豪語の割引 葦 索
豪語の割引とは文学上の事で、
凡そ作者の自述などは何割か割引かねばならぬ。
憐れむべきとか無用だけれど等の自白すら「二語は無い」ではない。
況や豪語をや。
仙才李太白は豪語がとてもうまいのは御存じの通り:
指の爪を長く伸ばし、痩骨柴のごとき鬼才李長吉も、
「若耶渓に水剣を求め、明朝帰って猿公に事(つかえん)」と言うも、
全く自らの力量を知りもせずに、刺客に学ぼうとするものだ。
これはゼロに値引かねばならぬ。その証拠は結局現場には行かなかったから。
南宋のとき、国が艱難に陥り、陸放翁は慷慨党の一人だった。
彼は「老子は猶絶大な漠に堪えたるに、諸君はいずくんぞ新亭を泣くに至る」
と言ったが、実は彼もそこに行っていないから、これもゼロにせねばならぬ。
ただ私の手元に詩書が無いから、
引用に間違いがあるかしれず、まず値引いておく。
実は豪語を故意に使う癖は、文人だけではなく、常人や仲買人にもよくある。
街中でケンカしているのを見ると、「俺の負けだ!」というのをよく聞く。
これは伍子胥と同じで、「今に見てみろ、仇は返すぞ」との誓いである。
だが総じてそうすることができぬことも多い。
インテリは多分別の陰謀を使うかもしれないが、荒っぽい人はケンカの結果、
口先だけで心からでは無いことを言って、聞く方も意にかなわぬが、
ケンカの手じまいとしての一種の儀式になっている。
旧小説家も早くからこの局面を見破っていて、
淫売娼婦が別の相手との争いを描くには、例によって相手が男を盗んだと罵った後、
自から序して「私や、拳上に立つ人間、腕上を走る馬…」
それがどうした?(水滸の潘金蓮のセリフ:出版社)
と言って、相手がそれを割引くに任す。
彼は相手がそんないい加減なことはしないことを十分信じておりながら、
やはりこう言って、それは丁度偽の売薬の包装紙に必ずあるように、
「世間さまを欺く下心あれば、落雷で焼死すべし」と同じことだ。
これも一種の儀式となっている。
然し時勢が変わってきて、自らすぐ割引くのもでてきた。
例えば広告で、次のようなのを目にする。
「私は決して名を変えたり、姓を改めたりしない」と言うから、
「七侠五義」の中の人物を見たように敬意を起こさせるが、
その舌の乾かぬ内に、「たとえ時には他の筆名を使うとしても、
発表した文にはすべて責任を負う」と言いだし、
体をひとひねりすると、土行孫の様に姿を隠す。
まさか「他の筆名を使った方が良いか?」止むを得ないからか。
上海は元はといえば中国の一部で、もちろん孔子の教化を受けた。
商店のカウンターの「掛け値無し」の金看板も、
時に店外の「大安売り」の大旗と互いに輝き映じあうが、
総じて言えば、それには理由があり:
国産品愛用の提唱でなければ、開店記念なのだ。
だから店の方で大安売りだといっても、やはり満足できぬなら、
凡そ「老上海」(人)は、さらに値引きせよと要求せねばならぬ。
8月4日
訳者雑感;
ここで言う「豪語」とは「大風呂敷」とか「誇大宣伝」「大ボラふき」
の意味だろう。
30年代の文学作品にもこうした「自分では、やれもしないこと」
を青年たちに鼓舞するように騒ぎ立てたものが多かったのだ。
その先例として、李長吉とか陸放翁などの詩を挙げている。
金に攻められて国がめちゃめちゃにされた南宋時代、
陸放翁は慷慨の詩をたくさん作り、北伐して金を倒し、国土を回復せよと、
繰り返しくりかえし訴えた。
しかし魯迅はそれを「ゼロ」とした。
自分では行ってもいない、行く事すらできぬ所のことを書いて、何になるのだ。
というのが、彼の評価軸だろう。
文学も商店の値札同様、「老上海」なら自分の気の済むまで、
値引き交渉せねばならぬ。
2012/06/09雨の朝、訳
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