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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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新中国建国に果たした日本の役割

新中国建国に果たした日本の役割
1.
毛沢東が新中国建国後、北京を訪問した日本人に語った言葉として、
「新中国は日本が戦争で攻めて来たおかげで建国できた」と伝えられてきた。
行間の意味は、日本が国民党軍を攻撃して彼らが弱体化した結果、共産軍が戦後彼らとの戦いに勝利できた、ということだが、これには戦後、アメリカですら蒋介石軍を積極的に支援しなくなるほど、国民党とその上層部のとんでもない腐敗と堕落があったからだ、
と言われて来た。
 スターリンですらもとは蒋介石の国民党を支援していたのだが、最終段階では毛沢東の
共産軍に武器弾薬を与えて、新疆を早く攻め落とせと援助している。ソ連はイギリスなどが介入してきて面倒なことになるのを怖れていた。それで毛沢東軍に迅速に軍を新疆に移動させるために飛行機など大量の輸送機器を与えている。
2.
建国後、共産党政府の公式見解として、蒋介石の国民党が如何にとんでもない腐敗で
堕落していたかが宣伝され、我々も国民党が台湾に逃げ出す際の弱体化の過程で、品格さえ貶められ、故宮の宝を持ち出して逃亡したというイメージが強く残っている。

 最近読んだ「堀田善衛上海日記」(集英社)の巻末に、堀田と開高の対談があり、406頁に、開高がヘミングウエイが新聞記者として敗戦になる少し前に重慶に行っていることに触れ、彼の国民党に対する評価「われわれのコリーグ、仲間、同胞として信ずるに足る。
規則正しい、志気高い軍隊であり、将兵である」という文章を紹介している。
堀田がそれに対し、「それはエリート軍隊に接すれば、そうなりますよ」と疑義を出す。
開高が「いや兵隊もそうだというんだ」それで堀田も上海時代のことを思い出し、
堀田「国民党のエリートの軍隊が最初上海に飛行機で入ってきたんですが、日本軍の引揚げなんかを管理していた軍隊は、これはすばらしいエリートの軍隊ですよ。だって彼らは兵卒にいたるまで英語がペラペラなんだから」という話しに展開する。
国民党軍も日本と戦争していたころは志気も高く、民国革命を旗印に掲げた党であったのだという認識で一致。 (中略)
3.
 二人の対談はその後、重慶と延安の奥地から上海・北京にやってきたエリートたちが、
「日本人が持っていた財産を接収するについて大変な汚職その他があって、その汚職に
関しては、在留日本人の財界上部ももちろん関係ありましたよ。だからある意味では、
彼らの堕落のきっかけをつくったのは、正金銀行を初めとする、それから岡崎嘉平太さんを初めとする当時の日本人財界人であったかもしれませんよ」と記す。
 岡崎氏の名がでてきたのでどうしたことかと思って、彼の略歴をみると、日銀を辞して、
上海の華興商銀の理事に就任、戦争中は大東亜省の参事官を務めていたから、横浜正金などと共に、日本占領下の上海を拠点として財界活動を行っていたわけだ。
二人の対談からすると、国民党のエリートたちが腐敗堕落していったきっかけは日本人が所有していた経済基盤としての企業、財産などの接収の段階で、元来体内に受け継がれて来た「貪欲さ」がむくむくと目覚めてきて、労せずして手に入る財産に目がくらんだのがきっかけだったことになる。
4.
 さらに堀田は浙江財閥について、「もし浙江財閥がものすごく健在であれば、戦後の大混乱を、国民党、国民党軍、国民政府、この三者による引っかき回しを、もし浙江財閥が大変健在であれば、許さなかったと思いますが、これが弱ってましたからね」と続く。
(対談なので、浙江財閥がもし大変健在であればと2度強調されている:筆者注)
 浙江財閥は戦争中、日本に協力したことを国民党側の党・軍・政府が非難する大義名分があったため、浙江財閥の健在さが弱められた、という。
 「もう一つ長期的な目で言えば、国民党及び浙江財閥の確固とした支配を経済的にブッこわしたのはアメリカですよ。戦後いわゆるウオー・サープラス(戦争余剰物資)が、
太平洋のあらゆる島からドーッときたでしょ。マッチ、鉛筆、タバコはいうまでもなく…
アメリカの缶ビールの方が上海でできるビールより安いんです…
余剰物資が怒涛の如く入って来た。これではいかに浙江財閥といえども、つまり地場産業が全部没落して、全部アメリカのサ―プラスによってやられちゃった」
清涼飲料会社もコカコーラによってすべて倒産してしまい、失業者があふれ、市民生活は破綻し、熟柿が落ちるごとく奥地から攻め込んできた共産軍にやられたのは当然の成り行きだったという。
5.
 明治維新の前後、戊辰戦争などで大量の武器が日本に売り込まれたが、英仏独からはもちろんだが、南北戦争が終わったばかりのアメリカから大量のサ―プラスとなった武器が大量に持ち込まれたという。格好の処分場であった訳だ。
 1868年以後の明治日本がもし1945年以降の中国のように内戦を4-5年も続けていたら、さらに大量の武器弾薬が売り込まれ、日本中にそれらがあふれて、大量の金銀が国外に流出したことであろう。生糸や絹織物ではとても払いきれない金額だから。
 勝・西郷会談で早期に終結した結果、金銀の流出も防げて、その後アームストロング砲を英国と合弁で製造できるようにまでなったのは、僥倖であったと言えよう。
 さもなくば、江戸大阪はもちろん、九州北海道にも何の産業も興らず、マッチはもとより機関車なども長期にわたって外国製を使わされる羽目に陥ったであろう。
第二次大戦の敗戦後もアメリカのサ―プラスが日本を席巻したが、新中国建国後、暫くして今度は中国が北朝鮮と共に韓国に進攻してきて、日本がアメリカ軍への供給基地になったことで、戦後の産業復興がかなったのは、不思議な輪廻である。
もし、蒋介石軍が中国を統治していたら、北朝鮮を支援することもなかっただろう。
朝鮮特需も起きず、日本の戦後復興も大幅に遅れたことだろう。
                2012/05/10 日夜浮かぶ

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