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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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大雪舞い散る

         張沛

 自分の主張を支持してもらおうという時、時には敵の顔に白墨の粉を塗り、彼をピエロのようにして、自分の正当性を訴えようとする。だがその結果は常々反対になる。

 章士釗氏は現在民権保障をしているが、段政権時は文語文を保障していた。彼は実例を示して、「二桃殺三士」を口語文で「二人の桃子が三人の読書人を殺した」とするは、大変おかしい、とした。今回李焰氏が大衆語文に反対し、『静珍君が例に挙げる「大雪紛飛」は「大雪が一片一片紛々降る」に比べ、簡要で神韵があり、酌量した上で採用し、文語文を提唱するのと併せ論じる」のに賛同している。

 私も止むを得ぬ時は、大衆語文に文語文や口語文を、更には外国文を使うのも良いとする意見に賛成で、事実上今すでに採用している。だが二人が代訳している例はとても適切とは言えない。その当時の「士」が「読書人」とは限らぬことは、とうに他の人が指摘している。今回の「大雪紛飛」も何も「一片一片」という意味はないのに、特にもてあそんで、何度もこきおろし、大衆語にドロを塗ろうとしているに過ぎない。

 口語は文語の直訳ではないし、大衆語も文語や口語の直訳ではない。江浙(江蘇と浙江)で、「大雪紛飛」は、「大雪が一片一片紛々降る」とは言わず、大抵は「凶」(ひどく)とか、「猛」(もうれつ)と形容する。「古い本と対証」するなら、「水滸伝」に「雪は正にしきりに降り」とあり、現代の大衆語の言い方に近く「大雪紛飛」より2字多いが、あの「神韵」よりずっと素晴らしい。

 人は学校から社会上層に跳びだすと、思想と言語はだんだん大衆から離れるのは自然の「勢いとして免れぬ」ことである。だがもし小さい頃から、公子(若殿)でなければ、何がしかは「下等人」と関わりを持っており、それならちょっと思い出せば、きっと彼らが文語や口語より優れた表現を持っていたことを覚えているだろう。もし自ら少し醜悪なことをして、敵のダメさ加減を証明しようとすると、それは単に彼が隠蔽していたところからとり出した自己の醜悪さであり、大衆を恥ずかしがらせることはできす、ただ大衆を笑わせるだけだ。大衆は読書人のように知識は高くないが、デタラメをいう相手に対しては「謚(おくりな)法」を持っており:刺繍の枕、と謚(おくる)。この意味は、田舎の人しか分からないかもしれないが、貧乏人の枕の中は羽毛でなく:稲ワラ(日本ではもみ殻だが)だから。822

               

訳者雑感:最後の段はなかなか難しい。

 推測だが、相手を貶めて自分の正当性を保とうとする行為に対してきつい批判を浴びせているのだろう。学校を出て社会的に高い地位に上り、文語文を擁護して大衆語を葬り去ろうとする連中の、例として取り上げた言葉が、大衆から遊離していて、却って自分の醜悪さをさらけ出していると、指弾している。大衆の使わない言葉を持ち出して…。

 彼らのことを大衆は「刺繍の枕」とおくり名する。見かけ倒しの謂いだ。

       2013/06/18

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