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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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7月6日 晴

 午後、前門外に薬を買いに行く。調合後、お金を払う前にカウンターの前で立ったまま一回分飲んだ。3つの理由のためで、1.1日分飲んでいないから
早く飲まねば 2.間違いないか試飲のため 3.暑くて喉が渇いていたから。
 なんとその場にいた客が怪しみだした。何を怪しんでいるのか分からないが、彼は店員に尋ねている。
「あれはアヘンの禁煙薬かい?」
「いや違います!」店員は私の名誉を守ってくれた。
「今飲んだのはアヘン禁煙の薬?」彼は直接私に聞いてきた。
 もしそれを「アヘン禁煙薬」と認めないと、きっと死んでも死にきれないだろうと思った。
 人生いくばくぞ。固執してもせんないことよと、どちらとも取れるような曖昧に頭を動かし、同時に例の「う、うんう…」と答えた。
 これなら店員の好意を傷つけず、彼の熱い期待を些か慰める妙薬となろう。果たして、それから万籟無声、天下太平、おもむろに瓶の栓をしめ街に出た。
 中央公園(今の中山公園)に着き、約束の閑静な所に向かう。(ドイツ留学の)
寿山はもう来ていた。「小約翰―小さきヨハネ」(長編童話詩)の対訳を始めた。これは良い本で、入手したのは偶然のことであった。約20年前、日本の東京の古本屋で、数十冊のドイツ語の文学雑誌を買ったら、そこにこの本の紹介と作者の評伝があり、その時ドイツ語に翻訳されたばかりだった。面白いと思って、丸善書店に出かけて買って訳そうとしたが、その力は無かった。後に常々訳そうと試みたが、いつも他のことで果たせず、去年になってやっと決心して夏休み中に訳して、広告に載せようとしたが、はからずも夏休みは他の時よりも一層難しくなった。今年また思い出し、広げてみたが疑問点が多く、私の力は及ばなかった。寿山に訊いたら共訳OKとの返事。それですぐ始めてこの夏休み中の完了を約した。(魯迅翻訳集に有り)
 晩に帰宅。少し食べて中庭で夕涼み。女中の田さんが今日午後斜め向かいの誰それの婆さんと嫁が大ケンカをした由。彼女の意見では婆さんも勿論ちょっとは問題あるが、嫁はまったく話にならん、と思うがどうか、と私の意見を求める。まず初めから誰の家のケンカかはっきりと聞いていなかったし、どのような姑と嫁か知らぬし、彼女らが何という積年の恨みつらみを持っているかも知らない。今私に意見を求められても実に何の自信もない。まして私は評論家でもないから、ただ「これは私には何とも言えぬ」と答えた。
 だがこの答えの結果はたいへんまずいことになった。
 暗がりで顔も見えぬとはいえ、耳はよく聞こえる。物音はいっさいせず、ひっそりと死んだように静かだった。後になってもう一人の人が立ち去って行った。
 私も手持無沙汰で、おもむろに立ちあがり、部屋に戻り灯をつけて床に横になって夕刊を見、数行でまた無聊になり、東壁のところで日記を書いた。それが「馬上支日記」だ。
 中庭はだんだんと又談笑の声がし、議論が始まった。
 今日の運はとても良くなかった。人は私がアヘン禁煙薬を飲んだと濡れ衣を着せ、田さんは私を……といった。彼女がなんと言ったか、私はしらない。
だが、明日からはもう二度とこんなことはご免だ。
 
訳者雑感:
 10月の大幅値上げで、禁煙薬の販売が好調らしい。魯迅は前門外の薬局で、
調合した薬をカウンターで立ち飲みしたことを客に「アヘン禁煙薬」をすぐにでも飲まないといけないほどの中毒患者と怪しまれた。アヘン戦争から85年ほど経過した北京で、どれほどアヘン吸引者がいたことだろう。そして何とかアヘンを止めたいと薬を探し求めていた人はどれくらいいたことだろう。
 譚璐美著「阿片の中国史」に1930年前後の中国の軍閥と国民党、共産党などの政治闘争に阿片がからんでくることが出てくる。日本軍も大量の阿片を販売することで、軍資金を調達し、戦費や軍用トンネル工事に充てた。すべて国家予算とか税金からだけの収入では支払いできないような性格の出費に回された。
 軍閥も国民党も日本軍も、自分が前面に出て売るわけにはゆかない。青幇とか、紅幇と呼ばれる黒社会を牛耳る組織に「物」を渡して阿片患者に売らせて、
その上がりを懐にする。この手口はどこの国の組織も似たようなものだ。中国が違うのは、それを国家警察とか地域の自警団組織が結託してやることだ。
 「阿片の中国史」で譚氏が延安時代の共産党も一時阿片を生産していたとの
トップシークレットを漏らしながら、建国後50年から3年で阿片をほぼ撲滅できた秘策も書いている。
 「阿片の害が深刻な四川省の場合、50年に実施した禁煙キャンペーン調査で、
省全体の25%が阿片喫煙者であったと判明した」… 中略…彼女は朝鮮戦争から三反五反運動のすさまじい政治運動の嵐の中で、禁煙キャンペーンよりも実際に大きな力となったのは、「阿片にとって、流通手段の遮断は命取りだ」
として、上記の政治運動中に河川の道、塩の道を中心にして、綿密な輸送ルートが、遮断されたことが致命的だった、と解説する。
 「全国に吹きまくる政治運動の嵐の中で、流通ルートが遮断され、結果的に
阿片市場が消滅してしまった面も大きいのである」という。
そして阿片収入に頼った「青幇」のネットワークも壊滅した。…と。
日本でも、もし煙草の流通が遮断されたら、自分で煙草の葉を植えるとかして
密造しない限り吸えないわけだから、喫煙者は激減するであろう。JTが煙草の
販売から撤退し、政府の税収は無くなるし、自販機会社も倒産しよう。
 今も重慶とか中国各地で、警察副所長がそうした黒社会のボスであったという事実が白日のもとに晒されて、新聞に載っても、一般の中国人は怪しからんとは思い、罵るけれども、極あたりまえのできごとのようにみなしている。
警察の副所長という役職は、そういうことをするために(金で)手に入れたものだ、ということも知っている。
 最近は公的機関が淫売婦の呼称を「失足婦女」と改めたと報道されている。
「失足」という言葉はなじみがないので辞書をみたら、
① 歩行中、不注意で転ぶこと
② 重大な間違いを犯し、堕落した人を指す。例「失足少年」(不良青年?)
かつて日本でトルコをヘルスとかサウナにしたようなもので、どこかから文句が出たのだろうが実態は変わらない。
 いずれにしても、公的機関がその存在を認め、その呼称を改めたというのは、公的機関のしかるべきポストにいる人間たちが、それの経営者か経営そのものに関わりを持っていることを暗示しているように取れる。
 80年代にできた「巴山夜雨」という映画で、文化大革命後、農民の娘が重慶から船に乗せられて、遠くの金持ちの年寄りの男のところに売られていく情景をみて、同船の老婆の口から出た言葉は「旧社会に戻ってしまった」であった。
 老婆の口から出た「旧社会」とは、戦前のことだろうが、21世紀の社会も旧社会に似てきたようだ。
 2010/12/21
 

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