魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
後記4
「自由談」への寄稿は、去年11月黎が招待の宴席で、
彼に頼んだもので、たとえ魯(?)氏が地盤をきれいに、
しようと考えても、多少は配慮すべきで、こんな手荒な
まねはすべきではない。
問題は、実は魯氏の文芸復興(?)運動の為で、
第一歩はまず全ての道を同じくせぬ者を打倒すべく、
それで今や張若谷・章衣萍などを「礼拝五派」として
批判し始めた:張資平が状況をもっと認識していたら、
自分はまさしく彼らのベッドの横でまどろんでいたら、
すぐにも追い出されると感じていたはずだ。
千字十洋銀に恋々とし、こんな不運に遭うとは!
無論、人を打倒するには毒々しいほどよく、相手が
死刑か懲役になろうが構わない。
張資平が「自由談」から追放されたのは、常識的には
誰も納得できないが、張資平の意気地なしは有名で、
女房子のために争う訳にはゆかず、また他の陣営と
集団を組んで争うともせず、わずかに「中華日報」の
「小貢献」に軟弱無力な陰口を書いて照れ隠しをした。
今ではもう何も無くなった。「人参の髭」が彼に代わり、
沈雁冰が新たに造った文芸研究団の団員が大量に
「自由談」に移った。
また「自由談」で曾今可を攻撃した「解放詞」は
「社会新聞」3巻22号(6月6日)で、またしても私が
下記のように騒ぎ出したとした――
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