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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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6.そして文章は奇貨となった。

6.そして文章は奇貨となった。
 文字は人々の間で芽生えたが、後に特権者に収攬されてしまった。「易経」の作者の推測では「上古は結縄して治めた」わけだが、それなら結縄もすでに人を治める人の物だった。巫史の手に落ちた時は、もはや言うまでも無い。彼らは皆酋長の下、万民の上だ。社会の変化につれ、文字を学ぶ人たちの範囲は広がったが、大抵は特権者に限られた。平民は識字できなかった。それは学費が無いためでなく資格制限のためだった。それに書物を目にする事もできなかった。中国で木刻版が未発達の頃、良書はたいてい「秘閣に蔵され、副本も三館だけに置かれ」士大夫すら中に何が書かれているか知らなかった。
 文字は特権者の物だからこそ尊厳性を有し、神秘性を有した。中国の文字は今も尊厳で、我々も壁によく「紙を大切に」と書かれた屑かごが掛っているのを目にする:護符の駆邪治病はその神秘性に依存している。文字は尊厳性を蔵しているので、文字を知る人は尊厳性を帯び始める。新たな尊厳者が毎日現れて来ると、旧い尊厳者は不利となり、文字を知る人が増えると神秘性が損なわれる。符の威力も、その字によく似たもののお陰で、道士以外は誰も認識できないからだ。それ故、彼らは必ず文字を把持しようとする。
 中世の欧州では文章学問は全て教会にあり:クロアチアでは19世紀でも識字者は神父だけで、人民の話し言葉は、旧い生活のために使われるだけまでに退歩した。彼らが革新したとき、外国から多くの新語を借り入れるしかなかった。
 我々中国の文字は大衆に対し、身分や経済といったこうした制限のほかに、難しいという高いハードルがあった。単にこのハードルだけでも十年かけぬと乗り越えられなかった。越えられたのが士大夫で、士大夫はまた文字を更に難しくしようとした。というのも、其れが彼らを特に尊厳にし、他のすべての士大夫の上にでることができた。漢代の揚雄は奇字を好んだのはこの性癖の為であるが、劉歆が彼の「方言」の原稿を借りようとしたときなぞは、もう殆ど自殺せんばかりであった。(「方言」は諸国方言を解釈した物:出版社)
唐代には樊宗師の文は他の人が句点を入れられないほどで、李賀の詩は人が理解できぬのもこのためである。
もう一つの方法は、他の人が知らぬ字を書き、下は「康熙字典」から幾つかの古字を探し、
文中に挟みこむ:
上は銭坫の篆書を使い、劉熙の「釈名」を使うのや、最近では銭玄同氏が「説文」の文字の形を使って、太炎氏のために書いた「小学答問」だ。
 文字や文章の難しいのは元からの物だが、士大夫が更に故意に特製の難しさを加え、それをまた大衆と縁のあるものにしようとするなど、どうしてできようか。だが士大夫達はまさにそうしようと望んでいるが、文字が容易に覚えられるなら、みんなができるので、文字は尊厳でなくなり、彼らも尊厳ではなくなる。白話は文語に如かずという人は、ここから出ている:今、大衆語を論じ、大衆には「千字課」さえ教えれば十分がと言う人の意思の根底もやはりここにある。
訳者雑感:護符(お守り)の中の文字が小学生でも読めるようになったら、文盲の御婆さんが、後生大事にしてきたありがたいお守りの尊厳性がなくなってしまう。
 梵語とか難しい漢語で書かれたわけもわからぬ言葉にはなにか未知のものがあると迷信的に大切にしてきたものが、普通の日本語で書かれるとありがたみが減少する。
お寺の御経も然り。小学生にも読める日本語の御経はありがたみが失せるように感じる。
     2013/10/07記

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