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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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香港返還20周年

 今から20年前の1997年7月1日、英国最後の香港総督パッテンが、香港島の英国海軍基地から小艇に乗り込んで、沖合に待つ英国王室差し回しの大型ヨット客船ブリタニア号に乗船する姿が全世界に報じられた。その光景は、香港の英国支配の終焉を告げる象徴的ものとして、今でもくっきりと私の脳裏に刻まれている。
 返還後、北京政府は、「港人治港(香港人によって香港を治める)」というスローガンを掲げつつ、大陸と香港は「一国二制度」だと唱えてきた。が、実際は香港の行政上の首長はいずれも北京政府が指名した、あやつり人形のような人物ばかりである。
 これに対し、去年、雨傘運動という民主化要求運動が激化するとともに、香港の首長には香港人が選挙で選んだ人物を認めるべし、という要求が強まり、北京政府もこれには大いに手こずり、押さえ込むことはできなかった。
 先日テレビが、香港の若者の間で、大学受験の苦しさを訴え、自殺するものが増えている、と報じていた。その背景には、香港とは比べものにならないくらい厳しい受験競争に揉まれた大陸の若者が、大挙して香港にやって来て、香港大学等のエリート校に多数合格するので、香港の受験生には大学が非常に狭き門になっている状況がある、とのことであった。
 一流大学に入学し、卒業後は一流企業や香港行政府の上級役人となって香港のエリートを目指す若者が、将来に不安を感じ、悲嘆して自殺するのは、分かる気がする。
 しかし、この現象を別の角度から考えてみると、こういうことが言えないだろうか。つまり、これは、北京政府が一見「一国二制度」を遵守しているように見せながら、その実この制度をうまく活用して、できるだけ多くの大陸出身の受験生にエリート校へ入学させ、卒業後は彼らを企業や官界での幹部に就け、徐々に香港を大陸色に染めていこうとするものではないか。
 私は、ラマ僧や若者を中心とするデモ暴動後の2008年4月、ラサを訪問した。その時に現地の漢族の人に聞いた話を思い出す。チベット行政府や国有企業の管理職には、内地の職位より月4000から5000元も高いチベット僻地手当が支給されており、それを目当てに内地から優秀な漢族の若者が大量にラサに移り住んでいる、という。これは、つまり、漢族による実質的なチベット支配といえるだろう。香港もチベットも構図としては同じなのだ。
 これから30年後の香港返還50周年までには、大陸出身者のエリートが行政府の高官や企業のトップに就き、彼らが新香港人となって香港社会を牛耳り、「港人治港」が実現できた、と北京政府は自賛するのではなかろうか。
 雨傘運動の影響が、内地の大都会に飛び火して、民主化要求や反政府の運動の熱波が押し寄せさせないようにするのが、北京政府の第一目的である。
2017.07.09作成
2017.07.15投稿

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