忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

5.古代は言文一致だったか?

5.古代は言文一致だったか?
 ここで古代は言文一致だったかどうかを考えてみたい。
 これについて、現在の学者たちは明確な結論は無いが、彼らの口ぶりからは、一致していたと考えているようだ:時代が古いほど、より一致していた、と。だが私には大疑問で、文字はより容易に書けるようになると、話し言葉と一致した字をより容易に書けるようになるものだが、中国ではそれは書くのが難しい象形文字だから、古人はこれまできっと余り重要でないことばを摘出してきたのだろう。
 「詩経」があんなに読むのが難しいのは、正に話し言葉をそのまま書き写した証拠のようだが、商周の人達の確たる話し言葉は、今まだ研究されておらず、もっと煩雑だったかもしれない。周秦の古書に至っては、作者も彼の地元の方言を使っているが、文字は大方類似しており、たとえ話し言葉と近いとしても、使ったのは、周秦の話し言葉で、周秦の大衆語ではけっしてない。漢代は言うまでも無く「書経」の中の理解しにくい文字を今字に改めたのは司馬遷だということを肯定したとしても、特別な状況下で、些か俗語を採用したに過ぎず、陳渉の古い友人が、彼が王になったのを見て驚いて言った如く:「おおお!
渉が王になった、沈沈と」の中の「渉之為王」という4文字は太史公(司馬遷)が手を入れたものだと思う。
 では、古書が採録した童謡、諺、民歌は当時の本当の俗語だと考えてよいか。私はそうとも言えないと思う。中国の文学家は人の文章を変えるのがとても好むという性癖がある。
最も顕著な例は、漢の民間の「淮南王の歌」で、同じ地方の同じ歌が「漢書」と「前漢記」で違っているのだ。
 一つは――
 一尺の布、尚縫うべし:
 一斗の粟、尚舂(つ)くべし。
 兄弟二人、相容れられぬ。
 もう一つは――
 一尺の布、暖かくてぬくぬく。
 一斗の粟、お腹いっぱい。
 兄弟二人相いれぬ。
 比べてみると、後者の方が本来の面目のようだが、削除したのかもしれない:
只単に摘要を記したのだろう。後の宋人の語録、話本、元代の人の雑劇と伝奇の科白は皆
 摘要で、ただそれが使った文字は比較的平易なもので、削除した文字は少なく、「話している様に明白だ」と感じさせる。
 憶測だが、中国の言文はこれまでけっして不一致ではなかったが、大きな理由として、書くのが難しかったため省略するしかなかった為だと思う。従って、我々が古文を書くと言うことは、もう象形ではなくなった象形文字で、必ずしも諧声とはいえぬ諧声字で、紙の上に現代人はもう誰も話さなくて分かる人も少ない、古人の話し言葉の摘要を書いているのだ。
これは難しいことだと思いませんか。

訳者雑感:
 魯迅は最後のところで、古代の人は言文不一致ではなかった、と憶測している。話したことをそのまま文字にしたが、「書くのが難しかったため省略」したと考えている。話し言葉で饒舌になった「せりふ」を「摘要」だけ書きとめておき、それを演じる時はまた饒舌な「せりふ」に戻して話したのだろう。
 国会の答弁などの議事録は全文一字一句もらさず記すが、新聞には「摘要」だけが公表される。それを見ながら、テレビでの首相の答弁を聞くといろいろ余分なことを言っていると思う。漢字は特に昔の画数の多い字体は、話したこと全部を書くのが難しいから、省略されたケースが多かっただろう。映画の字幕などでも、発言者の言った通りすべてでなく、意味が正しく伝わる限り、省略される話し言葉も多い。
   2013/10/03記

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R