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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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「カラシで救国を提唱」

{参考}  「カラシで救国を提唱」  王慈
 北方人の友人と天津の食堂に入った時、席に着くとボーイがやってきて:
「旦那、何を食べますか?」と訊く。
「鍋貼ル2個!」と友が純粋の北方音で注文。餃子とカラシ壺をもって来た。
 北方人の友は、鍋貼にカラシをたっぷりつけて、旨そうに口に放り込んだ。
それが私の好奇心を触発し、冒険でもするように鍋貼におもむろにカラシをつけ、
腹に入れたが、ただ舌先がいっとき感覚を失くしたように麻痺し、喉はしびれて、
気持ち悪くなり、まぶたから覚えず涙が湧き出て、とても苦しかった。
 北方人の友は私の様子に大笑し、私に告げて曰く:
北方人がカラシ好きなのは天性で、彼らは「メシとおかずは無くてもすむが、
カラシを食べずにはいられない」という主義の持ち主で:
カラシはアヘンのように中毒になっている!
北方人は幼いころから母の懐で、泣きわめくと、時にカラシ茄子を口に咬ませると、
とても霊験あらたかで、すぐ泣きやむ……。
 現在中国は、ちょうど泣きわめく北方の嬰児の様で、泣くのを止めさせるには、
ちょっぴり多めのカラシ茄子を咬ませれば良い。
 中国の人々は、我が北方の友人と同様、カラシを食べぬと興奮しないのだから!
 3月12日「大晩報」副刊<カラシとオリーブ>
 
訳者雑感:
 これは{参考}として掲載したものだが、1933年当時の中国が日本などに半植民地
として支配され、蹂躙されていたとき、その辛さに耐えかねて泣きわめきだした、
北方(旧満州・華北の一部)の人々に対して、「うるさい」からカラシを与えて、
黙らそうとしたものだ。泣くのを止めさせ、従順に「支配者」の「傀儡」として、
民に平穏な「奴才」生活を送らせる為の文学である、と魯迅は批判する。
    2012/11/19訳
 
 
 

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泣き止ませる文学

泣き止ませる文学
 3年前「民族主義文学」者が銅鑼太鼓で大騒ぎしていた頃、「黄色人の血」
と言う本が出、最大の願望は、ジンギスカンの孫のバツ―元帥に随って、
「オロシア」を剿滅するのだとの説だった。「オロシア」とはソ連の意だ。
当時、ある人はこう言った。現在のバツ―の大軍は日本の軍馬で「征西」前に、
尚すべからく先ず中国を征服し、軍に従う奴才にせねばならぬ、と。
 自分たちが征服されたら、ごく少数の人間以外は、とても辛い目に遭う。
その実例は、東三省が淪落し、上海がされたことでわかる。
凡そ生き残った人で、少しも悲憤が無いと言う人はごくわずかだろう。
だがこの悲憤は、将来の「征西」にとって大きな妨げになる。
 その次に「大上海の壊滅」が出た。数字で以て、中国の武力では決定的に、
日本には及ばないから、冷静にと呼びかけ:更には、死ぬより生きる方が良い、
と思えと。(「19路軍の死は、生きていても、みじめでつまらぬとの警告だ!」)
 だが勝利も敗退することに及ばぬと(「19路軍の勝利も只、束の間の安逸を偸み、
いい気な夢を見るのを増しただけだ!」)
要するに、戦死は良いし、戦って負けるのも良く、上海事変はまさしく、
中国の完全な成功である、というわけだ。
 今、第二段階が始まり、中央社のニュースでは、日本は満州と
「中華連邦帝国の密約」に調印するという陰謀があり、その方案第一条は:
「今世界には2種類の国家しかない。一つは資本主義、英米日伊仏で、もう一つは、
共産主義ソ連。今ソ連を抑えるには、中日の聯合なくして…成功できない」と言う。
(「申報」3月19日に詳報あり)」
 「聯合」したら、今回は中日両国の完全な成功で「大上海の壊滅」から「黄色人の血」
の道への第二歩に進むことになる。
 固より幾つかの地域では、正に爆撃され、上海は爆撃されてから1年余が経つが、
人々の一部は「征西」の必然的な進み方を悟っておらず、これまでのところ完全には、
前年の悲憤を忘れきれてない。この悲憤は、目前の「聯合」には大きな障害となる。
こういう状況下、時勢に応えて、些かの慰めと快感を与えようとして出て来たのが、
「カラシとオリーブ」のような作品だ。これも多分苦悶への対症薬だろう。
何故か?「カラシは辛くても人を死なせはせぬし、オリーブは酸っぱくても、
そこに味があるから」だ。これでクーリーがアヘンを吸う訳がよく分かる。
ただ単に、声なき苦悶のみでなく、カラシは「うるさい泣声」を止めさせられる由。
王慈氏(作者)は、「カラシで救国を提唱」という名文でこう記す:
『…北方人は幼いころから、母の懐で泣きわめくと、母親からカラシを咬まされると、
霊験あらたかで、即刻泣きやむ…、
『今の中国は泣きわめく北方の嬰児の如しで、うるさい泣声を止めさせるには、
少し多めのカラシを咬ませるだけで良い』(「大晩報」副刊第12号)
 カラシで小児の泣くのをとめさせるのは、正に空前絶後の奇聞で、ほんとうなら、
中国人は実に他と違う特別な「民族」だ。
しかも明らかに、この種「文学」の意図をみると、人にカラシを与えるが、
死なせはせず、「うるさい泣声を止めさせ」静かにバツ―元帥の登場を待たせる。
 しかしそんなことでは効く訳は無い。
泣けば即「斬り棄てごめん」には、遠く及ばない。
 この後我々が防がねばならないのは、「道で遭っても目配せのみ」にせぬことだ。
我々の待っているのは目を覆う文学だろう」  3月12日
 
訳者雑感:
 最後の文章は何を言いたいのか良く分からない。
私の推測では、これからは言いたいことも口に出せなくなり、道で出会っても、
言葉を交せず、ただ目配せしかできないということになるのをしんぱいしているのだが、
この次に来るのはその目配せする目さえ覆う文学だということは、大変悲観的である。
「道路以目」という句の出典は、「国語・周語」で、周の励王は暴虐無道で、
「国人は敢えてものを言わず、道で遭っても目で以て挨拶するのみ」(出版社注)
 しかし、爆撃されて辛い目に遭っている、北方の人たちが「泣き叫ぶ」のを、
止めさせるために、「カラシ」を食べさせて黙らせる。
黙ってバツ―元帥のやって来るのを待ち、その群に奴才として従軍し、征西させる。
そんなことを宣伝する「連中」を徹底的に罵っているのだろう。
  2012/11/16訳
 
 
 
 
 
 
 

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王道の詩話

王道の詩話
 「人権論」というのはオウム(インコとも称す)が始めたものだ。
昔、高く遠くまで飛べるインコがいて、偶々自分の住む山林を過ぎたとき、
大火事が見えたので、すぐ翼を水に濡らし、山林の上にまいた。
そんな少しの水で、この大火をどうやって消せるかと言う人に対して:
「私はここに住んでいるのだから、今、少しでも力を尽くさなければ」と答えた。
(「檪(くぬぎ)園書影」の文章で、胡適の「人権論集」の序に引用された)
オウムが火事を救えるのであるから、人権も少しは反動支配を粉飾できる訳だ。
しかしこれは無報酬でなされることはない。胡博士は長沙に出かけて講演し、
何鍵将軍は5千元の車代を贈った。この額は大変なものだ。
これは実用主義と「称される」ものだ。
 だがこの火事をどのように消したかについては、「人権論」(1929-30年)の
時期だけでは明らかにできないが、一回5千元という販売価格が表面化したら、
話はもうはっきりしてきた。
最近(今年2月21日)「字林西報」に胡博士の談話が載った。
『いかなる政府も自分を守り、自分たちに危害が及ぶ動きを鎮圧する権利を持つべし。
固より政治犯も他の犯罪者と同様、法的保障と合法的審判を受けられるべきだが…』
 これで明解だ!これは(人権でなく)「政府の権利」を説くものではないか?
無論博士の頭脳はそんな単純なものではなく、彼は「片手に宝剣、片手に経典!」
というような何とか主義の類を説くことはせず、法的に処すべしと言っている。
 中国の御用文人は決まってこの種の秘訣を有しており、王道とか仁政を説く。
孟子がいかにユーモアに満ちていたか見てみよう。
彼は豚の屠殺場を遠くにすれば、その肉を食っても、憐憫の情を保てると教える。
仁義道徳の名目も保てる、と。
人をたばかるだけでなく、自分もたばかり、まことに心も安らかで、理にかない、
無窮の恵みを得られるという。
詩に曰く:
文化人のリーダーで博士号をもち、人権を抛って王権を説く。
朝廷、古(いにしへ)より殺戮多く、此の理、今は実用に伝う。
人権王道両方とも改まり、君恩に感じ、聖明に奏す。
虐政はなんぞ律の例の援用を妨げん、人を殺しても草の如く声なし。
先生は聖賢の書を熟読し、君子はもとより徳孤ならず。
千古の同心に孟子あり、肉食するも厨房を遠ざけよという。
口先のうまいオウムは、蛇より毒あり、水滴を落としたくらいで微功を誇る。
うまく権門に廉恥を売りつけ、5千元程度では奢とせず。3月5日
 
訳者雑感:
胡適は新政権の誘いを蹴って、国民党と共に台湾に渡ったが、彼の談話の
「いかなる政府も自分を守り、自分たちに危害が及ぶ動きを鎮圧する権利を持つべし」
というのは、今日、毛沢東の後輩たちが取り入れている政策だ。
チベットしかり、新疆ウイグルしかりだったが、今はそれに尖閣(釣魚)から
南沙・西沙などに向け、危害が往昔の「領土」に及ぶ動きを鎮圧すべし、
とのスローガンで国民の注意をそちらに向けさせようとしている。
北京マラソンへの日本人参加拒否は、そうしないと「上司」から「親日」
だと睨まれて、自分の身が持たないと危惧した官僚の浅はかな考えだった。
ネットや国際陸連などから「五輪を開催した北京が大恥をかくことになる」
との意見などから、日本人受け入れを認めた。
 王道とか仁政というのも、未現像の写真フィルムで、太陽に曝すと真っ白になり、
何も残らない。この作品は瞿秋白の作を魯迅が彼の別名で発表したものという。
   2012/11/12訳
 
 
 
 

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ユーモアから真面目へ

ユーモアから真面目へ
 「ユーモア」が風刺に片寄ると、本質を失うということはさておいて、
最も恐ろしいのは、ある人たちが「諷刺」で人を陥れることで、
「笑い話」にするなら命も伸びるし、運もたぶんよくなるだろうが、
その堕落ぶりが国産品に近づくと、しまいには西洋式の徐文長になる。
(徐は明末の滑稽な人間で、それをネタにした笑い話がたくさんある:出版注)
国産品提唱の下、広告にも中国の「自製舶来品」があるのも一つの証拠だ。
 私はその内に法律で、国民は喪に服しているような悲しい顔をせねばならぬ、
と明文化されるのではないかと怖れる。
「笑い」は元来「非法」ではないのに。
だが、不幸にして東北三省が淪落し、挙国騒然、愛国の士はなんとかして、
失地の原因を追及せんとするも、結果は原因の一つは、青年が遊び呆けて、
ダンスに興じてばかりいることだと判る。
(北京の)北海公園で、楽しくスケートをしている時、大きな爆弾が落とされ、
幸いけが人は無かったが、氷に大きな穴があき、滑る(逃げる)が大吉、
というわけには行かなくなってしまった。(滑るは逃げるに通ず)
 また、不幸にして山海関を失い、熱河も緊張が高まり、著名な文人学士にも、
危険が迫り、挽歌を作る者も出、戦歌を作る者も、文化の徳を講じるのも出た。
ひとを罵るのは固より憎むべきことだが、からかうのも文明的とは言えぬ。
皆が真面目な文を書き、真面目な顔をして「不抵抗主義」を補完すべきだ。
 ただ、大敵が国境を圧迫しているから、人間はやはり冷静ではいられぬし、
手に寸鉄も帯びねば、敵を殺すこともかなわず、心の中で憤るのみだ。
 そこで敵の代わりを求めようとする。この時ににやにや笑っていては、
災いに会う。(南朝の陳の後主のように)「陳叔宝には心肝がない(阿呆)
と言われる」だから機を知る人は、みんなと一緒になって泣き顔をして、
以て難を免れる。
「利口な者は眼前の損はしない」というのは古賢の教え也。
而して、この時「ユーモア」は昇天し、「まじめ」が残りの全中国を統一する。
 この辺のところが判れば、昔、なぜ貞女であろうが淫女であろうが、
人前では、笑ってもいけないし、ものを言ってもいけない:そして今なぜ、
葬式女が悲痛かどうかに拘わらず、路で大声だして泣くのかがわかる。
 これは正に「まじめ」なのだ。更に言えば「刻薄」なのだ。3月2日
 
訳者雑感:
魯迅は「藤野先生」で東京の清国留学生たちがダンスに興じている状況を描いている。
勉強に来たが、目的は社交を学び、帰国したらダンスの得意な外交官か役人になって、
官位に就く事だから、真面目に科学や数学も学ぼうとせぬ。
留学生の大半は帰国後の立身出世の為に、法律と政治を学ぶのが中心だった。
だが勉強もいい加減にしてダンスパーティに参加して、上流社会の仲間入りをし、
女性にもてようとする輩が大勢いた。
 今もそうだが、1930年頃の若者も、大学に入るのは「灰色の収入の多い」役人に
なる為であった。
 
 「利口な者は眼前の損はしない」という古賢の教えを守って、
目の前の明らかな損になることはしない。国連で中国の楊外相は「顔をひきつらせて、
尖閣(釣魚)は日本が盗んだ」と叫んだ。
そういう顔をして、泥棒呼ばわりしないと帰国後、損をすることを知っているから。
  2012/11/09訳

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文学上のディスカウント

文学上のディスカウント
 つまらぬ小新聞に、一部の人を侮蔑する小説を載せ、自ら得意になって、
名前までちらつかせておきながら、突然、他からの投稿に対しては、
「個人または団体を攻撃する性質のものは掲載しない故、悪しからず」
とあるのを見て、思い到ったことだが――
 凡そ、私が出会った中国文学を研究している外国人は、中国文の誇張表現に
対して、不満をもらしている。これは本当で、中国文学を研究しているとはいえ、
多分きっと死ぬまで中国文学を理解できない外国人で終わるだろう。
我々中国人なら数百篇の文を見、十数人の所謂「文学家」の手口を見ただけで、
つい先ほど「田舎」から来た真面目な青年でなければ、決して騙されはしない。
我々は慣れており、銭荘の店員が紙幣を見る如く、何が通用するかを知っており、
どれをDiscountすべきか、何が紙くず同然か、受け取り拒否すべきか知っている。
 例えば、尊顔を褒める時「耳が肩まで垂れて」などと言うが、こういう時、
我々は半分値引いて、通常よりは少し大きい位と思うが、豚のようだと信じない。
愁いを「白髪三千丈」というが、我々は二万分の一にDiscountし、
多分7-8尺位で、頭上に大きな草の山の如くに巻きあげているとは思わない。
この尺寸は模糊としているが、要するに大差は無い。却って少ないのを増やし、
無を有にしており、例えば、舞台に4人の痩せた役者が刀を持って登場すると、
それは十万の精兵だと理解する:雑誌にいかめしく、もったいぶった文が載ると、
行間や文字の間に、見えぬインチキがあると判る。
 反対に、有る者も無にできる。例えば「戈を枕に旦(あさ)まで待つ」とか、
「臥薪嘗胆」、「忠を尽くして国に報ず」とかは、我々も見たら即、丁度未現像のネガが、
光に曝されたように真っ白の紙になったと看做す。
 但し、これらの文は吾らも時には読む。蘇東坡が黄州に左遷された時、退屈のあまり、
来客に鬼(幽霊)の話をしてくれないかと頼んだように。
客が話せないというと、東坡は「口からでまかせでいいから一つやってくれ」と言う。
我々が読むというのはこの手に過ぎぬ。だがこの世にはこんな物もあり、
退屈しのぎに目を疲れさせているのを知っている。
人は往々麻雀やダンスを有害と思うが、実際にはこの種の文章の有害さの方が大きい。
注意しないと後天的な低能児にされてしまう。
 詩(経)の「頌」(ほめたたえる)はごますりであり、「春秋」は欺瞞に満ち、
戦国時代に士が蜂起して談じると、危言を以て聴かせるのでなければ、
美辞で以て感動させ、そこで誇大化され大げさな身ぶりで嘘デタラメをまき散らし、
次から次へと窮まること無しであった。
 今の文人は、洋服に着替えたが、骨髄の中は昔からの祖宗に埋没しておるので、
先ずそれを取り消すか、Discountしないとダメである。
そうして始めて、いくらか真実が顕れる。
「文学家」が事実で以て彼の誇張、大げさにウソデタラメをまく…古いくせを
改めたことを証明しない限り、たとえ天に誓ってこれからは真面目に取り組む、
さもなければ、天誅地滅だと言ってもやはり徒労に終わる。
我々もとっくに多くの「王麻子」(刃物屋の老補名)に「偽ものなら三代が滅ぶ」
という金看板を見慣れているし、況や又彼がその小さな尻尾を揺らしながら
ぺこぺこしているからである。 3月12日
 
訳者雑感:
「臥薪嘗胆」「尽忠報国」などという成句は、日本人も「外国人」として、
すっかり中国の文学上の誇大さに幻惑され、Discountせぬまま受け入れて来たようだ。
これはたぶんに江戸時代の儒学の影響があり、日露戦争で三国干渉により遼東半島を
返還させられたとき、国を挙げて「臥薪嘗胆」を誓った。
 あれを未現像のネガが太陽に曝されて真っ白になったと看做していれば、その後、
泥沼の満州事変から日中戦争に進むことは避けられたかもしれない。
文化は辺土に存す、というが、本家ではとうに廃れてしまったスローガンを、
後生大事にしまっていたため、1905年にそれが宝箱から飛び出して威力を発揮した。
 呉越の戦いを「文学上の割引なしで受け入れてしまった」外国人は、魯迅の言うように、
死ぬまで中国文学を理解できずに終わるのだろうが。
    2012/11/08訳
 
 
 
 

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冤罪を晴らす

冤罪を晴らす
 リットン報告書が、中国人が自から発明した「国際協力で中国を開発する計画」
を採用したのは、感謝に値する――最近(首都)南京市各界の電報は、
「南京70万民衆を代表し、謹んでねぎらいの意を表す」とし、
彼を「中国の良き友人であるのみならず、世界平和と人道主義の保障者」
であると褒め称えた。(3月1日南京中央社電)
 しかし、リットンも中国に感謝すべきで:
第一に、中国に「国際協力学説」が無ければ、リットン卿も彼の意思を表すに、
適当な措辞を見いだせず、共同管理も学説的な根拠が無くなるのではないか。
第二に、リットン卿も自ら言うように:「南京は元々、日本の支援を歓迎し、
共産の潮流を拒否できる」とし、彼はまさに中国当局のこの苦心の成果に、
心から敬意を表すべきだ。
 リットン卿は最近パリで演説し(ロイター2月20日パリ電)
二つの問題を提起した。一つは:「中国の前途は、如何にして、いつ、誰が、
この偉大な人間の力に、国家意識の統一力を与えられるか。
ジュネーブか、モスコーか?」
もう一つは:「今中国はジュネーブに傾いているが、日本が現行政策を堅持したら、
ジュネーブは失敗する。そうなると、中国の望むところではないだろうが、
その傾向を変更するだろう」
 この二つの問題は中国の国家としての人格を些か侮辱している。国家は政府也。
リットンは、中国は「国家意識の統一力」が無いと言い、ジュネーブへの傾きを、
変更するだろう、とまで言う!
これは中国国家の国際連盟への忠誠と対日本への苦難を信じてないのではないか?
 中国の国家としての尊厳と民族としての栄光の為に、我々はリットン卿に答えよう、
としてもう数日たったが、適切な文章が出てこない。これは大変つらいことだ。
 今日突然、新聞に宝を発見し、これで李大人(リットンの漢訳)に答えられる:
それは「漢口警察の3月1日付け布告」だ。ここに鉄の如き事実を探し出せる。
 李大人の懐疑に反駁することができる。
 この布告(原文は「申報」3月1日付け漢口電)は言う:
「外資会社の労働者は、労資間で未解決の正当な問題があれば、我が主管機関に、
代理交渉または救済を申請のこと。直接交渉は厳禁する。違反者は逮捕する。
人に利用され、故意にその手段を使って、深刻な事態を引き起こす者は死刑に処す」
 これは外国資本家が「労資間で未解決の正当な問題」にぶつかったら、
直接任意に処理でき、一方労働者側でそうする者は…処刑される。
そうなれば、我々中国は「国家意識で以て統一した」労働者しかいなくなる。
凡そ「この意識」に反した者はすべて中国という「国家」から離れるよう要請される。
――あの世行きだ。
李大人はこれでも中国当局に「国家意識で統一した力」が無いと言えるだろうか?
 さらには、この「統一した力」を統一するのは、勿論ジュネーブで、モスコーじゃない。
「中国は今、ジュネーブを向いている」――これは李大人ご自身の言葉だ。
我々はこの方向で十二万分の堅実さで、あの布告に言う如く:
「ゴロツキ・ヤクザがグルになって金で誘導したり、直接駆使したり、名義を騙って、
社会の安寧・秩序を破壊しようとし、その他の我国社会に不利益をもたらすような、
重大な犯行者は、容赦なく殺す」というのは、「ジュネーブに向いている」固い保障で、
所謂「流血も辞さず」である。
 更に「ジュネーブ」は世界平和を講じており、この為、中国は2年来抵抗しなかった。
抵抗すれば、平和を壊すから。1.28(事変)まで、中国もバンバンと爆弾・銃砲を
打つ構えはみせたに過ぎず:最近の熱河事変で、中国側も国内の「防御線短縮」に、
つくしている。
それのみならず、中国側も剿匪に一生懸命取り組んでおり、この1-2カ月で、
土匪と共匪を粛清すると宣誓し、「暫時」熱河には手を出さぬと誓った。
これらすべては「日本が……中国南方の共産潮流が起こるのを見て、大変焦慮する」
必要はなく、日本は自ら出しゃばって来る必要の無いことを証明している。
中国側は、このように忍耐し、活動しているのは、日本に感動してもらうためで、
彼らを悔悟せしめ、極東永久平和の目的を達成し、国際資本はここで分担協力できる。
だがリットン卿は中国が「その態度を変える」と疑っており、それは大きな冤罪である。
 要するに、「死刑に処し、容赦なく殺す」これがリットン卿の懐疑に応える歴史文献だ。
どうぞ安心され、支援してください。  3月7日
訳者雑感:
 日本人の多くはリットン調査団報告が、日本に国際連盟脱退を決意させたとし、
リットンの報告書がああいう形でなければ、泥沼の日中戦争から世界大戦に入らなかった、
という「惜しいことだという感じ」を抱いている。
 しかし、この報告書の基盤は中国人自身が編み出した満州を「国際協力での共同管理」
するという肯定的なものだった、という認識は少ない。
日本は既に満州国を認め、百%自分の勢力範囲だと「帝国主義」意識に酔いしれていた。
 中国(南京政府)としては、満州を日本に占領され盗られっぱなしにされないよう、
国際連盟に働きかけ、多国での「国際協力の下で共同管理」するという「学説」を、
あの報告書に盛り込ませたのだ。これで国際資本が協同経営・各国の共同管理となる。
力の弱い中国は、こうすることで延命を謀った。
力が強いとうぬぼれていた日本は、そうはさせじと、自分ひとりが彼の地を統治し、
五族共和の王道楽土を!と無謀なことを試みたものだ。
     2012/11/03訳

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曲の解放

曲の解放(戯曲とは元曲、即ち後に京劇などに発展した曲の意)
「詞の解放」は特集号が出、詞で母を罵るとか、「麻雀すら可能」になった。
戯曲はなぜ解放できぬか、破廉恥のデタラメになるからか?
だが「戯曲」が解放されたら、当然「ありのまま」でなければならぬ。
――舞台裏のものが前面に出るのだから――詩人の温柔敦厚さが失われるだろう。
平仄が不調になり、声律が乖離することも起きるだろう。
 
   『平津会』雑劇
生(男役)登場:良い連続劇は尋常じゃない:攘夷期間も国内安寧に忙しい。
 只、熱河から湯玉麟(熱河主席)が早々と逃亡したのを怨む:
鑼鼓が鳴る前に引っ込んだ。(唱)
{短柱天浄紗:越曲の名}で。
 熱湯の恥知らずが――逃げた!(熱河と湯玉麟の頭文字をかけたもの)(唱)
 抵抗するふりをして――何になる? 
(熱湯は東京知事を放り出した石原氏を「東石」と言う如し:訳者注)
旦(女形)登場(唱):中央政府にならって:旅装を整え西に向かうか。
 咸陽へ奔走するよう相談さ。
生:この野郎。…低い声で:傍らのあの湯児を見てみろ。
 奴はもう演じ続ける気などあるものか。俺の所には分けられない口がある。
 良い劇を演じてみれば、すぐこんなにもひどい状況。ひとに迷惑かけよって!
旦:それがどうしたって言うのさ。もう一度「査弁」を出せばいいのさ。
 我々は一夫一婦、正副そろって唱ってゆけるさ。
生:よし。(唱)
{顛倒陽春曲}民衆の前で、指を突き付けて、張学良を罵り、なぜ抵抗しないのか!
旦が背後で唱)どさくさにまぎれて、ごまかすな!只、そのふりをしているだけ!
      みんな、どんどん罵れ。何の遠慮も要らない。
丑(道化)が袋を担いであわてて登場) あれー!てーへんだ!
旦が丑を抱くしぐさして)息子よ!そんなにあわててどうしたの!
     はやく前にきて、袋を担いで、我々もはやく荷造りしよう(唱)
{顛倒陽春曲}人にそむいて、湯を憐れみ抱き寄せる。
       一声罵り、無駄な抵抗する。
       舞台ではとても慌てた形相を呈するが。
       只、旅装を整えるに過ぎぬ、
       待ってみよう。
丑、哭して)お前たち、旅の支度だ!俺のはまだ全部揃ってない。
さあ、見ろ! (袋を指さして)
旦)息子よ、早く扶桑に逃げな!
生)雷の如く烈しく、風の如く速く。査弁は忙しい。
丑)こんな犠牲を払って、何の意味があるんだ。
  堂々たる男一匹、風光あり。(同下)   
     3月9日
 
訳者雑感:
 先に「詞」(宋代の詩形)を解放することが提起され、雑誌に特集号がでた。
今回、「曲」(元曲以来の各地の伝統劇のなかの音曲つきの劇:オペラの如し)
の解放をしてみようと、魯迅は日本軍の熱河進攻とその主席湯玉麟の慌てぶり、
それと東北・華北一帯を支配していた軍閥張学良の当時の行動・振舞いを戯劇に
したてて、「曲の解放」として、詩作している。
 伝統劇は「三国演技」や「水滸伝」など歴史的史実をベースに、面白おかしく、
脚本化して民衆に受け入れられて、発展してきた。
題材を現代に採るという試みは、その後も続けられ、文革時代、
江青なども4人組の文芸関係者に指示して、新版京劇を幾つか作った。
当時は我々もそれしかないので、それを観たものだが、今はあまり演じられなくなった。
やはり中国民衆は、長いヒゲを垂らした、諸葛孔明などの方が、好きなのであろう。
筋も知っており、何度も観ているもののほうが、安心して観ることができる。
心の安寧が第一のようだ。新作より。
     2012/10/30訳
       
 
 
 

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戦争への祈祷

戦争への祈祷
   ――読書心得
 熱河戦争が始まった。
 3月1日――上海戦争終結「記念日」もまもなくだ。
「民族英雄」の肖像画が次々に印刷され売りだされ:
兵士たちの血、傷痕、熱烈な気持ちは、またどれほど踏みにじられるのだろう?
回憶の中の砲声と数千里外の砲声は、我々には如何ともしがたい苦しい笑いを帯び、
無聊な書をめくってみるが、それも数個の警句の入った閑書だ。この警句に:
「小隊長殿、我々は一体どこへ行くのですか」―― 一人の男が尋ねた。
「出発!俺もどこかは知らない」
「那媽を失くし、死んじまったらおしまい。出発してどうなるの」
「ごたごた言うな。命令に従え!」
 しかし、那媽を失くしたのは失くしたことで、命令は命令だ。出発はせにゃならぬ。
4時ごろ、中山路は静寂となり、風と葉はかさこそと音を立て、月は青灰色の雲に隠れ、
眠り、人間のことは一向に気にしない。
 かくして19路軍は西に退去した。
     (黄震遐:「大上海の毀滅」)
 いつ「那媽を失い」と「命令」がこのようにそれぞれ別々になったとしても、
それを救わねばならぬ。
 さもないと? 更に警句があり、これに答えて:
 19路軍の戦が我々に告げているのは:絵空事以外に何ができるというのか!
 19路軍の勝利はただ我々に対して、その日暮らしで、安逸を偸む迷夢を増やすのみ。
 19路軍の死は、我々が生きていることも憐れで意味の無いことだと告げる。
 19路軍の失敗は、我々に努力せずに奴隷にされる方がましだと告げる(同書)
 
 これは我々に革命に非ずば、全ての戦いはきっと失敗する運命にあると示している。
今、主戦ということは誰も言える――これは、1・28の19路軍の経験:戦いは必ずやる。
だが、決して勝ってはいけない。戦死もだめだ。せいぜいが失敗が関の山だ。
「民族英雄」の戦争への祈祷はこうである。
戦争も確かに彼らが指揮し、この指揮権は他の人にはけっして譲らぬ。
戦争は主持者の敗戦の計画を禁じることができるだろうか?
丁度、舞台で、善玉と悪玉が戦う前に、どちらが勝ち、どちらが負けるかは、舞台裏で、
とっくに決めているように。
嗚呼、我々の「民族英雄」よ!      2月25日
 
訳者雑感:
 この当時の対日戦争は、軍力の圧倒的な差から、中国側は戦わずに「去る」
ことのみだった。そして日本と停戦後、福建省に派遣され、剿共作戦に参加した。
この辺のことを「警句の閑書」から引用している。
「19路軍の失敗は、我々に努力せずに奴隷にされる方がましだと告げる」というのは、
亡国の民としての悲痛な叫びだ。
       2012/10/24訳

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大編集長にも感心しない

大編集長にも感心しない:
   前回の文章への注解     楽雯(瞿秋白の文章を魯迅の別名で出したもの)
 この「非凡」な議論の要点は、
1)辛辣な冷箭(不意打ちの矢)は「受けた者は耐えがたく、聴く者は痛快」だが、
 偉大さの秘訣を得るにすぎない。
2)この秘訣は「主義を借り、名を成し、羊頭を掲げて狗肉を売る技法」にあり:
3)「大晩報」の意見に照らせば、どうやら自分の「主義」の為に――「神武の大文」
 を高らかに唱え「血の盆の如き大きな口を開いて」人間を食うためで、
「20歳で落後したら、化石になるのもまた惜しくは無い」(カッコ内傍点付き)
4)ショー氏がこの種の「主義」に不賛成なら、安楽椅子に坐るべきではないし、
家産を持つべきでなく、「その種の主義に賛成なら、それは別の話だが」
 残念ながら、世界の崩壊はこんなところにまで来ていて――
プチブルの知識階級の分化で、光明を愛し、落後を肯んじない人間として、
彼らは革命の道に踏み出している。
自分たちの種々の可能性を利用し、誠実に革命に賛助して前進している。
かつて客観的には資本主義社会の擁護者だったが、今は資産階級への「叛徒」、
になろうとしている。そして叛徒は常に敵よりも憎むべき存在である。
 卑劣な資産階級心理は、「百万の家財」を与え、世界的盛名を与えているのに、
なおも背叛しようとするのは、どんな不満があるのか。
「実に憎むべき極み」だと考えている。これは無論「主義を借り、盛名を成す」だ。
こういう卑劣な仲買人に対し、夫々の事情はきっとある種の物質上の栄華富貴への、
目的がある。これが本当に「唯物主義」――名利主義だ。
ショーはこの種卑劣な心理の外にいるから、憎むべき極みなのである。
 「大晩報」は更に、一般的時代風尚を推論し、中国にも「安楽椅子に坐りながら、
辛辣な冷箭を放ち、氏の教えなど要らないほど、何とか主義を宣伝している者がいる、
と推論している。
 これは勿論、国の内外も同じ道理で、改めて解釈の要も無かろう。
残念だが:あの食人「主義」を独自に持ち、長い間それを借りてはいるのだが、
「盛名を成す」には至っていない。嗚呼!
 憎むべく、怪しむべきショーについては、彼の偉大さはこの人たちには、
「受ける者には耐えがたい」ため、これを縮小した。
だから中国の歴代の経から離れ、逆に叛く文人にように、当たり前のことだが、
皇帝の名で「家財差し押さえ没収」の判決を受けた。
  「上海におけるバーナード・ショー」
 
 
訳者雑感:
食人「主義」とは何だろう?
魯迅が「狂人日記」などで批判してきた「人を食う」礼教、儒教制度のことか。
それで「盛名を成して」きた儒者は無数にいたが、この60年間に否定された。
今日またそれを精神的基礎に取り戻そうとしている。
     2012/10/23記

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バーナード・ショーを頌す

バーナード・ショーを頌す
 ショーが中国に来る前に「大晩報」は日本の華北に於ける軍事行動を、
暫時停止するよう望み、彼を「平和の老翁」と称した。
 ショーが香港に到着すると、各紙はロイター電で、「共産と宣伝」と題し、
彼の青年達への談話を訳出した。
 ショーは「ロイター記者に、君は全く中国人には見えないと語り、
彼はまた、中国の新聞界の人は一人も取材に来ないのを不思議に感じ、
彼のことを知らないほど幼稚なのか」と語った。(11日ロイター電)
 実は我々は老練で、香港総督の徳政と、上海工部局(租界の行政部局)の規定を、
よく知っており、要人の誰が誰と親しく、誰が仇敵で、誰それの夫人の誕生日や、
何が好物かも知っている。
だがショーについては、残念だが彼の作品も3-4種しか訳されていない。
 だから、我々は彼の欧州大戦前と戦後の思想を知らない。
彼がソ連歴訪後の思想も深くは知らない。ただ、14日の香港「ロイター電」では、
香港大学で学生に語ったという「君たちが20歳で赤色革命家にならないなら、
50歳になった時にはただの石ころに過ぎず、20歳で赤色革命家になろうとすれば、
40歳で落後することもない」との言葉から、彼の偉大さが判る。
 但し、私の所謂偉大さは、彼が人に対して赤色革命家になれという事でなく、
我々は「特別な国情」(袁世凱に対して共和制は中国の国情に向かないと鼓吹した、
Goodnowの言葉)があり、必ずしも赤色でなくとも、今日革命家になれば、
明日は命を落とし、40歳まで生きることはないからだ。
 私が偉大だと思うのは、彼が我々の20歳の青年たちに、
40―50歳になった時のことを考えてくれているからで、なお且つ現在から遊離せずに。
 資産家が財産を外国に移し、飛行機で中国から飛び立つのは、
明日のことを考えているのだろう:
「政治は飄風の如く、民は野鹿の如し」
貧しい人は明日の事すら考えられないし、考えることも許されず、敢えて考えない。
 況や、20年30年先のことをや?この問題はごく普通のことだが、大変偉大な事だ。
 これがショーたる所以だ!
          2月15日
訳者雑感:30年代の中国人は、明日のことを考えられるのは資産家たちで、
彼らは財産を外国に移し、飛行機で国外に脱出した。
貧しい人たちは、明日の事すら考えることすらできないその日暮らしの状況にあった。
そういう現実を踏まえながら、20歳の青年に向かって、30年後のことを考えよ、
と呼びかけたショーをほめている。だが革命家になったら明日は命を落とす事になる。
次の文章でどういうことか、考えるとしよう。  2012/10/12訳
 
 


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