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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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 魯迅と進化論

1.
  2年ほど前から魯迅の作品が中国の教科書から削除され始めている。以前の理由は、現代の若者にとって魯迅の作品は「鶏のあばら骨」で、骨ばかりで食べるところが無い、という言葉に代表されていた。魯迅の作品に代わって採用されたのは、武侠小説で有名な香港在住の金庸氏の作品と伝えられた。こちらの方が肉のたっぷりついたKFCのように若者たちに人気があるらしい。
 日本ならさしずめ、漱石の代わりに、誰だろう、井上ひさしとかだろうか。
 
 20101231日のサンケイ新聞、上海の河崎真澄氏の伝えるところでは、
教科書出版元の人民出版社の削除の理由として
 ①作品の内容と現代の時代背景との差が開いた。
 ②中国語の用法が大きく変化した。
 ③作品の扱う内容が深刻すぎる、などを挙げていた。
 そして地元紙は「魯迅の文章は難しすぎる上、その言葉づかいは、現代の中国人のプライドを傷つけている」と削除賛成派の声を紹介した。
一方、魯迅の生地の浙江のネットには、「魯迅による国民性への批判を忘れて祖国の発展はない」と削除反対の論評で、「経済力をバックに国際的発言力を強める一方、内外からの批判を受け入れなくなった中国社会を問題視し、削除反対の立場を明確にした」と記者のコメントを附している。
そして次のように続く。
教育関係者の中には「批判精神が旺盛な魯迅の作品が、若者による中国共産党一党支配体制への批判に飛び火することを懸念したのではないか」との見方も出ている。
そして「祝福」など批判精神より文学性の色濃い作品に移った、と。
ここで気になるのは、記者が引用した言葉を発した「教育関係者」とはどのような人を指すのか?現場で教えている教師か、あるいは教育行政に携わる役人か?いずれにせよ今の中国では国家から給与を得ている公務員に違いない。
もし2010年の今日でも役人である教育関係者がサンケイという外国の新聞社に対して、一党支配体制批判に飛び火することを懸念したのではないか、というコメントを出せるようになったとしたら、冥土の魯迅も喜ぶことだろう。
 
2.地元紙のコメントの中で、「その言葉づかいは、現代の中国人のプライドを
 傷つけている」という一節がある。これは何を意味するのだろうか?
 「熱風」随感録42で、杭州の英国教会の医者が、医書の序に中国人を土人と呼んでいることに対して、魯迅はとても気分を害した、と書き出した。長くなるがなぜ世界に対して経済的な力を誇示して、EUやアメリカ、それにインドまで、その資金をバックにした「購買力」外交を展開して、GDP世界第二位の所まで来た中国人のプライドを傷つけるのか、見てみることにしよう。1920年代のことだ。
(上記の随感録より引用)
つらつら考えてみるに、今は忍受するほかないと思い始めた。土人という言葉は、本来その地に生まれた人を指し、なんら悪意はなかった。後になってその意味が多くは、野蛮民族を指すことになり、新たな意味を持ち出して野蛮人の代名詞になった。
彼らがこれで中国人を指すのは侮辱の意味を免れない。だが私は今、この名を受け入れざる以外に方法は無い。この是非は事実に基づくことで、口頭での争いでは決着しない。中国社会に食人、略奪、惨殺、人身売買、生殖器崇拝、心霊学、一夫多妻など凡そ所謂国粋なるものは、一つとして蛮人文化に合致せぬものは無い。弁髪をたらし、アヘンを吸うのは、まさしく土人の奇怪な編髪と、
インド麻を食うのと同じだ。纏足に至っては、土人の装飾法の中でも第一等の新発明だ。彼らは肉体に種々の装飾を施し、耳朶に穴を開け、栓を嵌める。下唇に大きな孔をあけ、獣骨を差し、鳥のくちばしのようだ。顔には蘭の花を彫り、背に燕の刺青。女の胸にはたくさんの丸くて長いこぶをつける。しかし彼女らは歩けるし、仕事もできる。彼らは今一歩の寸前で、纏足ということにまでは、思い到らなかった。……この世の中にこんなに肉体を痛めつける女性を知らないし、こんな残酷なことを美とする男はいない。
まことに奇事、怪事也。
 夜郎自大と古いものを後生大事にするのも土人の一特性である。英国人George Grey(1812-1898)はニュージーランド総督の頃、「多島海神話(ポリネシア)」を書き、序に著書の目的を記し、まったくの学術目的ではなく、大半は政治的手段だが、彼はNZの土人には、理を説くことは不可能だと書いている。彼らの神話の歴史の中から類似の事例を示して、酋長祭司たちに聞かせれば、うまくゆくという。
 例えば鉄道を敷く時、これがどれほど有益か口をすっぱく説明しても、決して聞く耳を持たない。もし、神話に基づいて、某大仙人がかつて一輪車を推して虹の上を歩いた。いま彼にならって一本の道を造るといえば、ダメだとは言わなくなる。(原文は忘れたが、大意は以上の通り)
 中国の十三経二十五史は、まさに酋長祭司らが一心に崇奉する治国平天下の
譜で、向後、土人と交渉する「西哲」が、もしも一篇手作りすれば、我々の
「東学西漸(東方の学問が、西方に漸進する)」の手助けになり、土人を喜ばせることになろう。
 引用が長くなったが、この文章を読む時、現代中国の若者は、大きなギャップを感じるだろうし、反感を持つかもしれない。過去のことになったのだろうが、聞きたくも無い非人道的なこととして。決して誇れるような過去ではなかった、と感じることだろう。「プライドを傷つけられた」と感じるかもしれない。
 
3.進化論
 魯迅はこれ以外の場所でも、頑迷固陋で古くから守って来た「国粋」を絶対手放さず、一切の改革を拒否する保守派を罵倒し続けてきた。
 その根源は何だったのであろうか?
 「父の病」にも書かれているが、ほとんどペテンだとこっぴどく否定して憚ることのなかった、漢方医否定に典型的に示されるものだろう。中華民族がこのまま、後生大事に古いものに固執し、進化論を受け入れなければ、上記の土人たちと同様、西洋の植民地にされ奴隷にされ、進化どころか退化して滅亡させられる恐れがある、と声を限りに叫び続けた。
 彼の時代には、ダーウインやハックスレーの進化論、自然淘汰説などが一世を風靡した。欧州人が考えたそれらの論や説をそのまま信じるとすると、進化論的に優位な立場にあり、身体能力、智恵に優れた欧州人が未開のままの土人たちを使役し、土地も富も取り上げ、種族は滅亡の危機に瀕する。そのストーリーが中国沿岸各所に徐々に浸透してきているにも関わらず、纏足に代表される「土人的」風習を頑迷に持ち続ける中国人に、一刻も早くそんな古いものは棄て去って、西洋近代化の原動力の一端となった「進化論」を始めとした近代文明を取り入れねばならない、と啓蒙し続けたのが彼の文章であったと思う。
 
4.今西錦司の「進化論」は「ダーウインの進化論」とは違うと言う。
最近、今西錦司の「ダーウイン論」土着思想からのレジスタンス(中公新書)を読んでいる。京都で暮らしていたころ、下宿の2軒北が彼の住まいだった。
煉瓦塀の中にうっそうとヒマラヤ杉のような大木が何本もある中に、洋館があり、その方面に興味のある友人が、有名な学者だと教えて呉れた。先日、近所を尋ねたとき寄ってみたら、我が下宿は3階建てになり、彼の家も数軒に分けられて、奥の方に同姓の新しい家が建っていた。向かいの酒造家の屋敷は45年前の風格そのままであった。
 そんな個人的な思いを抱きながら、彼の著書は読んだことは無かった。彼が
晩年70数歳でダーウインの「種の起源」を原著で読まねば、あの世に行って、
ダーウインとダーウインの論理でダーウインを批判できない、と思って、岐阜大学の友人に原著を拡大コピーしてもらって、2か月かけて読んだ、とある。
ダーウインの進化論は大変なものだが、自然淘汰説と混同してはいけない。
「ダーウイン亡き後の学者は殆ど彼の提灯持ちで、ダーウインの信奉者は誰ひとりダーウインの不利になるようなことは、おくびにも出さない。つまりダーウインの伝記や礼讃がやたらに多くて、一人として「ダーウイン論」をまともにやっているものがいない」(同書9頁)というのが、この本を書く出発点であった。
 今西の論点は自然淘汰ではなく、「定向進化論」にあり、「定向進化論」にもその歴史があり、いつも少数派で、たえず主流派の弾圧を受けながらも、今でもその命脈を絶やさずに、生き続けてきたのである。(同書166頁)
 「定向進化論」については、彼の著書に直接当たってもらう他ないが、彼は「私の書く本は自然科学書とは取り扱われないだろう」(同9頁)としている。
そして進化論に関しては、真理は一つとは限らぬ、とも述べている。
「進化を歴史と見なそうという立場は、もはや生物学の立場ではないかもしれない。(中略)進化を生物学の枠から外して、もっと大きくとらえ直そうとすることが、生物学者にはできない思想家の役目であるならば、かつては生物学を学んだ私ではあるけれども、今の私は一人の思想家であるといわれることを、かならずしもあえて辞退するものではない」(同154頁)
 「私をしてアンティ・ダーウイニズムに傾かせているものがあるとすれば、それはやはり棲み分けに端を発した私の自然観であり、(中略)それは一種の
停戦協定ができたようなものである」と考えている。
 そこには、19世紀から20世紀にかけて殆ど地球を占領しそうになった西洋進化論者たちへのレジスタンスがあり、未開とか遅れていると言われた地域に住んでいた人間と生物が、ダーウインのいうようには絶滅せず棲み分けによって、停戦協定の下、生存し続けてきている、と主張している。
 
5.現代中国人は魯迅を削除せず、読んで批判してこそ将来展望が開けてくる。
 魯迅は、儒教の経典を暗唱できなければ合格できないといわれた科挙受験のための勉強を、途中で止めて洋学に転じた。その当時は、そんなことをする者は魂を外国の鬼に売り渡す者だとさげすまれた。
しかし彼が南京の学校で学んだのは進化論をはじめとする西洋社会進化論で、それに基づけば、眠れる獅子中華民族はこのままでいたら欧米列強に淘汰されるとの恐れに突き動かされた。進化、改革せねば滅んでしまうという恐怖。
英米など西欧文学は優位者の立場を擁護、弁護するものが多く、魯迅の参考にはなりにくい。彼らに圧迫されている少数民族の文学に、その当時の清国の状況に近いものを見た。といって少数民族の言葉を読めない彼は、それらを多く翻訳しているドイツ語に注目して仙台の医学校を辞めて東京に戻ってから帰国までの数年間にせっせとドイツ協会の語学校に通った。
 ダーウインやハックスレーは魯迅にどんな影響を与えたか?
生存競争、適者生存、自然淘汰、これらの言葉が呪文のように、魯迅の頭の中で「改革」「変革」をして西欧の進化に追い付かねば、デクの棒のように西洋人に使役され、ロシア人のスパイとして銃殺されても、それを眺めて喜んでいるだけの中国人は、いずれこの地球から滅びてしまうというのではないかという危惧が、彼におびただしい量の文章を書かせた。
彼の文章は彼が生きていたころの同世代の人々、特に青年たちにどれほどの影響を与えたかは、正直言ってよく分からない。革命政権樹立後に祭り上げられたような大きな影響は無かったのではないかと思う。しかし、少数派として常に叫び続けてきたこと、そして1936年に死んだとき、約6千人の上海市民から贈られた「民族魂」と書かれた布にくるまれて、万国公墓に埋葬されてからじょじょに内外からの評価が高まったのではないかと思う。
 1920年代から30年間全土での内乱と日本の侵略による荒廃と抵抗を経て、なんとか新しい中国を造ることに成功した。そのときに毛沢東が彼を、「骨の硬い」先駆者として祭り上げ、全国各地に魯迅の名を冠する記念館、公園、芸術学院などを作り、大宣伝して「聖人」にしてしまった。彼は決してそうではないし、そうされることを拒絶する部類の人間だと思うが。
 その結果、台湾や米国に逃れた人を除き、殆どの人がダーウインの信奉者と同様、伝記と礼讃がやたら多くて、まともな魯迅論を出せなくなってしまった。これは不幸なことである。魯迅の信じた進化論。それは今そのまま通用しなくなってきている。確かにそれまでの聖書にあるような「地上の生き物はすべて神が創造したもので、生き物が自然に進化することはない」という天動説を引っ繰り返したダーウインは偉大であるが、その後の遺伝学の発展により、突然変異とか、いろいろ新たな発見がなされ、今西氏のような少数派もいくらか出てきた。それがダーウインを批判し、より真理に近いものにしようとしている。ダーウインの偉大な点を認めながらも、真理は一つとは限らないというのが大事である。
6.
 話は飛躍するが、アメリカに住んでいた人が私に語ってくれた話だが、アメリカにいる黒人がアフリカにいる黒人より体格も優れ、たくましいのはなぜかと訊く。答えに窮していると、アメリカ人の言うには、
① そもそもアフリカで頑丈そうなのを奴隷として集めてきた。
② 奴隷船の船倉に丸太棒のように押し込められて大西洋横断中に、死なずに上陸できた生命力の強いものの子孫である。
③ 南部の綿花畑のきびしい環境下、長時間労働に耐える体力を培った。
④ 農園主も労働力商品として生活管理を徹底し、長生きするよう大事にした。
等で、今のような頑強な体力の子孫が生き残った、という。
なんだかダーウインの進化論の亜流の感がする。
 これと似た話は、福建、広東から子豚が母豚の乳を吸うような格好で、船倉に押し込められて、東南アジアに苦力として運ばれてきた豚の子と呼ばれる華人の子孫たちも、輸送途上とか熱帯雨林のゴム園での苛酷な労働にも耐えて生き残った者の子孫だから、つよくてたくましいと言われる。百年もせぬうちに、移民先で政治的経済的な支配階層にもなっている。
話をアメリカに戻すと、華人よりもたくましい大統領が生まれたことは特筆に値する。タイやシンガポールの首相とは歴史的な重みが違うと思う。しかし
去年のオバマ大統領の中間選挙での敗北の一因に、彼が掲げる「Change」に同調できない、ダーウインの進化論を学校で教えない人たちの声が反映されている、と伝えられた。百年、二百年前の移民してきたころと同じ生活を大事に守って暮らす方が、Changeより大切であると信じている人たちが、発展はせずとも、先進科学文明に滅ぼされずに、個体数を減らさずに生きているのだ。これも今西論に近いかもしれない。棲み分けである。
しかしながらアメリカはダーウインの進化論以上に進歩しているのは素晴らしい。アフリカ系の先祖を持つ人間が一国の大統領になれる寛容さがあるのだ。
その一方で、少数派と言わざるを得ない上記のような白人も許容されている。
7.
 魯迅は生きている頃は、大多数の現状肯定派を罵しる少数派であった。
今、彼はまたもとの少数派に戻されようとしているようだ。少なくとも学校の教科書からは。
今の中国は7千万人と言われる翼賛的な共産党員の中から選ばれたエリートが13億人の中国人を統治する体制のなかで、「マルクス主義や毛沢東思想」というバックボーンを喪失した状況にある。そこで先祖がえりともいうべき、儒教的な考え方をより所にしようとする動きが顕著になりつつある。魯迅の否定した「孔子を聖人として崇める」考え方が、復活しつつある。全国各地で破壊され荒廃して放置されていた孔子廟が修復され、論語や儒教関係の本が書店の大きな売り場を占め始めている。子供向けの儒教の教養古典もどっさり並ぶ。
それを学ぶことが、受験にも役に立ち、エリートへの道を歩みだすための、入場券になりつつある。
 70年前まで、進化論に突き動かされて、改革をしなければ民族は滅びると叫びつづけた魯迅の文章を「現代中国人のプライドを傷つける」ものだとして、削除否定してしまうような尊大な「高慢さ」が、はびこってきているなら、夜郎自大と言われてもしかたあるまい。
 人間は物質的にある程度豊かになり、日々の暮らしが安定してくると、変化を嫌うようになるのだろうか。もともとが保守派が常に優勢を占め、新法とか改革派というのが、政治的には追い落とされてきた長い伝統の国であるから。
   2011/01/04記 
 
 

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