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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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肉の味を知らず、と水の味を知らぬこと


  今年の尊孔は民国以来2番目に盛大で、凡そ展示可能なものは殆ど出展された。上海の中華地区は、夷場(租界)に近いとはいえ、往時孔子が聞いて「三月肉の味を知らず」と言った「韶楽」も聞く事が出来た。8月30日付「申報」に依れば――
 『27日、本市各界は文廟にて孔誕記念会を開催、党と政府機関及び各界代表千余名参加。
大同楽会が演奏せる中和と韶楽二章。楽器は音量増大のため、古今を分けず、凡そ国楽器に属すものは全て投入し、全部で40種もあった。譜は旧例通りで変動無し。演奏は荘厳、厳粛で、一般の響きと異なり、悠然として敬虔な気持ちになる。直系三代以上の泰平雅頌は、我国の民族性として平和酷愛をしめしている……』

 楽器は古今を分けず、全て配したとは、蓋し周朝の韶楽とはだいぶ異なっていた筈だ。
だが、「音量増大」のためにはこうする他なく、現在の尊孔精神とも十分合致していよう。
「孔子は聖の時なるもの也」「亦すなわち、聖のモダ―ンなもの也」で、三月の間フカヒレや燕の巣の味を知らず。楽器も多分「計40種」ないとダメだろう:況やあの当時、中国は 外患はあれども、租界はまだ無かったから。(匈奴などの外患はいたが…の意)

 しかしこのことから、時勢はやはり大きな違いがあるのが分かるし、たとえ「音量増大」しても、やはり郷間の村里にまで届く事は無く、同日の「中華日報」には「泰平を雅頌し、そして我国の民族性は平和を酷愛すを示す」体面を頗る傷つける記事がのった。最も具合の悪いのは、27日付のもので―――
 『(寧波通訊)余姚が夏に入って、ひどい旱魃に悩まされ、河水が枯渇したため、住民の飲料水は大半を河畔に掘った土井から汲み上げた。それで先を争って衝突が何回も 起きた。

27日午前、姚城から40里の朗霞鎮の後方屋地区で、居民の楊厚坤と姚土蓮が又井戸水を争って衝突した。殴り合いの結果、姚土蓮はキセルの先で楊の頭を猛撃。楊は即昏倒した。
次いで姚は棍棒と石で楊を害そうとし、ついに殴殺した。周囲はそれを聞いて救命せんとしたが,楊はとうに気絶していた。姚土蓮はすでに禍を免れぬと、機に乗じて逃げた…』

 『韶を聞くのは一つの世界。喉が渇くのも一つの世界。肉を食って味を知らぬは一つの世界。喉が渇いて水を争うのもまた一つの世界。無論この間に、君子と小人の差はあるが、
「小人あらざれば、以て君子を養うなし」で、結局彼らが殴打し殺し合い渇死するに任すわけにはゆかないのだ』(『』内は傍点付き)

 アラブのある所では水は宝で、水を飲むために血と交換するという。
「我国の民族性」は「平和を酷愛」するからこの様にはならないと思う。
『だが、余姚の例は、実に心寒させられる。我々は肉を食す者が聞いて、肉の味を知らぬほどになる「韶楽」のほかに、水の味を知らぬ者が聞いたら、水を飲みたいと思わなくなる「韶楽」 が必要だ』(『』内は傍点付き)  
  8月29日


訳者雑感:
 孔子の時代、やはり肉を食べるのがご馳走だっただろう。豚か鶏か。いずれにせよ普段は野菜穀物が主体で、晴れの食べ物が羊や豚を一頭つぶし塩づけ保存する以外は、2-3日それを食した。殿様から下賜の肉として有り難く頂戴した。それが韶楽を聞いて、その晴れの肉の味を忘れてしまったほどだという。まさか肉欲の肉ではないと思うが…。
 孔子の後の儒家、孟子の「告子上」に「食色、性也」今の訳は「飲食男女是人的本性」とあり英訳は「Eating and sex are human nature」(山東友誼出版社:曹其新 編訳)と。
戦前の訳は「飲食男女人的本性」で是は無かった。
香港の女流作家が、飲食男、女人的本性」と句読点を付けたのが世間の評判になった。

 その後の儒教が国教になり、こうした肉欲的なものをオブラートにくるみ、科挙の試験の出題に適すような「堅苦しい内容」にし、その後それを利用して、人が人を食う社会にしてしまったとは多くの人の言葉だ。
 10年ほど前、孔子の故郷に孔府を訪れた時、門を入ると、左右に部屋があり、つい最近まで孔子の子孫が使っていた部屋で、第一夫人と第二夫人の居室であるとの説明を見て、 儒教の聖人も、清朝の皇帝たちと規模こそ違え、同じ後宮の仕組みで暮らしていたのだなと実感した。
 老舎の小説で「駱駝の祥子」に、貧しい男は、人力車引きで力を売り、貧しい女は肉を売るという段がある。

 数日前の日経新聞で、どなたかが清少納言の「枕草子」の春はあけぼの、冬はつとめて、という本当の意味は、枕を交した人と過ごした素晴らしいときのことだとの説を発表していた。古代の人は正直で、包み隠す事は無かった。中世の教会とか宗教の影響で、いろいろ包み隠すようになったのだろう。紫式部の光源氏などは大変なプレイボーイだし。
現人神たる天皇もあの通りで、孔子もあの通りだったかもしれぬ。
       2013/10/23記
    

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