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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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 孔乙己

訳者 まえがき
 神田神保町の交差点の西に、「新世界菜館」という辛くておいしいラーメンを食べさせる店がある。内幸町にいたころ、仲間と地下鉄に乗って食べに行った。店の2階には辛亥革命の同志たちが、日本に亡命してきたときの集合写真が、誇らしげに飾られていた。階段には花彫紹興酒の空の大甕が置いてあった。
 暫くして、その近くの店に「咸亨酒店」という看板が掛った。どこかで見たことがあるぞ、と思いを巡らしていたら、昔読んだ魯迅の小説の中の名だと思いだした。それで入ってみたが、いささか期待を裏切られた。店の名前から受ける印象は、万事うまく行く。この酒屋に呑みに来た者は、みな楽しく過ごせる、というような雰囲気を醸し出していたのだが。カウンターも無く、普通の中華料理屋であった。これから、翻訳を試みる。日本でもかつて飲み屋には、チロリというアルミか真鍮製の取っ手のついた、お燗用の器具を備えていた。紹興を訪ねたとき、同じものがあって、これはこの辺から来たんだな、と感心したことだ。
今では、大抵の店は、一升瓶を逆さにしてお燗し、徳利か小瓶に移して持ってくる。
もう水を足したり、まぜものするなどというスリルや、それをチェックするなどという、
客と店員の駆け引きも無くなったようだ。ちなみにチロリは漢字で銚の後に字画の多い難しい字を書く。興味ある方は、広辞苑でお調べ願いたい。
 
1.
 魯鎮の酒店のつくりは、よそと違って、通りに面して曲尺形の長いカウンターがあり、その中でお湯がいつも沸いていて、すぐに燗ができるようになっていた。職人たちが、昼時や夕方、仕事を終えて、一碗四文で、いやこれは20年前だから、今では十文はするだろうが、カウンターに身を預けて、熱燗を呑みながら、一日の疲れを癒していた。もう一文出せば、塩ゆでの筍や、茴香豆を肴にできた。十数文出せば、肉も買えたが、カウンターの客は、たいていは仕事着のままで、そんな贅沢はしなかった。
 長衫(清朝時代、読書人の着た足元まである衣服:訳者注)の連中は、店の奥の部屋に入って、酒肴を注文し、ゆったり坐ってくつろいでいた。
 私は12歳で、鎮の入り口の「咸亨酒店」に丁稚奉公にでた。マスターは私の顔を見て、はしこそうに見えないから、長衫の客には向かないと決め、外の仕事に回された。
外の客は、相手するのは、別に何の難しいこともなかったが、中には、酔って絡んでくるものもいた。彼らは常に、老酒を甕から、栓をひねって注ぐときから、チロリの底に水が残っていないか、そしてそれを熱湯に入れるまで、自分の目で確かめないと、気がすまない。こんなにチェックされたのでは、混ぜ物をするのは並大抵ではなかった。それで、暫くすると、マスターは、お前には無理だな、と言った。
幸い、口をきいてくれた人の顔で、首にはされずに、その後は燗をするだけの、ヤクタイもない仕事に回された。
 それからというもの、一日中、カウンターの中で、只管、自分の仕事のみに専念した。失業の憂き目は見ずにすんだが、単調な毎日で、無聊をかこった。マスターはいつも怖い顔をしているし、カウンターの客は、ぱっとせず、元気になりようがなかった。が、孔乙己が店に来ると、笑いが起こった。それで今でも覚えているのだが。
 孔乙己は立ち呑みする唯一の長衫だった。背が高く、顔は白かったが、皺の間にはいつも傷痕があった。ゴマ塩の髭もなんの手入れもせず、ぼうぼうだった。長衫とは言え、汚れ、ほころびていた。もう十数年、繕ったことも、洗ったこともないようだ。
 話すときは、いつも「なり、けり、あらんや」の文語調で、何を言っているのか、さっぱり分からなかった。孔という姓なので、手習いの最初に出てくる「上大人孔乙己」から、あだ名として孔乙己と呼ばれるようになった。彼が店に現れると、客はみな、彼を見て、笑った。「孔さん、また額に傷が増えなすったね」と声をかけるのだが、彼は取り合わず、カウンターに「熱燗二碗と茴香豆」と注文し、九文並べた。すると客たちは、故意に大きな声で、「また人の物を盗んだんだろう!」と茶化した。孔乙己は目をパチクリさせて、「諸兄はなんで潔白な余に、冤罪を……」と、「潔白?俺はこの目で、一昨日お前さんが、何(ホー)家の本を偸んで吊打されているところを見たんだぜ」。孔乙己は額に青筋を浮かべて、弁じて曰く「窃書は偸みにあらず……。窃書は……読書人の業、なんすれぞ、偸みなどと言えよう!」そのあとは、聞いても分からない「君子もとより窮す」とか、「なり、けり、あらんや」と続き、衆人をどっと笑いに引きずり込んだ。店中が、元気になった。
 客の話しによれば、彼はもとは読書人で、ただ竟に進士(科挙の合格者)にはなれずじまい。暮らしに困って、乞食寸前にまで落ちぶれた。幸い、字がうまいので、古書を書き写すことで、生きてきた。しかし悪い癖があり、酒が好きで、怠け癖があり、暫くすると、人も古書も紙も筆硯も失せてしまった。そんなことが数回に及ぶと、もう誰も彼に書写を頼まなくなった。それで、彼はやむなく時には窃盗をせざるを得ぬ仕儀となった。
 ただ、私の店では品行はましな方で、つけはきちっと払った。もちろんたまには手元不如意で、黒板に記されたが、ひと月内に払って、黒板の名を消した。
 孔乙己は半碗ほど呑むと、さきほど真っ赤になった顔も徐々にもとに戻った。隣で呑んでいた客が「孔さん、お前さん本当に字を知ってなさるのかい?」とおちょくった。彼は、相手にするのも馬鹿らしいと、無視した。彼らは追い打ちをかけるように、「お前さんは、どうして秀才(科挙の合格者)のはしくれにもなれなかったの?」彼はみるみる、どうしようもできないほどオロオロして、顔面は灰色になり、口もなにやらモゾモゾしだしたが、
「なり、けり、あらんや」の類で、一言も分からなかった。これを見て、衆人はどっと笑いだし、店中はにぎやかになった。
 こうしたとき、私は客と一緒になって笑ったが、マスターは怒らなかった。マスターも彼が来ると、いつもの質問をして、人を笑わせるのだった。孔乙己は、客と話しをしてもしょうがないと思って、子供を相手にするしかなかった。ある時、私に「君は本を読んだことがあるかい?」と聞いた。私がいい加減にうなずいていると、「ほう、本を読んだことがある。…… じゃあひとつ試してみるか。茴香豆の茴の字はどう書くかね?」私は乞食同然の者に、私を試験する資格などあるものか、と考えて顔をそらして取り合わなかった。
 彼はだいぶ経ってから、丁寧な話し方で、「書けないかい。……それじゃ教えてあげよう。
覚えておくといい。将来マスターになったとき、帳面に書かなきゃならんからね。」私はマスターになるのは、とても遠い先のことで、それに今のマスターだって、茴香豆など帳面に書いたこともない:おかしなことを言うな、と、うるさくなってぞんざいにこたえた。
「教えてもらわなくても、知ってるよ。草冠に1回2回の回でしょ」。孔乙己はとてもうれしそうに、二本の指の長い爪で、カウンターを敲いて、うなずいて「正解、正解!……。
じゃあ、回の字には四つの書き方があるのを知ってるかい?」とまた訊いた。私はもう、うんざりして、口をとがらせてその場を離れた。彼は指先に酒をつけて、カウンターに字を書こうとしたが、私がまったくその気になっていないので、嘆息して、とても残念そうな顔をした。
 近所の子供たちも、店の賑やかな笑い声を聞きつけて、それを見たさに集まってきて、孔乙己を取り囲んだ。彼は子供たちに、茴香豆を一人一個ずつ与えた。それを食べ終わっても帰ろうとせず、皿の中を覗き込むのだった。彼はあわてて、五本の指で覆って、腰をかがめて言った。「もうないよ。もうたいして無いんだ。」そして身を起して、豆を見、顔をゆすって、「多ならず、多ならんや、多ならずなり」と例の調子。そこで子供たちは、笑いながら、帰って行った。
孔乙己は、このように人を愉快にさせてはくれたが、彼が来なくても別にどうということもなかった。
ある日、多分、仲秋節の二三日前だったか、マスターは帳面をつけながら、黒板を下ろして、「孔乙己は長いこと来てないな。十九文貸しがある。」と言った。確かにもう長いこと来ていない。と、客の一人が言った。「来られるわけがない。足を折られたんだから!」
マスターは「おおー!」と、客は「相変わらず偸んでいるのさ。今回、何を血迷ったか、
丁挙人の家に入ったんだ。彼の家の物は偸めっこないのに。」「それで?」「どうなったってか。始末書、書かされ、夜までぶたれて、腿を折られたんだ。」「それから?」「腿を折られたんだよ、それからは知るもんか! 多分、死んだだろうよ。」マスターはもう何も聞かず、帳面つけに戻った。
 仲秋節も過ぎ、秋風が冷たく感じられ、まもなく初冬という頃、一日中、火のそばにいたが、綿入れを着なきゃ、寒くてたまらなかった。そんなある日の午後、客は一人もいないので、目を閉じて坐っていた。忽然「熱燗一碗」という声がした。小さな声だが、聞き覚えのある声だ。目を開けてみたが、誰もいない。立って外を見たら、孔乙己がカウンターの下で、しきいに向かって坐っている。破れた袷を着て、両脚を丸め、蒲の包を尻に敷いて、荒縄で肩から吊っている。私の顔を見て、「熱燗一碗たのむ」と言った。マスターは首を伸ばして、「孔乙己かい?十九文つけが残ってるよ。」孔乙己は、呆けた顔をして、仰ぎ見ながら、「そいつは今度払うから、今日は現金で払うから。酒はいいやつをたのむよ。」
と言った。マスターはいつもと同様、笑いながら「孔乙己、お前さんまた何か偸んだな!」
と言った。彼も、今日は何を弁解してもしょうがないと考えてか、「人を笑い物にするな!」
と一言。「笑い物?もし偸んでなきゃ、なんで腿を折られたんだい?」孔乙己は小さな声で、「ころんだんだ、こ、こ、ころんで……」彼の目は、もうそれ以上言ってくれるなと、懇願しているようだった。このとき、すでに何人かが入ってきていて、マスターといっしょになって笑った。
 私は燗をした酒を持って行き、しきいの上に置いた。彼は破れた着物の隠しから四文取り出して、私の手に乗せた。彼の手は泥だらけだった。この手でいざって来たのだ。しばらくして、呑み終えると、店の者たちの笑い声を背に、この手でいざりながら、ゆっくりと去っていった。
 その後、また長いこと彼を見かけなかった。その年も暮れようとするころ、マスターは黒板を下ろして「孔乙己はまだ十九文残ってる」とつぶやいた。翌年の端午の節句にも、また言った。「孔乙己はまだ十九文貸し」。仲秋節になった。もう何も言わなくなった。
 また年の瀬を迎えようとしていたが、彼を見ることはもうなかった。
 今に至るも、ついに彼を見たことはない。
 多分、孔乙己はきっと死んでしまったんだろう。
    1919年3月        

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