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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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馬上支日記

 数日前、小峰に会った。話が半農の編集する副刊に「馬上日記」を投稿予定だということに及んだ時、彼はがっかりした様子で、回想は「旧事重提」(後に
「朝花夕拾」に改題)に書き、現在の雑感はその日記に書くのか…、と言った。
言外の意味は「語絲」(雑誌)には何を書くの?と言っているようだ。これは、私の心配性かもしれぬ。そのときひそかに思った:フグを平気で食べるような所で育った私が、なぜこんなことにくよくよするのか?政党は支部を作り、銀行は支店を開く。私が支日記を書いていけないという理屈はない。「語絲」にも何か書かねば。それですぐ実行に移し、支日記とする。
 
  629日晴。
 朝ハエが顔の上をはい回るので目が覚めた。追い払うがすぐまた戻って来る。そして元の所にとまる。叩こうとしたが死なないので、あきらめて起床した。
 一昨年の夏、S州にとまった時、旅館のハエの群れにはほとほと往生した。
食事を運んでくると、それを追いかけて来、まずは彼らが賞味する:夜は部屋中にとまっているので、寝る時もそおっと静かに頭を枕に乗せなければならない。もしゴロンと音など立てようものなら、ハエどもが驚いてブーンブーンと飛び回る。頭はクラクラ、目はくらみ、一敗地にまみれる。夜明けには、青年たちの希望の夜明けが来ると、飛んできて顔にとまる。
 だが、街を歩いて子供の寝ているのをみると、56匹のハエが顔の上を這いまわっているが、熟睡したままで皮膚もぴくりとも動かさない。中国で生きてゆくにはこうした訓練と涵養の工夫が不可欠であると思った。何とか云う名のハエ取り運動を鼓吹するのもいいが、こうした本領を会得するのが切実だ。
(当時は貧しい子供たちに金でハエ取りの競争をさせていた:出版社注)
 何もする気になれぬ。胃がまだ本調子でなく、睡眠不足のせいか。相変わらず所在なく反故をめくっていると、ふと「茶香室叢鈔」的なものが目にとまった。丸めて屑かごに入れてみたが、棄てるにしのびなく「水滸伝」関係のものを択び、書き写すとしよう――。
4頭の虎を退治する話。鴨は何匹かの雄と交尾しないと有精卵を産まない話。
宋江の物語など、割愛する。埋め草の感無きにしも非ず。胃痛、寝不足?)
 
71
 午前、空六(エスペラント語教務主任)が来談:すべて新聞に載っていることの真偽のほどは判らぬ、云々と。だいぶ長いこと居て帰ったが彼と話したことは殆ど忘れたから、話さなかったに等しい。ただひとつ覚えているのは:
呉佩孚大帥がさる宴席で発表した話によると、赤化の始祖を調べた結果それは
蚩尤(シユー)だと判明した(蚩尤は古代伝説の酋長で黄帝に涿鹿の野で戦い殺された:出版社注);  「蚩」と「赤」は同音だから蚩尤は「赤尤」で
「蚩尤」は「赤化した尤」の意:話しが終わると一同は「欣然」となった由。
(民族の始祖、黄帝が蚩尤を退治したのは赤狩りの始めという意味)
 
 太陽が照りつけ、鉢の草花がしおれそうになっているので水をやった。田おばさん(女中)が水は決まった時間にやらないと植物がだめになると言う。それもそうかなとためらったが、又考え直し、決まった時間に水やりをする者はいないし、私もそんなことはしていない。もし彼女の説が正しければ、小さな草花は枯れ死してしまう。たとえ時間通りでなくとも水やりしないよりましだし、たとえ有害でも枯れ死よりいい。それで水をやり続けたが、心の中はもやもやいていた。午後になって、葉が生気を取り戻した。どうやら害はなかったようで一安心。
 
 電球の下はとても暑いので、夜、暗がりのまま呆けて坐っていると、涼風がかすかに動き少し「欣然」となった。もし「超然象外」(唐詩の一節で、雄渾な風格を指すが、ここでは人生社会を超越する意:出版社注)することができれば新聞や雑誌を読むのも清涼な福を得られるというものだ。新聞雑誌については、私はこれまで博覧家ではないが、ここ半年で心に銘ずべき絶品に会った。
遠くは段祺瑞執政府の「二感篇」、張之江督弁「整頓学風電」、陳源教授の「閑話」、近くは丁文江督弁の自称「書呆子(読書馬鹿)」演説、胡適之博士の米国の義和団賠償金問答、牛栄声先生の「後戻り」論(「現代評論」78期)孫伝芳督軍の劉海粟先生と美術書を論ず。しかしこれらも赤化源流考と比べると、月と
スッポン程の差がある。今春、張之江督弁が電報で赤化の疑いのある学生の銃殺への賛意を表明したが、最終的には自らも赤化から逃げられなくなってしまった。とても奇妙なことだが、今や蚩尤が赤化の始祖だということを知り、その疑問も氷解した。蚩尤はかつて炎帝と戦ったが、炎帝は「赤魁(さきがけ)」 
で、炎は火の徳で火は赤色:帝とは首領の意味ではないか?従って3.18惨事は
すなわち、赤で以て赤を討つということになる。たとえどんな面から論じようとも、やはり赤化の名から脱し逃れることはできない。
 このように巧妙な考証は世の中にはさして多くは無い。以前日本の東京にいたころ、「読売新聞」に連載された大作を見たことがある。そこには黄帝すなわちアブラハンとの考証があり、大意は日本で油のことを「アブラ(Abura)」
と発音し、油の色は黄色で「アブラ」はすなわち「黄」。「帝」に至っては、
「罕」(カン)と形が近いとか、やはり「可汗」の音に近いとか、もう記憶が定かではないが、要するにアブラハンすなわち油帝で、油帝とは黄帝というのみ。
篇名と作者はみな忘れたが、後から本になったが、上巻だけで終った。だが、
この考証はやはりねじ曲げすぎており、つっこんで研究する必要もない。
 
訳者雑感:
 この当時、従来からの陰陽五行説で、何事も裏付けを取ったとして、伝説上の黄帝が赤狩りをして中華を開いたのだから、それを錦の御旗にして赤狩りを実行するという論がまかり通ったのであろう。しかし魯迅が奇妙に思ったのは、
赤化の疑いのある学生を銃殺するのを賛成していた本人が、しばらくすると、今度は別の軍閥から「赤狩り」されてしまうという現象が起こったのだ。
 ロシアでも多数派と少数派、過激派と穏健派などでの内部抗争が起こった。
自分に歯向かう敵を倒すには、何でもいいから何かそれらしき「御旗」が必要で、相手を「ルーブルを貰っている者」「赤」と決めつければそれが立派な大羲になる。だが、しばらくすると同じ論法で別の敵が自分を倒しに来る。
   2010/12/11
 

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