魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
曾今可 反攻準備
曾今可が魯迅等からの攻撃で、完膚なきまでに打ちのめされた。
反攻を思わぬ時とてなかったが、力も無く、願望達成は困難だった。
また魯迅等は「左聯」をバックに、人数も多く、こちらで呼べば、あちらで応えるので、孤軍抗戦では防御不能であった。
そこでオルグを始めたら、およそ嘗て魯迅等の侮辱を受けた者から歓迎された。最近、張資平・胡懐琛・張鳳・龍楡生等十数人で、文芸漫談会を作り、新時代書店から、専ら左聯作家に対処すべく、半月刊発行を計画している。今月中旬出版予定。 {如}
当時、曾今可に関しては取りたてて何も書いていなかったが、「曲の解放」(本書第15篇)に確かに触れていて、ひょっとすると、「侮辱」と言われるのかなと思った:
胡懐琛は何の関係も無いが、「自由談」で彼の「墨翟インド人説」を嘲笑したことがある。
但し、張鳳・龍楡生氏はどうしてだろう?
私の記憶ではお互いに何の関係・交渉も無い。
この件は2巻26号の「涛声」(7月8日)を見、疑念が解けた。
「文芸座談」遥領記 (曾)聚仁
「文芸座談」は曾詞人の反攻機関紙、遥は遠くから、領は情を受ける意で、記とは座談に参加せずに遥か遠くで盛情を受けたことを記すもの也。
解題は終わったので、本題に入る。
ある日、曁南(大学)へ授業に行くと、休憩室の卓上に何やら一通の招待状があった:
開けると、「新時代月刊」からで、幸いにも私などもこの招待状をもらうとは!
きちっとたたんでしまって、家宝にしよう。
「新時代」が招宴し「文芸座談」が生まれ,反攻の陣が整った。
新聞にでかでかと名将の名が連なった。
一昨日、張鳳先生に会ったので尋ねてみた:彼曰く:
「座談に出てくれとか何も知らない内にサインしたら、翌日、新聞に私が発起人になっていた」
昨日、龍楡さんに会ったら彼曰く:「上海は難儀な所よ。
彼らは再三私に何か話しをしてくれというので、ちょっとお茶を飲んだら、仲間に入れられてしまった:広告費も払えないのに」と。
私は言った:「彼らの茶を飲んだら、当然もう彼らの仲間さ!」
私は幸い、茶を飲みに行かず、強奸を免れ、遥かに盛情を耳にしたことを謝すのみ!
但し、この「文芸座談会」の機関誌「文芸座談」の第一期には、十数名の作家が名を連ね、7月1日出版された。その中の一篇は専ら私のために書かれた――
内山書店にて 白羽遐
ある日の午後、友人と上海北四川路を散歩していた。歩くうち北四川路の端まで来た。
虹口公園に行こうと提案したが、友は先に内山書店に何か新しい本が無いか見てみたいというので、我々は店に入った。内山書店は日本の浪人、内山完造が始めた店で、表向きは書店だが、
実は日本政府の探偵だ。中国人と何か話すとすぐ日本領事館に報告する。これは「公然の秘密」で、内山書店と接点のある者は皆知っている。
私と友人は本や雑誌をめくっていた。内山は我々を見つけると、そそくさとやって来て挨拶し坐って話しましょうというので、いつものように閑談した。
内山書店に来る中国人は大多数が文人で、彼も中国文化を少し知っている。彼は中国人と中国文化及び中国の社会状況をよく語るが、中国の政治は余り口にしない。これは中国人に疑いを抱かせぬ為だ。
「中国では何でも割引いて考えないといけない。文章もそうで、“白髪三千丈”は大風呂敷だ!割り引かねばならない。中国では他の問題も同じように考えないと…ははは!」
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