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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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魯迅と劉暁波

 末期がんの治療を理由に8年にわたる獄中生活から瀋陽の病院に移送された劉暁波氏について、釈放や国外での治療を求める声が各国から起こった。
 劉暁波は、今年の春、病気を患っていた妻・劉霞ととも出国する意思を表明したが、当局も最初は前向きだったという。これは人道的配慮というよりも国内での影響力の低下を願ったからだ。ただし、最終的には出国させなかった。(最終的に彼が海外で埋葬され、その墓が反中勢力のシンボルになるのを恐れたからだ。)
 ドイツのメルケル首相は、G20サミット(会期2017年7月7-8日)にあわせてドイツを訪問していた習主席に対して、治療のために劉氏を受け入れる用意があると表明した。これに対して、習主席は「帰国後に状況を確認し、関係部門と協議する必要がある」と応えたという。体のいいお断りである。
 それからわずか数日後の、7月13日には新華社から彼が死亡したとの英文ニュースが発表された。生前、妻とともに海外での治療を望んでいた劉暁波にとっては、さぞかし断腸の思いだっただろう。
 だが、劉暁波は結果的に中国国内でなくなった。これによって、彼の名声や影響力は末永く中国の人々の心に残るだろう。1997年病気治療のために渡米を許された魏京生、1998年にアメリカへ亡命を許された王丹などは現在ではほとんどその影響力を失った。
 魯迅は重い病気になって、日本の文人、友人や出版関係者ら多数から日本での治療を勧められても断り続けた。元金沢大学教授の増井経夫氏は、1935年12月、彼が上海租界の魯迅を訪ねて、彼の義父であり、文求堂の主人であった田中慶太郎氏の親書を手渡して、日本での病気療養を勧めたが、断られたと、その著『線香の火』の中で記している。
 魯迅にとっては、中国に踏みとどまり、中国語で文章を書いてこそ、中国人の精神を改革できるのである。中国に根を下ろさず、時の権力者の弾圧や状況によってコロコロを居場所を替え、中国のためにではなく自分のために、時には英語で文章を書いた胡適や林悟堂などを許さなかった。
 魯迅が「民族魂」といわれ、また、現在でも人々から慕われる所以がここにある。
2017.07.24作成
2017.08.01投稿

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