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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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我々は児童教育にどう取り組むか?

我々は児童教育にどう取り組むか?  旅 隼
 (1933年8月14日「申報」の投稿で)「孔乙已」を読んで、
中国の児童教育はこれまでどうだったか考えた。
 今は色々な教科書があるが、村塾ではまだ「三字経」や「百家姓」だ。
清末には「天子は英豪を重んじ、文章は汝らを教える。
万般はみな下等で、惟読書だけが高等だ」(「神童詩」)を使って、
「読書人」の栄光を誇張した人たちがいた:
またある人たちが学んだのは、「混沌始めて開け、乾坤始めて奠(さだまり)、
軽くて清いものは上に浮き天となり、
重くて濁れるものは下で凝固して地となる」(「幼学瓊林」)のごとく、
古文の紋切調で内容の無いものを教えていた。それ以前は知らないが、
聞くところでは、唐末宋初は「大公家教」を使っていた由。
その本も長いこと失われていたが、後に敦煌石窟から発見された。
漢代には「急就篇」の類が使われた。
 所謂「教科書」といっても、この30年どれ程変わったか知らない。
ある日突然ああ言ったかと思うと、今日はこうだとなり、明日は別の主張が出る。
教育を施さねばそれですむが、一旦「教育」を施すとなると、
学校から多くの矛盾衝突を抱えた人間を社会に出すが、古い社会関係の影響で、
一方では依然「混沌初めて開け、乾坤始めて奠(さだまり)」式の骨董品もある。
 中国では作家や「文豪」が求められているが、真正の学究が必要である。
誰かが歴史を書いて、中国暦来の児童教育の状況をまとめて明確な記録とし、
古人から現在にいたるまで、どのように薫陶されてきたかを明らかにしたら、
その功徳は禹(彼は虫にすぎなかったと言う人もいるが:出版社:顧頡剛の言)
に劣ることはないだろう。
「自由談」の投稿者は古今に博通しているから、この件の適任者がいると思う。
これに取り組んで見ようという人はいないだろうか?
今私はこのことを提起するが、蓋し知るは易く、行うは難し、である。
ただ思いついたことを書いただけだ。
その力のある人が、これに取り組んでくれるのを切望する。
           8月14日
 
訳者雑感:
 今、中国の児童教育はどうなっているのだろうか。
各地の新華書店は5-6階のスペースの1フロアーを小中学生向けの学習書で埋める。
たいへん魅力的なカラー刷り、絵写真いりの児童向けの本であふれている。
手に取ってみて、日本のものより豪華で多面的とすら感じる。
だが、内容的にはやはり今も「三字経」「千字文」「唐詩三百首」などの古典が圧倒的だ。
親たちもこうした昔からの伝統的古典的な「教科書」を読ませるのが、
有名大学への「最短の道」だと信じているかの様だ。
 現代の科挙といわれる「大学入試」。
もちろん自然科学、社会科学も大きなウエートを占めるが、
漢字を駆使して、立派な文章を書くことができるのがその出発点だ。
そのためには、二千年以上に亘って蓄積され、
伝承されて来た「古文古典」の字句を暗唱するほどに詰め込まねばならない、
というのが漢字文明を誇る中国の児童達の重荷でもある。
 西欧でもラテンギリシャの古典を学ばねば、紳士とはいえない時代があったが、
その重荷は中国に比べれば、比較的軽いかと思われる。
 温家宝首相など理系を出た人たちの演説のあちこちに古典の引用がちりばめられ、
それが聞く人の心に届く。
そういう古典を引用できるまでにならないと、首相は務まらないお国柄なのだ。
     2012/06/13訳
 
 

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