通用しない。下ネタから上に進まねばならぬが、人々――とりわけ彼の昔から知っている相手――の首は大変危険になっている。こんな状況で、「品の無い」文人が何か書けるだろうか?

上述したのは、何か所か、まるで曾今可・張資平流の気味がするが、前の「張資平腰斬」

は明らかに私の意見では無い。この人の大作は私自身読みたくも無い。理由はとても簡単:

私の脳には三角四角とく沢山の角はいらないから。彼が自在に寄稿で稼ぎ、出版で儲けるのは、たとえ彼が女房子供を養う必要がなくとも、私は全くかまわない。理由は簡単だ:

私は従来からあの三角四角など数えきれない角を考えたことが無いから。

しかし、多角の連中は、私が「張資平腰斬」を策動したと言いだした。そんなことを言うから、私はX線でその五臓六腑を手に取る様に事細かに映しだしたのである。

訳者雑感:

「文人は品がない」という原語は「文人無行」で「文人は行いが無い」と訳しているのが多い。 これは魯迅が「文人無文」と題して、最近の文人は「文章」を書いていない。ろくなものを書いてない、ということから派生していると思われる。

文人という言葉は、本家中国でも、我が日本と同じく、社会的にも「尊敬」される対象となる人を指す。それが、三角四角恋愛小説で稼いで「洋館」を建てる。それのみならず

タブロイド紙を出して、デマ中傷誹謗で昔の友まで官憲に売る。かつては「革命文学家」だった連中が、商売替えをして、金もうけの為に売文する。

魯迅はそんな連中を許すことはできないから、X線で事細かに彼らの五臓六腑を映しだした。それがこの後記の長くなった理由の一つだろう。

2013/03/05

 

 

 

 

 

 

 

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