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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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後記8

  「文人は品が無い」を論ず   谷春帆

 私もかたじけなくも「文人」の中に入れてもらっているが、近頃「文人は品が無い」と言う点については、同感するし、「人心古(いにしえ)のままではなくなった」とか、「世の気風は日に日に悪化」と言う点については、まったく「道学先生」の偏った感慨だとも言えなくなった。

 実際問題、今日の「人心」の毒々しさは、とても恐ろしくさせる。とりわけ、所謂「文人」が思いつき、やり始めた数々の卑劣行為は陰謀中傷、デマ誹謗、公開密告、友を売って栄達を求め、貴顕に自分を売って、出世しようとする手口は、枚挙に暇が無い。

 そして一方では、自己宣伝巧みに、厚かましくも「天才」だとか「大作家」を自任し、他人のろくでもない作品を剽窃し、独りよがりで、いい気になって、ひどいことでも悪いことでも何でもやる。

 こうした心痛む事実を目にしたら「文人は品が無い」という真実を否定できるだろうか?

(無論、私も文人のほとんどがそうだという訳ではないが)我々は、「世道人心」を嘆くことをせずに済ませられるだろうか?

 勿論この感触は由来が無いわけではない。事実を示すと、以前、曾某がえらそうに、「そんなこと知ったことか」とか「麻雀をやろう」とかの言い回しを使って、「詞の解放」を唱えたとき、他の人から「軽薄青年」とか「色情狂の助平」と排斥された。曾某はくどくどと弁解したが、今となっては、新事実が出て、軽薄青年というだけでなく、憎むべき毒々しい蛇と証明され、崔万秋の名を借り、ホラを吹いた。(本紙の2月号の広告参照)更には、日本人女性の事務員と高校教員を「女詩人」と「大学教授」に仕立てあげ、事細かに自分を持ちあげさせた:最も卑劣な手段で、タブロイド紙に投稿し、彼の友人はXXX(共産党)だとし、住所を公開し、友人を売った。

(5号「中外書報新聞参照」

こんな大胆で、毒々しく、こんなつまらぬことをするのは、まったく廉恥心があるとは思えない。

――しかも「文人」がここまでやるのかと。だが曾某は本当にそれを考え出し、やったのだ。

私は如何なる人も曾某の神をも怖れぬ精神には度肝を抜かれるに違いないと思う。

曾某はまだ若く、勉強の機会もあると聞いているから、あのようなホラとおべっかばかりで、毒々しくて巧妙な思考力で以て、実学を求めたら、更に多くの事を会得できるだろうと思う。

 しかし曾は日々ホラとおべっか、デマと中傷を事とし、愈々以て曾某の恐ろしさを強固にしながらもう一面では亦、この青年が自ら道を踏み誤るのを見るのは残念なことだ。

 さて話を元に戻すと、高等教育を受けた者が、必ずしもよく身を修めるとは限らず、三角関係の恋愛小説ばかり書いて、名前を売りだし、大稼ぎしている張XXは、日本の某大学(東大)を出たことを自慢してきたが、最近はタブロイド数紙にでたらめを書き散らし、「亭主に棄てられた女」のような顔をして、毒づきながら、陰謀中傷デマ挑発などなんでもやり、人をブハーリンやレーニンの様だと決めつけ、相手を死地に陥れようとする。その人格の卑劣さ、手口の悪辣さは空前絶後だ。

こう見て来ると、高等教育は何の役に立つのか? と思う。

また、新しく出版された某誌というつまらぬ雑誌に、「白羽遐」という名で、「内山書店にて」という一文を載せ、公然と某人はいつも内山書店に行き、内山に命を救ってもらったとか、難から逃れるのを助けてもらったと書いている。

こうした公開密告の手口は、同じ連中が別名で弄んでいるのだと思う。

 しかし彼らがどの様にデマ中傷しようと、陰謀で陥れようとしても、見る目のある人が見ればすぐわかることで、騙しとおすことはできない。彼ら自身の卑劣さと人格の無さを暴露するのみだ。

 「品格ある」「文人」は、こうした醜い連中に対して、現在のように放置してはいけない。

彼らを文壇の外に駆逐すべく、力を奮って、現在の甚だ汚らしい中国の文壇を大掃除すべきだ!

 

 この後、この禍の水は「自由談」に流れ込み、翌日の「時事新報」に声明が出た。

方寸大のデカイ活字の題名は――

    張資平の声明

 5日「申報・自由談」の「文人は品が無い、を論ず」の後段はきっと私のことだと思う。

私は姓名を換えたことはないし、たとえペンネームを使っても、発表した物については全て責任を取ることを声明の1とする:

 白羽遐は別人であり、「内山書店にて」がそれほど悪い物とは思わぬが、私が書いたものではないから、それを承認できない。これが第2:

私の書いたものは自らの信念から出たものだが、政治的主張や国際情勢の研究に錯覚と間違いがあれば、いずれも訂正するにやぶさかではない。

 「デマや偽造の書面、意見の異なる相手に対し、自分勝手に誣告する」などは、いずれも常日頃私が反対してきたことで、これが第3点:

 私は単に資本家の出版社の後援を受けていないのみならず、大商人の妾になった姉妹の御蔭で、編集者になったなどと自慢したことは無い。さらに「誣告とデマ・偽造書面」など卑劣な行動もしていない。私は政治や国際情勢についての見解を発表しようにも、その方法も無く、故に凡そ私のこのような文章を、受け入れてくれる雑誌には、いずれにも投稿したいと考える。しかしその雑誌の他の文章については責任を負えぬこと、これが第4点:

 今度凡そ資本家を後ろ盾にした雑誌が、私を誣告すれば、私はそれは犬の遠吠えとみなし、取り合わないことを、ここに声明する。

 

 これはあきらかに、私以外、大部分は「自由談」の編集者、黎烈文に向けた物だ。それ故、翌日すぐ「時事新報」にこれに対する声明が出た――

 

訳者雑感:

 魯迅と内山完造の友情については、お互いに相手を百パーセント信頼していたと思う。

これから翻訳予定の彼の日記とか、内山が書いたものからそれが裏付けられると思っている。

しかし、現実世界では、魯迅が毎日のように内山書店に出かけて、よもやま話をしたり、それを材料にして文章にして、雑誌に載せていることについて、上述のように、内山は日本の密偵であり、

そこへ出入りしている魯迅は、情報の提供者であり、それと引き換えに、官憲から逮捕されそうになったときに、身をかくまってもらったり、避難場所を提供してもらっている、と「自分たちの雑誌」に公表し、それに応援団が尾ひれをつけて煽っている。

 この辺の事情は、泥仕合の様相を呈しているが、更に訳を続けてゆくと、新しい展開が出て来ると思う。

   2013年2月26日訳

 

 

 

 

 

 

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