忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

ハスのこと

若い頃、岩波新書の「唐詩選」で、李白の有名な詩「若耶渓のほとりに蓮を採るむすめ」
という句が大好きだった。季節も背景もなにも訳が分からなくともいい響きだった。
最近、筧文生さんの「長安 百花の時」(研文出版)を読んでいたら、筧さんもこの詩は
季節的にいつなのか、分からなかったとあり、注釈書にもそれに触れたものは無かった由。
 彼は学者で詩の専門家であり、いろいろな古典の中から、春、夏、秋と3つの季節に該当する例を示して、それにしても彼の日本、京都での自らの経験からは、春に蓮の花が咲くのだろうかと訝り、中国からの留学生に尋ねた。
その答えは、中国は広いから春でも蓮は咲くのでは、だった。ハスの花は朝開いて4日後には散ってしまうから、春から咲きだしたら、夏の終わりまで次々に咲くので、冒頭の詩の蓮を採るむすめたちは、仕事として食べごろになった実を選んで毎日蓮池を小舟に乗って蓮の花の間を行くのであろう。
私も京都に住んでいたころ、京都の四条南には六道珍皇寺という寺があり、8月の初旬には、善男信女が次々に訪れ、沿道の屋台でハスの花のつぼみを買い求めて、高野マキと共に先祖の霊に供える光景を目にした。

 その後彼は、蓮の花を採るのは、花瓶に入れて鑑賞するためではなく、蓮の実を採るためだったということ、そして花が散ったすぐ後に採った実は柔らかくて、そのまま食べられるそうだ、ということを記している。

 中国人には、なんでもまず食べることを中心とする思考回路が出来上がっているとし、
さらに陶淵明の「菊をとる東蘺の下」の句を引いて、これも花を花瓶に入れるためでなく、
菊の花を杯に浮かべて、邪気を払うため、と述べている。
 それで私も北京上海大連などにいたころの中国人の風習を思い出してみた。
70年代の広州交易会で広州の料理屋で食事中、先輩から聞いた話し、中国では空を飛ぶのは飛行機、海の中では潜水艦、陸の上では机以外の4本足の物は全て食す、
というのが強烈な印象として残った。
 確かに、中国人の発想の原点は、それが食すことができるかどうか、薬用として功能があるかどうかが、鑑賞の先にあるということは大方の人が認めることだ。
では日本はどうか?
先のハスの花も供花として実のなるまえにとってしまうから、食すよりは供える方が優先
されている。菊は一部てんぷらにして食べたりもするが、鑑賞がやはり優先されている。
ヨモギはどうであろうか?
日本ではヨモギ餅の材料としての方が多いが、中国では端午の節句にこれを根の着いたまま採って来て、家いえの軒に吊るす。邪気を払う為だという。
新聞では、根こそぎとるのをやめるように呼びかけているが、根がついてないと、
すぐ枯れてしまい、邪気が払えないとして根の無いのは見かけない。
最近はこの風習が盛んになってきて、里山のヨモギが根こそぎ採って行かれ、年々減ってきており、新聞などはこうした根こそぎ採るのは止めようと呼びかけているほどだ。日本では菖蒲湯といって菖蒲の方がこういう使われ方をしていて、ヨモギは餅用以外に被害に遭わないようだ。
日中両国の風習の違いは、どこから出て来たものだろうか、面白いから研究してみよう。
      2012/04/30

拍手[1回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R