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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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大雪舞い散る

         張沛

 自分の主張を支持してもらおうという時、時には敵の顔に白墨の粉を塗り、彼をピエロのようにして、自分の正当性を訴えようとする。だがその結果は常々反対になる。

 章士釗氏は現在民権保障をしているが、段政権時は文語文を保障していた。彼は実例を示して、「二桃殺三士」を口語文で「二人の桃子が三人の読書人を殺した」とするは、大変おかしい、とした。今回李焰氏が大衆語文に反対し、『静珍君が例に挙げる「大雪紛飛」は「大雪が一片一片紛々降る」に比べ、簡要で神韵があり、酌量した上で採用し、文語文を提唱するのと併せ論じる」のに賛同している。

 私も止むを得ぬ時は、大衆語文に文語文や口語文を、更には外国文を使うのも良いとする意見に賛成で、事実上今すでに採用している。だが二人が代訳している例はとても適切とは言えない。その当時の「士」が「読書人」とは限らぬことは、とうに他の人が指摘している。今回の「大雪紛飛」も何も「一片一片」という意味はないのに、特にもてあそんで、何度もこきおろし、大衆語にドロを塗ろうとしているに過ぎない。

 口語は文語の直訳ではないし、大衆語も文語や口語の直訳ではない。江浙(江蘇と浙江)で、「大雪紛飛」は、「大雪が一片一片紛々降る」とは言わず、大抵は「凶」(ひどく)とか、「猛」(もうれつ)と形容する。「古い本と対証」するなら、「水滸伝」に「雪は正にしきりに降り」とあり、現代の大衆語の言い方に近く「大雪紛飛」より2字多いが、あの「神韵」よりずっと素晴らしい。

 人は学校から社会上層に跳びだすと、思想と言語はだんだん大衆から離れるのは自然の「勢いとして免れぬ」ことである。だがもし小さい頃から、公子(若殿)でなければ、何がしかは「下等人」と関わりを持っており、それならちょっと思い出せば、きっと彼らが文語や口語より優れた表現を持っていたことを覚えているだろう。もし自ら少し醜悪なことをして、敵のダメさ加減を証明しようとすると、それは単に彼が隠蔽していたところからとり出した自己の醜悪さであり、大衆を恥ずかしがらせることはできす、ただ大衆を笑わせるだけだ。大衆は読書人のように知識は高くないが、デタラメをいう相手に対しては「謚(おくりな)法」を持っており:刺繍の枕、と謚(おくる)。この意味は、田舎の人しか分からないかもしれないが、貧乏人の枕の中は羽毛でなく:稲ワラ(日本ではもみ殻だが)だから。822

               

訳者雑感:最後の段はなかなか難しい。

 推測だが、相手を貶めて自分の正当性を保とうとする行為に対してきつい批判を浴びせているのだろう。学校を出て社会的に高い地位に上り、文語文を擁護して大衆語を葬り去ろうとする連中の、例として取り上げた言葉が、大衆から遊離していて、却って自分の醜悪さをさらけ出していると、指弾している。大衆の使わない言葉を持ち出して…。

 彼らのことを大衆は「刺繍の枕」とおくり名する。見かけ倒しの謂いだ。

       2013/06/18

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読書瑣記 3

           焉於

 創作家はたいてい評論家の口やかましいのを憎んでいる。

 ある詩人のつぎのような言葉を覚えている:詩人が詩を書くのは植物が開花する如く、彼は開花せずにはいられないからだ。それを摘んで食べ、毒にあたったとしたら、それは君のあやまちだ。

 この比喩はとても美しいし、理があるようにみえる:だがもう一度考えてみると、間違いに気づく。詩人はつまるところ草ではないし、社会的な一個の人間で:詩集はお金を貰って売るもので、タダで摘むことはできないから、売ったらそれは商品で、買い手にも良しあしを言う権利はある。

 たとえ本当の花だとしても、深山幽谷や人跡未踏の地に咲いているのではないから、毒があれば、園丁は何とか方法を考えるだろう。花の現実は詩人の空想には及ばない。

 しかし今言い方を換えると、作者でない人でも、評論家を憎んでこう言う人もいる:貴方がそうおっしゃるなら、ご自身でやってみては如何!

 これに対しては評論家も頭を抱え、鼠のように逃げ出す。評論家で創作もできると言う人は大変少ない。

 思うに、作家と評論家の関係は、料理人と客に頗る似ている。料理人が作ったものを、客はうまいとかまずいと言う。それに料理人が不満を抱くと、彼は精神病ではないかとか、舌が鈍感とか、かねての憎しみからではないか、代金を踏み倒そうとしているのではとか、或いは広東人で蛇を食べたいからだとか:四川人で辛いのが欲しいなどと考える。

それで説明し、或いは抗議をする――勿論、何も言わなくても構わないが。だが彼が客に対して声を大にして:「それなら貴方、ひとつ作って私に試食させてください!とでも言いだすと、とてもおかしなことになる。

 確かに45年前、筆をとる人は評論家とみなされ、文壇の高い所におることができたし、促成者や乱評者も多かった。だがこういう風潮を矯正するには、評論で以て評価すべきだ。但し評論家という名で、べとべとと泥を塗るのは決して良くない。我々読書界には穏和を愛する者が多く、筆戦を目にすると「文壇は悲観的だ」とか「文人相軽んず」等と言い、果には、是非を云々せず、すべてこれ相互罵倒となり、「漆黒の暗闇」という。はたして今誰が評論家かいわなくなった。文壇は旧態依然だが、評論家はもう露出してこなくなった。

 文芸には必ず評論あるべしで:評論が間違っていたら、評論で以て抗争せねばならぬし、そうしてこそ文芸と評論をともに前進させることができり。一律に口を閉じてしまって、文壇はもう浄化されたとするなら、得られる結果は相反するものとなるだろう。

822

 

訳者雑感:

 創作家と評論家を料理人と客に譬えるのは面白い。客の中にもいろいろいて、作家に対して色々うまいまずいとか文句をつける。それをヒントにして次の作品でさらに良い物を作ろうというのが、一般的な関係だが、この当時の中国の文壇は「悲観的」「漆黒の暗闇」で、相互に罵倒しあうという不毛な状態が続いたのだろう。

相手を頭からつまさきまで罵倒しまくる。相手を否定しまくる。この習性はなかなか修正されないようだ。すべての悪い原因は相手にあり、自分は正しいと言い張る。ここから進歩成長は生まれてこない。

 中国の俗語に「文章は自分の(もの)が一番、女房は人のが一番」というのがある。

科挙の試験の為に、どれだけ「みごとな」四六駢儷体の文章を書く事ができるかに精魂こめて来た結果、内容で人を感動させることができるかどうかが、二の次にされた弊害だ。

     2013/06/17

 

 

 

 

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迎神と人を咬み殺すこと

     越僑

 新聞に、余姚(浙江省)の某郷で、農民が旱魃のため、神を迎えて雨乞いしたが、見物人の中に帽子を被っていた者がいたので、刀や棒で殴った由。

 これは迷信だが根拠があり、漢の先儒、董仲舒先生は祈雨の法を有し、寡婦を使うとか、城門を閉めるとか、烏煙瘴気(黒い煙もくもく)というべきか、その古怪さは道士と異ならぬが、これまで儒者は訂正してこなかった。大都市でも今まだ(第36代の)天師の雨乞い作法や長官の(雨乞いの為に家畜の)屠殺禁止令で、大騒ぎをするが、誰もそれに文句をつけない。帽子を被った男を殴るのは、神が見て、まだ悠然自得の者がいると感じて、哀憐を垂れないことを怖れるからだ:もう一つの面では、彼が皆と患難を共にしないのを憎むのだ。

 迎神する農民の本意は、死からの救いで――迷信にすぎぬが――これ以外の方法を知らないからだ。

 新聞にはまた、60余才の老(国民)党員が出てきて、迎神を阻止するように勧めたので、皆から袋叩きにあい、ついには喉を咬まれて死んでしまったとある。

 これは妄信だが、これにも根拠がある。「精忠説岳全伝」(小説で、岳飛が咬み殺される)に、張俊が忠良を陥れて害したとき、ついに衆人が咬み殺し、人々は之に快哉を叫んだ。

この為、田舎ではこれまで伝説で、咬み殺したら、皇帝は必ずこれを赦し、『怨恨の余り、咬むに至るのは、咬まれた者が悪いとするのは当然のこととなった』法律はどうなっているか知らぬが、多分民国以前の律文に、こうした規定がある訳では無かろうが。

 人を咬む農民の本意は、死から逃れることで――迷信にすぎないが――これ以外の方法を知らないからだ。

 死からの救い、死から逃れようとするのだが、その結末は却って死を速める。
哀哉!

 帝国から民国になってから、上部の変革は少なくなかったが、教育の無い農民は、一つも新しい有益なものを得ていない。依然として古い迷信、古くからの誤った言い伝えを守り、懸命になって死から救われ、死から逃れようとしながら、自ら死を速めている。

 今回彼らは「天討」(天罰)を下そうとした。彼らは怖れおののかせようとしたが、それは「天討」を解せぬためではなく、彼らも不満だったからだ。この怖れおののかすのと、不満が忘れられると、ただ迷信と誤った言い伝えだけが残り、次の水害旱魃の時、やはり同じように、迎神と人を咬み殺すことが起きるだろう。

 この悲劇はいつになったら無くなるのだろう?    819

 

付記:傍点(訳文では『 』の部分)を付けた三句は、印刷時すべて削除された。

編集長か検査官の仕業だろう。どちらか分からぬが、原稿を覚えている作者にはとても面白いと感じた。彼らの意向はきっと田舎の人の考えは――迷信だが――やはり皆は知らないに如かずということで、さもなくば、弊害が起こるのを心配で、多くの喉が危険にさらされることになっただろう。    822

 

訳者雑感:

 雨乞いのために迎神するのは、(餓え)死にから救われようとするため。

 迎神を阻もうとする者の喉を咬んで殺すのは、死から逃れるため。

迎神しなければ、雨は降らぬし、その大切な時に帽子なぞ被ってのほほんと見物している男はぶん殴る。それは天罰だ。又、それを止めろという者の喉を咬み殺すのは、そうしないと自分が(天罰で)死んでしまうからと信じているからだ。

 こうした迷信を早く無くさないと、旱魃のたびにこうした悲劇が起きると心配している。

近頃では、雨乞いも儀式として残っているが、雨雲に水銀弾とか薬剤を飛行機で散布して、雨を降らすようにしている由。多少は科学的になりつつあると言えようか。

      2013/06/15

 

 

 

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奇怪(2)

              白道

 尤墨君氏は教師として大衆語討論会に参加したが、その意見は大きな問題である。

彼は「高校生に大衆語を練習させよ」とか更には「高校生の作文で最もよく使われ、最も誤用される多くの流行語」を挙げ、「最も良いのは彼らにそれを使わせぬこと」だとし、彼らが将来弁別できるようになってからにすべきだという。というのも、彼らが「新しい物を食べて、消化できぬならそれを禁じるほかない」としている。今、挙げられた「流行語」

の一部を下記する――

  共鳴、対象、気圧、温度、結晶、徹底、趨勢、理智、現実、意識下、相対性、
    絶対性、
立面図、平面図、死亡率…(<新語林>3期)

 しかし私はとても奇怪に感じた。

 これらの文字はほとんど「流行語」とはいえない。「対象」「現実」など、新聞雑誌を見る人なら、常に目にし、しばしば目にしたら、比べてみてその意味が会得でき、丁度子供が話しが分かるようになるのは、文法の教科書に頼らないでもできるのと同様だ:況や、学校だから教員が指導する。「温度」「結晶」「立面図」「平面図」なども科学の名詞であり、高校の物理学鉱物学植物学の教科書にあり、国文上の意味と何ら違いは無い。

今「最も誤用の多い」のは、自分で何も考えず、教師も指摘せず、他の科学でも同じだが、あいまいなままにしていることではないか?

 それでは、只単に中途から大衆語を勉強するのも、高校出身者を大衆に速成するにすぎないから、それが大衆にとって何の役に立つというのだろう?大衆が高校生を必要とするのは、教育程度が高いからで、人々に知識を広め、語彙を増やし、解明できるものは解明し、新たに添加すべきは添加する:「対象」などの定義はまず明白にし、必要なら方言で代替してもよい。訳も換え、もし無いなら新しい名詞を作り、その意味を説明する。

大衆語が、道半ばで家を出てしまったら、新名詞も意味不明となり、この「落伍」は本当に「徹底」している。

 思うに、大衆の為に大衆語を練習するのは、却ってそれらの「流行語」を禁止すべきではなく、大事なことは、その定義を教えることであり、教師は高校生に対するのは、将来の高校生が大衆に対するのと同じである。例えば「立面図」と「平面図」は「縦切り図」や「横切り図」と解説すればよく分かる:「ヨコに鋸で切った面」「タテに切った面」というなら、大工の弟子もすぐ分かる。字を知らずとも分かることだ。禁止するのはよくない。

彼らの中には永久にあいまいなままで「高校生は必ずしもすべてが大学に入れて、文豪冶学者になるという理想を実現することはできないからだ」  8月14日

 

訳者雑感:

本編で挙げられた「流行語」というのは古文の漢語には使われていなかった輸入或いは新語だろうが、大半は日本語の漢字語彙から輸入したものだろう。

それを「流行語」「新語」として使用禁止するというのに魯迅は反対している。当然だ。

魯迅の作品の中にはおびただしい数の日本語からの語彙が使われている。読者は文脈と前後の比較から、丁度子供が大人の語彙をどんどん取り入れ会得するように、多くの青年たちは、これらの語彙を自国語として、縦横無尽に使いこなしてきた。それが近代化へのとても大切なツールとなった。いまやそれらが日本語からの借用語として意識されることも少なくなっており、一部の言語学者や文学関係者しかそれを意識していない。

「意識下」などは日本人もこれを欧州から輸入翻訳した当初は、殆ど理解できなかった。

20世紀の中国は大量の語彙を日本経由で採り入れたが、20世紀末から欧米から直訳が増えたと思う。

「携帯電話」は「携帯」ではなく「手机(機)」と20年前のデカイ大型の時のイメージのハンドフォーンからだろう。固定電話の普及していなかった中国では「手机」がぴったりする訳語だったろう。

     2013/06/14

 

 

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奇怪

              白道

 世界にはいろいろな事実があり、記載されたものを見ないと、天才も思いもつかぬ程だ。

アフリカの土人で、男女の忌避が大変厳しく、婿が義母に会う時は、地上にひれ伏さねばならず、更には顔を土中に埋めねばならぬ。これ真に我々礼儀の邦の「男女7才にして席を同じうせず」とした古人といえども、全く比べようもないものだ。

 こうして見ると、我々の古人が男女の別を設けたのも低能児たるを免れず:今も古人の枠から跳び出せないのは、更に低能の至り。共に泳がず、歩かず食べず、映画を見ず等は、全て「席を同じうせず」の演繹だ。低能の極みは、男女が同じ空気を吸うことまで思い到らなかったことで、この男の鼻から出たのが、あちらの女の鼻から吸い込まれたら、乾坤(男女の意)が混淆し、海水が皮膚に触れるより厳しい。この厳しい問題に対し、対策がなければ、男女の境は永久に分けられない。

 思うに「西洋の法」を使うしかない。「西洋の法」は国粋ではないが、時には国粋を助けられる。例えばラジオのように朝の和尚の念仏も悪くない:自動車も元は西洋の物だが、これに乗って麻雀に行けば、緑の羅紗の大駕籠で長い時間かけて行くより、数ちゃん多く打てる。これから考察するに、男女が同じ空気を吸うのを防ぐには、防毒マスクをつけ、夫々一個の箱を背にし、酸素を管から自分の鼻孔に通せば、顔をさらさずにすむし、防空演習も兼ね、正に「中国の学問を体とし、西洋の学問を用とする」だ。ケマル将軍の統治前のトルコ女性のヴェールなど、これにはかなうまい。

 今もし英国のスイフトのような人が「ガリバー旅行記」の如き風刺小説を書いて、20世紀にある文明国に着いたら、一群の人が焼香し、龍を拝んで雨乞いするのを見、「世界一太った女」の見世物や、カメを殺すのを禁止するなどを目にするだろう:またその一群が古代舞踊法を研究し、男女は道を分けよと主張し、女性の腿の露出禁止などを記すだろう。そうすると遠方にいる人たち、或いは将来の人達は多分、これは作者の冗談で、デタラメに捏造したもので、彼が不満を抱く人達へのあてこすりだと思うだろう。

 だが、これは本当のことだ。もしこんな事が無いのなら、如何に刻薄な天才作家と雖も、全く思いもつかないことだ。幻想などではどう表現しても奇を生み出す事はできない。

それゆえ、人々はこうしたことを目にすると「奇怪なり」と口にする。  814

 

訳者雑感:

 事実は小説より奇なり、ということに尽きる。しかしそれが文明国と言われ眠れる獅子と言われた中国の1934年の現実である。出版社注によると、347月に国民党広東艦隊の張之英司令などが、男女が同じ場所での遊泳を禁じるよう提案し、広州市公安局が発令して実施した由。同時に自称「蟻民」という黄維新が男女の境を分ける5項目を国民党広東政治研究会に採用するよう上程し:1)男女の同車禁止、2)酒楼茶店で男女同食禁止、3)旅客男女の同宿禁止、4)軍民の男女の同行禁止、5)男女が演劇で同演を禁止し、又男女は遊楽の場所を分けること。

 こうした提案が出されたということは、とりもなおさず、これらのことが当たり前のように行われていて、風紀が紊乱、国民党政府及び軍部が腐敗していて、軍のジープに妓女を乗せて、歓楽街に向う将兵士官の行為が目に余ったのであろう。

 1937年の日中全面戦争に入るまでの10年間は、国民党の「腐った」政府ではあったが、そんな「奇怪」なことが一杯あったけれど、本格戦争前の風前の灯だったわけだ。

 世界一太った女の見世物はアメリカ人で7百ポンド強という。上海民族系最初の百貨店である「先施公司」(Sincere)で3481日から各社協賛で開始した由。

 カメを殺すのは、「中国動物保護会」の要請で、残酷なカメ殺しを禁止した由。

   

 スイフトが魯迅に紹介されて、見たままを書いてイギリスで出版しても、そんな馬鹿なことは無い。デタラメな捏造で、誰かを陥れようとしている…と罵倒されただろう。

    2013/06/13

 

 

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貧に安んじ、道を楽しむ

               史賁

 子は人に教えて貰い、病は人に治して貰うが良い。たとえ自身が教師や医者でも。

だが人としての処世の術は、必ず自分で斟酌すべきであり、人の書いた処方は往々、

反故に過ぎぬ。

 貧に安んじ道を楽しめ、と勧めるのは古今治国平天下の大道で、処方の数も大変多いが、いずれも十全の効果をあげていない。それで新しい方法が今なお完成されていないのに、最近も2つ出て来たが、多分あてにできないと思う。

 一つは職業に興味を持てとの教えで、興味を持てばどんなことでも楽しくて倦まない。

勿論その通りだが、結局は気楽な職業でないと難しい。炭鉱夫や肥え担ぎ等は論外だが、たとえば上海の工場で毎日最低10時間働く労働者は、夕方近くには、疲労困憊で、力も出ず、そんな時に怪我も起こる。「健全な精神は健全な肉体に宿る」というが、自分の体すら顧みられぬ状態で、どうして興味が起きようか?――興味の方が命より大事なほど好きだと言う者は除いて。彼らに聞くと、労働時間を減らしてくれとは言うが、何か興味を持つ方法など夢にも思いつかないだろう。

 もう一つは、徹底的に極めるということ:暑い日に、えらい連中は接待にいそがしくて、背中は汗だくだくだが、貧乏人は破れた席(むしろ)を路上に敷き、服を脱いで涼をとる。その楽しみは、無窮でこれを「天下を席巻する」(席はむしろと天下を取る、の2つの意味)これも詩趣に富んだ珍しい処方だが、その後がいけない。暫くすると秋で涼しくなり、朝路上を歩くと、手で腹を押さえ、口から黄色い液体を吐き出している者を目にする。彼らはかつて「天下席巻」した活き神仙に他ならぬ。大抵の場合、目の前に福があれば、享受しようとしない馬鹿は、世の中そう多くはないだろう。本当に精窮(赤貧)がそんなに趣があるのなら、現在のおえら方は、きっと路上に身を横たえ、貧乏人が席(むしろ)を敷く余地もなくなろう。

 上海の高等学校合同試験の成績優良者が発表され、<衣は寒さを蔽うため、食は腹を充たすためとの論>というのが有り、その中の一段は――

 『… もし徳業すでに立たば、饔飧(ようそん:食糧)継がず(供給不足)、襟を捉えれば肘あらわる(粗末な衣服)と雖も、その名徳は後に伝わり、精神生活は充分に発展する。

何ぞまた物質生活の不足を患わんや?人生の真諦は、もとより彼(精神)にあり、此(物質)にない。……』(「新語林」第3期より転録)

 これは本題の趣旨より更に一歩進んでおり「腹を充つ」ことすら大事ではない。但し、高校生が書いた処方は大学生には適用できないので、それと同時に職業を求める大群が現われた。

 現実は毫(ごう)も義理人情の無いもので、それは絵空ごとをこなごなに砕く。このように明明白白なことは、その実、愚見だが、これはもう二度と「之乎者也(文語文)」等を玩ぶ必要はない、――いずれにせよもはや永遠に役に立たぬから。 
                                                                   813

訳者雑感:

 清貧に安んじ、道を楽しめという教えは、2千年以上も受け継がれて来た「美徳」だが、実際にそれを説いた「文語文」の処方箋を書いた人々は、大きな邸宅に住んで何人も召し使いを雇って、お上の禄をはんでいた官吏であった。彼らの言うところの清貧とは何か?

路上に席を敷いて涼をとる神仙か?山に隠遁して暮らす隠者か?そうではない。

 高等学校の試験問題への成績優良者の「答案」は、訳すのさえ難しい「古典からの引用たっぷりの文語文」で書かれたものだが、これは「作文」に過ぎない。それが証拠には、この処方賤は現実の大学生にはまったく役に立たない。彼らは「うまい汁」の吸える官僚になるために、必死になって「職業」を求めているのだ。大群となって。古今東西不変だ。

      2013/06/11

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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時流と復古

                    康伯度

 半農氏の死去は、朱湘蘆穏の両作家と同様に新聞雑誌をにぎわせた。この状況はどれくらい続くか推測できない。が、彼の死の影響は二人よりだいぶ大きいようだ:彼はすでにもう復古的先賢に封じられようとされており、彼の位牌を持ち出して「時流」に乗ろうとする連中を打倒できる。

 この攻撃は有力で、彼は死去した名士であり、かつては新党で、新を以て新を打つのは、毒を以て毒を攻める如しで、錆びた骨董を担ぎ出すより勝っている。だが、滑稽さもこの中に埋伏している。なぜか?それは半農氏が「時流」を追って名を成した人だからだ。

 かつて青年の心目中に劉半農の3字があったが、その理由は彼が音韻学に長じていたからでも、諧謔詩をよく書いたからでもなく、鴛鶯胡蝶派を跳び出てし、王敬軒を罵倒し、「文学革命」陣営の戦士になったからだ。だが当時でも一部の人は彼を「時流」を追うとして謗ったものだ。結局時代はいくらか前進し、光明も流れ去り、漸うやくこの仇名も洗い落とされ、自ら這い上がり、少し協調をすることにより、ついに清浄な名士となった。

しかし「人間は名が売れるのを怖れ、豚は肥えるのを怖れる」の喩えもあるように、彼もこの時、新しい「時流」を追う病気を治す薬材を包もうとした。

 これは半農氏だけの苦境ではなく、旧例がちゃんとある。広東の挙人(科挙合格者)は実に多いが、康有為がなぜあれほど有名なのかは、公車で(変法維新を)上書した旗振りで、戊戌政変の主役として時流に乗り:英国留学生はもう稀でないが、厳復の名がまだ消えないのは、以前、数冊の鬼子(毛唐)の本を真剣に翻訳したのも時流に乗ったものだ:

清末、朴学(訓詁・考証学)を治めたのは太炎先生一人にとどまらないが、彼の名声ははるか高く、孫詒譲より上だったが、彼が種族革命を提唱したのは、時流に乗ったが、更には「造反」にもなった。その後、「時流」も「超える勢い」となり、彼らはまさしく生ける純正な先賢となった。しかし不運も後からついて回り、康有為は永遠に復辟の祖師にされたし、袁(世凱)皇帝は厳復に勧進をさせ、孫伝芳大師も太炎先生に投壺(宴席の娯楽)をさせた。(召しかかえた)

本来は、車を前進させる名手で、ふくらはぎも大きく、腕っ節も強く、今回やはり彼に引っぱってもらったが、引くのは引っぱったが、車の尻を後のほうに引っぱってしまった。

こうなるともう古文で言うしかない、「嗚呼哀哉、尚饗」(哀しい哉、饗を尚せ:おしまい)

 私は何も半農氏を「時流」を追ったと風刺しているわけではない。ここで使っているのは普通所謂「時流」を追うという中の一部:「前駆」の意味だ。彼は自ら「没落」を認めたが、それでも戦ってきており、彼を敬愛する人は、この点をもっとしっかり発揮して欲しい。よって、たかって、彼を自分の好きな油や泥の中に引きずり込んで、その金看板にしないでもらいたい。    813

 

 

訳者雑感:

 広東には実に挙人が多い、というのは魯迅も認めているが、どういうわけか仏山順徳などには立派な書院がたくさんあり、猛暑の夏でも庭園に滝をしつらえ、涼風を呼んで、科挙の試験勉強に資したという説明を目にしたことがある。

 清朝の挙人輩出量は蘇州杭州などと並んで広東が多いのは、それだけ受験勉強をしっかりと受けさせるだけの財力ができて来たからだろう。 相対的に北京など北方からの挙人が少ないのは、袁世凱ではないが、科挙の試験に合格できなくても、武力とか権貴などの「つて:縁」でやって行ける基盤があったのだろう。

それのない南方の商業地帯の財力ある家は、今の大学受験と同様、科挙の試験合格を

最大の目標にしてきたからだろう。

本編では康有為、厳復(福建)、章太炎(浙江)など南方出身者が「時流」を追って、目覚ましい活躍をしたが、結局は「不運」がついて回り、それぞれ仕えた「主」が失脚、没落して「おしまい」となった。

 これが清末・民国初頭の袁世凱の帝政や復辟などの「混乱」の原因であった。

南方出身者たちの「智恵・先見の明」が北方育ちの「光緒帝」「袁世凱」「孫伝芳」などの権力・武力を持った為政者とのタイアップが、順調に運ばなかったのは、南方訛りの言葉が、北方のマンダリン(北京官語)か山東訛りの強い「権力者」たちとの意思疎通が、必ずしもうまくゆかなかった面がある。

 中国映画「共和への道」で広東省出身の孫文が話しかける言葉を、北方出身の袁世凱が、「彼は何と言っているのかね?」と側にいた取り巻きに尋ねているのからそれが分かる。

孫文の掲げる三民主義の原形だった理想そのものを理解していない、しようともしない彼には、広東語訛りの孫文の話したことは、チンプンカンプンだっただろう。

  2013/06/10補記

 

 

 

 

 







 

 

 

 

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読書瑣記(二)

        焉於

 同じ国の同じ時代でも話が通じないことがある。

 Barbusse(フランスの作家)の面白い短編小説「自国語と外国語」に­­、フランスの金持ちの家に招待された、欧州大戦で九死に一生を得た3人の兵士は、お嬢さんからのもてなしを受けたが、話す事が何もなく、無理にとりつくろって話したが、彼らも何も答えられない。広い部屋に坐って緊張していたので骨まで痛くなってしまった。自分たちの「豚舎」に戻ってやっとくつろいで、しゃべったり笑ったり、またドイツの捕虜の中にも、手振りで彼らが「自分たちの話」をするのを発見した。

 この経験によって、兵士の一人はぼんやりとこう思った:「世の中には2つの世界がある。

一つは戦争の世界。もう一つは頑丈な門のある、礼拝堂のように清潔な厨房と、豪華な部屋の世界。全くの別世界。別の国。そこには、異質な考えの外国人がいる」と。

 そのお嬢さんは後に、ある紳士に語った:「彼らとは何も話す事ができなかったの。彼らとの間に越えられない深淵があるようだったわ。

 だがこれは何もお嬢さんと兵士たちに限らない。例えば我々――「封建の残党」「買弁」或いは別の何でも構わぬが――殆ど同類の人であっても、どこかが違えば、そして気持ちと言葉とが同じならば、往々にして、お互い同士何も話す事がないということがある。

だが我々中国人はお利口で、とうの昔から万能薬を発明し「今日はいいお天気で…ははは!」で済ますし、もし宴席なら、猜拳(相手の拳に勝てる拳を出す遊び)するきりで、議論はしない。

 こう見て来ると、文学が普遍と永遠を追及するのは、実際にはとても難しいことだろう。

「今日はいいお天気で…ははは」はいくらか普遍性を有するが、永遠かどうか疑わしいし、余り文学的でもない。それで超越した文学家(梁実秋の如き;出版社)は自ら一つの規則を定め、彼の「文学」が理解できぬ人を「人類」の外に追い出して普遍性を保持した。

文学にはまだ他の性質もあり、彼はそれを説破しようとはせず、この手法しか外にない。しかしこうなると「文学」は存するが「人」は少なくなってしまう。

 聞くところによると、文学が超然とすればするほど、それが分かる人は減少し、超然の極みは、普遍性と永遠性は作者一人に集中する。だが文学家は悲哀を感じ、吐血したそうだが、これはまさに仕方のないことだ。  86

 

訳者雑感:これはなかなか難しい議論で、魯迅の矛先は梁氏の「階級性を越えた文学」をという提唱に反論したものだという点を理解する必要がある。

 梁氏の主張は「文学は全人類の物であるが、文学は只少数の人が享受できるもので、良い作品は永遠に少数の人の専利品だ。大多数は永遠に文学とは無縁だ」というもの。

一部の人にしか理解できぬ「超然的」なものの意味はどこにあるのだろうか?

 2013/06/06

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読書瑣記

        焉於

ゴルキーはバルザックの小説の会話のうまさに驚嘆し、会話を読むと、話し手が目の前にいる様に感じさせる。(8月「文学」<吾文学修養>)

 中国には、まだそんなすぐれた手段を持つ小説家はいないが、「水滸」と「紅楼夢」の一部には会話から人物が浮かび上がるような所がある。その実、これは何も奇特な事ではなく、上海の横丁に部屋借りすれば、時に体験できる。隣の住人と顔を会わせたことはなくとも、薄壁一枚隔てただけだから、その人の眷族や客の話し、特に大声のは、略みな聞こえ、永らくすると、そこにどんな人が居て、どんな人々なのか分かるようになる。

余分な点を省いて、各人の特色ある話しを拾い出せば、人々は会話から夫々、話しをしている人を想像できると思う。だが私はこれで中国のバルザックになれると言っているわけではない。

作者が会話で人物を表現する時、きっと彼自身の心中に、その人の様子が浮かんできて、そこで読者に伝え、読者の心にこの人物の様子が形成されるが、読者の想像した人物が、作者の想定した人物と必ずしも一致しないし、バルザックのちょび髭の痩せた老人は、ゴルキーの頭の中に移った時、粗雑で荒っぽいあご髭の男になっているかもしれぬ。

だがその性格、言動はきっと似ていて、大差なく、フランス語をロシア語に翻訳したものと同じになる。さもないと、文学は普遍性を失ってしまう。

 文学は普遍性があるとはいえ、読者の体験の違いで変化し、読者が似た体験がなければ、それは効力を失う。例えば「紅楼夢」を読む時、文字から林黛玉という人物を想像するが、梅(蘭芳)博士の「黛玉葬花」(京劇で、当時劇場に写真をかけていた:出版社注)の写真の先入観を排除すべきで、もう一人別の人を想像し、そうなると、多分髪を切った、インド更紗を着て、すらりとした、寂莫のモダ―ン・ガールになるかも知れぬし:或いは違った姿になるやもしれず、私には断定できない。試しに340年前に出版された「紅楼夢図咏」などの画像と比べてみると、明らかに違い、そこに描かれているのは、当時の読者の心目中の林黛玉である。

 文学は普遍性があるが、限界もあり:比較的永遠なものもある。が、読者の社会体験によって変化が生じる。北極のエスキモーやアフリカ中央部の黒人には、「林黛玉スタイル」は理解できぬと思う。また健全で合理的な良い社会にいる人も理解できないだろうし、彼らにとっては多分、我々が始皇帝の焚書や黄巣の殺人の話しを聞くことより更に大きな隔たりを感じることだろう。一旦変化があれば、永遠ではなく、文学だけが仙骨があるというのは、夢見る人の戯言だ。       86

 

訳者雑感:

 文学は普遍性があるが、時代の変化に随って変わってゆくし、それを受け止める読者の場所・社会によっても大きく変わるということを言いたいのだろう。

 確かに中国人は歴史的人物や物語の登場人物を大好きな「京劇」の役者の隈取りとか、女性ならその化粧した顔と衣装で「パターン化」してしまって、なぜかそれが永久に不変なもののように考えている。そうではない。たかが340年前の「紅楼夢図咏」の絵図と、梅博士の写真とは大いに違う、と魯迅は言う。今見ている者が永久不変だと思い込んでしまっている人々への警鐘か。

 アフリカ中央部の黒人には「林黛玉スタイル」は理解できないだろうと言う点について、アフリカ中央部のキリスト教徒の思い描く聖母マリアは自分たちと同じ黒い肌のマリアだ。

そして又欧洲の教会に置かれている聖母マリアは白い肌だが、エルサレムのマリアは白でも黒でもなかったはずだ。場所により、読者の体験により、イメージが変化するのは当然のことだろう。

     2013/06/05

 

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文を作る

           朔尓

 沈括(北宋の人)の「夢渓筆談」に云う:「往年の士人、多く対偶を文にするのを尚とび、穆修・張景(いずれも北宋の人)輩が初めて平文を為し、当時之を‘古文’と謂う。

穆・張はかつて同じ朝を造り、旦を東華門外に待ち、文辞を論じ始めると、奔馬が犬を踏み殺したのを目にし、二人はそれぞれその事を記し、巧拙を比べた。穆修曰く:‘馬逸走し、黄犬蹄に踏まれて斃すあり‘張景曰く:‘犬奔馬の下に死すあり’。時、文体に新しい変化あり、二人の語はみな拙でこなれてないとされたが、当時すでに之を巧みと謂い、今に伝わる」

 駢文後は、唐虞三代は不駢で、「平文」を「古文」と称したのはこの意味である。ここから推すと、もし古人の言文が真に不分であるならば、「白話文」を「古文」と称すとしても、不可とすべきところは無いようだが、林語堂氏のいうところの「白話的文言」の意味するところとは違う。両人の大作は単に拙でこなれてないのみならず、先ず主旨が同じでなく、穆説では馬が犬を踏み殺しただが、張説は犬が馬に踏み殺されたで、結局馬に重きを置くか、それとも犬か?明らかに穏当なのは、やはり沈括の何の作為も無い「奔馬あり、犬を踏み殺した」だ。

 古い物を倒すには力が要るし、大きな力が必要で、「やろう」、大いに「やろう」とすると、単に「こなれてない」だけでなく、時にはまったく「それぞれが吐き出さない」で、早くから古人が円熟させて「やって来た」古い物より悪くなる。

字数も論旨も制限ある「花辺文学」の類は、特にこのこなれていないという欠点を生じる。

 やり過ぎはダメだが、やらないのはもっとダメだ。太い丸太と4本の小枝で長椅子を作るのは、粗雑さを免れず、やはりカンナをかけねばダメだ。しかし全体に、装飾彫を施して、中を空洞にしてしまうと、坐れなくなり、長椅子にはならない。

ゴリキー曰く:民衆語は半製品、それを加工したのが文学。これは大変正しいと思う。

             720

 

訳者雑感:言文一致、これが究極の口語の文章化、文字表現である。

出版社注によると、胡適は古代の中国人は「言文不分」(言と文が分かれていない)で、彼が1928年に出版した「白話文学史」に:「我々が古代文学を研究して分かったのは、戦国の時には、中国の文体はもう語体(話し言葉)と一致できなくなっていることだ」彼の意味するところは、戦国以前の文体と語体とは合一だった、と。

 これに対して魯迅は異なる考えを持ち、「且介亭雑文・門外文談」で言う:

「私の憶測だが、中国の言文は昔から今まで一致であったことはなく、大きな理由は、文字が書きにくいから、省略するほかなかったためだ。当時の口語の摘要が古人の文で:古代の口語の摘要が後の人の古文である」

 要するに、胡適は戦国以前の古代人は言文一致とするに対し、魯迅は古代から現在まで、口語の摘要が文語だとする。

 その通りだと思う。民衆の口からでる言葉は半製品でそれを加工して摘要を文字にするのが文学である。

芝居や落語など、口から発せられる言葉は、民衆の口から出ている言葉を、演劇や落語の作者が、加工して文字にしたものをもう一度役者の口から声に出させている文学だろう。

      2013/06/03

 

 

 

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