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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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1921年  知識は罪

 私はもともと平凡で小さな酒店で雑事をし、安穏に暮らしていたのだが、不幸にも字を覚え、新文化運動の影響を受け、知識欲に目覚めてしまった。
 当時田舎にいて、豚や羊をとても可哀そうに感じた。辛くとも牛や馬のように何かの役に立てば、食用だけに飼育されることから免れるだろうに。だが豚羊は、ぼやっとしているだけで、一生を糊塗し、現状に満足し、なにもしようとしない。だから知識は必要だと思った。
 それで私は北京に来て、師について知識を求めた。地球は丸く、元素は70余、XYZなど、初めて聞くことは難しかったが、人はこれを知らねばならないと思った。
 ある日新聞を見て、私の信念は打ち砕かれた。虚無哲学者の「知識は罪で、盗品也…」という記述で、当時虚無哲学は大変権威があり、それが知識は罪だ、という。私の知識はたいしたことは無いが、知識には違いなく、このため、私は穴に落ち込んでしまった。それで師に教えをこうた。師は言った。「お前は勉強をなまけようとしてそんな出鱈目をいうのかね。戻って勉強しなさい!」私は「師は月謝を貪ろうとしている。知識はやはり無い方が良い、ということが脳裏から去らなかった。すぐには放り出せぬので、一刻も早く忘れよう」と思った。
 だが、遅かった。その夜私は死んでしまった。夜半、私は宿舎のベッドに横たわっていると、二つのものが現れた。一つは「活無常」もう一つは「死有分」。
(この2つはあの世への案内人:訳者注、「朝花夕拾」の「無常」参照)
私は何の違和感も無かった。彼らは城隍廟の塑像と同じだった。しかし彼らの後ろにいる二つの怪物に私は驚いて声を失った。それは牛頭馬面ではなく、羊面豚頭だ!そこで悟った。牛馬は聡明だから罪を得て、これらに変えられたのだ。このことで、知識が罪だと悟った。私の夢が終わらぬうちに、豚頭は口で私を突きあげ、あっというまに冥土に転げ落ちた。しばらくすると(紙製の)車馬が(死者供養のため)焼かれた。
 冥土に行った先輩の多くの話では、冥土の大門には扁額と対聯があるというが、注意してみたが何もなかった。ホールに閻魔様がいたが、なんと隣居の大富豪、朱朗翁だった。金は冥土には持って行けないはずだし、死ねば穢れの無い幽霊鬼になるそうだが、どんな手を使って大官になったのかしらん。とても質素な愛国布の龍袍を着て、その龍顔は生前よりふくよかだ。
「お前は知識があるか?」朗翁は表情のない顔で問う。
「ありません…」と虚無哲学者のことを思い出しながら答えた。
「無いというのは、ある証拠だ。連れてゆけ!」
 私は冥土の論理も実に奇怪なり、と思った。それで羊の角に小突かれて、閻魔殿から転げ落ちた。それは城池で、中は青レンガと碧の門の部屋があり、門の上にはセメント製の二匹の獅子、門外に一枚の看板がかかりこの世なら、それぞれの役所に56枚掛っているのに、ここは1枚のみ。それで冥土の土地が広大だということが分かる。この刹那、鋼の刺す叉を手にした豚頭の夜叉に鼻で小突かれて建物の中に入れられた。外の牌額に「豆油の滑り地獄」とあり、中は果てしなく平坦で、白豆の桐油が一面にまかれていて、無数の人がその上で滑って転んでは立ちあがりを繰り返している。私も立てつづけ様12回ほど転び、頭にたくさんのこぶを作った。だが入り口で坐ったり、寝転んでいる者もおり、起き上がろうともしない。油でべたべただが、こぶの有るのは一人もいない。私がわけを聞いても、目を開いたまま口は開かぬ。彼らは耳が聞こえないのか、話が通じないのか、話したくないのか、話すことも無いのか、どうしてかしらん。
 そこで私は転びながら前に進み、コロコロ転んでいる人に聞いた。その一人が答えて曰く「ここが即ち知識を罰する所さ。知識は罪、盗品だからさ。我々はまだ軽い方さ。シャバにいたころどうしてもう少し昏迷にしてなかったのかと悔む…」彼はハーハー息を切らしながら断続的に答えた。
「今からバカになれば」
「もう遅い」
「西洋医は人を昏睡させる薬があるから、注射してもらえば?」
「だめだ。そんな医薬の知識があるから、ここで転ぶのさ。それに針もないし」
「ではモルヒネ専門の、余り知識のない人を尋ねてみよう」
 この話をしているとき、私はすでに数百回も転んだ。それで失望し、それ以上もう注意もしなくなったとき、白豆の油の希薄な地面に頭をぶつけた。地面は硬く、ドスンとひどい転び方だったので、そのまま昏倒してしまった。
 おお!自由!私は忽然、平地の上にいて、後ろはあの城。前は宿舎だ。私はそのままやみくもに歩き、私の妻子はもう上京していると思い、彼らは私の屍を囲んで泣いていると思った。私は自分の棺の所へ行き、まっすぐに坐りなおした。彼らはびっくりした。あとから丁寧に説明してやっと分かってくれた。
とても喜んで大声で叫んだ。貴方はまだこの世にいる。ああお天道様、ありがとう。
 私はこうしてとりとめのないことを考えていたら突然生き返った。
 私の妻子は身辺にはいず、卓上に灯りがひとつ。私は宿舎で眠っていたようだ。隣の学生は劇場から戻り、気持ち良さそうに「先帝はーあーうーあー♪」をうなっているところからすると、もうだいぶ夜は更けたようだ。
こうして、この世に戻ってもとても静かで、まったくこの世に戻ったように感じず、さきほども死んだのではなかったようだ。
もし死んでいなかったら、朱朗翁も閻魔にはなっていないのだろう。
 この問題を解くのに知識を使うのは罪だから、やはり感情を使って、解くとしよう。               19211023
     2010.107
訳者雑感:
 魯迅の作品にはあの世との交信がたびたび出てくる。唐代伝奇物語とかの
伝統が受け継がれているのだろう。文字を知るのが苦の始まり。漢字というこの画数の多い四角い字は、ローマ字を覚えるのとは、どこか違う脳細胞を使わねばならないのかも知れない。造語力という点では誠に豊かなものがあるが。
あるレベルに達するまでには、大変な苦労がいる。それを使いこなせるように
なるには、罪作りな仕業をして、人から大量に「知識」を盗まねばならない。
「月謝」はその対価か。
 夢の話は、欧州の作家か、夏目漱石の作品などの影響もあろうか。
 
 

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