両地書35
広平兄:
素晴らしい夜明けが来る前にこの大作を読んで、これは発表せぬ方が良いと思いました。この種のテーマは実は今、私だけが書けるのです。というのも、大概攻撃にさらされるためです。私はかまいません。一つは、私には反撃の方法あり:二つは今「文学家」であるのに嫌気がさしてきて、機械に変わった様に感じるから、「文壇」から引きずり下ろされたいのです。諸君のような美顔クリーム派はまだ「うぶ」ですから、一篇の文章で攻撃され、誤解されるようなことはせぬ方が良く、ついには「泣いて襟をぬらす」ことの無いように。
あの前半部は小説か回想文なら、もとより何も奇とするに足りぬが、評論で現在の中国の読者向けとしては率直過ぎます。後半部は少し迂遠です。私はあの文章で本当に言いたかったことは:ああいう罵倒の仕方は「卑劣」だ、と。
しかし貴方はかたくなに無実の罪を着せて「以て光栄とする」としているが、それは良くありません。
その実、伝統思想にどっぷりつかっている人たちに対してはあのように罵ってもいいです。現在の評論の中には表面的には何もありませんが、骨の中は「この野郎」的な考えがあり、このような批評への批評は直截的でかつ爽快に罵るのが「即、その人の道を以て、その人の身を収める」方法で、人にも私にも均衡しているのです。私は常々思う:中国では2種の方法を持つべきだ、と。新しいものには新しい方法で、古いものには古い方法で対処すべし。例「遺老」が罪を犯したら、清朝の法で:板で尻叩き。それが彼の恐れる罰だから。民国元年革命時は、全ての人に寛容だった。(当時それを「文明」といった)しかし、第2次革命の失敗後、多くの旧党は革命党に対して「文明」でなく:殺戮した。もしあの時(元年)新党が「文明」を唱えてなければ、多くのものたちがとっくに滅亡したから、旧党の連中が古い手段を発揮できだろうか?現在「この野郎」と、祖宗の位牌を背にして威張りくさっている奴らを罵るのは、やり過ぎだといえようか!?
もう一篇、今日出したが、2つを一つの題にし「五分と半年」とした。すてきな題でしょう。
雨が降り続いています、刺繍のブラウスはどうでしたか?雨が止んだら急いで干してください。忘れぬように!
迅。7月29日、或いは30日。
訳者雑感:これが北京での最後の手紙。この後二人は共に上海に向かった。この頃に、魯迅の母と妻はもう魯迅は彼女らの元へは戻ってこないだろうと感じたと、他の文章に引用されている。事実はその通りとなった。
2016/10/19記
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