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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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大観園の人材

大観園の人材
 かつて、大観園の大切りは、劉老老山門を罵るであった。
老女形が登場し、老いてなお盛んに「放屁」し、
ズボンの後を突き抜けて後止む、のであった。
 当時身に寸鉄も帯びず、或いは既に武器を差し出した者を指して、
「殺せ、殺せ」との叫び声は、なんと勇壮であったことよ。
だから、彼女――男が扮した老婆も一個の人材に数えられた。
 然し今は、だいぶ違って来て、刀を振り上げ、
「自由、自由、自由」を、「XXを開放せよ」と口々に叫ぶ。
大切りの出し物も換えなければならなくなった。
 そこで人材が輩出し、巧妙さは違うが、
登場するのは老女形でなく、
若い女形で、月並のではなく、上海風の広告にいう「道化女形」で、
これは特殊な役者で、彼(彼女)は媚笑がうまく、
泣きわめいては情に訴え、
シャレた罵りもこなし、軽薄な会話もできる。
要するに色っぽい女形が、
若い道化を兼ねるわけで、この時代が生んだ英雄(「美人」の方がいいか)、
或いは、美人が長年、閲暦してきた結果なのだろうか。
 美人が「長年に」とは、沢山の男を閲暦してきた徐娘で(汪兆銘を指す)
彼女はとっくに妓女からやり手婆に昇格し:だが女の艶姿はなお残ってい、
人も売るけれど、自分自身も売る。
自分を売るのは容易で、人を売るのはちょっと難しい。
今、身に寸鉄を帯びぬ人だけでなく、更にはもっと別の……があり、
ましてや又や目に余る露骨な強奸にあってしまったのだから。
こうした非常事態に対応するには、異常な才能がなければダメだ。
今の大切りの芝居は、戦場で和すに似ていて、戦っては和し、
投降もせず守りもしないが、それでいて投降し守りもするから、
何と演じにくい芝居に相違ない。
 その気がありそうでなさそうな、そのあどけなさは上手く演じられぬ。
孟子曰く:「天下以て人に与ふは易し」だが、
あっさりと両の手で「天下」を捧げて「人に与える」のは、
さほど難しいことではない。ただ問題はそうはできぬことだ。
従って、涙を流し,鼻水を垂らして哭し、狡猾に声を震わせ、
苦悩を訴えながら:
私が火中に入らねば誰が入るだろうか、とすごむ。
 娼妓は自から火に落ちたと言い、誰かに助けて貰おうとするが:
やり手は火の中に向かって泣きわめくが、
彼女を信じるとは限らない。
ましてや彼女は次のように宣言しているのだから:
私は胸を開き、全ての人と一緒に火の中に入ろうと思う。
 この新らしい大切りの喜劇は悪くはないが、上出来とも言えない。
たとえ無い知恵を絞ってみても考え付かない代物だ。
 老女形が登場し、道化は退場した。
大観園の人材はとても多様だ!
    4月24日
訳者雑感:
 本篇は日本に抵抗するでもなく、和平をするでもない汪兆銘の芝居を、
大観園という「紅楼夢」の劇中の花園に見立てて、カモフラージュしながら、
当時の国民党政府を風刺しているのだろう。
   2013/01/19記
 
 
 
 
 

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