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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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魯迅の手紙1億円で落札

22日の日経夕刊が、魯迅の短い手紙が1億円で北京のオークションで落札されたと報じている。
陶亢徳という当時の著名な編集者宛ての220字の手紙で、香港のテレビの映像では1枚の用紙に
縦書きで10行前後の短いもので、コメンテイターは1字50万円(香港ドルで)相当だと言い、
最近陳独秀などの手紙もオークションにかけられて、手紙のオークションが熱門(ほっと)になってきていると伝えている。北京上海などに彼の博物館があり、彼の手稿の毛筆の手紙などが展示されていたり、その写真を本にして出版されているが、どうして220字の手紙にこんな値がついたのだろうか?教科書から魯迅の作品が消えてしまうという流れの中でどういうことだろうか?
漱石や鴎外の手紙がオークションにだされてことがあったのだろうか?
ただこの手紙の内容がとても興味深い。
「日本に留学経験のある魯迅が日本語学習について記した内容」で
「日本語を学び、小説を読めるようになるまでに必要な時間と労力は、決して欧州の文字を学ぶのに劣らない」などと書かれているそうだ。
 1902年4月から1909年9月まで7年半、東京ー仙台ー東京で住み、日本語を習得する傍ら、東京でもドイツ語を熱心に学び、ドイツへの留学も計画していた彼が、「日本語学習」について編集者へあてた手紙で、欧州の文字を学ぶのと同じくらいの時間と労力が必要だ、ということは何を意味するものだろう。漢字が同じで日本語経由で大量の欧州文化を取り入れた中国だが、その魯迅にしても、日本語の小説を読めるようになるまで(彼は大量の作品を翻訳しているが)には、ドイツ語の小説を読めるようになるのと同じくらい時間と労力をかけた、というのか。
彼は一方で大量の欧州(おもに被抑圧国だった東欧など)の作品をドイツ語から重訳している。
彼にとっては、ドイツ語のしっかりした文法・概念の方が、あいまいな日本語からよりも翻訳する際は、よく理解でき、早く理解できたのかもしれない。ドイツはおろか、欧州には一度も足を踏み入れていないのにである。
 彼は晩年内山書店の主人に「西郷」の本と、「川柳」の本を頼んでいる。川柳を作ってみようとの考えですか?との問いに、「いやあ川柳が分かるようになるのも大変で、作るなんてとても」
という意味の答えの後、「日本人が私に漢詩を作ったから見てほしい、と言ってくるが…、
正直言って、漢詩を作るのは難しいからおよしなさい、と言ってるのです」という意味のことを
内山さんの本で読んだ記憶がある。(書名失念)
2013.11.23記

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臉譜の憶測

臉譜の憶測
 戯劇について私は全く門外漢である。が、中国戯劇研究の文章は時々読む。近来、中国の戯劇は象徴主義か否か、或いは中国戯劇には象徴手法があるか否かの問題には大変興味がある。
 伯鴻氏(田漢の筆名)が、週刊「戯」第11号(「中華日報」副刊)に、臉譜(隈取面)について、中国戯は時に象徴主義を用い『白面で「奸詐な役」、赤面で「忠勇」、黒面で「威猛」を、藍面で「妖異」、金面で「神霊」を表すなどを認め、実に西洋の白面が「純潔清浄」黒面が「悲哀」赤面が「熱烈」黄金面が「栄光」と「努力」を表すのと全く同じだ』これが即ち「色の象徴」で些か単純で低級ではあるが、という。
 それはどうやらその通りだが、もう少し考えると疑問が出て来る。白面が奸詐、赤面が忠勇というのも、只顔面だけのことで、他の所では、白はかならずしも奸詐の象徴でなく、赤も忠勇を表さない。
 中国の戯劇史についても私は門外漢である。只古い時代(南北朝)の演劇故事は、仮面をつけており、この仮面はだいたいこの俳優の特徴を示さねばならず、一面ではこの俳優の人相の決まりがあったということだけは知っている。古代の仮面と現在の隈取りの関係は、誰もまだ研究していないようだが、もし何らかの関係があれば「白面が奸詐」の類は、多分人物の分類だけで、象徴の方法ではない。
 中国は古来「人相見」を講じるのが好きだが、もちろん現在の「人相占い」とは違い、気色から禍福を占うことはなく、所謂「中に誠あれば、必ず外に出る」ということで、顔の相からその人の善悪を弁別しようとする方法だ。一般人はこういう見方もあり、我々は今でもよく「彼の様子からみて、善人じゃない」という話をよく聞く。この「様子」の具体的表現が魏劇での「臉譜」だ。金持ちはまったく心も胆もなく(無慈悲)只、自私自利のみで、でっぷりと白く太って、何でもやらかす。それで白は奸詐を表す。赤が忠勇を表すのは、関雲長の「面は重棗(なつめ)」の如しから来ている。「重棗」とはいかなる棗化、私は知らぬが、要するにきっと赤いのだろう。
『実際に忠勇な人の考えは単純で、神経衰弱になることはありえず、顔もすぐ赤くなる。もし、彼が永遠に中立でいたいと考える「第三種人」を自称したら、精神的にいつも苦痛を感じざるを免れず、顔の片方は青、もう一方は赤で、ついには明らかに白鼻(道化)になってしまう。(中国伝統劇では道化は鼻を白塗りにする)黒が威猛を表すのは至極平常なことで、年がら年中戦場を疾駆していたら、顔が黒くならないわけが無い。白いクリームを塗った公子はきっと戦闘には行こうとしないだろう』(『 』内は原文では下線付き)
 士君子は常に人々を一門ごとに分類するし、平民も分けるが、この「臉譜」は俳優と観客が共同して徐々に分類図を設定してきたものだが、平民の弁別、感度の力量は士君子のように緻密ではない。況や、古い時代の舞台での演じ方は、ローマと異なり、観客はとても散漫で、表現もはっきり重点を置かぬと、観衆ははっきりと感じることが難しい。かくして、各類の人物の臉譜は誇大化・漫画化しないではおられなくなって、甚だしきは、更に珍奇古怪になり、実際からはるか離れ、象徴手法のようになった。
 臉譜はむろん、自ら本来の意義を持つのだが、私にはどうも象徴手法とは思えず、また舞台構造と観客のほどあいが、古い時代とは異なってくると、それは更にある種の余計なものに過ぎなくなってきて、その存在を扶持する必然性がなくなってきた。しかし、それを更に有意義な遊芸に活用すれば、今でもとても面白いと思う。   10月31日

訳者雑感:臉譜とは京劇の役者の隈取りを指し、京劇の劇場ではもちろん、飛行場の土産売り場でもミニチュアのセットが沢山並んでおり、それを買い求める人が多い。かくいう筆者も少し大きいのを買って眺めて楽しんでいる。
曹操とか諸葛孔明、あるいは関羽などの臉譜は誰でもわかる。それは上記の通りだが、本物の役者の隈取りも寸分たがわず、誰が演じても分かるようになっている。日本でも歌舞伎ではそれを踏襲しているが、映画などでは、日中両国でこの辺の違いが出て来る。
日本でも確かに「明治天皇」は嵐寛寿郎の当たり役で、彼のイメージが強いが、最近の映画では別の俳優が彼の個性を打ち出している。家康でも秀吉でも「役者」「名優」の個性がわかる顔で演じるが、中国映画では、毛沢東なら彼にそっくりの役者が選ばれ、名優が彼の個性を生かした顔で演じることは少ない。
この辺が、中国の臉譜の強い影響がいまだに残っていると言えるだろう。
     2013/11/19記

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運命

運命
 ある日、内山書店で閑談中――内山にしょっちゅう出かけて閑談するのだが、憐れむべき敵対する「文学家」はこれを理由に私に「奸漢」の称号をつけようと懸命であったが、今ではもうそれを堅持しなくなったが――日本の丙午生まれの今年29歳になる女性は、とても不幸な人だということを初めて知った。丙午生まれの女は夫にかつと信じられ、再婚してもまた買ってしまう。更にはその数が5-6人にもなると信じられているので、結婚したくても大変難しい由。これは迷信だが、日本社会にも迷信は本当に多い。
 私は訊ねた:この宿命を取り除く方法はないの?
答えは:ありません。
 それで私は中国の事を考えた。
 多くの外国の中国研究家は、中国人は宿命論者だと言う。運命で決まっているから如何ともしがたい:中国の論者にもまだ何人かこういう人がいる。が、私の知る限り、中国女性には、このように宿命を取り除く方法が無いと言うことはない。「凶運」や「厄運」はあるが、常にその対策を考えていて、それが所謂厄払いで:或いは相克の運命を怖れぬ男と結婚し、彼女の「凶」とか「厄」を制すのだ。仮に一種の運命があり5-6人の夫にかつというのなら、とっくに道士の類が現れて、自ら妙法を知っていると称し、桃の木で5-6人の男を彫り、呪符に描いたりし、この宿命の女といっしょに「婚礼」を行った後、焼いたり埋めたりするのだ。そして本当の夫と結婚すれば、即ち7人目で、もう何も危険がなくなる訳だ。
 中国人は確かに運命を信じているが、この運命は転移させる方法がある。所謂「どうしようもない、お手上げだ」というのも時には別の道を考え――運命を転移する方法である。
これが「運命」だと確信して後、本当に「どうしようもない」となった時、その時はすでに壁にぶつかっていて、或いはまさしく滅亡の際なのだ。運命は中国人にとって、けっして事前の指針ではなく、事後に余計な心配には及ばぬとする(慰めの)解釈である。
 中国人にも勿論迷信があり、また「信じる」ということもあるが、どうも「堅く信じる」というのは少ないようだ。かつては皇帝を最も尊敬していたが、一面では彼を弄ぼうとし、后妃も尊敬したが、一面では彼女を誘惑しようとも考え:神明を畏れ、紙銭を焼いて賄賂となし、厄から逃れようとし、豪傑は敬服するが、彼のために犠牲になるのはいやがった。尊孔の名儒も、一面では佛を拝み、甲を信じる武士は明日、丁を信じる。過去に宗教戦争は無かったし、北魏から唐末の佛・道二教が互いに倒れたり、隆盛になったりしたのは、ただ数人の者が、皇帝の耳元への甘言蜜語のせいであった。風水・呪符・祈祷……こんなにも大きな「運命」もただ何がしかのまとまったお金を供えるか、頭を数回、地面につけるだけで、宿命と大きく異なったものに取り換えることができる――宿命ではないのだ。
 我々の先哲は「定命」もこのように定まってはいないことを知っており、人心を定めるには不足だと知り、彼は言う:これは様々な方法を用いて得られた結果で、真の「定命」で、様々な方法を用いなければならぬ事すら宿命だ、と。但し、一般の人を見る限り、どうもこうは考えていないようだ。
 人が「堅い信念」を持たないで、いろいろ疑うのは良いこととは言えぬ。それは所謂「節操が無い」からだだが、私は運命を信じる中国人で、運命を転移できると信じているのは、楽観的に捉えてよいと思う。だがこれまでのところ、迷信で以て別の迷信に転移するのは、つまるところ何の違いも無い。以後、もし正しい道理を使って実行できれば――科学で以てこの迷信を換えることができれば、宿命論の考えは中国人から離れて行くだろう、
 もし本当にそういう日が来れば、和尚・道士・巫師・占星家・風水先生……の宝座は全て、科学家に譲られることとなり、我々も一年中、神明や幽霊を詣でることも無くなるだろう。   10月23日

訳者雑感:1934年の上海での和尚・道士・巫師・占星家・風水先生……の宝座はどのくらいの数だったのだろう。1949年から暫くしたら、そうした宝座はすべて一掃されたように宣伝されたが、1980年代以降、徐々に復活しているようで、大連から2時間ほど北東にあるお寺に会社から50名くらいで旅行に出かけた時、旅行社の予定に組み込まれていて、全員が目をつぶって、大きな石碑の前に並んで、7-8歩進んで、手をその石碑に伸ばし、それが触れた場所に依って、めいめいが夫々の案内人に御堂に導かれ、そこで占い師を務める坊さんに「人相手相」を見て貰い、それを「良い方向にとり換えるには」xx元の寄進が必要云々と言われ、私は席を立ったが、何割かの中国人はそれを「命」を良くするための方法だとして払っていた。魯迅のいう神明や幽霊への賄賂だろう。
 そういえば、ここ数年で、横浜中華街の歩道に、沢山の人相見が白い布の机を並べ始めた。以前うるさく感じた天津甘栗の押し売りの数に負けぬ程だ。
     2013/11/16記

 

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「面子」について

「面子」について
 「面子」は話しの際中によくでるが、何となく分かっているようで誰も深く考えない。
 近ごろ外国人の口からも時々この言葉を聞くから、彼らもこれを研究しているらしい。彼らにとって、この意味は分かり難いが、中国精神の綱領で、これをしっかり認識すれば、まさに24年前の辮髪をひっつかむのと同じで、全身も引っぱられて動かせるわけだ。
 前清の頃、西洋人が総理衙門(外務省に相当)に権益を要求しに来た際、ちょっと威嚇すれば、大官達は唯々諾々となった由。但し、退出するときは、側門から出された。正門を通させぬは、面子を失うことで:彼らに面子が無ければ、当然中国の面子が立つわけで、優位になれるのだ。これが事実かどうか断定できぬが、この故事は「中外人士」の多くが知っている。
 それで彼らは我々にもっぱら「面子」だけを立ててくれたということではないか、と私は大変訝しく思うのだ。
 が、「面子」とは一体何なのか?考えなければ良いのだが、考え出すと分からなくなる。それはどうやら色々あるようで、一つの身分ごとに一つの「面子」があり、所謂「顔」だ。この「顔」も一本の境界線があり、この線の下に落ちると面子を失い「顔を潰す」とも言う。「顔を潰す」のを怖れぬは「恥知らず」だ。もしもこの線上にあれば「面子がある」或いは「顔が立つ」が、「顔を潰す」というのは、人によって異なり、車夫が道端で虱をひねるのは何でもないが、金持ちの婿が同じことをすると「顔を潰す」ことになる。只車夫も「顔」が無いわけじゃないが、そういう時でも「顔を潰す」とは思わないだけにすぎず、もしも女房に蹴られてころんで泣いたりすると、これは「顔を潰した」ことになる。この「顔を潰す」規律は上等人にも適用できる。こうしてみると「顔を潰す」機会は上等人の方が多いようだが、必ずしもそうとは限らず、車夫が財布を盗んで見つかると、面子を失くすが、上等人が金珠珍宝をこっそりくすねても何ら顔を潰すことにはならないようで、況や「洋行視察」(問題が起きると、こう称して海外に逃れた:現代の汚職官僚と同じか)をして、顔を洗って出直すという良策もある。
 誰もが「面子」を欲しがるのは、もちろん良いことだとも言えるが、「面子」なる者は、実に不思議なものである。9月30日の「電報」のニュースに:上海西部で、大工請負頭の羅立鴻は母の葬儀のために『貸器具店の王樹宝夫婦の協力を頼んだが、来賓がとても多く、準備した白衣が足りなかった。その時丁度有名な王道才、綽名を三喜子というが、葬儀に列席し、白衣を着用しようとして争ったが果たせず、体面を失したと思い、心中に恨みを抱き……徒党数十人を集め、各自鉄棒を手に、ピストルを持っていた者もいたと言い、王樹宝の家人を乱打し、一時双方は激烈な争いとなり頭から血を流し、多くは重傷を受けた。……』白衣は親族の服す者が着る物だが、今必ず「争って着ようとし」「果たせず」親族でもないのは明らかなのに「体面を失した」と思い、こんな大乱闘を引き起こしてしまった。この時はただ普通とは些か異なる「面子を立てる」ためなら、自分がどうなっても全く構わないとの考えのようだ。こうした感情は「紳商も発露するを免れず:袁世凱は帝と称しようとした時、ある人は名を勧進表に列することで「面子が保てる」として:ある国(日本)が青島から撤兵する際に、ある人は万民傘(旧時、地方官の離任の際、民衆が儀仗傘を送り、そこに全ての贈呈者の姓名を記して「愛戴」していた事を示した:出版社注)に名前を列するのを「面子を保った」と考えた。
 従って「面子」も必ずしも良いこととは限らない。――ただ、人は「恥知らず」になるべきだと言っているわけじゃない。今、話をするのは難しいし、もし「孝を非とする」ことを主張するなら、人はすぐ貴方に父母を殴れと扇動するのかというだろうし、男女平等を主張すれば、人は貴方が乱交を提唱していると言うから――こういう声明を出して置く事が欠かせない。
 況や、「面子を立てる」ことと「恥知らず」は実際にも分け難い時がある。笑い話にあるでしょう。
 ある紳士は金と勢力があり、仮に四大人とすると、人はみな彼と話ができることを光栄に思う。ここに一人の見栄っ張りの小痩三が、ある日うれしそうに人に語って:「四大人が私に声をかけてくれた!」という。人は問うた「何て言ったの?」答えて曰く:「私が門前に立っていたら四大人が現れて、私に:出て行け!と言った」と。これは笑い話で、この男の「無恥ぶり」を形容しているが、彼自身は「面子が立った」と思っている。こんな人が増えれば、それも本当に「面子が立った」ことになる。他の多くの人に対して四大人は「出ていけ」とすら言わないじゃないか?
 上海で「外国のハムを食う(蹴られる)」のは「面子が立つ」とは言わないが「顔を潰す」のでもなく、自国の下等人に蹴られるより「面子が立つ」に近いようだ。
 中国人が「面子」を大事にするのは良いが、この「面子」は「圓機話法」(臨機応変)で変化にうまく対応すると「無恥」と混同し始めるようになった。長谷川如是閑は「盗泉」を説いて曰く:「古(いにしえ)の君子は、その名を改め之を飲む」とは、「今の君子」の「面子」の秘密の実態を喝破している。   10月4日

訳者雑感:「孝を非とする」とは親孝行を否定せよ、ということ。文革中は紅衛兵の中学生に対して、親が反動的なら、親を革命委員会なる組織に訴えて、審判・処罰するような指導が行われた。実際に親を訴えて、処刑されたことを今なお悔み、死ぬまで苦しんでいる中国人がテレビなどで苦衷を告白している。
 面子と無恥は紙一重の差で、中国人だけでなく、日本人も面子のために、大切なものを失っている。先日も民主党の中野氏が1年前の野田首相の解散に対して「野田氏は自分の面子のために解散した」と恨み骨髄で非難していた。解散と引き換えに合意した筈だった国会改革などは、うっちゃられたままである。相手は面子より実を獲ったわけだ。
 太子党の御曹司に、泥鰌の野田氏は顔を潰された。3年後、どうなっているだろう?
      2013/11/15記

 

 

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「目には目を」

「目には目を」
 杜衡氏は『最近「新本を読むは旧書を読むに如かず」の心』により、シェークスピアの「カエサル伝」を再読した。この一読は大変大きな意義があり、結果として彼が旧書を読んで書いた新文章が世に出た:「シェークスピア劇カエサル伝で表現された群衆」だ。(「文芸風景」創刊号)
 この本は杜衡氏が「2カ月かけて翻訳した」物で、非常に丹念に読まれたと思う。彼曰く:『この劇でシェークスピアは2人の英雄――カエサルと…ブルータスを描いている。……そしてもう2人の政治家(扇動家)を創造し、――陰険で卑劣なカシウスと表面的には明らかに感覚麻痺状態なアントニウスを』但し、最後の勝利はアントニウスのもので、『アントニウスの勝利は明らかに群衆の力に依った』それで更に明らかなことは、たとえ「甚だしきは群衆がこの劇の無形の主要部分だと言っても、言いすぎではない」
 しかしこの「無形の主要部分」とは一体何者だ?杜衡氏は事を叙し、文章を引用し、終わりにしている――結論ではないが、これは作者の言いたくない事だが――と述べて――『こうした多くの場所で、シェークスピアはいつも群衆を一個の力として描いている:が、この力は単なる盲目的暴力に過ぎぬ。彼らは理性が無く、明確な利害観念が無い:彼らの感情は完全に数人の扇動家に制御されている。…むろん我々は軽率にこれが群衆の本質だと肯定できぬが、もしわれわれがこれは偉大な劇作家が群衆をこの様に見ているというなら、多分何ら間違ってはいないだろう。この見方は、私は作者が多くの群衆の理性と感情を、他のある種の方法で以て友だちを判断するという罪なことをしていることでわかる。私なら、実を言えば、これらの問題に対する判断は、今なお私の能力を超えており、敢えて妄言しかねる。…』
杜氏は文学家だから、この文章は極めて立派で、謙虚だ。もし「あのくそったれ群衆は、盲目だ!」とでも言ったら、たとえ「理性」に基づいていても、表現の荒っぽさによって、反感を招こう:今「この偉大な劇作家」シェークスピア老先輩が「群衆をこの様に見ている」としたら貴方はどう思うだろう?「巽語の言、いかで悦びなからんや」少なくとも遠慮して、頭をかきながら、もし貴方がシェークスピア劇「カエサル伝」を翻訳或いは精読していなかったら、――この判断は更に「私の能力を超えている」というしかない。
それで我々はみな無責任に単にシェークスピア劇を講じるだけである。シェークスピア劇は確かに偉大で、単に杜氏が紹介した数点のみについても、すでに文芸と政治は関係が無いとする高論を打ち破った。群衆は一つの力だが「この力は単に盲目的暴力にすぎぬ。彼らには理性が無く、明確な利害観念は無い」シェークスピアの表現によれば、少なくとも「民治」という金看板を粉々に踏みつぶしたのであり、況やその他については?
即ち、目の前の杜氏をしてもこれらの問題を判断できなくさせている。一冊の「カエサル伝」はたとえ政治論としてみても、極めて力がある。
しかし杜氏は却ってまた、このことのために、作者に代わって手に汗をして「作者は大大的に多くの群衆の理性と感情を、他の方法で以て友だちを判断するという罪なことをしていると心配する。無論杜氏はこれを気づいており、彼はこの一人の「カエサル伝」で以て彼に智恵を与えてくれた作者のことを愛惜している。しかしそうした「友だち」を肯定的に判断しても、まだ事実をしっかり顧みていない事は免れぬ。それは今単に施蟄存氏が、すでにソ連のシェークスピア劇の「醜態」を観ただけでなく(「現代」9月号)「資本論」にも常々、シェークスピア氏の名言から引用されたことが、いまだかって彼が有罪だと言われなかったことがあっただろうか?将来はといえば、多分「ハムレット」を引用して、鬼(幽霊)の存在を証明する必要が無いように、「ハムレット」は、シェークスピアの迷信だと責めるようなことはないのと同様、「無辜の民を救い、有罪者を伐す」で、杜氏と同じ見識を持つことだろう。
況や杜氏の文章は、彼と意見の異なる人に読んでもらい「文芸風景」という新しい本を読み、無論けっして「新本を読むは旧書を読むに如かず」という気持ちを持っている友人ではない。が、新本を読めば、ただ単に「文芸風景」を読むだけに留まらず、シェークスピア劇を講じる本も大変多いから、少し渉猟すれば、考えもそれほど揺れ動かず、「政治家(扇動家)に扇動されるのを怖れる。それらの「友だち」は作者の時代と環境を除けば、「カエサル伝」の材料は、プルタークの「英雄伝」からだと分かるし、またシェークスピアは喜劇を悲劇に転じたもので:作者はこれによって失意する。なぜか、良く分からない。但し総じて、判断する時はつねになにか思い到ろうとするが、必ずしも杜氏の予言する様に痛快単純ではない。
只「シェークスピア劇カエサル伝に表現された群衆」に対する見方は、杜氏の目とは違ったものもある。今は只十月革命を痛恨し、フランスに逃れたLev,Shestov氏の見解を引用するのみとするが、結論は次の様だ。――
 『「ユリウス・カエサル」で活動する人物は、上述以外に、もう一人いる。それは複合的な人物だ。それは即ち人民、或いは「群衆」ともいう。シェークスピアが写実家と言われるのも決して意義の無いことではない。無論その点で彼は決して群衆におもねるようなことはせず、凡俗な性格を表出したりはしない。彼らは軽薄でデタラメで残酷である。今日はポンペイウスの戦車の後につき、明日はカエサルの名を叫び、数日後には彼の叛徒ブルータスの弁才に惑わされ、その次はまたアントニウスの攻撃に賛成し、ついその前までの人気者ブルータスの首を要求する。人は往々群衆のあてにならぬことに憤慨する。但その実、まさしく「目には目を歯には歯を」の古来の正義の法則を適用している、ということがここに無いだろうか?ものごとの底までよく見れば、群衆はもともとポンペイウス、カエサル、アントニウス、Cinna(ローマの地方長官、カエサルが刺された時、刺した人間を賛美した)の輩を軽蔑し、彼らも乃祖面では群衆をも軽蔑した。今日、カエサルが権力を
握ればカエサル万歳。明日アントニウスになれば、彼の後ろにつく。彼らが飯を食わせてくれ、芝居をみさせてさえくれれば良い。彼らの功績など考えなくて良い。彼らはそういう面はよく分かっていて、王者の如き寛容を施せば、それが自分に応報が得られる。こうした虚栄心一杯の人々の一連の中に、或いはブルータスのような廉直な士がいたのも事実だ。しかし、誰が山の如き砂の中から一粒の珠を捜し出すヒマがあろうか?群衆は英雄の大砲の食糧(かて)で、英雄は群衆からすれば、余興にすぎない。その間にあって、正義が勝利を占め、幕は下ろされる』(「シェークスピア劇の倫理問題」)
 勿論これが精確な見解とは限らぬ。Shestovを哲学者或いは文学者と言う人は多くない。が、これを読んだだけで同じ「カエサル伝」からその描かれた群衆をみれば、結果は杜氏とこんなに違う。しかも推測できるのは、正に杜氏の予測したようにではなく「作者をして群衆の理性と感情を別の方法で友人たちを評価するという過ちを犯させている」
 従って、杜氏はシェークスピアのことを愁う必要は無い。双方とも実は大変よく分かっているのだ:『陰険かつ卑劣なカシウスは表面的にはあれほど感覚麻痺状態でデタラメなアントニウス』はあの時の群衆には又「余興に過ぎなかった」のだ。
    9月30日

訳者雑感:これはなかなか難しい問題だ。当時の論調は「群衆の中へ」というソ連のスローガンが全面を覆っていた。しかし、カエサル伝でシェークスピアが描いた群衆は、英雄の大砲の食糧(かて)で、英雄は群衆にとってみれば「余興」に過ぎない云々という。
 腹いっぱいとまではゆかぬとも、そこそこ食べさせてくれ、芝居も見させてくれさえすれば、誰が「支配者」になっても一向に構わぬ、というのが群衆の「本性」なのだ。それを理性とか感情とか持ち出すと、ややこしくなる。
 英雄たちの権力闘争と群衆は無関係なのだろう。只、毛沢東が劉少奇から実権を取り戻そうとした時、群衆を動員して、彼らに「毛語録」を振りかざさせて、次々と「一握りの実権派」に三角帽をかぶせ、トラックに乗せて、市中引き回しの上、処刑したり自殺に追い込んだ。シェークスピアが20世紀にいたら、プルタークの「史書」を参考にせずとも、
「毛沢東伝」を書いただろう。さてその時、彼は「群衆」をどう描いただろうか?
    2013/11/09記

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中国人は自信力を亡くしたか

中国人は自信力を亡くしたか
 公開された文章では:2年前までは、我々は常に「時大物博」と自ら誇っていたのは事実だった:その後暫くして誇らなくなり、国際連盟に希望を託すのみとなったのも事実だ:今や自ら誇らないだけでなく、国際連盟も信じなくなり、一途に神に求め仏を拝すに改め、古(いにしえ)を懐い、今を傷む――のも事実だ。
 それである人は慨嘆して曰く:中国人は自信力を亡くした、と。
 只単にこの一点の現象に基づいて論じるなら、自信はとっくに亡くしていた。以前「地」や「物」を信じ、後に「国際連盟」を信じたが、いずれの場合も「自分」を信じたことは無かった。たとえこれをも一種の「信」と言えるなら、それは只、中国人はかつて「他信の力」があっただけだと言える。連盟への失望から、この他信力もすべて失った。
 他信力を亡くし、疑うようになり、一転して、ただ自分だけを信じられるようになったのは、一つの新生の道なのだろうが、不幸なのは徐々に疑わしく虚ろになってきた事だ。
「他」と「物」を信じたのは、本当だったが、連盟は渺茫としていて、やはりそれに頼っていても何にもならないと悟らされた。求神拝仏となると玄虚の至りで、有益か有害かという結果は直ぐには出てこぬから、より長い間自分を麻酔にかけておくことはできる。
 中国人は今「自ら欺く力」を磨いている。
 「自ら欺く」も今に始まった訳ではないが、今は只それが日一日と顕著になったに過ぎず、全てを包んでしまった。しかしながら、この籠の中には自信喪失していない中国人がいる。
 我々には古くから、一生懸命に苦労してきた人々がおり、命がけで生きて来た人、民を助けて来た人、捨身求法してきた人もいるし、……帝王将相のために家譜、所謂「正史」を作ったことに等しいとはいえ、それでも彼らの光輝を蔽い隠すことはできず、これが正しく中国のバックボーンである。
 この様な人が今そんなに少なくなったなどということはない。彼らは確信を持っており、自ら欺かない:彼らは前駆者が倒れてもすぐその後を継いで戦うが、いつも痛めつけられ、抹殺され、暗黒の中で消され、人々に知られることは無いが、中国人が自信を喪失したというのは、一部の人を指してそういうことはできるが、全体がそうだというのは侮べつだ。
 中国人を論じようとするなら、うわべの見せかけだけの白粉を塗って、自ら欺き、人を欺く連中に騙されず、彼の筋骨と背骨を見なければならない。自信の有無は、状元宰相の文章は何の根拠にもならない。自分でその地の底にあるものを見ることが大切だ。
             9月25日

訳者雑感:自信と自信力とはどう違うのだろう。自信を持つ・持ち続ける力か。
「地大物博」と称して世界に伍して行ける自信を持っていたのが、欧米にめちゃくちゃにされただけでなく、隣の小国とみなしてきた日本にも負けて、更には満州から華北一帯を日本に占領され、自信喪失したのだと言われた。しかしそんな状況下でも、前者が倒れたらすぐその後を継いで戦う人達がいる。時の宰相たちが発表する「コメント」など何の足しにもならない。地の底で戦っている人達がいることを忘れず、自信を持てと呼びかけている。
     2013/10/28記
 

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中国語文の新生

中国語文の新生
 中国の現在の所謂中国の文字と文章はもはや中国人皆のものではない。
遠い昔、無論どの国も文字を使えるのは元々少数の人だったが、今教育が普及し始め、凡そ文明国と称す国では文字は皆の公有物である。しかし我々中国の識字率はおよそ全人口の20%で、文章を書ける人は更に少ない。それでも文字は皆のものだと言えるだろうか?
 中には、この20%の特別な国民は中国文化を大切にし、中国大衆を代表していると言う人もいるかも知れぬ。それは間違っていると思う。こんな少数で中国人を代表できない。
まさに中国人の中に、燕の巣やフカヒレを食べる人がおり、ヘロイン売りもおり、リベートをとるものもいるが、それですべての中国人が燕の巣やフカヒレを食べ、ヘロインを売り、リベートをとっていると言うことはできないのと同じだ。
 さもかければ、鄭孝胥(清朝の遺老で満州国の総理兼文教大臣をした)一人が、本当に全幅の「王道」をひっさげて、満州に乗り込むも可ということになる訳だ。
 我々はしかし最大多数を根拠に、中国には文字が無いというべきである。
 このように文字すら無い国度は、日一日と悪くなってゆく。これについては例示するまでもないと思う。
 単に文字が無いという点に関しても、知識人は早くから漠然とした不安を持っていた。清末の白話新聞の創刊、五四運動時代の「文学革命」を叫んだのはこのためである。
只やはり文章が難しいと言うことがわかっただけで、中国は文字が無いに等しいと言う事までは悟らなかった。今年の文語文復興の提唱もこのためで、彼らは明らかに今日の機関銃は利器だと知りながら、暦来なまけてきて、何も振興しないで、危機に臨んでも又も、僥倖にすがり、大刀隊で事が為せると夢想しただけである。
 大刀党の失敗はもはやあきらかで、2年もせぬうちに、99本の鋼刀を軍隊に送る者はいなくなった。しかし文語文の役に立たぬ事が明らかになるのはおそく、まだ揺らぎなく命を保っている。
 文語文提唱の逆流に反対しているのは、現在の大衆語の提唱だが、まだ根本的な問題に直面していない:即ち中国は文字の無いに等しいということ。ラテン化提議が現れて始めて問題解決の重要な鍵をにぎった。
 反対、これは大いにあり、特定の人達の既成概念はなかなか変えられない。ガリレーの地動説、ダーウインの進化論は、宗教と道徳の基礎を揺るがせたから、攻撃されたのは元々怪しむに足りない:しかしハーヴェィが血液が人体を環流していることを発見したことは、社会制度にどんな関係があるというのだろう。だが彼も攻撃された。結果はどうか?結果は:血は人体を環流しているのだ!
 中国人が世界で生存してゆこうとすれば「十三経」の名前を知っているだけの学者や、「灯は紅」には「酒は緑」という対ができるだけの文人は全く役に立たず、全ては人々の本当の智力にかかっているのは明白なことだ。
 それでは生存してゆこうとするなら、まず智力の伝播を阻碍している結核を除去せねばならない:それは話し言葉ではない文(語)と四角い字(漢字)だ。皆が旧文字の犠牲にされないようにと思うなら、旧文字を棄てなければならない。どちらをとるか?これは冷笑家が指摘するように、只単にラテン化提唱者の成功か失敗かだけでなく、中国大衆の存亡に関わってくるのだ。これを実証するにはそれほど長くかからぬと思う。
 ラテン化についての詳細な意見は、私は大体「自由談」に連載された華圉(魯迅の変名)の「門外文談」の意見に近いから、ここではこれ以上触れない。私も全ての冷笑家の冷嘲する大衆語の前途の艱難さに同意する:但し、たとえどんなに難しくてもやはりやろうと思うし:艱難なら艱難なほどやらねばならぬと思う。改革は、これまで順風に行われたということは無いし、冷笑家が賛成に回るのは、事が成った後である。信じないなら、白話文提唱時のことを見れば分かる。
            9月24日

訳者雑感:大衆語というのは1934年ころに盛んに提唱された由。それまでは白話文運動といいながら、20%の非文盲の「漢字を読める人」のみを対象にしてきた。80%の文盲を無くさなければ、中国人は世界で生存してゆけない。智力の伝播もできないとの切実な訴え。
魯迅達の呼びかけで、漢字のラテン化を通じ、上海の人も北京の人と対話できるようになり始めた。同じ漢字を共通のラテン文字表記で曲がりなりにも理解できるようにしたのだ。
 ところでなぜABCで表記するのをローマ字化と言わないで、ラテン化というのか、というのが疑問であった。調べてみたら、それ以前に「ローマ字化」というものも提唱されていて、その表記法は四声も表すとか破裂音とかを小文字を付すなど複雑なもので、大衆にそれを習得させることが問題でもあった。それで旧ソ連に住んでいた中国人達が、工夫して今日のようなX,Q,J,Zなどが多用されたアルファベット表記を使って、漢字を表そうとした。これで青島をTsingtao と外国人が表記していたのを Qingdaoとするようになった。
約束事だから、慣れてしまえば問題ないが、この表記法を学んだことの無い中国人(海外に住む華人なども含め)からは不評であった。人名地名などは昔からの慣用でPekingとかCantonなら発音できるが、BeijingとかGuangdong と表記されると、別の都市かと思われてしまう。「べいじん」「ぐあんどん」と外国人が自国の訛りで発音すると相手も聞いて分からない事になるが、時間の経過とともに通用してゆくことだろう。
    2013/10/25記


 

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肉の味を知らず、と水の味を知らぬこと


  今年の尊孔は民国以来2番目に盛大で、凡そ展示可能なものは殆ど出展された。上海の中華地区は、夷場(租界)に近いとはいえ、往時孔子が聞いて「三月肉の味を知らず」と言った「韶楽」も聞く事が出来た。8月30日付「申報」に依れば――
 『27日、本市各界は文廟にて孔誕記念会を開催、党と政府機関及び各界代表千余名参加。
大同楽会が演奏せる中和と韶楽二章。楽器は音量増大のため、古今を分けず、凡そ国楽器に属すものは全て投入し、全部で40種もあった。譜は旧例通りで変動無し。演奏は荘厳、厳粛で、一般の響きと異なり、悠然として敬虔な気持ちになる。直系三代以上の泰平雅頌は、我国の民族性として平和酷愛をしめしている……』

 楽器は古今を分けず、全て配したとは、蓋し周朝の韶楽とはだいぶ異なっていた筈だ。
だが、「音量増大」のためにはこうする他なく、現在の尊孔精神とも十分合致していよう。
「孔子は聖の時なるもの也」「亦すなわち、聖のモダ―ンなもの也」で、三月の間フカヒレや燕の巣の味を知らず。楽器も多分「計40種」ないとダメだろう:況やあの当時、中国は 外患はあれども、租界はまだ無かったから。(匈奴などの外患はいたが…の意)

 しかしこのことから、時勢はやはり大きな違いがあるのが分かるし、たとえ「音量増大」しても、やはり郷間の村里にまで届く事は無く、同日の「中華日報」には「泰平を雅頌し、そして我国の民族性は平和を酷愛すを示す」体面を頗る傷つける記事がのった。最も具合の悪いのは、27日付のもので―――
 『(寧波通訊)余姚が夏に入って、ひどい旱魃に悩まされ、河水が枯渇したため、住民の飲料水は大半を河畔に掘った土井から汲み上げた。それで先を争って衝突が何回も 起きた。

27日午前、姚城から40里の朗霞鎮の後方屋地区で、居民の楊厚坤と姚土蓮が又井戸水を争って衝突した。殴り合いの結果、姚土蓮はキセルの先で楊の頭を猛撃。楊は即昏倒した。
次いで姚は棍棒と石で楊を害そうとし、ついに殴殺した。周囲はそれを聞いて救命せんとしたが,楊はとうに気絶していた。姚土蓮はすでに禍を免れぬと、機に乗じて逃げた…』

 『韶を聞くのは一つの世界。喉が渇くのも一つの世界。肉を食って味を知らぬは一つの世界。喉が渇いて水を争うのもまた一つの世界。無論この間に、君子と小人の差はあるが、
「小人あらざれば、以て君子を養うなし」で、結局彼らが殴打し殺し合い渇死するに任すわけにはゆかないのだ』(『』内は傍点付き)

 アラブのある所では水は宝で、水を飲むために血と交換するという。
「我国の民族性」は「平和を酷愛」するからこの様にはならないと思う。
『だが、余姚の例は、実に心寒させられる。我々は肉を食す者が聞いて、肉の味を知らぬほどになる「韶楽」のほかに、水の味を知らぬ者が聞いたら、水を飲みたいと思わなくなる「韶楽」 が必要だ』(『』内は傍点付き)  
  8月29日


訳者雑感:
 孔子の時代、やはり肉を食べるのがご馳走だっただろう。豚か鶏か。いずれにせよ普段は野菜穀物が主体で、晴れの食べ物が羊や豚を一頭つぶし塩づけ保存する以外は、2-3日それを食した。殿様から下賜の肉として有り難く頂戴した。それが韶楽を聞いて、その晴れの肉の味を忘れてしまったほどだという。まさか肉欲の肉ではないと思うが…。
 孔子の後の儒家、孟子の「告子上」に「食色、性也」今の訳は「飲食男女是人的本性」とあり英訳は「Eating and sex are human nature」(山東友誼出版社:曹其新 編訳)と。
戦前の訳は「飲食男女人的本性」で是は無かった。
香港の女流作家が、飲食男、女人的本性」と句読点を付けたのが世間の評判になった。

 その後の儒教が国教になり、こうした肉欲的なものをオブラートにくるみ、科挙の試験の出題に適すような「堅苦しい内容」にし、その後それを利用して、人が人を食う社会にしてしまったとは多くの人の言葉だ。
 10年ほど前、孔子の故郷に孔府を訪れた時、門を入ると、左右に部屋があり、つい最近まで孔子の子孫が使っていた部屋で、第一夫人と第二夫人の居室であるとの説明を見て、 儒教の聖人も、清朝の皇帝たちと規模こそ違え、同じ後宮の仕組みで暮らしていたのだなと実感した。
 老舎の小説で「駱駝の祥子」に、貧しい男は、人力車引きで力を売り、貧しい女は肉を売るという段がある。

 数日前の日経新聞で、どなたかが清少納言の「枕草子」の春はあけぼの、冬はつとめて、という本当の意味は、枕を交した人と過ごした素晴らしいときのことだとの説を発表していた。古代の人は正直で、包み隠す事は無かった。中世の教会とか宗教の影響で、いろいろ包み隠すようになったのだろう。紫式部の光源氏などは大変なプレイボーイだし。
現人神たる天皇もあの通りで、孔子もあの通りだったかもしれぬ。
       2013/10/23記
    

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12.終わりに

12.終わりに
 たくさん話した。だが要するに話すだけでは何にもならず、大事なことはやることだ。
沢山の人に実行してもらい:大衆と先駆者に:各々の教育家・文学家・言語学者…に。
これは必要に迫られおり、たとえ目下逆流にあえぎながらでも、船を曳いて進むしかない。
順風なら固より結構なことだが、舵取りが不可欠である。
 この曳航や舵取りの良い方法は、口では話す事が出来るが、たいてい実験で益が得られ、無論どの様に風を見、水を見るにしても、目的は只一つ:前に向うことのみ。
 各位は多分きっと自分の意見があると思うので、これから諸君の高論を聞かせてほしい。

訳者雑感:
 蒸し暑い上海の夏も、夕方になると海風が吹いてきて、川辺の堤に腰掛けて夕涼みする。市内の建てこんだ住宅は蒸し暑いから、めいめいが小さな椅子を持って、集って来る。
夏は増水してその水面を吹く風は涼しい。川幅が広いから海風と同じだ。こうした光景は揚子江の高い堤に、10メートルほども下の農家からそれぞれが折りたたみ
できるのや、小さな腰かけを持ってきて、夕涼みをしていた情景を思い出した。あれは確か、1980年代のはじめ、堤防上の道を南京に向って車を走らせていた時だ。同行の中国人
の友人に聞くと、洪水対策の為に高い堤防ができたので、洪水は少なくなったが、夏は家の中では暑くてたまらぬので、みなこうして夕涼みしながら、世間話をして過ごすのだと。
 魯迅の12章にも及ぶこの「文談」は何日かかけて、そうした夕涼みにやってきた人達に語ったことを、まとめたものだが、大変面白いから、聴衆も段々増えたことだろう。
  2013/10/20記

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11.大衆は読書人の考えているほど馬鹿じゃない

11.大衆は読書人の考えているほど馬鹿じゃない
 だが今回、大衆語文が提唱されるや、数名の猛将が勢いに乗じて登場し、来歴は皆異なるが、すべて白話、翻訳、欧化語法、新しい単語に進攻してきた。彼らは皆「大衆」の旗を叩き、こんな物は大衆には分からぬから要らないと言った。その中は元々文語派の残党で、この機を借りて当面の白話と翻訳を叩こうとし、祖伝の「遠交近攻」の古い手で:ある者は元々が怠け者で、真面目に学んだことも無く、大衆語が出来上がる前に、白話が先ず倒れ、その隙に大口をたたこうとしているが、実は文語文の親友であるが、私はここではこれ以上触れない。今言いたいことは、只それらの好意的だが、間違っている人のことで、彼らは大衆を軽んじていないが、自分を軽んじて古い読書人の旧弊を犯している事だ。
 読書人は常々他人を軽んじ、比較的新しくて難しい字句は、自分は分かるが、大衆は分からないと思い、大衆のためにはそれらを根こそぎせねばと考え、言葉も文章も俗なほど良いと考える。こういた考えが進むと、無自覚の内に新しい国粋派となる。或いは大衆語文が大衆の中に早く広まる様に企図し、何でもかんでも大衆の口に合うようにと主張し、甚だしきは「大衆迎合」を説き、故意に罵倒句を多く使って大衆の歓心を博そうとし、それはそれなりに苦心しているのだが、それは大衆の新しい太鼓持ちになってしまう。
 大衆といえどもその範囲は広く、各種各様の人を包含するが「目に一丁字もない」文盲も、私から見れば実は読書人の考えているような馬鹿じゃない。彼らは知識を欲し、新しい知識を求め学ぼうとし、また摂取できるのだ。無論すべてを新語法、新名詞でとなると、彼らは何も分からぬ:ただ一つずつ必要なものを選んであげれば、受け入れられる:その消化力たるや、先入観の強い読書人にも勝る。生まれたばかりの赤子はすべて文盲だが、2歳になれば次第に多くの言葉がわかり、沢山の話しができ、それは彼にとっては全て新名詞、新語法である。彼は「馬氏文通」や「字源」を調べることなどあり得ぬし、教師が解釈することもなく、何日か聞いた後で、比べてみながら意味が分かるのだ。大衆が新しい語彙と語法を摂取できるのもこういう風で、こう言う風にして前進できる。だから新国粋派の主張は、大衆の為にと考えているようだが、実際は引き延ばしてきた任務を引っくり返しているのだ。しかしこれを大衆のやるのに任せるというわけにはゆかぬ。というのも多くの見識は、やはり覚悟のできた読書人のものであり、それらを随時選んで取り上げて行かぬと、多分無益なものを間違って取り上げ、有害なものさえ出て来るのだ。
従って「大衆迎合」という太鼓持ちは絶対いけない。
歴史の示すことから、凡そ改革は最初はどうしても覚悟のある知識人の任務である。ただこれら知識人は研究せねばならず、よく考えて決断し、そして毅力が要る。彼は権力を使うが、人を騙さず、上手に指導し、決して迎合しない。彼は自分を軽んじて、皆のための演技者だと考えず、そして人を軽んじて自分の手下としない。彼は只只大衆の一人で、思うに、こういう風にやっていってはじめて大衆の事業ができるだろう。

訳者雑感:魯迅がここで2歳の赤子が正に文盲だが、新しい言葉や語法をどんどん覚えるように、大衆も読書人の考えるような馬鹿じゃなく、新しい(全国に通じる)言葉や語法をどんどん覚えられると説いている。だからそれを大衆と一緒になって、大衆の一人としてやっていけば、中国語の共通化は可能だと考えている。彼の死後数十年の時を経てそれが実現した。しかしその一方で、今中国の一部となった香港では、いまだに梁氏は香港の代表として、広東語で大衆に語りかけている。普通語では香港人の心に届かないとでもいうかのようだ。しかし大衆は確かに広東語の劇や歌を大切にしてはいるが、北京語をしゃべることができないと、現代社会で通用しないことは認識していて、カラオケなどでは普通語の歌を歌い、普通語の映画も好きだ。あとどれくらいしたら、広東語の歌が歌われなくなるだろうか。
    2013/10/19記


 

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