忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

馬上日記(下馬前の)予序

本文を書く前の序を予序と言う。
 日記を書くのは、自分が後に見るため:世の中、こういう日記を書く人は少なくない。その人が有名になれば、死後出版され:読む人も格別の興を持つ。書いた時は「内感篇」外冒篇(段祺瑞の発表した文への風刺:出版社注)のように恰好をつけることはしないので、ほんとの面目が見られるからだ。これが日記の正統派と思う。
 私の日記はそうじゃない。記すのは来信往来、金銭出納で、真面目も出てこぬし、更には嘘もまことも無い。例えば22日晴れ。Aより来信:B来訪。
33日雨。C校の給与X元受領。Dに返信。一行で終る。しかし他に記事がある場合、紙が惜しいので前日の余白に書く。要するにあてにならぬ。が、Bの来訪が21日か2日かはたいした事ではなく、書かなくても良いと思う。実際書かないのも多い。誰からの来信かを書く目的は返信の為で、いつ返事したか、特に学校の給与は何年何月の分を何割貰ったか、こまごまとしたもの、しっかり覚えておけないのを、チェックの為に記帳せねば、二つともあいまいにせず、債権がどれだけあり、将来もし全額回収したら、どれほどの小富翁になれるか知りたいためで、それ以外、何の野心も無い。
 吾同郷の李慈銘先生は日記に著述し、上は朝廷への文に始まり、中は学問のこと、下は罵詈雑言まで記録した。果たせるから現在その手迹を石印し、一部五十元で売り出した。が、こうした情勢では学生は言うまでも無く、先生方もとても買えまい。その日記に書いてあるのだが、彼が一函に装丁するごとに、人が借りに来て写しが広まった由。まさしくこれは遠い将来の「死後」を待つ必要もない。これは日記の本流ではないが、志ある人が何か書こうとし、褒貶の気持ちがあり、人に知ってもらいたいと思う一方、人に知られたくないなら、これを真似るのも悪くは無い。何かちょっと口語を書いて、百年後に発表する本の中に入れるなどは、まことに間の抜けた話だ。(2025年に発表するという論敵への風刺)
 この日記は(段祺瑞の文のように)「厚く望む」というようなものでもなく、
上述のような簡単なものでもなく、今はまだ書いてないが、これから書こうとするものだ。45日前、半農に会ったら「世界日報」の副刊を編集するので何か寄稿せよ、という。それはいいのだが、何を書くか?これが難しい。副刊の読者は学生が多く、皆経験もあり、「学びて時にこれを習う亦楽しからずや」とか「人心古議ならず」など、文章を書くことの味を十分知っている。人は私を
「文学家」と言うが、決してそうではない。彼らの話を信じないでほしい。その証拠に私は文章を書くのが最も怖いのだ。
 しかし承諾した以上、何か考えねば。いろいろ考えたが、偶にちょっと感じたことを、平素は怠けてすぐ書かないでおくと忘れてしまう。もし馬上(すぐ)に書くと雑感みたいになる。それで決めた:思い到ったらすぐ書きとめ、すぐ寄稿する。それを私の出勤簿としよう。これはまず第三者に見せるための準備だから、多分本当の真面目とは限らず、少なくとも己に不利なことは蔵して置こう。この点、読者の了解を願う。
 もし何も書けなければ直ぐやめにする。だからこの日記はいつまで続くか判らない。    26625日 東壁の下で。
 訳者雑感:
 訳者が大連にいたころ、「馬上(マーシャン)」を自らのあだ名として、皆からとても親しまれた人がいた。彼はとてもマージャンが好きで、誘われたら決して断らない。しかし自ら設営したりするようなことはしなかった。中国の人たちからも慕われ、よく三人で一人足りないからと、中国人の仲間の中にも
入って打っていた。
 日本の会社は大抵5時まできっちり仕事をするのだが、大連の人たちは2時でも3時でも、なに気にすることなく始めていた。多分4時か5時ころにその内の一人に用ができて、一人足りなくなると、彼の携帯に電話がかかって来る。
 その時彼は5時まで会社から出られないので、相手への返事は「馬上」「馬上」
と連呼することになる。彼の方も仕事より楽しいに決まっているから、その発音がマーシャンなのかマージャンなのか聞き分けできないくらいになる。
 日本でこの馬上を使うのが上手いのは「蕎麦屋の出前」だろうか。注文受けた客から、催促の電話。「はいただいますぐ参ります」は正直な方だが、それが
10分か20分か待つ方にはとても長い。
 もう一つ葡萄の美酒夜光の杯 飲まんと欲すれば、琵琶の後の「馬上催」だ。
この馬上は 琵琶を弾く人が馬の上に乗っているという解釈と、出陣の催促の
「馬上マーシャン」という解釈。訳者はどちらが詩としての趣があるかについて、いろいろ考えたことがある。馬上の琵琶か、琵琶が馬上、馬上と促すのか。
冒頭に戻って、マーシャンマージャンではないが、馬上の琵琶が、この調べが終わったら、出陣だよと告げているのだろうか。行軍は熱い日中を避けて、夜行が多かったのだろうか。詩の作者は実際には出陣した訳ではなく、当時流行した辺塞詩のメロディに詩をつけたともいわれている。いろいろ解釈できるのが唐詩の面白さだろう。
 ヴィエトナム戦争のころ流行した反戦歌の中にも、明日月曜になれば戦場行きの船に乗らねばならない、というフレーズが出てくる。最後の日曜の夜に、この歌を聞きながら、「馬上」乗船せよとの船長の命令が、出征兵士の望郷の念、
平和に葡萄酒を飲める世界からの離愁をかきたてる。古来征戦幾人回。
    2010/12/05

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R