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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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後記9

後記9

黎烈文の声明

烈文は去年欧州より帰国し、上海に寓居している。

「申報」の史量才支配人は先代からの先輩で、よく訪問した。彼は私が如何なる党派にも属さず、且つ欧州で文学を専攻したので、申報館で「自由談」を編集させてくれた。

この2カ月、三角関係恋愛小説(商)の張資平から、私が彼の長編小説を中断させた為、憎さ骨髄で、大小の各誌に、デマ中傷で挑発し、私を陥れようとしてあらゆる手口を使い、

私はそれらの手段と目的があまりにも卑劣なため、見る目のある人ならすぐ分かってもらえるから、釈明する価値もないと考え、これまで一切取り合わず、放って置いたが、張氏は昨日の「青光」欄に声明を出し、ベールで包みながらも、好き勝手に中傷し、その中で、

「また、大商人の妾になった姉妹云々」というのがあり、それが何を指すのか分からない。

彼の声明は、すでに「自由談」に対して発せられたもので、私は今「自由談」の編者として、何らかの声明を出して、多くの疑いを晴らさねばならない。

私には実の妹2人がいるだけで、上の応元は嫁ぐ前に早逝、下の友元は今長沙の某校に通学中で、まだ嫁していない。2人とも湖南から外に出たことは無い。且つ、私の知る限り、湘潭の黎氏同族の姉妹の中で、近い親戚も遠いのも、一人も妾になっていないし、誰も「大商人」と結婚していない。

張某の言は全く遺憾に思う。(大商人の妾になるような姉妹がいない事が遺憾だ)

或いは、他の事を指しているのか、一種の病的な発作か、狂犬の遠吠えのようだ。そうであれば、私の関知するところではない。

 

この後、幾つかの声明が出たが、面倒だからこれ以上引用しない。

要は:比較的大きな問題は、「姉妹が大商人の妾」になっているのは誰かだが、これは「改名も改姓もしたことの無い」公漢、張資平氏に訊かねば分からない。

だが、中国には本当にもの好きがいて、暑いさなかに、真茹の「望歳小農居」の洋館に取材に行ったものがいた。その「訪問記」が「中外書報新聞」7号(7・15)に載った。

下記が「妾になった」問題などの一段だ――

 

(四)声明文に対する疑問

以上は掲載から中断に至った経過を述べただけで、次に声明の中の幾つかの疑問に答えてもらいたい。「声明の中の多くの点は外部の者には分からないので、お訊きしたい」

「何でしょうか?」

「姉妹を商人の妾にというのは、どういうことですか?」

「それは黎烈文の思いすごしで、私は文中に、ついでに別の人のことを書いたものだ」

「それは誰?」

「それは公開できない」無論彼が公開できぬ以上、それ以上追及はできない。

「もう一点、貴方の所謂『政治や国際情勢に関する見解を、発表しようにもその場が無い』とはどういうことか?」

「それは私が文芸以外の政治的見解や随筆の類を指す」

『「新時代」の「望歳小農居日記」のようなものですか?』(「新時代」7月号参照)

と私が質問したら、

「それは魯迅に対する批評で、私の言ったのは、政治への見解で、「文芸座談」に載せた。

(「文芸座談」1巻1号「朝から午後まで」参照)

「魯迅へのどういう批判ですか?」

「それは本題からはずれるから、君はそれについては、公表しないほうが良い」

これは真に「胸中が正しくないと、瞳がくもる」で、わずか数行でこの文学家の顔付きが浮かんできた。

「社会新聞」が彼を「意気地なし」と呼んだ。社会的に「弱きを助け、倒れた者に手を貸す」的な同情を得ようとしているが、声明文の自白については、中国文学の例に照らして、

大いに割引くべきである。(白羽遐氏が「某日」もし「内山書店」に行ったら、きっと老板から聞いたことだろう)

彼は自ら「改姓したことはない」と言った後、また「たとえ他のペンネーム」でと言っているのは、「公表した文章はすべて責任を負う」とはいえ、「やはり公表しないほうが良い」というなら、私に関する一文については、私もこれ以上論じないとしよう。

一つの文章で、2つの事は書けない。以前、私は「文芸座談」坐主で「詞の解放」をした人、曾今可氏を閑却していた。だが書き始めたらとても簡単なことで、彼は「反攻準備」をした外には、「密告」を弄んだだけだ。

崔万秋氏とこの詞の人とは古い知り合いだったが、小さないざこざで、タブロイド紙に投稿し、古い友人を裏切った。不幸にも原稿が崔万秋氏の手に落ち、銅版にされて「中外書報新聞」(5号)に載った。――

 

訳者雑感:

後記も残り8ページとなり、一気に訳し終えて、次に進みたいが、なかなかはかどらない。1933年前後の上海文壇の「デマ誹謗中傷による陥れ」を、事細かにスクラップブックから引用している魯迅の姿を思い浮かべながら訳していても、気が重くなる。

「人を罵り、人からも罵られた魯迅」という表題の本を見つけた。それよりは「奉納劇を魯迅と一緒にみる」の方が、こころが落ち着く。

2013/03/03

 

 

 

 

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