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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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秋夜の漫歩

秋夜の漫歩    游 光
 秋が来たが暑さは夏のままで、灯が太陽に代わる頃、漫歩する。
危険じゃないか?危険は人を緊張させ、緊張で自分の生命力を感じる。
危険の中での漫歩はとてもすばらしい。
 租界もまだ悠閑なところもあり、住宅地は特に良い。
しかし中等華人の巣窟は暑くてかなわぬ。屋台の食べ物屋、胡弓、麻雀、
蓄音器の音、ゴミ桶や裸の上半身と太もも。
漫歩に良いのは高等華人や無等洋人の住居の門の外で、広い道、緑の並木、
淡色のカーテン、涼風、月光、そして犬の鳴く声も聞こえる。
 私は農村で育ったので、犬の鳴く声が好きだ。
深夜、遠吠えを聞くと心が和らぐし、古人の所謂「犬声、豹の如し」がそれだ。
偶々知らぬ村外で、一声狂った如く鳴き叫び、大きな猟犬が跳びでてくると、
すごく緊張し、闘いに臨むがごとく、どきどきする。
 残念ながら、ここで鳴くのは狆である。
おじけづいたような耳障りな声で、キャンキャンと鳴く。この鳴き声は嫌いだ。
 漫歩しながら、冷笑をあびせる。私は狆を黙らせる方法を知っている。
奴の主人の門衛と二言三言話しをするか、肉骨も一本与えることだ。
そうするのは簡単だが、私はそうしない。
 奴は常にキャンキャン鳴く。
私は嫌いだ。
漫歩しながらムカっとし、石を握って冷笑を収めるや、
それを投げる。うまく彼の鼻梁に命中した。
 ううーと一声あげて、逃げて行った。
漫歩し、漫歩する。非常に得難い静寂の中を。
 秋は来た。が、私はやはり漫歩をつづけている。
鳴く犬はまだいるが、さらに怖じ気づき、声も以前とは異なり、
距離もだいぶ離れているので、鼻も見えない。
 私はもう冷笑もせず、ムカっともしないで漫歩する。
一方で、奴のとても弱弱しげな声を気持ちよく聞く。
        8月14日
 
訳者雑感:1966年頃、京都の下鴨出雲路橋のほとりに住んでいたころ、
6月のいまごろになると夜の十時を過ぎても家の北側にあった田んぼから、
蛙の鳴き声が良く聞こえた。市電の通る下鴨通りと鴨川に挟まれた住宅地で、
私はD大学を退官した人の家に下宿していた。
2軒北に今西錦司さんの庭の大きな家があった。
その蛙の鳴く声を耳にしながら、受験勉強していたころを思い出す。
京に田舎ありで、小学校に入る前に田舎の祖父の家で聞いて以来の蛙の合唱だった。
 
さて魯迅の作品に登場する狆は、彼の論敵の子分達を象徴している。
ここでは高等華人の家の狆だが、彼は農村で普段あまり通らない村外の道で、
突然巨大な猟犬が跳びだしてきたときのドキドキ感と租界の狆とを比べている。
狆を黙らせる方法は知っているが、彼はそれをしない。
門衛と親しそうに話すとか、肉骨で手なずけようとはしない。
そこいらにある石を拾いあげて、奴めがけて投げつける。
これが彼の狆を黙らせる方法だ。
妥協したり、手なずけたりしない。
租界の夜はかっさらいやかどわかしなど危険と隣り合わせだが、彼は漫歩した。
中等華人の住む喧騒とした巣窟も歩いたことだろう。
1980年頃、プラント交渉が中断し、何もすることが無くなったので、
私も旧フランス租界から豫園にかけてせっせと歩いた。
当時まだ背中にカゴを背負って、右手に「つかみ」を持ち、
換金できそうな紙やめぼしいものを拾って回る人たちが結構いた。
戦前住んでいた人から聞いた話だが、当時は同じ格好で路上の糞を、
拾い集めて生計を立てていた人もいたそうだ。犬のだけではない。
漢字はどう書くのか知らぬが、「タオフェル」というのが職名だった由。
                2012/06/12訳
 
 

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