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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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はじめまして

昭和44年生まれの者(男性)です。
竹内好訳以外の狂人日記の翻訳はないかインターネットで探していたところ、貴ブログにたどり着きました。
竹内氏によるラストの部分(救救孩子……)の訳文は、私には難解でしたので、貴訳文を拝見してようやくすっと腑に落ちる思いが致しました。感謝いたします。
乏しい読解力にもかかわらず、魯迅という人物が私にとってようやくめぐり合った人生の師匠のように思われ、彼の世界に近くことができたらと漠然とした思いを抱き続けています。
ブログをブックマークさせていただきます。
これからも時々ご訪問させていただきたく存じます。


難見真的人!

佐々木様
ご意見ありがとうございました。
私もここのところの日本文に少し違和感を持っていました。
竹内さんのは「真実の人間の得難さ」となっていて、その後に出たものでも「真の人間に合わせる顔が無い」という訳文がありました。
どうも腑に落ちないと原文を見ていて、これは一度訳し直してみようというきっかけを作ってくれた
箇所です。
「2010年8月11-12日ごろに
小説を載せていますので「薬」や
「奉納劇」もあります。
最近半年以上は雑感文です。

厚く御礼申し上げます

早速の御返事、誠に有難うございました。大変光栄に存じます。
御文を拝読して魯迅に近づく微かな希望の光が見えて参りました。そして大変嬉しく思いました。
ブログに公開されている他の御翻訳も有り難く拝読させていただきます。
重ねて有難うございました。

狂人日記


某君兄弟、名は秘すも、余が中学時の友なり。われ故郷を離れしより年ふり、音信も稀になりしが、数日前、その兄弟の一人が、病に伏すと聞き、帰郷の折に見舞いし。患いしは弟の由。遠路忝し、と兄は謝す。
病は癒え、任官の話しあり、既にさる地に、赴任せりと、呵々大笑し、日記二冊を余に見せ、当時の病の様も知られん。君になら見せても構わぬ、といって呉れた。帰りて、一読するに、患いしは、「被害妄想」のたぐい。ことばも乱れ、順序もなく、荒唐の話も多い。日付はないが、墨も字体も不揃いゆえ、いっきに書かれしものでないことが知られる。脈絡ある文もあり、そを取り出して一篇とし、医家の研究に供す。文中の誤字は一字も易えず。ただ人名は、田舎の人で、世に知られし者はないゆえ、一向に構わぬが、すべて易えた。書名については、本人、癒えし後に題せしにより、改めはせずに置いた。
(民国)七年四月二日 記す。
 
1.
今夜はとても良い月が出ている。
 こんないい月を見なくなって三十年;今日は明月が見えたので気分爽快。これまでの三十余年は、まったくどうかしていたのだ。
用心せねばならぬ。さもないと、あの趙家の犬は、なぜ俺をにらむのだ。俺を怖がるのは、きっと訳があるに相違ない。
 
2.
今日はまったく月がない。どうもおかしい。朝、用心して外に出たら、趙貴翁が、うさんくさそうな目で俺を見やがる。俺を怖がっているようだし、害そうとしているようでもある。また、ほかの奴らも七、八人、顔を寄せ合って、俺のことをひそひそ話している。俺がそれに気付くのを恐れてもいる。通行人も同じだ。一番凶暴な奴は、口を開いて、俺にあいそ笑いする:俺は頭から足の先までぞっとした。奴らが手筈を整えつつあるのを悟った。
 だが、俺は怖くないふりをして、歩き去った。前方の子供たちも、俺のことを話している:目の色は、趙のと同じだ。顔色もどす黒い。この子たちも何の恨みがあるのか考えたら、こわくてたまらなくなって、「どうしてだ?」と叫んだら、やつらは逃げて行った。
 俺は考えた:趙貴翁は何の恨みがあるのか。通行人もまた何の恨みがあるのか:二十数年前に、古久さん家の帳簿を踏んで駄目にしたとき、彼が怒ったことくらいしか、思い浮かばない。趙貴翁は彼とは面識ないが、噂に聞いて、それで彼に代わって怒っているのか:通行人たちにも俺に無実の罪をきせるように、仕組んでいるのか。だが子供たちはなぜだ?あのころ子供たちはまだ生まれてもいなかったのに、どうして今日は怪しげな目つきで俺を見るのか。俺を恐れているようでもあり、殺そうとしているようでもある。俺は本当にこわくなってきた。どうしてか訳がわからない。俺の心はとても傷ついた。
 わかったぞ。奴らのおふくろや親父が教えたのだ。
 
3.
 夜はどうしても眠れない。物事はしっかり研究して、はじめて分かるものだ。
 奴らは、知県(旧体制の地方役所の長、犯罪者を裁くこともする;訳者注)に首かせを架けられた者や、郷紳に殴られた者、役人に女房を寝取られた者もいるし、高利貸しに追い立てられて、親父やお袋が首をくくったのもいる:彼らの顔色は、あの頃は昨日のように恐ろしくもなかったし、そんなに凶暴でもなかったのだが。
 一番不思議なのは、昨日、町で見かけたあの女が、息子をぶつときに口走った言葉だ。
「あんた、もう!何回もかみつかなきゃ、気がおさまらないよ!」その時、目は俺の方を見ていた。俺はびっくりして、腰も抜けそうになった。どす黒い顔に白い歯を剥き出しにした連中は、どっと笑い出した。陳老五がそばに来て、俺を引っ張って家に連れ戻してくれた。
 家に戻っても、家人はみな、知らんふりしている:彼らの目の色も奴らと全く同じだ。書斎に入れられると、外からカギをかけ、まるで小屋に追い込まれた鶏や鴨のようだ。これでますます訳が分からなくなってしまった。
 何日か前、狼子村の小作人が、凶作の報告に来たとき、兄に話した。彼らの村で大悪党を皆で殴り殺した:数人がその悪党の心臓や肝臓を取り出して、油でいためて食べた、という。食べると、胆が太くなるのだ、と。俺が口をはさんだら、奴と兄はじろっと俺を見据えた。今日、やっと分かった。彼らの眼光が、外の奴らとまったくそっくりなわけが。
 思い出すと、頭のてっぺんから足の先まで、ぞっとする。
 彼らは人間を食うんだ。俺を食わないともかぎらない。
 あの女の「かみついちゃうぞ」というのも、あのどす黒い顔で歯を剥き出す笑いも、数日前の小作人の話も、符合している。彼らの話にはみな毒があり、笑いの中に刃がある。彼らの歯が真っ白に並んでいるのは、人を食うためだ。
 思うに、俺は悪人ではないが、古久家の帳簿を駄目にしてからというもの、どうもやばいことになったようだ。連中は何か別のたくらみがあるようで、俺には見当もつかない。
連中は、仲たがいすれば、すぐ相手を悪党呼ばわりする。兄貴が俺に論文の書き方を教えてくれていたころ、どんな良い人物でも、そいつをけなしてやると、兄貴は褒めてくれた:悪人に対しても、その実、良いところもあると書くと、彼はすぐさま、「天を翻すがごとき妙手。衆の意見とは異なる明察。」と褒めてくれた。彼らは一体全体この俺をどうしようとするのか。分からない:この俺を食おうとしていたのだから。
 物事は、すべからくよく研究しなければ分からない。古来、常に人肉を食ってきた。俺もまだなんとなく覚えてはいる。が、そんなにはっきりとは覚えていない。それで歴史の本を開いてみた。本には年代がない。だが、どの頁にもくねくねした字で、「仁義道徳」とある。夜はどのみち眠れないから、深夜まで仔細にながめていたら、字と字の間から、別の字が見えてきた。すべての頁に見えてきたのは、「人食い」という字だ。
 歴史書にこんな沢山書かれている。小作人もなんだかんだと話したが、にたにたと笑いながら、俺を怪しげな目つきで見ていた。
 俺も人間だ。奴らは俺を食おうとしている!
 
4.
 朝、静かに座っていた。陳老五が飯を持ってきた。一菜と一匹の煮魚。この魚、目は白くて硬く、口をあけて、あの人食いの連中と同じだ。食べてみたが、ぬるっ、とした感触で、魚肉か人肉か分からん。呑み込んだハラワタなどみな吐き出してしまった。
 陳老五に言った。「俺は気がめいってしまったから、庭を散歩してくる、と兄貴に伝えてくれ。」老五は返事しないで、去ろうとしたが、ふと立ち止まって、扉を開けにきた。
 俺は出かけもせずに、奴らが果たしてどんな手を使うのか考えた:彼らは決して俺を放したりしないだろう。果たして、兄はどこかから爺さんを連れてやってきた:目は凶暴な光に満ち、眼鏡の端から、こっそり俺を見た。兄は言った。「今日はだいぶ良いようだな」俺は「はい」と答えた。兄は、「今日は何(ホー)先生に診ていただく」と、「分かりました」と俺は答えた。だが俺は、この爺さんは下手人が変装しているってことぐらい、わからないわけがない!脈を見てしんぜよう、とか言って、肉づきを見ようとしているに違いない:奴はこの功により、一片の肉にありつけるってわけさ。俺も怖がっちゃいない:人肉は食ったことないが、俺の胆は奴らより太いのだ。両手を差し出し、奴がどんな手を使うか、見てやろう。じじいは、座って、目を閉じ、しばらくさすっただけで、じいーっとしたまま:すると、鬼のような目を開いて言った。「つまらぬことをくよくよ考えないで、静かに数日養生していれば、じきに良くなりますよ。」
 つまらぬことをくよくよ考えずに、静かに養生だって!太れば、それだけ多くの肉を食べられるってわけだ:そんなことしたって、俺には何にも良いことはない。なんで「良くなる」ことができるものか。この手合いときたら、人肉を食いたがるくせに、祟りを恐れて、なんとかそこを、ごまかそうとして、直接手を下そうとはしない。笑止千万だ。
こらえ切れずに、声に出して笑ってしまったら、とても愉快になった。俺としては、この笑いの中には、義勇心と正気があると思った。じじいと兄は顔色を失った。俺のこの勇気と正気に圧倒されたのだ。
 だが、この勇気があるというのは、彼らにとってより一層、俺を食って、勇気のおこぼれに預かろう、と思わせることになってしまう。じじいは、門を出て歩み去る前に、小声で兄貴に言った。「はやいとこ食べてくださいよ」、兄はうなずいていた。なんと!
兄貴もグルか!この大発見は意外であったが、想定内でもあった。いっしょになって俺を食おうとしているのが、俺の兄貴なのだ!
 人肉を食うのは俺の兄だ!
 俺は人食いの弟だ!
 俺自身、人に食われてしまっても、やはり人食いの弟なんだ!
 
5.
 ここ数日、少しひるがえって考えてみた:あのじじいが、下手人の変装でなく、本当の医者でも、やはり人食い人間にちがいない。彼らの祖師の李時珍の「本草なにやら」にも、
人肉はこれを煎って食すことも可、とはっきり書いてある。それでもまだ、自分は人肉を食わない人間だと言えようか?
 我が兄に至っては、冤罪だと許すわけにはゆかない。俺に学問を教えてくれたとき、自ら、[子を易えて食す」と説いた。また一度などは、たまたま悪人の話に及んだとき、彼は言った。こいつは殺すだけでは不十分だ。「肉を食らって、皮を敷いてその上で、寝てやる」くらい憎むべし、と。当時俺は小さかったので、びっくり仰天して、長いこと、心臓がどきどきして止まらなかった。一昨日、狼子村の小作が心肝をえぐって食べた話をしたとき、彼は少しも不思議がらず、首肯していた。これから判ずるに、彼の考えは昔と変わらず、残忍なままである。
 「子を易えて食す」ことができるなら、何でも易えられる。どんな人間でも食すことができる。俺はかつて彼が道理を説くことを聞くだけで、ほかのことは気にせずにきた。今、分かったのだが、彼が道理を説いていたとき、唇のまわりは、人肉の油にまみれていただけでなく、心の中は、人肉を食おうという気持ちでいっぱいだったのだ。
 
6.
 真っ暗な闇。今、昼なのか夜なのか。趙家の犬がまた吠え出した。
 獅子のごとき凶暴な心、兎のごとき臆病さ、狐のごとき狡猾、… …。
 
7.
 彼らの手口がやっと分かった。直接手を下すことはしない、またようやらない。祟りを恐れているのだ。だからみなして、連絡をとり、網をしかけ、自ら死ぬよう仕向けるのだ。数日前、町で見た男女の様子と、ここ数日の兄のやり口からすると、十中八九、その通りと思う。理想的には、腰ひもを梁にかけ、自分で首を吊る:こうなれば殺人罪に問われず、願望成就だ。天地も揺るがさんばかりに大喜びだ。たとえそうでなく、おびえおののいて、悶死したとしても、少々やせ衰えはするが、まずまずの首尾だということだ。
 いずれにせよ、彼らは死肉しか食えないのだ!何かの本で見た、ハイエナは、目つきと姿はみすぼらしい動物で、死肉のみを食い、大きな骨も噛み砕いて呑み込んでしまう、と。思い出すだけでぞっとする。ハイエナは狼の仲間で、狼は犬の先祖だ。一昨日趙家の犬が、じろっと俺を睨んだが、奴も陰謀の仲間か。とっくに打ち合わせ済みというのか。じじいの目は、下を見ていても、俺をゴマ化すことはできない。
 一番哀れなのは、兄貴だ。彼も人間なのだから、全然怖くないというわけでもあるまい:それなのに、奴らと示し合わせて、俺を食うのだから。それも慣れっこになってしまって、もう悪いこととも思わなくなってしまったのか。良心をなくしてしまった、確信犯か?
 俺は人肉を食らう人間を呪詛する。まず兄からだ:人肉を食らう人間を改心させるように、勧めなければならない。まず、彼から始めなきゃならない!
 
8.
 しかし、こんな道理は彼らもとっくに分かっているはずなんだがなあ……。
 男がやってきた:二十歳ぐらいか、顔はぼやけている。満面に笑みをたたえ、俺に会釈する。彼の笑いはうそくさい。俺は尋ねた:「人肉を食うのは正しいことか?」、彼は、笑ったまま「飢饉でもなきゃ、人肉など食うものか」。俺はわかった。彼もグルだ。人肉を食うのが好きなのだ。そこで勇気を出して「ほんとに?いいの?」と重ねて聞いた。
「そんなこと聞いて、何になるのだ。冗談はよせ。……。  今日は良い天気だね。」
 天気はいい。月もとても明るい。しかしもう一度君に聞きたい。「いいのかい?」
 彼は釈然としない様子で、あいまいに「いいことじゃない」と答えた。
 「よくない。じゃあなぜ食ったりするんだ!」
 「そんなことはない…」
 「そんなことはない、だって!じゃあなぜ狼子村では今も食っているし、’真っ赤でぴちぴちした’なんて本に書いてあるんだ?」
 彼の顔は鉄のようにどす黒くなった。目を開いて、「そんなことがあったかもしれぬが、昔からそうだったんだ。」
 「昔からそうだったって。じゃあ、いいのかい?」
 「君とこんなこと話したくない:要するに君はこんなこと話すべきじゃない。そんな話をすると君は自分を誤ってしまうよ。」
 俺はびっくりして跳び上がった。目を開けたら男はいなくなっていた。全身汗だくだった。
彼は兄よりずっと若い。しかし一味なのだ。これは彼の親父やお袋が教えたに相違ない。彼は自分の子供に教えたかもしれない:だから子供たちも残忍な目つきで俺を見るのだ。
 
9.
 人肉を食いたがる人間は、人に食われることを恐れ、疑心暗鬼で互いの顔を見る。
こんなことはさっぱり忘れ、安心して仕事をし、歩き、食べて寝て、すごせたらどんなに気持ちがいいだろう。それには、一歩でいいから方向を変えさせねばならない。連中は、親子・兄弟・夫婦・友人・師弟・仇敵・面識もない者どうし、グルになって互いに勧め、牽制し合って、決してこの一歩を踏み出そうとしないのだ。
10.
 朝早く、兄に会いに行った:彼は広間の前で空を見ていた。後から扉を背にして、静かに、穏やかに彼に声をかけた。
「兄さん、話があるんだけど」「なんだい」と彼は振り向いて、顔をタテにふった。
「ひとことですむ話だけど、うまく言えないんだ。兄さん、昔ね、野蛮人はみな、人肉を食べてたんでしょ。それから後になって、気持ちが変わって、ある者は食べなくなり、一部の者は、向上しようと考えて、真人間になった。でもまだ多くの人間は食べ続けた。虫みたいに。それでも中には魚になり、鳥になり、猿になって、そうして人間になった。でも向上心がないから、今でも虫とおんなじ。人肉を食う人間は、食わない人間と比べると、とっても恥ずかしい筈だよね。虫が猿に恥ずかしいと感じるより、ずうっと、ずうっとだよね。易牙(伝説上の料理名人)が、自分の子を煮て、桀紂に供したのは、太古のことだけど、盤古(天地創造者)の天地開闢以来、易牙の子を食べるまで:易牙の子から、(辛亥革命前の烈士)徐錫林までずうっと食べてきた:徐錫林から今に至るまで、狼子村で捕まえた悪党まで食ってきた。去年城内で罪人を処刑したとき、肺病患者にその血をマントウにつけて嘗めさせたというじゃないか。
 「奴らは私を食おうとしている。あなた一人なら、もともとそんなことは考えもしなかったのに:どうして、仲間に入ったの?」「人肉を食らう人間はどんなことだってやる」
「彼らは私を食うことも、仲間同士で食うこともする。でもほんの一歩、方向を変えるだけで、すぐ改心できる。平和に暮らせる。昔からの習慣かもしれないけど、今日からちょっと向上心を持って、人肉なんか食うことはできない、と言って欲しい。兄さん、私は兄さんがそう言えると信じている。一昨日、小作人が年貢を負けてくれと頼みに来た時、
そんなことはできない、と断ったじゃないか。」
兄は初め、冷やかに笑っていたが、声を荒げ、眼光は凶暴になり、彼らの隠し事を暴かれたと思い、顔もどす黒くなった。門の外に連中がいたが、その中に趙貴翁と犬もいて、ぞろぞろと入ってきた。中には顔の分からないのもいる。布を被っているのだ。ほかの者は以前と同様、どす黒い顔に真っ白い歯で、口をすぼめて笑っておる。奴らはグルで人食いだと分かった。が、彼らの気持ちは少しずつ違っていて、ある者は昔からこうなんだから、食うべきだ、と。しかし一部の者は食うべきじゃない、と思ってはいるが、やはり食いたい。そしてまた、他人に自分の気持ちを見透かされるのを恐れている。だから俺の話しを聞くと、ますます憤慨するのだが、口をすぼめて冷笑している。 このとき、兄は忽然、凶相を呈して、どなった。「出てゆけ! 狂人は見せ者じゃない!」
 俺はこのとき奴らの巧妙さを知った。改心しないばかりでなく、とっくに手配を済ませていた。俺に狂人の名を着せて、将来、俺を食っても泰平無事。それだけでなく、ほかの人間が実情を嗅ぎつけるのを心配しているのだ。小作が言った通り、みんなして悪党を食ったのも、まさにこの手口だ。やつらのいつもの手だ。 
 陳老五が怒って戻ってきた。どうして俺の口を塞ぐことができるものか。奴らにどうしても言っておかねばならぬ。」
 「汝 悔い改めよ!心そこから悔い改めよ!やがて人肉を食らうことは許されなくなる。
この世で生きてゆけなくなるぞ。」「それでも改心しないならば、自分たちも食いつくされてしまうのだ。たとえ次々に子を産んでも、真の人間に滅ぼされる運命なのだ。狩人に殺される狼や、虫けら同様。滅ぼされるのだ。」
 連中は陳に追い出された。兄もどこかに姿を消した。陳は部屋に戻るように、と言った。
そこは真っ暗だった。梁と垂木が頭上で揺れだした。すると揺れが激しくなり、俺の上に覆いかぶさってきた。とても重いので、身動きが取れなくなった。俺を押しつぶそうとしている。だが、この重さは偽だと分かったので、なんとか抜けだした。大汗をかいた。それでも言わねばならぬ。「汝 悔い改めよ!心そこから悔い改めよ!」
「これからはもう人間を食うことは許されぬのだ ……。」
 
11.
 太陽も出ず、扉も開かぬ。一日二回の食事。
 箸をとりあげて、兄のことを思った:妹が死んだのは、すべて彼の仕業だと分かった。妹は五歳。可愛い、可憐な顔が眼前に浮かぶ。お袋は泣き通しだった。彼は泣かないで、と言った:きっと自分が食べてしまったので、とても申し開きのできない気持ちだったのだ。もし今もまだ申し訳ないという気持ちが、残っているのなら ……。
 妹は兄貴に食われたのだ。お袋は知ってか知らでか、俺には分かりようもない。多分お袋もうすうす知ってはいただろう。が、泣いていたときは何も言わなかった。多分、しょうがないとあきらめていたのだ。俺が四、五歳のころ、広間の外で涼んでいたとき、兄貴が言った。親父やお袋が病を患ったら、子たるもの、自分の肉を切って、よく煮て供するのが、孝行というものだ。お袋はそんなことしちゃいけない、とは言わなかった。一口食えるなら、丸ごとだって食えるってもんだ。ただあの日の泣き方は、今思い出しても、実際問題、心が千切れそうになる。本当に奇怪至極だ。
 
12.
 もう考えられなくなった。
 四千年来、いつも人肉を食ってきた国。今日初めて分かった。俺もそこで生きてきた。兄が丁度、家のことを取り仕切っていたとき、妹は死んだ。彼はおかずの中に、こっそりと入れて、俺たちに食わせたかもしれぬ。
 俺も知らぬ間に、妹の肉をいく切れか食わなかったとは限らぬ。今、その番が俺に回ってきた。……。
 四千年の人食いの経歴を持つ俺、初めは知らなかったが、今やっと分かった。
真の人間にはめったにお目にかかれないってことが!
 
13.
 人肉を食ったことのない子供は、あるいは、まだいるだろうか?
 子供を救え!
         1918年4月、(2010年5月2日訳)
 
訳者あとがき
 40年以上も前、岩波の魯迅選集で竹内好訳の「狂人日記」を読んで、中国文学の世界に入門した。魯迅があらがって打ち倒そうとした鉄製の壁「礼教」の呪縛、「人食い」で象徴された「旧社会の制度」は、1949年に一旦は引っ繰り返されたかに見えた。しかし、
文革の10年、改革開放の30年を経て、中国で生活していると、多くの老人から「旧社会に戻った」という嘆息を耳にする場面に遭遇した。
1.「駱駝祥子」の中の台詞。貧乏人の車引きは売力、女(娼婦)は売肉の世界。
2.囚人の内臓を販売するという噂。
3.広州の米領事館付近の飯店に見る、何十組もの養子縁組で米国に行く幼児たち。
4.戸籍のない幼児たちの売買。人さらい。学童を無断で連れ去り労働に従事させる。
5.全国各地の外資系企業の単純労務工の採用、延長に関わる人事総務部長のピンハネ。
  その額たるや、ベンツなどいとも容易に手に入る。
6.各省や地方都市の省長や警官、司法関係者などの汚職、とくに夜の商売にからむ、
  人間の欲望を満たすために存在する商売への目こぼしとその見返り。
 枚挙に暇のないほどである。
7.社会主義という鉄製の甲羅を脱ぎ捨てざるを得なくなった中国が、三千年の伝統に
 戻ろうとするごとき動きのなかで、魯迅のえぐりだした「狂人日記」の世界が再演されてはならない。
8.世界各国に中国語の普及のための学校を建てたのは良いが、何も「孔子学院」とする
 ことはないのではないか。ドイツのゲーテ書院にならって、魯迅書院として欲しかった。
9.尊敬する竹内好訳に対して、僭越ながら若輩が蟷螂の斧のごとき訳文を書いてみた。
 40年の中国文学との関わりの中で、中国人から肌で感じ取ったもの、言葉を耳の奥
から、呼び戻しながら、中国語のニュアンスを日本語に置き換えてみた。誤訳その他、
 諸先輩のご指正を仰ぐ次第である。 

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