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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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馬上日記 6月25日晴


 病。――今頃書くのは余計なことのようだ。というのも発病は十日前で、今はだいぶ良くなった。が余波は続いており、これを日記の書き始めとする。才子の言に従い、三大苦難を挙げると:一に窮乏、二に病気、三に社会的迫害と言う。その結果、愛する人を失い、専門用語では失恋となる。私の書き出しは二に近いが、実はさにあらず。端午の節句前、原稿料が入り暴食したので、消化不良で胃が痛みだしたため。私の胃は運勢(生年月日の干支で占う:出版社注)的に良くなく、これまでも具合が悪い。医者に診てもらおうとした。漢方医は玄妙極りなしというし、内科は良いとは言うが、私は信じない。西洋医は有名な医者は診察料が高く、忙しいから見立てもいい加減。無名な医者は安いがちょっとためらう。事情がこうであれば胃病はそのまま放って置くほかない。
 西洋医が梁啓超の腰の手術(失敗)後、非難ごうごうで腰に関する研究など何もしたことの無い文学家まで「義によってひと言」発した。それと同時に「漢方医は素晴らしい」論もこの動きに応じて起こった。腰の病ならなぜ黄蓍(シ)
を服さないのか?何とか病なら鹿茸を服用すべきだ、と。ただ、西洋医の病院からしょっちゅう死体が運び出されるのも確かだ。かつてG先生に忠告したことがある:病院を開くなら、回復の見込みの無い病人は入院させないようにと:
治って退院する人は誰も気にしない。死んで担がれて出ると、すぐ広まる。特に有名人は尚更だ。私の本意は何とか(西洋の)新医学を広めようとすることから発しているのだが、G先生は私の良心が腐っているように感じたらしい。もちろんそう考えるのがいけないというのではないから、彼の好きなように任せよう。
ただ、私は私の説を実行している病院は大変多いと思う。彼らの本意は新医学を推進しようというところにはない。この国の新しい西洋医はまだ大抵模糊としていて、その原因は一つにはまず漢方医と同じく江湖の秘訣を学び、和水の龍胆丁幾両日份八角:嗽用(うがい)の淡硼酸水、一瓶一元てな具合。診断学
については私ごとき門外漢には判らぬ。要するに、西洋医学は中国ではまだ
萌芽せぬうちに腐敗に近づいているということだ。私は西洋医しか信じないが、近頃それすらもとみに退歩してしまった。
 数日前、季茀(許寿裳)とそんな話になり、私の病については、知人に処方箋を書いてもらえば、何も博士に頼んで余計な出費することも無い、という。
翌日、彼が目下研究中のDr.Hに診てもらう手筈をしてくれた。処方を貰い、当然のことながら、稀塩酸にもう二種、ここに書くまでも無い:私が一番有難かったのはSirup Simpelを添加して甘く飲みやすい。薬局で配合してもらうのだが、又もや問題発生。薬局もいい加減で、無い薬は他の薬に代替するか割愛かという。結果、Fraulein.H(許広平女士)に託して遠くの大きい薬局まで足を運んでもらう仕儀となった。
 かくして(人力)車代を足しても病院の薬代より4分の3も安くなった。
 胃酸は外来の援軍を得て強くなり、一瓶飲み終わらぬ内に痛みは止んだ。数日飲むことにしたが、第二瓶は奇妙で、同じ薬局、同じ処方だが薬味が違う:
前のように甘くないし酸っぱくも無い。自己検診したら発熱も無く、舌苔も厚くない。明らかに薬水が疑わしい。二回飲んだが悪いところは無い:幸い急病でもなく大したことも無いのでそのまま飲み終えた。第三瓶を買いに行った時、少し厳重に質問したら、糖分を少なくしたとの答え。その意味は、大事な薬そのものは間違いないとのこと。中国の事情は誠に稀奇で、糖分が少なくなり甘さが減っただけでなく、酸味も無くなった。確かに「特別の国情」に違いない。(袁世凱が帝政に復古しようとした時の、米人顧問の同意の言)
 現在、病人に冷酷だと大病院を非難する人が多いのは、病人を研究対象にしているからだと思う。大概はその通りで、院内の「高等華人」は病人を下等な研究対象としているのが多い。行きたくなければ、私人の経営する病院に行くしかないが、診察料と薬代はとても高い。知人に処方してもらい買薬すると薬水が前後で違ってくる。
 これは人の問題。仕事の仕方がいい加減だと、何でも疑うことになる。呂端
(宋代の宰相)は、大事は決しておろそかにしないが、小事は多少のことは目をつぶる、というのは我々中国人の雅量を示すに足るが、我が胃病はそのために長引いてしまった。宇宙の森羅万象中、我が胃病など小事に過ぎぬし、問題にもならぬことだろう。
 質問後の第三瓶の味は第一瓶と同じだったので、悩みは解消した。即ち、あの第二瓶には一日分の薬に、2日分の水が入っていたので、味も本来のものに比べ半分薄かったためだ。
 薬にも苦労したが、病は良くなった。略快癒したが、Hは髪が伸びたと攻め、
なぜ早く床屋に行かないのかという。この種の攻撃は聞きなれているので、「反論する勿れ」だが、仕事をする気にもなれず、引き出しを整理した。反故をめくっていると、紙束があり、数年前に書き写したもので:これを眺めて私は日一日と怠け癖がついてきたと思った。今ではとうにこうしたことをしようと思わなくなってしまった。当時はデタラメな標点の多い文章の印刷物を批判攻撃しようとしていた。反故の中にとても奇妙なのが多くあった。屑かごに放ろうとしたが、幾つかは棄てるに忍びぬので、ここに書き写してすぐ印刷し、ともにみてみることにしよう。その他はマッチとの交換の足しにしよう。
 (数例の句読点の付け方の差に依って、文章が出鱈目になることの例示だが
日本人にはそのウイットというか鑑賞は困難な面があり、割愛する。魯迅の意図は口語文普及のため、古文が句読点の打ち方ひとつでもとんでも無い状態だと言う事を示すことにあったと訳者は推測する。カネオクレタノムの類)
 
訳者雑感:
 魯迅の西洋医院を開こうとするGさんへの「忠告」が気になる。
「回復の見込みの無い病人は受け入れないように」という忠告の本意は西洋の医学を広めようとすることから発している、と魯迅は記す。
病気が治癒して退院していく患者が多くても誰も知らないし、気にもしない。
一方毎日死者が担がれて行く光景は、それを見た市民がそれみたことか、西洋医もたいしたことは無いと陰口する。(当時は自動車もなく、大抵は戸板にのせられて出てゆく。訳者が北京の新僑飯店に駐在していた1980年代でも、その前の大病院にはリヤカーの上に戸板をのせて病人を運んでいた。)
 魯迅は「父の病」という作品で、長年の主治医から別の有名な医者を推薦するから、自分は手を引く、と引導を渡されてしまう場面がある。もちろんいろいろ手を尽くしてくれたのだが、最期のところは、自分の手から放したい。それが自分の医者としての外聞、世間体に密接に関わって来る。
 魯迅がGさんに、回復の見込みの無い患者は受け入れぬこと、というのは
とても冷酷なようだが、Gさんの病院が毎日死者を出してしまうようだと、新医学を庶民に広めるための逆効果にしかならぬことを気づかったのだ。
 しかし彼は、魯迅の気づかいをおかしなことを言う者だと、取りあわない。
治る見込みの無さそうな重病人を治すことが医だと堅い信念に裏打ちされたものか、或いはそれが病院経営の収入基盤だと考えてのことか。
 
2007年、大連の住まいの隣にも大病院があり、朝6時ごろ花火の音が数発する。毎日ではないがほぼ隔日で、目が覚める。
運動会でもお祭りでもないのになぜかと訝った。
事情を知る人に聞くと、病院で大往生した死者への家族からの花向けとして花火が打ち上げられるのだそうだ。本人の長い闘病生活を家族が支えてきた。それが終るのだ。冥土への送り火であり、それを天に知らせるのだ。
 周恩来が亡くなったとき、中南海で爆竹が鳴らされた。それは毛沢東がそうしたのだと伝えられた。何人かの中国観察者は、それは毛沢東が周恩来の死を喜んだからだ、と解説していた。
大連の病院の死者への花向けとの解釈に従うと、どうなるであろうか。
  2010/12/07
 

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