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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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中国語文の新生

中国語文の新生
 中国の現在の所謂中国の文字と文章はもはや中国人皆のものではない。
遠い昔、無論どの国も文字を使えるのは元々少数の人だったが、今教育が普及し始め、凡そ文明国と称す国では文字は皆の公有物である。しかし我々中国の識字率はおよそ全人口の20%で、文章を書ける人は更に少ない。それでも文字は皆のものだと言えるだろうか?
 中には、この20%の特別な国民は中国文化を大切にし、中国大衆を代表していると言う人もいるかも知れぬ。それは間違っていると思う。こんな少数で中国人を代表できない。
まさに中国人の中に、燕の巣やフカヒレを食べる人がおり、ヘロイン売りもおり、リベートをとるものもいるが、それですべての中国人が燕の巣やフカヒレを食べ、ヘロインを売り、リベートをとっていると言うことはできないのと同じだ。
 さもかければ、鄭孝胥(清朝の遺老で満州国の総理兼文教大臣をした)一人が、本当に全幅の「王道」をひっさげて、満州に乗り込むも可ということになる訳だ。
 我々はしかし最大多数を根拠に、中国には文字が無いというべきである。
 このように文字すら無い国度は、日一日と悪くなってゆく。これについては例示するまでもないと思う。
 単に文字が無いという点に関しても、知識人は早くから漠然とした不安を持っていた。清末の白話新聞の創刊、五四運動時代の「文学革命」を叫んだのはこのためである。
只やはり文章が難しいと言うことがわかっただけで、中国は文字が無いに等しいと言う事までは悟らなかった。今年の文語文復興の提唱もこのためで、彼らは明らかに今日の機関銃は利器だと知りながら、暦来なまけてきて、何も振興しないで、危機に臨んでも又も、僥倖にすがり、大刀隊で事が為せると夢想しただけである。
 大刀党の失敗はもはやあきらかで、2年もせぬうちに、99本の鋼刀を軍隊に送る者はいなくなった。しかし文語文の役に立たぬ事が明らかになるのはおそく、まだ揺らぎなく命を保っている。
 文語文提唱の逆流に反対しているのは、現在の大衆語の提唱だが、まだ根本的な問題に直面していない:即ち中国は文字の無いに等しいということ。ラテン化提議が現れて始めて問題解決の重要な鍵をにぎった。
 反対、これは大いにあり、特定の人達の既成概念はなかなか変えられない。ガリレーの地動説、ダーウインの進化論は、宗教と道徳の基礎を揺るがせたから、攻撃されたのは元々怪しむに足りない:しかしハーヴェィが血液が人体を環流していることを発見したことは、社会制度にどんな関係があるというのだろう。だが彼も攻撃された。結果はどうか?結果は:血は人体を環流しているのだ!
 中国人が世界で生存してゆこうとすれば「十三経」の名前を知っているだけの学者や、「灯は紅」には「酒は緑」という対ができるだけの文人は全く役に立たず、全ては人々の本当の智力にかかっているのは明白なことだ。
 それでは生存してゆこうとするなら、まず智力の伝播を阻碍している結核を除去せねばならない:それは話し言葉ではない文(語)と四角い字(漢字)だ。皆が旧文字の犠牲にされないようにと思うなら、旧文字を棄てなければならない。どちらをとるか?これは冷笑家が指摘するように、只単にラテン化提唱者の成功か失敗かだけでなく、中国大衆の存亡に関わってくるのだ。これを実証するにはそれほど長くかからぬと思う。
 ラテン化についての詳細な意見は、私は大体「自由談」に連載された華圉(魯迅の変名)の「門外文談」の意見に近いから、ここではこれ以上触れない。私も全ての冷笑家の冷嘲する大衆語の前途の艱難さに同意する:但し、たとえどんなに難しくてもやはりやろうと思うし:艱難なら艱難なほどやらねばならぬと思う。改革は、これまで順風に行われたということは無いし、冷笑家が賛成に回るのは、事が成った後である。信じないなら、白話文提唱時のことを見れば分かる。
            9月24日

訳者雑感:大衆語というのは1934年ころに盛んに提唱された由。それまでは白話文運動といいながら、20%の非文盲の「漢字を読める人」のみを対象にしてきた。80%の文盲を無くさなければ、中国人は世界で生存してゆけない。智力の伝播もできないとの切実な訴え。
魯迅達の呼びかけで、漢字のラテン化を通じ、上海の人も北京の人と対話できるようになり始めた。同じ漢字を共通のラテン文字表記で曲がりなりにも理解できるようにしたのだ。
 ところでなぜABCで表記するのをローマ字化と言わないで、ラテン化というのか、というのが疑問であった。調べてみたら、それ以前に「ローマ字化」というものも提唱されていて、その表記法は四声も表すとか破裂音とかを小文字を付すなど複雑なもので、大衆にそれを習得させることが問題でもあった。それで旧ソ連に住んでいた中国人達が、工夫して今日のようなX,Q,J,Zなどが多用されたアルファベット表記を使って、漢字を表そうとした。これで青島をTsingtao と外国人が表記していたのを Qingdaoとするようになった。
約束事だから、慣れてしまえば問題ないが、この表記法を学んだことの無い中国人(海外に住む華人なども含め)からは不評であった。人名地名などは昔からの慣用でPekingとかCantonなら発音できるが、BeijingとかGuangdong と表記されると、別の都市かと思われてしまう。「べいじん」「ぐあんどん」と外国人が自国の訛りで発音すると相手も聞いて分からない事になるが、時間の経過とともに通用してゆくことだろう。
    2013/10/25記


 

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