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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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阿Q正伝 1


 阿Q正伝は、50歳以上の日本人なら、名前は聞いたことがあると思う。だが、「星の王子さま」のように手にとって読んだ人は多くないだろう。戦前の翻訳では「滑稽本」のイメージもあったし、戦後はルンペンプロレタリアート的な面も加えられた。訳者も学生時代、中国語劇でこれをやった時、田漢の脚本に依拠したので、必ずしも、原作に忠実とは言えなかった。登場人物が多すぎて魯迅の吶喊の印象が薄らいでしまった。田漢も文革で完膚なきまでに批判された。
 今回、阿Qが30歳ごろまで過した海と河のほとりの,そして都会の近くの農村で暮らしている人々の写真が掲載された本が手に入った。何信恩氏と十余名の撮影者が浙江文芸出版社から出した、「与魯迅看社戯」(魯迅と一緒に奉納劇を観る)である。
今も沢山の屋根のそり返った楼閣的な、趣のある越劇の舞台が河辺にたくさん残っている。  
読み進めてゆくうち、阿Qの言葉の中に、山田洋次描くところの柴又のトラさんのセリフが、私の脳裏にダブった。大連にいるとき、日本のテレビで、何十本ものトラさんを見た。時代も半世紀以上ちがうし、辛亥革命のころと、戦後、復興に希望を見出していた日本と比較するのは、どだい無理というもの。だが、「野菊の墓」の時代、矢切りの渡しで、船頭さんが手こぎの櫓であやつる木の船に乗りながら、墨東の水と舟で生きてきた人たちの暮らしぶりと、トラさんがスッカラカンになって、祠に忍び込んで夜露をしのぐ姿と、阿Qとがダブった。トラさんにはさくらという妹もおり、革命騒ぎにも巻き込まれることなく 処刑されずにすんだ。だが、阿Qが祠の中で夢想した世界と、トラさんがトランク一つで日本各地を放浪して夢想したものは、似通ったものもある。
 明治維新のころ、日本にも阿Qがいたが、西南戦争を境に、滅びるものは滅びた。その後、凶作と恐慌で飢え死にしそうになった人を満州に送り出した。訳者の子供時代には、駅の近くに身寄りのない浮浪者がいたが、やがて姿を消した。彼らはどこへ行ったのだろう。魯迅はこの小説を書くとき、阿Qの霊が乗り移ったような気になった、と書いている。彼自身の内なる阿Qへの問いかけが、出発点であろう。
 第一章の序は、「月と6ペンス」に似て退屈かと思うが、阿Qの生い立ちというか、何の係累もないことの説明で、少し辛抱されたく。二章目から、トラさんの映画をみるようなつもりでごらんいただきたい。
 
第一章 
阿Qの伝記を書こうとして、1、2年にもなる。往事を顧みると私は適切な人間ではないのではと思う。従来,不朽の筆こそ、不朽の人の伝を書くべきで、それでこそ、人は文を以て伝わり、文は人を以て伝わるものだ。結局、誰が誰によって伝わるべきか、わからなくなってきた。が、私は阿Qの伝を書くことにした。どうやら阿Qの霊が私の中に、乗り移ってきたようだ。
 このすぐ朽ち果てる文を書こうとして、とても難しく感じる。第一が名だ。孔子曰く「名、正しからざれば、言、順がわず」と。伝の名は大変多い。列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝、……、どれもピタッとこない。列伝だと、名のある人と「正史」に載せられていなければ具合が悪い。自伝、私は阿Qではない。外伝とすると、内伝はどこだ、となる。よしんば内伝とせんか、しかし阿Qは神仙でもないから無理。別伝はというと総統から国史館に「本伝」を作るようにと、命が下ってもいない。英国の正史には、「博徒列伝」は無いが、文豪ディッケンズ(コナンドイルの記憶違い:魯迅の山上への手紙)は「博徒列伝」を作った。これは文豪だから許されるので、吾輩などには許されない。次は家伝だが、我が家が阿Qと同族かどうか知らない。彼の子孫の委託も受けてない。小伝だと大伝がなければならぬ。要するにこれが「本伝」となるべきものだが、私ごとき者の文章は、文体が下卑ていて、「車曳きや豆乳売り」の言葉だから、僭称はしたくない。それで、三教九流の小説家が使うところの、「閑話休題、言帰正伝」から借用して、正伝としよう。古人の撰した「書法正伝」と字面が混同しやすいが、この際やむをえない。
 第二、伝を書くときは、通常、最初に某(なにがし)、字は某、某地の人なり、とするのだが、彼の姓は全くわからない。一時趙だと思われたが、翌日にはもうあやふやになった。
それは趙旦那の息子が、秀才(科挙)に合格し、銅鑼で村中に知らせが回ったとき、阿Qはちょうど老酒の二碗目を飲んでいたところで、小躍りして、これは彼にとっても大変喜ばしいことで、趙旦那とは同族で、仔細に調べると、彼は秀才の三代前の世代に当たる。それを傍できいていた者は、粛然とし、尊敬の態度を取るようになった。それが翌日、地保(隣組の長)が、阿Qを趙旦那のところに引っ張って行き、旦那は顔を真っ赤にしてどなった。
「阿Q、このフーテンが、お前が俺の同族だと!」
阿Qは黙ったままうつむいていた。
趙旦那は烈火のごとく怒って、彼に近づいて、「でたらめ言うな!俺の一族にお前のような奴がいてたまるか!」「お前はほんとに趙姓と関係あるのか!」
 阿Qはだまったまま、後ずさりしようとすると、旦那はとびかかって一発くらわした。
「なんでお前が趙なものか。趙を名乗る資格なぞないわ!」
 阿Qは、自分は趙だと抗弁はせず、手で左頬をさすりながら、地保とともに退出した。外に出てから、地保に訓斥され、酒代二百文を召し上げられた。これを聞いた者は、阿Qもとんだドジを踏んだものよ。てめえから殴られに行ったようなものだ。趙姓も怪しい。もしほんとにそうだとしても、趙旦那がいらっしゃる限り、でたらめを言っちゃいけない。この後、誰も彼の姓について触れなくなったので、結局何という姓か分からずじまいとなった。
 第三、名も何と書くかわからない。生きていたころ、阿Queiと呼ばれていたが、死後、だれもそう呼ぶ者もいなくなったので、「竹帛に之を著す」ということも無い。もし「竹帛に之を著す」というならば、これが最初だろう。まずもってこの難関に立ち向かうことになった次第。つらつら思うに、阿Queiは阿桂か阿貴か。月亭という号を持っていれば、あるいは8月に誕生祝いをしていたら、阿桂だろう。だが、号も無いし、誕生祝いの回状を出したこともない。で、阿桂と書くのは、独断のそしりを免れない。兄弟に阿富という者がおれば、阿貴だろうが、兄弟はない。阿貴という証拠はない。この他に、Queiと発音する字は難しく思い浮かばない。以前趙旦那の子の茂才先生にうかがったが、あれほど博雅な公からも、確かな応えはなかった。結論から言えば、陳独秀主催の「新青年」が提唱するローマ字化のために、国粋の漢字文化は亡くなり、調査する手段も方法も無くなってしまったというわけ。最後の手段として、同郷の人に犯罪記録がないか調べてもらった。8か月経って、返事が来、記録にはQueiの音に近い者はいない、という。ほんとに居なかったのか、調べなかったのか知らない。が、万事窮す。注音字母の普及はまだおぼつかないから、ローマ字を使うよりない。英国で通用しているつづり方で、阿Queiとし、略して阿Qとする。
これは「新青年」に盲従するみたいで、誠に申し訳ないが、茂才さんですら、御存知ないからは、他にどんな方法がありえようや。
 第四、本籍。趙という姓なら最近普及した「群名百家姓」の注により、隴西天水の人也、と言えるのだが、この姓そのものが頼りにならない。それで、本籍も定まらない。未荘に長く住んだとはいえ、他でも住んでおり、未荘の人とも言えない。未荘の人とすると、やはり史法にもとることになる。
 自ら慰めることができるのは、「阿」だけは正確で、一切附会仮借のおそれはない。誰にも通じる字だ。その他に至っては、浅学の手に負えず、「歴史癖と考証癖」の胡適之先生の門人たちに、将来新たな端緒をたくさん探し出してもらうよう切望する。但し、この「阿Q正伝」がそのころには、とうに消滅してやせんか、はなはだ心配ではある。
 以上を以て、序に代える。
 
第二章 優勝記略
 阿Qは、姓名本籍があいまいなだけでなく、それまでの行状も判然としない。未荘の人々の彼との関係は、忙しい時か、からかう時以外、何もなかったので、彼の行状に関心もなかったし、阿Q自身も何もしゃべらず、ケンカをするときだけ、目をかっと開いて、
「俺も昔は、お前なんかよりずっと裕福だったんだ!お前なんぞ、何だ!」と言った由。
 阿Qには家がなく、未荘の祠に住んでいた。定職もなく、日雇いで、麦刈なら麦刈、米つきなら米つき、舟こぎなら舟こぎ、となんでもやった。仕事が長引くときは、その家に一時的に住みこんだが、終われば帰された。だから、忙しいときは阿Qを思い出すが、それは仕事を頼むためで、行状には関心も無かった。ヒマになったら、阿Qのことなど忘れてしまうので、行状などだれも口にしなかった。ただある時、老人が「阿Qは本当によくやる」と褒めたことがあった。このとき、阿Qは肌脱ぎで、呆然と痩せた体をさらしていたが、周囲の連中も、老人が本当に褒めているのか、からかっているのか、分からなかった。が、阿Qはこれを聞いて、とてもうれしがった。
 阿Qは自尊心がかなり強かった。未荘の住人は、彼の眼中になかった。特に二人の「文童」などは物の数にも入れず、軽んじていた。文童は将来、秀才になる可能性もあり、趙旦那、銭旦那が尊敬を受けているのも、金持ちというだけでなく、文童の父親だからであって、それを阿Qは精神的に少しも格別な崇敬を表せず、俺の子なら、もっと金持ちになるさ、と考えていた。彼はしばしば城内に出かけており、それも自負心を強めた背景だが、城内の人間さえも馬鹿にして、長さ三尺で、幅三寸の床几のことを未荘では、「長凳」といい、彼もそう呼ぶが、城内では「条凳」という。これはおかしい。間違っている!と。また、大頭魚の油炒めは未荘では半寸のネギを入れるが、城内では細切りだ。これも間違っている!と馬鹿にした。
 一方で、未荘の人は世間知らずの、田舎者で、彼らは城内の炒り魚を見たこともない、とけなす。
 阿Qは、昔は裕福で、見識も高く、本当によくできる、本来ほとんど完全無欠の人間であったが、体質的に小さな欠陥があった。一番悩ましいのは、頭にいつからか、疥癬の後のハゲができたのだ。これは自分の身に起こったことだが、貴とするに足りないもので、この疥癬の漢字の「癩」及び頼の発音に近い物を忌むようになり、光も忌み、亮も忌み、後には灯も燭もすべて忌むようになった。これを犯した者は、意識的か無意識かに拘わらず、ハゲのところを真っ赤にさせて、相手の力を見極めながら、口下手な相手には、痛烈に罵り、気の小さな奴は殴りつけた。が、ある時から、どうしたわけか、阿Qの分が悪くなる場合が増えてきた。それで、徐々に方針転換し、大抵は、目をかっと開いて、睨みつけるだけにとどめた。
 ところが、阿Qがこの方法をとりだしてから、未荘の閑人たちは、よけいからかうようになった。阿Qに出会うや、びっくり仰天、おどけてみせた。「おや、急に明るくなったぜ」
阿Qは目を怒らせて、かっと睨みつけるだけだった。
「おお、何かと思ったら、安全灯があったのか」閑人たちはまったく怖がらなくなった。
阿Qはしかたなく、別の報復手段を考えた。
「お前ら、このできそこないめ!」
このとき、自分の頭の疥癬は、ある種の高尚かつ光栄あるもので、そこらの疥癬とは違うんだ、という考えが閃いた。が、上述したように、これも「忌を犯す」ことになると悟って、言うのをやめた。
 閑人はさらに畳みかけるように、からかってきたので、ついに殴り合いになった。阿Qは負けてしまった。黄ばんだ辮髪をつかまれて、壁に頭を4、5回ぶつけられ、閑人は満足して去った。阿Qはしばらく呆然としていたが、心の中で、「ああ、倅に殴られてしまった。今の世の中なっとらん」とつぶやいて、精神的に勝利して、あたかも自分が勝ったような気分で、その場から去った。
 阿Qは、考えたことを、ぶつぶつ、言いだしたので、彼をからかう連中は、彼が一種の精神的勝利法をあみだした、と推測した。それで、辮髪をつかんで壁にぶつける前に、「阿Qよ、倅が親父を殴るんじゃないぞ。人間が畜生を殴るんだぞ。自分から言ってみろ。人間さまが畜生を殴るんだ」と命じた。
 阿Qは両手で、辮髪の根元を押さえながら、頭をゆがめて言った。
「虫けらを殴る。これでいいか。俺は虫けらだ。もう放してくれ」
だが、虫けらだと言っても放さず、壁に5、6回頭をぶつけてやっと満足して去った。今度こそ、コテンパンにやっつけてやったと思った。が、ものの十秒もしないうちに、阿Qは何もなかったように立ち去った。自分で自らを軽んじ、いやしめることのできる第一人者だと思った。「自ら軽んじ、いやしめる」を取れば、「第一人者」である。科挙の最優秀合格者「状元」は第一人者じゃないか。「お前など くそ食らえ」
 阿Qはこうした妙手を考え出して、仇敵に打ち勝ち、愉快な気持ちを取り戻し、酒店で数椀の酒を飲み、他の人と冗談を交し、言い争いをしてはまた勝って、いい気分で祠に帰り、そしてすぐ眠った。
 金ができたときは、サイコロ賭博に行った。地べたに、大勢の人がしゃがみ込んで夢中になっている。彼も顔から汗をたらしながら、その輪の中にいた。彼の賭けの張り声は、一番よく響いた。
「青龍に四百!」かけるぞ。
「八一。どうだー!胴元がつぼを開け、汗まみれの顔で唱えるように「天門だぜー♪。角は戻しいー、人と穿堂は、いただきー♪ 阿Qの銭はこっちによこしなって」
 「穿堂に 百五十、百五十!」とかけたが…。
阿Qの銭は、かくして唱(チャン)とともに、汗まみれの胴元の腰に移っていった。それでしまいには、賭け人の外に出て、後ろから見ていた。他人の賭けを自分がかけている如くに、散会するまで、未練がましくみていた。それから、祠に戻り、翌日は目をはらして働きにでた。
 「人生万事塞翁が馬」とはよく言う。阿Qはあるとき、大勝したが、最後はオケラになってしまった。未荘の賽神祭りの晩。このときは、いつも通り、越劇が奉納され、舞台の左手には、賭場が何ヵ所も開帳された。劇の銅鑼や鉦太鼓は、阿Qの耳には、はるか十里の外のよう。彼には胴元の声が聞こえるのみ。彼は勝ちに勝った。銅銭が角洋になり、角洋が大洋(メキシコ銀)になり、大洋が山となった。うれしくて有頂天で、「天門に二元!」とかけた。
 誰かが突然ケンカを始めた。怒声と殴り合いの音、足で蹴りあう大騒ぎとなった。彼の頭はふらふらになり、やっと這い上がったとき、賭場は失せていた。人もいなくなった。体中に痛みが走った。何回か殴られたようだ。野次馬がいぶかしそうに彼を見ている。何か無くしたような気がしたが、祠に戻って、気を取り直したら、あの洋銭の山がなくなっていることに気付いた。賽の賭場の胴元たちは、この村の人間じゃない。どこへ行けば、奴らを探し出せるか。
 ピカピカの洋銭。俺のもの。それが無くなった。倅に持ち逃げされたと考えても、どうにも面白くない。虫けらと考えても、頭に来る。今度ばかりは、さすがの彼も、失敗の苦痛をなめさせられた。
 が、失敗をすぐ勝利に転じた。右手で、思いっきり自分の頬を2回殴った。とても痛かった。でも殴った後は、気が静まってきた。殴ったのは自分で、殴られたのはもう一人の自分だが、しばらくすると、他人を殴ったのと同じような気になった。……
まだ痛いが、心では勝利を得て、満足して横になり眠った。
 
第三章 続優勝記略
しかし、阿Qは常に優勝していたとはいえ、それは趙旦那に頬を殴られた後、名を挙げたという次第であった。
地保に酒代二百文を払い、いまいましいと思いながら、横になっていたが、考えてみるに「今のご時世、全く話にならん。倅が親を殴るなんぞ」それでふと趙旦那の威風に思い至って、そうだ、今や彼が自分の倅だと思い、そうとなれば、自分ながらも、不思議と愉快になってきて、起き上がるや、「悲しき未亡人♪」の一節を口ずさみながら、酒店にでかけた。このとき、自分は趙旦那より一段格上になったような気がした。
 妙なことに、それ以後村の連中は、彼に一目置きだした。それは阿Qがひょっとすると、趙旦那の父親かもしれない、と思ったためで、実はそうではないのだが。未荘では、阿七が阿八を殴ったとか、李四が張三をこづいても、何の話題にもならなかった。名のある人、たとえば趙旦那の関係者がからんでこそ、話題になる。話題に上れば、殴ったのが名のある人なら、殴られた方も、そのおかげで名が出るって寸法。阿Qの方が間違っていても、そんなことはどうでもよい。それじゃなぜだというと、趙旦那は間違いっこないからだ、ということ。では、阿Qが間違っているのに、なぜみんな、彼を尊敬するのか。これを説明するのは難しいが、考えてみれば、ひょっとして阿Qは趙旦那の同族だと言ったために、殴られたのだから、もしそれが本当だったら、と心配し、まあとりあえずは敬意を表しておくのが、身のためだと考えたからであろう。さもなければ、孔子廟の牛と同じで、豚や羊と同じ畜生なのだが、聖人が箸をつけたものだから、先儒たちは、みだりに手をだそうとしないのと似ていると言える。
 阿Qはこの後、数年間というものは、絶好調であった。
 ある年の春、酒を飲んでほろ酔い加減で町を歩いていた。壁ぎわの日当たりで、王胡が服を脱いで虱を取っているのを見、自分も痒くなってきたように感じた。この王胡は、疥癬ハゲで、胡(ヒゲ)が毛むくじゃらで、みんなは彼を王癩胡と呼んでいたが、阿Qは癩の字は取って、王胡と呼んで、見下していた。阿Qとしては、癩は奇とするほどのことではない。頬からアゴまでぼうぼうのヒゲは、実に奇怪で、みっともなくてどうしようもない代物だった。
 彼は並んで坐った。もし他の閑人なら、隣には坐らない。が、王の横なら何も怖くない。本来なら、横に坐ってやるのは、奴の体面を上げてやるようなものだった。阿Qも袷を脱いで、裏返して見たが、最近洗ったせいか、注意が足りないのか、長いこと探して、やっと3、4匹捕まえただけ。王はと見ると、1匹また1匹、2匹3匹と口に入れ、ピシッ プシッといい音を立てている。
 阿Qは最初は失望していただけだったが、だんだん面白くなくなってきた。見下してきた王があんな沢山取るのに、自分はこんなに少ない。体面が傷つけられたこと甚だしいと思い、大きなのを1、2匹探そうとしたが捕まらない。やっと中くらいのを1匹捕まえ、厚い唇でくわえ、力いっぱい噛んでピシ、と音をさせたが、王のようにはいい音がしない。
 阿Qの疥癬ハゲはみるみる紅潮し、服を脱ぎ捨てるや、ペッと唾を吐いて言った。
「毛虫野郎め!」
「かささき犬、お前、誰に向かって言っているんだ!」王は軽蔑のまなこで応じた。
阿Qは近頃、まあそれなりに人の尊敬を受けて来、自分でもちょっと偉ぶっていたが、それでも喧嘩慣れしているヤクザな連中には、びくびくしていたが、今日は、勇気満々であった。ヒゲもじゃ野郎が何をほざくか、と思い、受けて立った。
「いつも毛虫野郎って言われている奴のことだ」
王も立ち上がって、上着を脱いで両手を腰にして怒鳴った。
「骨をガタガタいわしてもらいたいのか」
阿Qは彼が逃げると思って、先制攻撃、一発かまそうとしたが、拳が相手に届く前につかまれ、ぐっと引っ張られて阿Qのほうがゴロンと倒された。辮髪を掴まれ、壁のところまで引っ張ってゆかれて頭をゴツンゴツンとぶつけられた。
「君子は、口は出すが、手は出さぬ!」阿Qは頭をゆがめて言った。が、王は君子ではないようで、そんなたわごとに耳を貸さず、続けざま5回ほどぶつけると、力いっぱい押して、阿Qが6尺ほど転げたのを見届けて、満足して去った。
 阿Qの記憶では、生涯最大の屈辱だった。王は頬からアゴのヒゲという欠点で、これまで阿Qに馬鹿にされてきたが、彼から馬鹿にされたことはなかった。ましてや手を出されたことは無かった。しかし今回彼は手を出した。とても意外な気がした。まさか町で噂になっているように、天子さまが科挙の試験を廃止し、秀才や挙人をとらなくなったので、趙家の威風も地に落ち、自分も見くびられるようになったのだろうか?
 阿Qは呆然と立っていた。
向こうから来るのは、もう一人の天敵、大嫌いな奴、銭家の長男だった。彼は最初城内の洋学堂に入ったが、どうしたわけか日本に行き、半年後に帰ってきた。外人のように足をピンと伸ばして歩き、辮髪も無い。奴の母親は十数日間、泣きわめくし、女房は井戸に3回も跳び込んだ(自殺のジェスチャー)。後に母親は、「辮髪は悪い連中に酒に酔わされた揚句、知らないうちに切られた」と弁解して回った。「本来なら、大官に任命される予定だったが、髪が伸びるまで待つしかない」という。
 阿Qは冗談じゃないと信じなかった。それで彼を見ると「エセ毛唐」とか「外国のスパイ」と腹のなかで、罵ってきた。彼が心そこから憎み怪しからんと思うのは、奴の二セ辮髪だ。辮髪、それが二セときては、人間の資格が無いのだ。奴の女房が4回目の身投げをしないのも、ロクな女じゃないということだ。
 二セ毛唐は近づいてきた。
「ハゲ、とん馬……」阿Qは腹の中だけで罵って来たのだが、今日はムカムカしていたし、仇を討とうとしていたので、思わず口をついて出てしまった。
 このハゲは黄色い漆塗りの棍棒、すなわち阿Qの言うところの「喪主の杖」を振り上げて、大股に近寄って来た。阿Qはこの瞬間、殴られると察知し、急いで筋骨を緊張させ、首をひっこめた。果たして、パンと一声。頭上に一発食らったようだ。
「ハゲはあいつのことだよ」阿Qはそばにいた子供を指して弁解した。
 パンパンパン!
阿Qの記憶では生涯2番目の屈辱だった。が、パンパンと音がした後は、一件落着したような気になり、すっきりした。更に「忘却」という先祖伝来の宝刀も功を奏して、ゆっくり歩いて酒店の入り口に着いたころには、もういい気持になっていた。
 向こうから、静修庵の若い尼がやってきた。阿Qは普段、彼女を見ると必ず唾を吐いて罵ってきたのだが、さっき屈辱を受けたことを思い出し、敵愾心を燃やした。
「今日はどうしてこんなに運が悪いのかと思ったら、お前に会ったせいだ」と思い、近づいて行って、大声で、「ハー、ペッ」と唾を吐きかけた。若い尼は全く取り合わず、頭を下げて、そうそうに立ち去ろうとした。阿Qは更に近づいて行き、手を伸ばして剃ったばかりの頭を触ってオツム てんてんとやった。(関西で散髪直後にするのと同じ、厄除けのまじない的風習が紹興にあると、前書きに触れた何信恩氏の解説に依る)
「かわいい おつむちゃん。早く帰りな。和尚さんが待ってるぜ」
「どうして触るの?」尼は顔を真っ赤にして、急いで去ろうとした。
 酒店の客は大笑い。阿Qは自分の立てた勲功が称賛を博したと知り、一段と愉快になり、
「和尚ならいいけど、俺じゃだめか」と、尼の頬を触った。
酒店の連中はまた大喜び、阿Qは得意満面、観客を満足せしめんと、もう一回つまんでから放した。
 この一戦で王のことはとっくに忘れ、二セ毛唐のことも完全に忘れ、今日の不運のすべての仇を晴らした気になり、妙なことにパンパンと叩かれた時より、全身が軽快になり
飄々と舞い上がるような気分だった。
 
「子無し、跡無し阿Qの馬鹿!」
遠くから尼の泣き声まじりの罵声が聞こえた。
「はっ はっ は」阿Qは得意げに笑った。
「ハッ ハッ ハッ」と酒店の連中も和して笑った。
 
第四章 恋愛の悲劇
 世に云う。勝利者は敵が虎や鷹みたいな強敵でないと喜びを感じないと。羊やヒヨコなんかではつまらない。又、勝利者はすべてを平伏した後、死ぬものは死に、降参するものは降参し、「臣は誠に死罪にあたります」という状態になると、敵もいなくなり、自分ひとりになってしまうと、寂しくてやりきれなくて、却って勝利の悲哀さえ感じるものだ。
 しかし我々の阿Qは、そんな心配は無用。永遠に絶好調のようであった。或いはこれが、中国精神文明の世界に冠たるゆえんかも知れない。
 見よ!彼の飄々と舞い上がるごとき上機嫌を。しかるにこの度の勝利は、常とはいささか違ったようだ。半日ほど得意げに浮かれていたが、祠に戻って、いつもなら寝転がってすぐ鼾をかくのだが、この夜はなかなか寝付けなかった。親指と人差し指がなにかおかしかった。ぬるっとした感触で、尼の顔のなにかすべすべしたものが、指にくっついたか、
指先で尼の頬のぬるぬるしたものを撫でたせいか。
 「子無し 跡無し阿Qの馬鹿!」
阿Qの耳に尼の罵声がよみがえった。考えた。そうだ、女をさがさにゃならん。跡無しだと、墓に誰も飯椀を供えて呉れなくなる。女を探さなきゃ!
「不孝に三つあり。跡無しは最大と」そしてまた「若敖(民)の霊は飢える也」などは人生最大の悲しみだ、とその時そう思ったのは、聖なる経書と賢人の教えに合致していたのだが、惜しむらくは、その後「其の放逸を収めることができなかった」のである。
「和尚ならいいが、…… 女 女 女」と彼は思った。 
 この夜阿Qは何時頃まで寝付けなかったか知らない。多分このときから指先がぬるぬるして、それでこの時から、飄々として… 「女、女……」が欲しくなった。
 このことから、我々は女が人を害するものだということを知る。中国の男は本来、大半は聖賢になれる素地があるのだが、惜しいかな、すべて女によって芽を摘まれてしまう。
商は妲己によって亡び、周は褒姒にめちゃくちゃにされ、秦は…史書には記されてないが、女にといっても必ずしも間違ってはいない。そして董卓は確かに貂蝉に害されて死んだ。
 阿Qも本来、正人君子であって、誰の教えを受けたか詳らかではないが、これまで、彼が「男女の別」を厳格に守ってきて、異端を排す、――たとえば尼とか二セ毛唐とか― 
という正気を持ち合わせている男であった。彼の学説は、凡そ尼というものは、必ず和尚と私通しており、女が一人で出歩いているのは、必ず情夫を誘い込もうとしているのであり、男と女が二人して語らっているのは、必ずあいびきである。彼(女)らを懲らしめるために、常に目を光らせ、大声で「この不心得者め」と罵ったり、人の通らないところでは、うしろから石を投げたりした。
 彼も早、而立になろうとしているのに、若い尼に害されて飄々としてしまった。この飄々とした気分は、礼教から言えば、「あってはならない」ことである。従って女とはまさに憎むべき存在であり、尼の頬がすべすべしていなければ、阿Qも蠱惑されることにはならなかっただろう。また尼が顔に布をかぶっておれば、阿Qといえども、女に惑わされるような羽目に陥らなくて済んだのに。5、6年前、劇場の人ごみの中で、女の太腿に触れたことがある。が、布一枚隔てていたので、その時はなんら飄々然と舞い上がる気分にはならなかった。が、若い尼はちがう。これこそ異端は憎みて余りある証と言えよう。
「女……」阿Qは欲しいと思った。
彼は「必ずや情夫を誘わんとしている」とおぼしき女を、注意して探してみたが、女の方から彼に微笑みかけるものはいなかった。自分に話しかけてくる女の話しを、よく注意して聞いていたが、女の方から誘うような話を持ちかけてはこなかった。おお、これは女の憎むべき点で、彼女たちはすべて「まじめなふり」を装っているのだ。
 この日、阿Qは趙旦那の家で、米つきをし、晩飯後、台所で煙草を吸っていた。別の家だと、晩飯後は帰っていいのだが、趙家では晩飯が早いのと、普段は灯をつけないで、食後はすぐ寝るのだが、たまに例外があり、一:趙旦那が秀才になる前のころは、灯をともして読書するのを許した。二:阿Qが仕事をするときは、灯をつけて米をつくのを許した。この例外のおかげで、阿Qは米つきの前に、台所の床几に坐って一服できた。
呉媽は趙家のただ一人の女中で、皿を洗い終え、床几に坐って、阿Qと世間話をしていた。
「奥様は二日もお食事をお食べにならないのよ。旦那様が若い妾をお買いになったので…」
「女  呉媽……この年若い未亡人……」阿Qは欲しくなった。
「若奥様には8月にお子さんが生まれるっていうのに」
「女……」阿Qは欲しくてたまらなくなった。
阿Qはキセルを置くや、立ち上がった。
「若奥様はねえ……」呉媽は、なにやら言っていた。
「俺と寝て呉れ。お前と寝たい」阿Qは突然彼女に近づき、彼女の前にひざまずいた。
 一瞬、静寂がおそった。
「あれーえ」呉媽は息をはずませ、突然ぶるぶると震えだし、大声で叫んで、外に逃げていった。泣きながら、大声でわめきながら。
 阿Qは壁に向かって、ひざまずいたまま震えていたが、誰もいなくなった床几に両手をつき、ゆっくりと立ち上がった。まずいことになったな、とぼんやり感じながら、おろおろして、あたふたとキセルを腰にさし、米つき場に行こうとした。そのとき、ポンと一声、頭上で音がした。振り向くと、あの秀才が長い天秤竹竿を手に、目の前に立っていた。
「お前!造反するのか、この野郎!」
長い竹竿は彼をめがけて振り下ろされた。阿Qは両手で頭を抱えたが、指の関節に当たり、とても痛かった。台所から飛び出したが、背後からもう一発くらったようだ。
「忘八蛋(ワンパ‐タン、馬鹿野郎)!」秀才は後ろから北京官話で罵声を浴びせた。
 阿Qは米つき場に逃れしばし坐っていたが、指がとても痛かったし、「忘八蛋」という罵声の文句が耳にこたえた。この罵声は未荘の田舎では使わない。専らお役所の金持ち連中のもので、特に恐ろしく響くし、印象もとても強烈だ。
 ただ、もうこの時には、「女…」が欲しい、という気持ちはなくなっていた。更には、叩かれ罵られた後には、一件落着という感じで、もう何の心配も無くなったように感じ、米つきを始めた。つきだして暫くすると暑くなり、手を休めて服を脱いだ。
 服を脱いだら、外がなにか賑やかになり、阿Qは平素から賑やかなのが好きで、野次馬根性で、声のする方へ近づいて行った。声はどうやら庭の方からで、黄昏だったが、多くの人の顔はまだ判別できた。趙一族では、この二日間、絶食中の奥様がいたし、その隣は鄒七おばさん、本当の同族の趙白眼、趙司晨もいた。
 若奥様が呉媽を連れて、女中部屋から出て来て、「さあ外に来て、自分の部屋に閉じこもったりしないで……」と促した。
「お前がふしだらな女じゃないことは誰でも知っているよ。…早まったことおしでないよ」鄒七おばさんも傍らから言った。
呉媽はただ泣くばかり、何か話しているのだが、何を言っているのか分からなかった。
阿Qは「ふん、面白い。この若後家、いったい何を騒いでいるのだ」と思い、わけを聞いてみようと、趙司晨のそばに近づいた。このとき、旦那が彼の方に来るのを見た。そして手には竹竿を握っている。この竹竿を目にするや、猛然、自分が殴られたことを思い出し、この騒ぎと関係があることを悟った。すぐ身を翻し、米つき場に戻ろうとしたが、竹竿に阻まれ、また身を翻して走りに走って、門の外に逃れて、祠に帰った。
 阿Qはしばらく坐り込んでいたが、鳥肌が立つほどぞくぞくっとしてきた。春とはいえ、夜は余寒がきびしく、裸では過せない。服を趙家に置いてきたのを思い出したが、取りに行くには秀才の竹竿が怖かった。そうこうするうち、地保が入ってきた。
「阿Q、この野郎!趙家の女中に手を出しよって、全く、造反する気か!俺の安眠まで妨害しよって、このヤロー」
くどくど訓戒を垂れ、阿Qは何も口応えできず黙っていたが、しまいに夜も更けてきたので、地保に酒代として倍の四百文払わされることになったが、現金が無いので、毡帽をかたに取られた。その揚句、次の五項目をのまされることになった。
一.明日、紅燭 重さ一斤のものを一対、香一封を趙府に、贖罪として届ける。
二.趙府で道士を招き、首つり厄除けのお祓いをするが、その費用は阿Qが負担。
三.阿Qは今後、趙府の敷居をまたぐことを禁ず。
四.呉媽に向後、不測のことがあれば、阿Qが責めを負う。
五.阿Qは工賃と服の請求権を放棄する。
阿Qはやむなく受諾したが、金がない。幸いもう春だから、当面不要な布団を質に入れ、二千文で五項目を履行した。裸で、頭を地につけて謝った後、何文かは残ったので、かたに取られた毡帽は受け出さず、すべて酒に費消した。
只、趙府では香も燭も使わず、奥様が仏事の時に使うので、それまで取っておかれた。あの服も大半は若奥様が8月に生む赤子のムツキになり、残りのボロは、呉媽の布靴の靴底になった。
 
  第五章 生計問題
阿Qは謝罪後、祠に戻り、日が沈むと、世の中がだんだんおかしくなってきたなと感じだした。よく考えてみて分かった。その原因は自分の裸にある。まだ袷があったことを思い出し、それをひっかけて横になった。
眼が覚めると、太陽はもう西壁の上を照らしていた。起き上がって、「畜生め!」と声に出した。起きて町をほっつきだした。裸のときのような肌のひりひりする痛みはなくなったが、世の中がなにかおかしな雲行きになっているように感じた。この日以来、未荘の女たちは、全員はずかしがり屋になったようで、阿Qを見ると、さっと門の中に身を隠す。50に手の届きそうな鄒七おばさんも、一緒に身を隠した。さらには11歳の女の子まで中に呼び込んだ。奇妙なことになったわいと思い、「ここの女も急に、小姐みたいなそぶりを習い始めたか。この娼婦め……」
だが、世間がどうもおかしいと感じだしたのは、それから数日後のことだった。まず酒店がツケを拒否した。次に祠の管理のジジイがくだらんことを言いにきて、出て行けという。三つ目は、もう何日間か覚えてないが、ずいぶん長い間、誰も仕事を頼みに来なくなった。ツケがきかないのはしょうがないとしよう。ジジイの件は、うるさいと一喝して済んだが、仕事がこなくては腹が減る。まったくどうしようも無いことになってしまった。
阿Qは耐えられなくなり、以前雇ってくれた家に頼みに行った。趙府の敷居は跨げなかったが、他の家もどうもおかしい。男が出て来て、うるさそうな顔で、乞食を追い払うように、手を振って「仕事は無い! 出て行け!」
阿Qは妙に感じた。彼らはこれまで結構忙しかったはずなのに、今になって、なぜ仕事が無くなったのだ。きっとこれには訳があるに違いない。注意して聞いてみたら小Donにさせているようだ。この小Dはちびで、やせこけて、力も無い。阿Qからすれば、王胡の下だ。なんと奴が俺の飯のタネを取ってゆきやがった。阿Qの怒りは尋常ではなかった。怒り心頭に発して、手を振りかざして、「ハガネのムチでお前を叩きのめしてやる」と劇の一節をうなった。数日後、銭府の目隠し壁の前で、小Dにばったり出会った。「このヤロー、ここで会ったが百年目」と阿Qはとびかかって行き、小Dも立ち止まった。
「こん畜生」阿Qは睨みつけながら、唾を吐いて、罵った。
「おいら、虫けらさ。これでいいだろ……」と小Dは言った。
この卑下が、却って阿Qの怒りを爆発させた。が、ハガネのムチは持っていなかったので、素手で殴りかかって小Dの辮髪をつかもうとした。小Dは片手で自分の辮髪を守りながら、もう一方の手で、阿Qの辮髪を、つかもうとした。阿Qも片手で自分の辮髪の根元を押さえた。以前の阿Qなら小Dなど歯牙にもかけなかった。だがこの時は、腹が減っているのと、痩せて力がでず、小Dとどっこい どっこい、勢力均衡の状況で、四本の手で二つの辮髪をつかみあい、二人とも腰を曲げ、銭府の壁に、藍色の虹の形を映して、半時ほど過ぎた。
「好了、まあまあ」と見物人は言った。止めに入るような口ぶりだった。
「好、ハオ」見物人は口ぐちに「好」(いいぞやれ! と、まあその辺での両意:訳者注)と声をかけたが、もうやめろ、と言っているのか、面白がっているのか、扇動しているのかわけがわからなかった。しかし、二人は止めない。阿Qが三歩進むと、小Dは三歩退き、そこで踏みとどまる。小Dが三歩出ると、阿Qが下がる。半時間ほどして(未荘には当時まだ時報が無かったので、二十分位だったかもしれぬ)頭から湯気、顔からは大汗が出、阿Qが手を放すと同時に小Dも手を放した。背を伸ばして、後ずさりして、人垣から出て行った。
「覚えてやがれ!こん畜生。……」阿Qは少し遠ざかってから罵った。
「このヤロー、お前こそ覚えとけ」小Dも同じ遠吠えで応じた。
この「龍虎の闘」は勝敗がつかず、見物人も満足したかどうか知らない。その後、何の議論も呼び起こさなかった。が、依然として阿Qには誰も仕事を頼みに来なかった。
だいぶ暖かくなったある日、微風は夏も近いと思わせたが、阿Qはなぜかゾクッと寒気がした。これはまあ何とかしのげるが、一番困るのは腹が減ってたまらない。布団、毡帽、服はとっくに無い。ボロの綿入れも売ってしまった。残るはズボンのみ。こればかりは脱ぐわけにはゆかない。ボロの袷は残っているが、これはもう布靴の底地にしかならない、換金の値打ちもない。
それで、どこか道端に銭が落ちてやしましかと注意して見てまわったが、何も見つからない。自分の部屋で見つかるかもしれないと、部屋中さがしたが、何もあるわけがない。遂に腹を決めて、「求食(食のための職探し)」に出た。歩きながら、なじみの酒店やマントウ屋の前を通ったが、店頭に立ち止まりもせず、頼もうという気にもならなかった。自分が求めているのは、こんな類の仕事ではない。といって、自分が何を求めているのか、自分でもよくわからなかった。
未荘は小さな鎮で、しばらくすると外に出てしまった。多くは水田で、目の前に田植えしたばかりの柔らかな緑がひろがり、動いている丸くて黒い点は農夫だった。阿Qはこうした農家の田園の楽しみには、ほとんど興味がわかなかった。それでまた歩き続けた。これと彼の「求食」の道がはるかに隔たっていることを、直感的に感じていた。そうこうしているうちに、彼はとうとう、静修庵の壁の所にやってきた。
庵の周囲も水田で、壁は新緑の中に立っていた。後ろの低い土塀の中は菜園だった。阿Qは逡巡しながら、周りを見て、誰もいないのを確認し、低い塀によじ登り、ツルドクダミを引っ張った。土がパラパラと落ち、阿Qの足もぶるぶる震えたが、やっと桑の木をつたって、中に跳び下りた。中は一面青々と茂っていた。が、老酒やマントウのような食物は無いようだ。西の所は竹やぶで、筍がたくさん生えているが、煮えていないので食べられない。油菜も実がなってるし、芥菜も開花しているし、白菜もトウが立っている。
阿Qは文童が落第したときのように、いわれもない屈折を感じ、ゆっくりと門の方に行くと、大根があった。しゃがみ込んで、スポッと抜くと、門からまん丸の尼の頭がヌッと顔を出し、すぐ引っ込んだ。あの尼だ、尼くらいなら、阿Qにとっては、塵芥にすぎなかったが、ものごとは一歩退いて考えねばならぬ。そこで、大急ぎで四本抜くと、青菜をひねって、懐に入れた。と同時に、年かさの尼が現れた。
「阿弥陀仏。阿Q!なぜ菜園の大根を取るの?犯罪よ。ああ 阿弥陀仏」
「俺がいつ大根取った?」阿Qは周りを注意して見ながら、逃げの態勢で応えた。
「今とったそれは何?」尼は、ふところを指して言った。
「これがお前のだって?これにお前のだって、言わせられるかい?お前のだって」
阿Qは言い終わる前に、一目散に逃げ出した。追っかけて来たのは太った黒犬。この犬はもともと、前門にいたはずだが、どうして後門に来たのか。黒犬は吠えながら、阿Qを追っかけてきて、腿に噛みつきそうになったが、ふところからぽろっと落ちた大根に驚き、足を止めた。そのすきに阿Qは桑の木によじ登り、土塀をまたいで、大根もろとも塀の外に出た。残った犬は桑の木に向かって吠え、尼は念仏を唱えていた。
阿Qは尼が黒犬を外まで追いかけさせはしまいかと、急いで大根を拾って逃げた。道中で小石を拾ったが、犬はこなかった。阿Qは石を捨て、歩きながら大根を食べた、歩きながら考えた。ここじゃ何も無いから、城内に行ってみるか。三本食べ終わったころには、城内に行くことに決していた。

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