欧洲大戦終了直後、中国は多くの希望を抱いていた。だが今では悲観絶望
がそれを砕き「世の人道はすたれた」「人道などまやかしだ」と叫ぶ。
評論家は外国の論者が自責の念を述べた文章を引用し、所謂文明人は野蛮人より野蛮なことを証明した、と非難。
これは誠に痛快な話だが、それでは我々の意見として、どうすれば人道主義と言えるのかとの問いに対する答えは大方は「治外法権の撤廃」「租界の回収」
「義和団の賠償金(元利合計10億両39年分割払い)の返還」……だが、今やすべて渺茫となり、実に人道にもとっている状態である。
また、「我々中国人の人道はどうか?」との問いに、答えは「……」。
人道に対する答えがただ「……」の人には決して人道は降りてこない。人道は各人の懸命な努力で培い育て、保護して初めて得られるのであり、決して他人からの施しや援助で得られるものではない。
しかし本当の人道に近いことを説く人はまだまだ少ない。説けば犯罪者扱いされる。それで上っ面だけのことを言うのすら、進歩したとも言えるのだ。
今回は実にひどい戦争だったが、「食肉寝皮(相手の肉を食らい、剥いだ皮の上で寝る)」はしなかったし、「相手国を破壊し尽くす」こともしないで、18の新しい小国を興した。ドイツのベルギー侵略行為が残虐極まりないといえども、ベルギーの公告を見れば、捕虜に食糧を与えず、村長が殴打され、平民が前線に送られたくらいで、こんなことは我中国では、自国民に対しても常に起こっていたことで、奇とするに足りない。
人類はまだまだ成長しきれておらず、人道も当然のことながら成長しきれていないが、あちらでは発展成長している。我々が良心に問うてみて、同じように成長していると感じれば、なんら心配することはない。将来きっと同じ道を歩むことになろう。見よ!彼らは軍国主義に勝利し、彼らの評論家は自責の念を持ち、多くの不満を抱えている。不満こそは向上の車輪で、自己満足に陥らない人類を乗せることができ、人道に向かって前進する。
自己満足しない人の多い種族は、永遠に前進し、永遠に希望がある。
人のことばかり責め、反省を知らない人の多い種族は、禍なるかな。禍なるかな! 2010/09/30訳
訳者雑感:欧州には社会に対する不満をはっきり表明し、自分たちの犯した罪に対する自責の念の強い人たちがいる。一方の中国では、不満というよりは、
不平を口にする人は多いが、現状に満足して生きているだけの人が多いし、自責という概念は少ない。自分で自分の過去を反省するというのは、自主的でなく、上から強制された形でしかありえなかった。文革中に起こった所謂「自己批判」(中国語では自我検討という)では、自分ではそう認めてないし、断じて
認めたくもないのに、それをしないと殺される、辺境送り、身分剥奪という脅しに屈してしか、自分を批判してこなかった。検討という中国語は批判と翻訳されるが、殆ど否定に近い。
多くの大衆の前で、自責の念にかられて、罪を告白するなど、漢民族の長い歴史伝統からして、「自主的に」など絶対にしてはならないと考えられてきた。
従って、当時の所謂文革派はそうした人々を罵る時、「決して悔い改めることのない反動派、腐敗分子!」という罵詈雑言で、頭から批判否定した。相手を責めるのは大得意だが、自責する謙虚さからは甚だ遠いものがその底にある。
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