忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

作文の秘訣

作文の秘訣
 今もまだ手紙で作文の秘訣を教えてくれという人がいる。
よく聞く話だが:拳法の師は弟子に対して、最後の一手は教えない。
全て教えたら、最後は自分が殺され、彼が英雄になるのが怖いからだ。
実際こうしたことが無いとは言えず、逢蒙が羿(ゲイ)を殺した前例がある。
逢蒙のことは遠い昔だが、こうした古い気風は無くなっていない。
後に「状元狂」が加わった。
科挙が廃されて久しいが、今も何が何でも「一番」「最優秀」を狙う者がいる。
「状元狂」に会ったら、教師は危ない。
武術を教え終わると、往往、打倒されてしまう。
新しい拳術師は弟子に教える時、自分の師を鑑とし、最後の一手は教えないし、
三手四手も教えないから、拳術は「代ごとに技両が落ちる」 。
医者になるにもまた秘方があり、料理人にも秘法があり、
点心(飲茶の小料理)の店を開くにも秘伝がある。自家の衣食を保全するためで、
これは嫁にだけは授けるが、
女児には教えない。他家に伝わるのを防ぐための由。
「秘」は中国では普遍的で、国家大事の会議すら「内容は極秘」だという事を皆知らぬ。

だが、作文はどうも秘訣が無いようで、もしあるのなら、作家はきっと子孫に伝える。
だが祖伝の作家はとても少ない。
 もちろん作家の子供たちは小さい頃から本と紙筆になじんでいて、
目も比較的肥えているが、文章がうまいとは限らぬ。
 今の雑誌によく「親子作家」「夫婦作家」の名がでるが、
遺嘱や情書(ラブレター)で本当に何か秘訣のようなものを秘伝できるというが、
実はやはり軽佻浮薄なことを面白がっているだけで、
妄りに役人になった関係を作文に使っているわけだ。
 では作文はほんとうに秘訣が無いかというと、そうでもない。

かつて古文を書く秘訣を書いたことがあり、篇を通じてすべて来歴があるわけだが、
古人の成文(出来上がった文)ではいけない:即ち篇を通じてみな自分が書くのだが、
又全て自分の書いたものではいけないし、
個人としては実際には何も説いてはいけない:
即ち、「事は因ありて、出る」のであり、又「調べたが確証はない」のである。
このようにして、「願わくは大過を免れるように」云々となる。
簡単に言えば、実際は「今日はお天気も…、ははは…」と書くにすぎぬ。

 以上は内容についてだが、修辞については少し秘訣があり:
一つは朦朧。二に難解。
その方法は:句を短くし、難しい字を多用する。
例、秦朝について、「秦の始皇帝が本を焼き始めた」と書くと、良い文章にはならない。
必ず翻訳せねばならぬ。簡単に一目瞭然、とはさせぬが良い。
この時「尓雅」「文選」を使うべしで、人に知られぬように「康煕字典」を引くのもいい。
 書きだしを「始皇帝焚書を始め」とすると「古」めかしくなり、もっと古めかしく、
「政俶燔典」<政=始皇帝、典を燔(焼)き俶(始め)る>とすれば、
班固司馬遷の気風だ。

そうすると、見ただけでは分かりづらいが、こういう風に一篇、一冊をものにすると、
「学者」と称せられる。だが、私は長い間考えてやっと一句しかできぬから、
雑誌に投稿するしかない。
 古の文学大師はよくこの手を弄した。
班固先生の「紫色鼃声、余分閏位」<「漢書」「王莽伝」の王莽の簒奪を指す:出版社注>
は四句の長い句を八字に縮め:揚雄先生の「蠢迪検柙」<君子の挙動は規則に則る:
出版社注>は、「動は規矩に由る」の四字になる。
 普通の字を難しい字に訳したものだ。
「緑野仙踪」は塾の師匠が「花」を詠じたのを記したもので、その句:
「媳釵…(割愛)」は自らその意を説明し、息子の嫁が花を折って来て釵(かんざし)にし、麗しいが、その為に息子が読書を廃してしまうのが心配で:
下の聯は、解説が必要で、彼の兄が花を折ったが、花瓶が無いので、
瓦の甕にさし、香りを聞いた。
だが、彼の嫂(兄嫁)はそれをやめさせようとして棒で甕と花を壊した。
これなどは冬烘先生に対する嘲笑だ。
 しかし彼の作法は実際には揚(雄)班(固)とはまったく合わないのではない。
間違いは古典を使わずに、新典を使ったことだ。この所謂「間違い」は「文選」の類が、
遺老や遺された若旦那衆の心眼中に威霊を保持し続けているためだ。
 朦朧にするのは、「良い」といえるか?答えは:すべてそうとも言えぬ。
実は醜いことを隠すにすぎない。
「恥を知るのは勇に近い」と言うごとく、醜さを隠すのも良いに近い。
モダンガールが前髪を垂らし、中年婦人が紗を被るのはみな朦朧術だ。
人類学者は衣服の起源に三つの解釈を与え:
一つは、男女の性の羞恥心からこれで羞を蔽う:
一つは逆にこれで刺激する為に使う:
もう一つは老弱男女が身体が衰えたとき、醜さを露出せぬ為、何かをまとい、
醜さを蔽う為という。修辞学の立場から最後の説に賛成する。
今まだ四六駢儷体があり、儀式には立派な祭文、挽聯、宣言、公電などがあるが、
いまもし字典を引き、類書をめくり、外面の装飾を剥がして、口語文に翻訳すると、
最終的にどんなことになるのだろうか?
 分からぬのも勿論いいのだ。良いというのはどこか?
即ち「分からぬ」中に良さがある。
だが考慮せねばならぬのは、その良さを人が良い悪いと言えぬくらいにせねばならない。
だから「分かり難い」に如かずである:
少し分かって、更に苦心を重ねると、だんだん分かりかけてくる。
これまで「難解」を有難がるクセがあり、毎回3杯の飯を食すを奇とはせぬが、
毎回18杯も食したら必ずそれは記される:
手で針に糸を通しても誰も見向きもせぬが、足でやると、
テント張りで見世物にして稼げる:
一枚の画は平凡で何の奇もないのでも、立派な箱に入れ、洞を穿って、
西洋鏡に仕立てると、人々はポカンと口を開け、熱心に見ようとする。
況や、同じことでも、苦心して目的を達したことは、
何の苦労もせずに得られたことより貴い。
例をあげれば、どこかの廟に焼香に詣でるにも、山上に登る方が、平地より貴い:
三歩進むごとに、一拝しながら、やっとたどり着いた廟と、駕籠に乗って着いた廟とでは、
同じ廟でも到達者の心理的尊さは雲泥の差がある。
作文の尊さも、分かり難さにあり、即ち読者を三歩ごとに一拝させ、
やっと一つの目的に到達できたと思わせる妙法だ。
 ここまで書いてきて、講じて来たのはただ古文を書く秘訣だけではなく、
人を騙る古文を書く秘訣となったようだ。

思うに、口語文も何の違いも無い。それも珍奇な言葉を入れ、
朦朧と難解を加え、手品師の目隠し用ハンカチを引っぱりだすのだ。
その反対をやろうとすれば、それは「白描」(線描、明白に叙述する)だ。
 「白描」には何の秘訣も無い。もしあるとするなら、それは目隠しの反調だ。
真意があり、装飾を取り去り、作為を少なくして、知識をひけらかす勿れ、のみ。
           11月10日

訳者雑感:
 魯迅は兄弟が有名な作家であった。
日本でも兄弟姉妹が作家とかという例はある。
親子代々役者とか音楽家というのは多いが、作家は多くない。
和歌、俳句などの世界は結構多い。作文の秘訣は祖伝が難しいが、
演劇や俳句などは祖伝しやすいのかも知れない。
それで生計を立てて来たというのが背景にあろう。
小説では代代師匠として祖伝できるような素地も無いし、
そこへ弟子入りする人も無い。

 本編で、魯迅は筆の勢いか、古文を沢山引用して、
それの解説もしてくれているが、
要するに、朦朧と難解という4字で以て、
文章を庶民の手の届かぬところまで持ち上げてしまい、
弟子には最後の一手を伝授せぬから、代代技両が低下したし、
その目的がどうも人を騙る方に「劣化」してきたため、
中国の近代化の大きな障碍になった、という点に
彼の論点・主張が感じられる。
 最後の一句、知識をひけらかす勿れ。
 これは読者が鼻じらむからだろう。
しかし、本編にも彼の古文耽溺の氷山の海面上の一角がたくさん出ている。
       2012/04/21訳

拍手[0回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R