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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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スナック菓子

                                              莫朕

出版界の現況は、定期刊行は多いが、専門書が少ないので、心ある人を心配させている。

小品は多いが大作は少なく、これ又心ある人を心配させる。人は心あり、真に「日坐して、城を愁う」だ。

が、この状況はもう久しく、現在は変わりつつあるが、更に顕著になったに過ぎぬ。

上海の住民は以前からスナック菓子が好きで、ちょっと注意すると、外でスナック売りの声が聞こえ、いつも「実にその徒が多い」。桂花白糖倫教糕(広東起源の糕)猪油白糖蓮心粥、蝦肉ワンタン麺、胡麻バナナ、南洋マンゴ、シャム蜜橘、瓜子大王、それに蜜餞や、オリーブなどもある。なんでもおいしければ朝から夜半まで食べる。うまくなくても構わない。よく肥えた魚や大肉に比べたら量はとても少ないから。その効能は聞くところでは、ヒマつぶしの間に、養生の益を得られて、味も良いということの由。

数年前の出版物は「養生の益」のスナック菓子、或いは「入門」「ABC」「概論」等あり、要は、薄っぺらな本で、1冊数十銭で、半時間で、科学や文学全体或いは外国文が分かった。

その意味は言うならば、ひと袋の五香瓜のタネを食べれば、滋養成長に良く、5年分の飯を食べたに等しい、というもの。数年試したが、効果は現れず失望した。少し試してみて、やはり有名無実なら往々にして失望するのは免れず、例えば今もう仙人になろうと修業する人や、錬金する人もあまりいないし、代わりに温泉に行き、宝くじを買うというのも、試験が無効だった結果だ。そこで「養生」という点を緩めて、「味がいい」という点に偏向してゆく。だがやはりスナックはスナックだ。上海の住民とスナックは死んでも離せない。

そこで小品の登場となるが、何も新しい物は無い。老九章(絹織物の老補)の繁盛時は、「筆記小説大観」流があり、これはスナックの大箱だった:老九章の倒産後は、それに伴って、自然に小粒になった。量も少なくなったが、どうしたわけか却って騒がしくなり、街中がにぎやかになったのはなぜだろう?思うに、これは天秤棒に篆字とローマ字をうまくあわせたネオンサインの為だろう。

しかしながら、やはり元のままのスナックで、上海住民の感応力は以前より敏捷になったからで、さもなければ、どうしてこんなに騒々しいのだろう。ただ、これもきっと神経衰弱のせいだろう。もし本当にそうなら、スナックの前途は憂慮すべきだ。

611

 

訳者雑感:当時の出版物はスナック菓子のような安くて手軽に読めるものばかりで、本当に滋養成長に欠かせない「魚肉の食事」たる「本」が少ないのを嘆じているのだろう。

ヒマ潰しに食べるのがスナック菓子で、ヒマ潰しに読むのは1冊数十銭のスナック本だと。

だが魯迅もスナック菓子の売り子の呼び声から、9個の名を記しているのは、一通り食べたものと思われる。マンゴとかオリーブとかさすが魔都上海で、戦前の東京には無かったろう       2013/05/05

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玩具

                                  宓(ひつ)子章

今年は児童年。それで児童向けの玩具を作っているのをしばしば目にした。

通りには、輸入雑貨店に小物が掛けられ、ラベルにフランス製とあるが、私が日本のおもちゃ屋で同じものを見たが、ずっと安かった。天びん棒の担ぎ売りや、屋台はすべてゴム風船を売っていて、そこには「完全国産品」と印字され、中国自家製と分かる。だが、(租界の)日本の子が遊ぶゴム風船にも同じ印字があり、それは当然彼らの自家製だ。

大きな店には武器の玩具があり:指揮刀、機関銃、戦車…。だが金持ちの子でもそれで遊んでいるのは余り見ない。公園で外国の子供が砂を集めて円堆を造り、横に2本の短い木の幹を挿している。これは明らかに装甲車を造っているのだが、中国の子は青白く痩せた顔で、大人の背後に隠れ、物おじして、驚いたように見ているが、身には極上等の長衫(中国の長い上着)を着ている。

我中国には、大人用の玩具は多い:お妾さん、アヘン用のキセル、麻雀牌、「毛毛雨」(流行歌)科学的コックリ占い、金剛法会、他にもいっぱいあり、忙しくて子供のことを考えるヒマも無い。児童年というに、一昨年は戦禍に遭ったというに、児童の為にそれを記念する小さな玩具を創って与えもせず、すべては例の通り模造品ばかり。来年はもう児童年ではないからその情況は推して知るべし。

しかしながら、江北人は玩具製造の天才だ。彼らは長短2本の竹筒を、紅と緑に塗って、それを重ねて筒の中にバネを入れ、傍らに取っ手をつけ、それを揺らすとカタカタ鳴る。これは機関銃だ!私が見た唯一の創作だ。租界で一つ買って、子供と揺すりながら歩いていたら、文明的西洋人と勝利した日本人が見る。大抵は我々を蔑視するか、憐憫の苦笑をもらす。だが我々は揺らしながら歩く。何も恥ずかしがることは無い。これは創作だから。

一昨年来多くの人が江北人(揚子江の北を指す。32年の1.28戦争後、日本に占領された時、漢奸を利用して傀儡の組織を作ったので、一般群衆は悪感情を抱いた:出版社注)を罵ったが、それはそうしないと自分の高潔さを顕せぬかの如くであったが、今は沈黙してしまった。あの高潔もすぐ渺渺然、茫茫然となった。江北人は粗削りだが機関銃の玩具を創造し、堅い自信を質朴な才能で、文明的な玩具と争っている。我々は外国から最新式の武器を購入してきた連中より、はるかに称賛に値すると思う。一部の人がきっとその為に私を蔑視し、憐憫冷笑しようとも。        
                                                                                                            611

訳者雑感:魯迅の子、海嬰は299月生まれ。彼は夫人とこの子を連れて繁華街によくでかけて映画を見た。この玩具の機関銃は5歳の息子の為に買った。2本の竹筒を重ねただけの粗削りの玩具だが、模造品ではない。これを鳴らしながら歩いていると、外国人が軽蔑の眼で、憐憫しながら冷笑する。しかし彼は些かも恥じない。模造品ではないからだ。

大連の開発区にも粗削りの玩具や発明品があった。大抵は近郊の農民がそこで採れた材料を使ったもので、その方が、プラスチックで作った模造品よりすばらしいと思った。

          2013/05/04

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誰が没落しているか

                              常庚

528日「大晩報」に文芸上の重要なニュースあり:

『我国の有名な美術家、劉海粟・徐悲鴻等が、最近ソビエトロシア(以後ソ連と称す)のモスコーで中国書画展覧会を開催し、彼の国の人達から絶大の称賛を博し、我国の書画の名作を高揚させ、ソ連で隆盛中の象徴主義作品に合致していると讃えられた。今ソ連の芸術界は、写実と象徴の2派に分かれ、現在は写実主義が徐々に没落しつつあり、象徴主義が朝野一致して提唱され、益々発展している。彼の国の芸術家が我国の書画作品が深く象徴主義に合致していると見たことから、すぐ思い及ぶのは、中国の戯劇もまた象徴主義をとっているに違いないということだ。で、中国戯曲の名優梅蘭芳等を招演させてはと計画をたてた。本件はロシア側と中国駐露大使館が折衝し、同時にソ連の駐華大使ボグモロフも訓令を受け、我方と打ち合わせ中。…』

これはいいニュースで、喜ばしい。が、我々は「国光発揚」を喜んだ後で、冷静に以下の事実を考えねばならぬ。

一。もし:中国画と印象主義が一脈相通じるというなら、それはそう言えるが、今「正に

ソ連で隆盛中の象徴主義と合致する」というのは戯言に近い。枝半分の紫の藤、松一本、一頭の虎、数匹の雀、確かに本物には見えないが、それは似てないように描いている為で、何か他の物を「象徴」しているなどということがあるだろうか?

二。ソ連の象徴主義の没落は十月革命の時で、その後、構造主義が起こり、その後徐々に写実主義に排除された。従って構造主義派すでに徐々に没落し、写実主義が「益々隆盛中」というなら:そう言える。そうではないというのは戯言だ。ソ連の文芸界に象徴主義の作品に何が有るか?

三。隈取りの顔と身ぶり表現の型は、代数のようなもので、どこが象徴だろう?

白鼻は道化、花臉が英雄を表し、鞭を執ることが騎馬を表し、手で推すのは開門を表す外に、どこに何か言い表せぬこと、表現できぬような深い意味があるだろうか?

欧州は本当に遠いところで、我々はあちらの文芸情報を本当に理解できていない。だが今、20世紀の三分の一が過ぎ、大まかな事は知ってきて、この様なニュースで以て「象徴主義作品」だと思わせるのは、それが彼らの芸術が消え亡ぶのを象徴している。

               530

訳者雑感:懐かしい名前に出会った。劉海粟さん(18961994)とは1981年、北京飯店でお会いした。中国絵画の大好きな劉奇俊さんの紹介で、彼のお嬢さんと2人で来られ、福岡の新聞社から彼の絵の展覧会の計画があったが、その後連絡が無いので問い合わせてもらえないか、ということであった。彼から大きな画帳を戴き、今も眺めている。

彼の絵が象徴主義かどうか?私の浅薄な知識では、そうではないと思う。かといって写実主義とも言えぬから、印象主義かもしれぬ。日本の江戸時代以降の「墨絵」が印象主義というなら、中国の水墨画もそうだろう。 2013/05/03

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「……」「□□□□」論の補足

                                                       曼雪

徐訏(く)氏は「人間世」で、こういう題目で論文を発表した。この方面について、深く研究したことはないが、「愚者の千慮、必ず一得あり」ゆえ、少し補足してみよう。

もちろん、浅薄は甚だ浅薄だが。

「……」は渡来品で、五四運動後に輸入された。以前、林琴南氏が小説を翻訳したとき、「この語は未完」と割注したが、それがこれの訳であった。洋書には普通6個の点を使うが、ケチなのは3個のみ。だが中国は「地大物博」で、同化の際に、段々長くなってゆき、9点、12点、数十点にもなり:大作家の中には、なんと少なくとも3-4行に点を使って、その奥義の深遠さが無尽無窮で、実際に言葉では言い表せないことを示している。

読者も大抵はそう考え、その中の奥義を悟れないのは、低能児だという。

しかし結局は、アンデルセンの童話「王さまの新しい服」のように、実は何にも無く:

子供だけがありのままを大声で言えるのだ。子供は文学家の「創作」は読めぬので、中国では誰もそれを言いだせない。だが天気が冷えると、裸のまま年中そとに出る訳に行かぬので、やはり宮中に身をひそめねばならぬから、最近では数行の妙文を……にするのは余り見なくなった。

 「□□」は国産で、「穆天子伝」にすでにあり、先生教えて曰く:闕字。(欠字)。

これも人騒がせなことで、かつて「口は垢(恥じ)を生じ、口は口を戕(そこなう)」の三つの口の字も欠字だと言う人がいて、大いに罵られた。が、以前の古人の著作にあるのみで、補う事はできないし、現在も今人の著作にあるのも、補おうにも補えない。最近は段々「XX」が代わる趨勢だ。これは日本から輸入された。これが多いと、その著作の内容は激しいものだと思う。が、実はそうでもないのがある。やたらXを数行付けて印刷すると、読者に作家の激烈さを敬服せしめ、検査員の厳しさを恨ませるが、検査の際、却って検査員は作家の従順さを良しとし、多くの言葉は敢えて表さず、只Xを付けて通そうとする。

これは一挙両得で、何行も…を打つより巧妙だ。中国は今まさに反日の最中で、この錦嚢(錦の袋)の妙計も、ひょっとするとマネするには至らぬかもしれない。

 今やどんな物も金で買えるし、何でも売って金にできる。だが、(……□□など)「無」いものでも売れるということは、意表をつくものだ。この事を知ってから、ペテンを業(なりわい)とし、今もやはり「さあこれは本物で掛け値なし、老人子供はだまさないよ」と言って生活できるのが分かった。    524

訳者雑感:

 「……」「□□」というのは言い表せぬこととか、伏せ字、欠字なのだが、余韻をもって、読者に想像してもらって、作者の意図をくんでもらいたいとしてよく使われた。

 魯迅も検閲をパスする為に使っている。だが、それが何行にも及び、中身は意味不明となると、「無」を金に換えるペテンのようなものだ。そう言いたかったのか。

       2013/05/02

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「花辺文学」を論ず(付録)

「花辺文学」を論ず(付録)

林黙

近頃ある種の文章を花辺(ぎざぎざ)で囲んだものが幾つかの新聞副刊に登場した。

これは毎日1段で、ゆったり閑適、緻密で整っていて、外形は「雑感」のようだが、また「格言」のようでもあるが、内容は痛くも痒くも無く、何の落とし所も無い。小品か語録の類だ。今日は「偶感」明日は「聞く所では」で、作者は当然好文章だと思っているだろう。反復しながらもすべて理屈にあっており、八股文の要領を十分に発揮しているためだ。

だが、読者からすれば、痛くも痒くも無いとはいえ、往々にして毒汁がしみ出し、妖言がまき散らされているように思われる。例えば、ガンジーが刺されたら、「偶感」を書いて、「マハトマ」を頌揚し、暴徒の乱行を繰り返し罵り、聖賢の為に神に誓って災いを祓い、次いで読者に向け「一切を見定め」「勇気をもって平和を勝ち取る」ため、不抵抗の説教の類を宣伝する。この種の文章は、名前が無いから「花辺体」或いは「花辺文学」と呼ぼう。

この花辺文学の来源は、大抵は出口の見えなくなった後の小品文の変種である。この種小品文の擁護者は、これはきっと流行るという。(「人間世」:「小品文について」参照)

彼らのやり方を見てみよう。628日付の「申報」「自由論」に次のような一文あり、題名は「逆さ吊り」。大意は西洋人が鶏鴨の逆さ吊りを禁じたことに対して、華人は大変不満で、西洋人が華人を虐待し、鶏鴨より下にみている、と。

それに対して、この花辺文学家は論議を始めて曰く:「それは実は西洋人を誤解している。

彼らは我々を蔑視しているのは確かだが、決して動物の下には置いていない」

 なぜ「決して」なのか?それは「人間はグループを組織し、反抗でき、…実力を備え、能力もあり、鶏鴨とはまったく異なる所以」だから租界で華人に過酷な待遇を禁じる規則は無い。華人の虐待を禁じないのは、当然華人を鶏鴨より上にみているのだ、と。

もし不満ならなぜ反抗しないのか?

こうした不満の士は、花辺文学家が古典から得た証明では「イヌになっても構わぬ」輩で、意気地なしと断定された。

この意思は極めて明白で、第一、西洋人は決して華人を鶏鴨の下には置いていないから、自ら鶏鴨に如かずと嘆く人は、西洋人を誤解している。

第二、西洋人のこの種の優待を受けているから、もう不平をもらすべきではない。

第三、彼は正面から、人間は反抗できると認め、反抗させようとしているが、実は西洋人に華人を尊重させる観点から、この虐待は不可欠で、且又もう一歩進めよ、と説いている。

第四、もしまだ不満なら「古典」を引用し、華人が将来の見込みが無いと証明している。

上海の洋行(外国貿易会社)には西洋人のビジネスを助ける華人がいて、通称「買弁」と呼ばれ、彼らは同胞と商売する時、輸入品が国産品よりどれほど優れているかを誇る以外に、外国人がいかに礼節と信用を大切にするかを説き、中国人は豚野郎で、淘汰されるべきと言い、更には、西洋人を称して曰く:「我々の主人」と。

私は、この「逆さ吊り」の傑作は、彼のくちぶりから、大抵この種の人間が彼らの主人の為に書いたものだと思う。第一、この連中は常々、西洋人をよく理解していることを自ら誇っており、西洋人は彼に対してとても親切だから:第二、彼らは往々、西洋人が中国を統治するのに賛成で(即、彼らの主人の)華人虐待に賛成しているのは、中国人は豚野郎だから:第三、彼らは中国人が西洋人をとても恨むのに対して、最もそれに反対する。

不満を持つものは、彼らからすると一番危険な思想だと考える。

この手合い、又はそうなりたいと思う連中の筆から生まれて来たのが、この「花辺文学」の傑作だ。だが惜しいかな、この種文人も文章も、西洋人に代わってどのように弁護説得しても、中国人の不満は無くならない。西洋人は中国(人)を鶏鴨の下に置いたことがないが、事実上まだ鶏鴨の上に置いたことは無いようだ。香港の巡査は中国犯人を2階から逆さ吊りで落としたのはもうだいぶ以前のことだが:最近の上海では去年、高という女中、

そして今年の蔡洋其などで、彼らが味わったのは、けっして鶏鴨の上という事は無かった。死傷のむごさは、それを越えるとも、及ばぬことのないむごさだった。これらの事実を、我々華人は、はっきり目にしており、それに背を向けて忘却することはできない。花辺文学家の口先と筆は、どうしていい加減にそれをごまかすことができようか?

不満を持つ華人は、果たして本当に花辺文学家の「古典」で証明したように、一律見込みが無いのだろうか?そうではない。我々の古典には、9年前の5.30運動があり、2年前の1.28運動あり、今艱難辛苦しながら東北義勇軍を支援しているではないか?こうしたことは華人の不満の気持が集って、勇敢に戦い反抗しているのではないと誰が言えようか?

「花辺体」の文章が今広まっている所以は皆ここにある。今は広まっており、一部の人は擁護しているが、もう暫くしたら、これを唾棄する人が出て来るだろう。

今は「大衆語」の文学を建設する時で、「花辺文学」は形式も内容も大衆の眼中には広まらない日が来ると思う。

 

この文章は何か所かに投稿したが、すべて拒絶された。この文章がまたしても、私仇を晴らす目的だとの嫌疑を受けたのか?だがそんな「意図」は無い。事実に基づいて事を論じ、言わねばならぬと思ったのである。文中に過激な箇所があるかもしれぬが、私が全く間違っていると言われるなら、私はそれを承服できない。もし先輩や友人に迷惑をおかけしたなら、御容赦願います。

筆者附して記す。

73日「大晩報」「火炬」

 

訳者雑感:本文を(付録)として載せた意図は実はよく分からない。ただ、「花辺文学」の「序言」に「逆さ吊り」の事に触れ、(出版社注に依ると)この付録の作者はもとは左翼作家聯盟のメンバーの廖沫沙(筆名:林黙)氏が「暗闇から矢を放って」魯迅を「買弁」として、西洋人を弁護しているということに反駁するためだと思う。

華人と中国人という言葉が出て来る。シンガポールに住んでいる中国系の人は自分を称して華人という。華僑ではない、と。そしてまたもう中国人でもないという。

英国植民地時代の香港にいる中国系の人は英国のパスポートを持っていても華人であった。香港人と自称していたが、英国人ではなかった。魯迅の住んでいた上海租界の中国系住民は中国人ではなく、華人であったから、魯迅も華人と書いたのだと思う。上海の周辺から租界に仕事に来てまた戻る人は正真正銘の中国人だ。

租界のバンドの公園に「イヌと中国人 入いるべからず」という掲示板があった。外国人とそのお伴(使用人)の華人は許されていたのだそうだ。

それにしても、日本人がかつて魚を吊り下げて町を歩くのと同じように、生きた鶏を頭から吊り下げて上海の街を歩くのは禁ずるというのは、西洋人の「動物愛護」の観点からというのは、どうもすんなりこない。ドイツの家庭では豚を丸ごと一匹さばいて、ハムやフランクフルトにしている。街中を生きた豚が檻に入れられて輸送されるのと、華人が手でぶら下げて移動するのと、五十歩百歩の気がするが。

日本のウナギ屋が西洋人の目の前で生きたウナギをさばいたらどんな反応だろうか?

鯛の活造りとか、海老のおどりとか、かつてすしネタは活魚からが基本だったが。

      2013/05/01

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逆さ吊り

 

                 公汗

 西洋の慈善家が動物虐待だとして、租界で鶏鴨を逆さに吊りして歩くのを処罰するとした。この処罰とは罰金刑に過ぎず、払うつもりならやっても構わぬが、やはり処罰される。

これに対して、数名の華人はとても不満で、西洋人は動物を優待し、華人を虐待し、鶏鴨以下にしている、と言いだした。だがこれは西洋人を誤解している。彼らが我々を蔑視しているのは確かだが、動物の下に置いてはいない。もちろん鶏鴨というものは、どのみち厨房に送られ、ご馳走になるのみで、(逆さではなく)頭を上にして持ち歩いても、結局、その運命に何の足しにもならない。然るに、それはしゃべることもできぬし、抵抗もできぬから、なんで無益な虐待をする必要があろうか?西洋人は何事についても有益を第一にする。が、我々の古人は人間の「逆さ吊り」される苦しみは知っていたし、その形容は実にぴったりしたものであったが、鶏鴨の逆さ吊りの災いが来るとは思いもよらなかったし、「生きたままの驢馬肉の切り食い」「鵝鳥の掌の活き焙り」などというくだらぬ残虐については、とうの昔から文章で攻撃されている。この種の発想は東西ともにある。

 しかし、人間に対しては些か異なるようだ。人間はグループを組織でき、反抗できるし、奴隷にも主人にもなれる。努力する気がなければ、永久に奴役でいることもできる。

自由解放され、彼我の平等を獲得でき、その運命はけっして必ず厨房に送られ、ご馳走にされるとは限らぬ。より劣る者は、主人の憐憫をより多く受けるから、西洋人に雇われたボーイは狆を殴ると、解雇されるし、一般人がボーイに逆らうと咎められるが、租界では、華人を過酷に扱うのを禁ずる規則は無いのは、まさに我々が当然実力を備え、能力を持つべきであり、鶏鴨とは絶対的に異なるからだ。

 しかしながら、我々は古典で、仁人義士が逆さ吊りされた者を解き放って救ったという荒唐無稽な話しをよく聞かされていて、今もなお、天上或いはどこか高い遠方から、何かしらの恩典が施されると思っており、甚だしきに至っては、「戦乱で塗炭の苦しみをするより、太平のイヌの方がましだ」と考え、イヌになっても構わぬが、人とともに力をあわせて改革しようとは思わない。自ら租界の鶏鴨に如かずと嘆くのも正にこの気味がある。

 こういう類の人間が増えると、みんな逆さ吊りされ、厨房に送られる時になっても、誰も救ってはくれぬ。これは、我々が畢竟人間でありながら、意気地の無い故である。

            63

 

訳者雑感:

 今、中国の鳥インフルエンザが大変な問題になっている。台湾に帰った人にも伝染したため、今朝の新聞で、台湾では生きたまま鶏を店頭でさばくことを禁止した由。

 訳者が子供のころには、家の庭に鶏が飼われ、餌を与えながらも、ある日突然両親の手でひねられてご馳走にされた。

 中国や華人の住む東南アジア諸国では、鶏は生きたまま籠の中から取り出され、逆さに吊られて、持ち帰って料理された。これを上海租界の西洋人が虐待として罰金を科した。

それでも魯迅の指摘するように、罰金とられても逆さ吊りして持ち帰った例が多かったのだろう。スーパーの無い当時は、冷蔵庫とか冷凍で小分けにさばいて売ることもできず、今の台湾ですら生きた鶏を店頭でさばいているのであるから。

 

 問題は、西洋人が華人の鶏を逆さ吊りするという「虐待」を咎めて、華人を虐待して、鶏以下に扱っている不満をもらす華人の問題だ。これに対し魯迅は、それは西洋人を誤解している、という。それは本文で説明されているが、痛烈なのは、より劣っている狆をいじめるボーイは解雇され、一般人がボーイに逆らうと咎められる、という図式だ。

これでゆくと、一般人>ボーイ>狆という順になる。狆の下に鶏鴨がくることになる。

それが西洋人の考え方だが、その一般人の多くが、組織を作って一緒に改革に取り組もうとせず、戦争で苦しい目にあうより、(支配者の下で)イヌになって太平に暮らすのが楽だ、と考えていることである。

 

 鶏を生きたまま逆さ吊りして持ち帰ることを罰せられることに不満なら、なぜグループを組織団結して租界当局に抗議しに行かないのか。意気地なしだからか。

 

 しかし、21世紀の今日もなお、生きたままの鶏を扱う店が一杯あり、それが鳥インフルのウイルスの蔓延のもとになっているのだから、もう台湾のように、生きたまま店頭でさばくのはもちろん、逆さ吊りして家に持ち帰ってさばくのも止めなければならない。

      2013/04/26

 

 

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秦理斎夫人のこと

               公汗

 ここ数年、経済的圧迫と礼教の制裁で自殺という記事をよく目にするが、これについて発言したり筆をとる人はとても少ない。只、最近、秦理斎夫人とその3人の子の自殺は、大変な反響を呼び、その後、この新聞記事を懐にして自殺する者まで出、影響の大きさが分かる。これは人数が多かったためだと思う。単独自殺だったらこれほど注視されなかっただろう。

 反響のほとんどは、この自殺の主謀者――秦夫人への同情もあったが:つまるところ、誅伐であった。というのも、――評論家の言う――社会は暗黒だが、人生第一の努めは生きることで、自殺はそれを放棄することだ。第二の努めは苦しみを乗り越えることで、自殺は安きにつくことだ。進歩的評論家は、人生は戦いで、自殺者は逃亡兵で、死んでもその罪をぬぐえぬという。これは、そうとも言えるが、独断の嫌いがある。

 世間には、犯罪学者がおり、或る派は、環境によると言い:或る派は個人によると言う。

今盛んなのは後者で、もし前者を信じるとなると、犯罪消滅の為に、環境を改善せねばならず、それはとても面倒で恐ろしいことになるから。秦夫人の自殺に対する批判者は大抵、後者に属している。

 自殺したことは、彼女が弱者であることの証しだ。だが、なぜ弱者になったのか?

彼女の義父からの手紙を見ることが重要である。彼女を家に戻す為に、両家の名誉という事をあげ、死んだ人のコックリさんの言葉で動揺させた事などを見なければならぬ。また彼女の弟の挽聯を見ると:「妻は夫に殉じ、子は母に殉じ…」とあり、これは千古の美談にしようとしてはいないか?この様な家庭で成長陶冶された人が、どうしたら弱者にならずにおられただろうか?もちろん我々は彼女がそれに対して奮闘しなかったと責めてはいけない、というわけではない。だが、暗黒がすっぽりと覆い呑みこんでしまう力は往々にして、孤軍の力より強く、況や、自殺への批判者は、必ずしも奮闘への応援者ではなく、人が奮闘している時、あらがっている時、負けている時は、きっと何も言わなかったろう。

貧しい田舎で、或いは都会の中で、孤児と寡婦、貧しい女労働者が、命に殉じて死ぬのは、或いは命に抗したとしても、最終的には死なざるを得なかった者の数は限りない。

だがこれまで、それが誰の口に上り、誰の心を動かせたか?ほんとうに「溝に身を投げ、自死したら、誰が知り得ようか!」

 人間はもとより生きるべしだが、進化の為には:苦しむのも惜しまぬが、将来の全ての苦しみを取り除く為に:戦わねばならぬが、それは改革の為である。人の自殺を責める人は、一方で人を責め、もう一方でまさしく人を自殺に追い込む環境に挑戦し進攻すべきだ。

 『暗黒の主力に対し、一言も発せず、一矢も放たず、‘弱者’に対してぶつぶつ言うだけでは、たとえいかなる義憤がその顔面に現れていても、私も言わざるを得ない――

私も本当に我慢できない――その人は実は人を殺す側に手を貸しているに過ぎない、と』

           524

訳者雑感:本文の理解の為に、出版社の注を見ると、

秦理斎夫人は「申報」の英文通訳だった夫が34225日に上海で病死した。夫人は無錫に住む義父から故郷に帰るように催促されたが、子女を上海で学ばせたい等の理由で帰らなかった。その後、義父の何回もの厳しい催促に耐えかね、55日に服毒自殺した。

 義父の手紙には「コックリさんに夫の理斎が乗り移ってきて、お金と衣が欲しいと言い、更に、家族が上海に住んでいる必要は無い、すぐ無錫に帰れ」云々という。

 

 魯迅が後段で、『 』内に書いた文字には下に黒い点を付してある。

妻は夫に殉じという礼教の強制的制裁、コックリさんに亡夫が乗り移ってきて云々という古い迷信たる暗黒の主力を取り除かないと、自殺する女性子供は無くならない。

     2013/04/25

 

 

 

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偶感(ふと感じて)

偶感(ふと感じて)

                           公汗

 東三省(旧満州)が淪落し、上海に戦火が及んだ時、砲声を聞いても、路上に砲弾が落ちるのも気にせず、各所で「推背図」を売っていたのを覚えているが、このことから人々は早くから敗北の原因は前世から定まっていたことだと考えていた事が分かる。

3年後、華北華南が同じ危殆に瀕したが、上海には「碟(せつ)仙」(コックリ迷信)が現れた。前者の関心は国運だが、後者のはただ、試験問題や宝くじ、亡魂を問うのみ。着眼の大小は固より天地の差だが、名前は箔が有り、この「霊のコックリ」は「ドイツ帰りの留学生、白同君の発明」で、「科学」的だという。

 「科学救国」が叫ばれて既に十年近くたち、それが「ダンスで救国」「拝佛救国」などとは比べようも無いほど正しいと皆知っている。青年の中には外国で科学を学ぶ者もおり、科学博士となって帰国した者もいる。ところが、中国は畢竟、自分の文明があり、日本と違い、科学は中国文化の不足を補うには十分ではないというのみならず、却って中国文化の高さを証明することとなった。風水は地理学に合致し、門閥は優生学に、煉丹は化学に、凧上げは衛生学に合致するといい、「霊のコックリ」は「科学」に合致するというのもその一つに過ぎない。

 五四時代、陳大斉氏がコックリはペテンだと啓発したが、あれから16年、白同氏は皿を使ってコックリの合理性を証明したというが、どうしてそんなことがありえようか。

 且つまた、科学が中国文化の高さを証明しただけでなく、中国文化を深化させるのを助けたという。麻雀卓を照らす蝋燭が電燈に変わり、法会檀上はマグネシウム光がラマを照らし、ラジオが日々報道するのは、往々(京劇の)「狸猫の太子取り換え」や「玉堂春」、「霧雨よ、ありがとう」(流行歌)ばかりではないか?

 老子曰く:「之を斗斛(こく)と為し、以て之を量れば、斗斛と与(くみ)して之を窃す」(実は荘子:出版社)

ローラン夫人曰く:「自由よ自由、どれだけの罪悪が汝の名で行われたか!」

新制度、新学術、新名詞が中国に伝わるたびに、黒い染め缸(かめ)に入れられ、真っ黒にされ、私利の為の具と化す。科学もまたその一つに過ぎぬ。

 この弊害を除去せぬかぎり、中国を救う薬は無い。   520

 

訳者雑感:ドイツ留学までした青年科学者が「コックリ」を再流行させ、庶民をたぶらかす。国費留学した欧米日への留学生が、「科学」とか「法律」とかを中国に持ち帰ったが、日本との差は「天地ほど」あり、中国には固より、西欧の科学より高等な学術があった、として、風水、門閥(支配)、煉丹等が欧州近代科学より優れている云々と「負け惜しみ」して、素直に取り入れない。新たなものが入ってくるとすぐ黒い染め桶にぶち込まれ真っ黒にされる。こんな調子じゃ、祖国を救いだすことはできない、と痛切に嘆いている。

 21世紀の現在も、3権分立は中国に適さぬとして、共産党の立法権が行政と司法に優越するという。共産主義という名の党の下で、「市場経済」という原則が「真っ黒」になって、国有・国営企業による「市場経済」が営まれている。これが過去30年はうまく回ったように見られてきた。これからどうなるだろうか?

      2013/04/23

 

 

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まず自分を推し出して人に及ぼせ

 

         夢文

 何年か前、ある詩人が私にさとして、衆愚の世論は天才を罵り殺す。英国のキーツが良い例だ。私はそれを信じた。去年数名の作家の文章を読み、その中で、評論家が罵るのは、良い作品を罵って委縮させ、文壇を荒涼冷落させたと説いており、当然私もそう信じた。

 私も作家になろうと思っており、自分も確かに作家だと思うが、まだ罵られる資格が無い。というのもまだ創作していないから。委縮もしない。頭角を顕してもいないからだ。

世に出ていない理由は、多分妻と二人の子が騒がしいせいだと思う。彼女等は評論家の罵りのように、職務は天才を破滅させ、良い作品を書けなくさせることのようだ。

 幸い今年の正月、義母が娘の顔を見たいというので、彼女等3人は帰郷した。私は耳目が清浄になり、安らぎを得て偉大な作品を生むときが来た。だが不幸にも、もう廃暦4月の初めで、丸3カ月静かだったが、何一つ書けない。友人が成績を訊いてきたら、どう答えたらよいか?まだ彼女等の騒がしさに罪を帰せられるだろうか?

 それで私の信念は動揺した。

 私はもともと良い作品など書けるはずが無いと疑い、彼女等の騒がしさとは関係ない。

且つまた所謂名作家も必ずしも良い作品が書けるとは限らない。評論家も罵りあっているか否かも関係ない、と思った。

 しかし、もし人が騒ぎ罵ったら、作家は却って良い作品のできないことへの照れ隠しにはなる。本来あるべきものが、彼らに無茶苦茶にされたと言い、彼はそれで苦境に陥った二枚目のように、たとえ良い作品がなくとも、観客から同情の目を頂戴できる。

 この世に真に天才がいても、罵りの評論は彼に損害を与え、彼の作品を罵倒して引っ込ませれば、彼を作家になれなくさせる。然るに、所謂罵りの評論は、凡才には有益で、それによって作家であり続けられる。それは只その作品を引っ込ませたに過ぎぬそうだ。

 この丸三カ月で、私が得たのは一つのインスピレーションで、それはローラン夫人の口調で、「評論よ評論、この世にどれほどの作家が汝の罵りの御蔭で、存在している事か!」

(フランス革命時、彼女の「自由よ自由、天下古今、どれ程多くの罪悪が汝の名のもとに行われてきたことか!」彼女が断頭台に望むとき、その傍らの自由の神像に向って云った言葉:出版社注)     514

 

翻訳雑感:

 十分理解できていない恐れが強い。原題は「推己及人」の4字。魯迅はこの4字にどういう思いを込めたのだろうか?

自由という名のもとに、沢山のジロンド派がジャコバン党に殺された。

評論という名のもとに、どれほどの作家が葬られたことか。だが、評論の御蔭でどれ程の作家が存在していることか!これと原題との関係が分からない。もう少し考えてみる。

     2013/04/19

追記:

これを書いてから、新聞の書評を見ていて、村上氏の本があっという間に百万冊売れたという記事について、これは所謂マスコミの宣伝効果と、村上ファンの一刻でも早く読みたいという心理のなせる技である云々という論調があった。A紙は即刻その評論の一部を電子版に載せて、続きは有料のサイトでと誘導している。商業主義そのものであるが、文学家になろうと思ったら、どんどん自分を売りだして、がんがん書かねばならぬ。それが読者に夢を売り、読んで楽しい時間をすごさせることができて、収入も得られる。それが名作になるか古典として残るかは、後世の問題であって、同時代の作家と読者にとっては、大した問題ではない。評論家はそれを売る為に書評を書くのであって、それをけなして世の中から抹殺してばかりいてはダメだ、と言いたいのかな?

自由の名を借りて反対者を断頭台に送ったように、評論で作家を断頭台に送ってはならぬ。

良い所を探して、ほめて売りだす。それがコツである。魯迅も多くの若い作家をほめて、社会に送り出してきたが、そういう作家が彼に叛旗を翻して攻撃してきた時は徹底的に罵ってきた。完膚なきまでに。これでもか、これでもか、と。そういう雑文も結構ある。

     2013/04/20

 

 

 

 

 

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ちょっと考えてから行おう

ちょっと考えてから行おう

           曼雪

 これで以て何とか国政を解決しようとか、戦争に備えようとするのでなければ、友人とユーモアを言って、笑い合うのは別にたいしたことは無いと思う。革命の専門家でも時には手を後ろに組んで散歩もするし:道学の先生もやはり子供がいるのは、彼が日夜永遠に道学者然としているわけではないことの証だ。小品文は多分将来も文壇に残るだろうが、只「閑適」を主にしていては、物足りない嫌いはある。

 この世は坊主憎けりゃ袈裟までだ。ユーモアと小品が始まったころ、世間はそれに誰も文句はつけなかった。ワーッとなって、世の中はユーモアと小品であふれたが、ユーモアはそんなに沢山あるはずも無く、ユーモアは滑稽に変わり、滑稽は笑い話、笑い話は諷刺になり、諷刺は罵りとなった。軽口がユーモアで:「天朗らかにして、気は清」(「蘭亭集序」の句:出版社)が小品で:鄭板橋の「道情」を一度読んで、ユーモアを十日語り、袁中郎書簡集の半分を買って、小品を一巻つくる。こんなことで一家を成す勢いの人も既にいる。

これに対して、それを反対することで、世に名を売ろうとする人は、ワーッと声をあげて、世の中は又ユーモアと小品への罵りであふれた。だが徒党を組んで大騒ぎした連中は今年もまた去年同様、大変な数になった。

 黒い漆皮の提灯では、双方とも相手が見えない。要するに、一つの名詞が中国に帰化して暫くすると、でたらめになってしまう。偉人という言葉は、かつては良い呼称だったが、今ではそう言われるのは罵られるに等しい:学者と教授は23年前まで、清浄な名称だったが:自分を大事にする人は、文学家と言われると、逃げ出すようで、今年もう第一歩が始まった。だが世界で、本当に実在の偉人、実在の学者と教授・文学家はいないだろうか?

決してそんなことはない。中国のみが例外なのだ。

 もし誰かが路傍で唾を吐き、自分からうずくまって、それを見ていると、暫くしたら、黒山の人だかりができ:また誰かが理由も無しに大声で叫んだ後、一目散に走り出すと、周囲の人は蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。ほんとうに「何を聞いてきたのか、何を見て去ったのか」(「世説新語」出版社)分からない。だが、気持ちとしては不満一杯で、そのわけも分からない対象に向って「畜生め!」と罵る。

だが、唾を吐いたのと、大声で叫んだ者はつまるところ大人物だ。もちろん沈着で真摯な人はいる。しかし偉人などの名が尊敬されるか、蔑視されるか、やはり大抵は只唾を吐くことの代替に過ぎぬ。

 社会がこれで賑やかになるのは感謝してよい。しかし、烏合の前にちょっと考え、雲散の前にもちょっと考えれば、社会はきっと冷静な状態になるとは限らぬが、少しはましな状態になるだろう。514

 

訳者雑感:附和雷同:定見無しに、他人に追従する。ちょっと考えてみれば、もう少しましな社会を作れるのに。これは1930年代も21世紀のブログの世界も似ているようだ。

「ワーっと騒ぐ」と皆そっちへ向う。

村上氏の新しい本が出た、というと朝から並んであっという間に売り切れとなる。

私は読んでいないが、「つまらぬ」という人もいる。

「ピアニスト」という本の書評に「無垢な批評などあり得ない」「興行上の打算」という言葉が印象に残った。村上氏の文章は立派なものだと思うが、出版社の「販売上の打算」によって、如何に売れるか、如何に附和雷同の読者の財布の口を開かせるかに乗せられているような気がしてならない。

       2013/04/18

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