忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

捏造のテクニック

捏造のテクニック
 中国人は奇怪な形状が大好きで、また蔭にかくれて何かをするのが好きである。
古い樹木が発光するのを見る方が、大麦の開花を見るより好きだ。
その実、大麦の開花等見たことはないが。
怪胎畸形(胎児が畸の意)は新聞のネタになり、生物学の常識がくつがえされる。
最近広告に双頭の蛇のような、頭が二つで手が四本の胎児が載り、
腹から足が一つ出て、計三本足の男も現れた。
人間も固より怪胎もあり、畸形もあるが、造化の本領にも限度があり、
いかに怪や畸でも、何らかの限界があり、双子の背中の連結、
腹、臀、脇、頭までもつながっている例もあるが、頭が尻から出てくることは無い:
形も親指が人差し指とくっついたのや、指が多いのや手足が欠けているの、
乳房の多いのもあるが、
「2個買えば1個おまけ」のように両足の外側にもう一本というのはない。
天も実のところ、人間のやる捏造には及ばない。
しかし、人間のやる捏造は天に勝るとはいえ、実際の技両には限りがある。
捏造のカギはけっして表に出さぬことにある。
簡単には見破られぬことにある。一旦表に出たら、
捏造が露見するから制限が生まれる。
ゆえに、やはりネタは深遠にするに如かずで、影響もまた模糊としたものになる。
「一利あれば一害あり」で、私のいわゆる「有限」はここにある。
 清朝の人が書いたものでは、よく羅両峰の「鬼趣図」を取り上げるが、
実に鬼気拂拂と描かれており:後にそれを文明書局が出したが、奇痩なの、
背が低いが超デブ、又は、
ぶくぶく腫れあがったの、必ずしも奇とは言えず、やはり本物には及ばぬ。
 小説に画かれた鬼相はどんなに描いてみても、まったく驚くほどのことはない。
私が一番恐ろしいと思うのは、晋の人が画いた「五官のない顔」で、卵のような、
山中歴鬼のようであった。五官は五官にすぎぬから、
どんなに苦心して凶悪にしようにも、五官の枠から逃れられず、
今それを全体として奇妙な物にすると、読者も却ってわけが分からなくなる。
しかしその「弊害」もあり、印象が模糊となることだ。
だがこれに比べて「恐ろしい形相の悪者」「口と鼻から血を流す」
などの阿呆を画く方が、ずっと賢い。
 中華民国人が罪状を挙げるとなると大抵十条ほどになるが、たいした効力が無い。
古来多くの悪人はことごとく十条など気にもせず、
人の注意を引いて活動しようなどとは思わなかった。
駱賓王の「討武照檄」はあの「入宮見嫉、蛾眉人に譲るを肯んぜず、袖で蔽って、
たくみに無実の人を陥れ、こびへつらって主を惑わす」という数句は、
きっと大変苦心して書いたものだが、則天武后はここまで読んできて、
微笑んだにすぎぬ、と伝わる。
そうだ、こんなことを書いてみて、それがまたどうだというのか?
罪状を並べ討伐せよとのいくら書いても、その力は顔を寄せ、
耳近くで話す密語に及ばぬ。
一つは分かり切ったことであり、方やとても推測できぬことだから。
 当時駱賓王が群衆の前に立ったとき、只眉をしかめ、頭を揺らし、
「極悪人、極悪人だ」と連呼するのみで、極悪の実例を示せず、
その効果は文章上でしかなかったと思う。
[狂飆の文豪」高長虹(魯迅に一度接近したが、後に攻撃を始めた:出版社)が、
私を攻撃した時に使ったのは、悪い行跡が山のようにある、だったが、
本当に発表したら、身は滅び名も失っただろう。
最終的には発表せず、捏造そのものだった:だが結局は大した効力もないので、
それとともに模糊とした状態となった。
 この二つの例から、治国平天下の方法が分かる。人に告げる時には、
方法があるということを示し、それが本当にどういう方法かは明らかにしてはならない。
口に出すと言葉になり、言葉があるなら、実行と対照できるから、
これを示すには不測を以てするに如かず。
不測の威力は人を委縮させ、不測の妙法は人に希望を与え――
飢饉の時の病気、戦時に詩をつくり、治国平天下とは関係ないようだが、
訳も分からない中でも、却って人々に、
もしや治国平天下の妙法があるのではと思わせ――
しかしながらその「弊」でもあり、
逆に例によって、模糊とした状態の中に疑心しながらも妙法があると思わせ、
実は何の方法はないのだが。
 捏造には技があり、効力もあるが、限界がある。
だから古来これで大事を成したものはいない。
                  11月22日

役者雑感:
 本編は分かり難い。捏造とかでっち上げ、人に隠れて何か悪事を働く。
奇岩怪石が大好きな中国人のもう一つ好きなのはこうしたことだ、
というのが魯迅の意見。
よく考えてみればすぐばれてしまう様な捏造、でっち上げを見世物として
サーカス小屋のようなテントの中で金を取って見世物にする。
そんなテレビ番組が過去には沢山あった。
最近は「そんな馬鹿なあ…」という人が増え、あまり放映しなくなった。
 ところが、昨年11月に重慶の高級幹部しか使えないリゾートホテルの一室で、
英国人が死んだ。本人は酒を飲まないということを、
長年のつきあいから知っていたはずなのに、
死因はアルコールの飲み過ぎということで、検死もせずにすぐ遺体を焼いたという。
もう少しばれないような注意を払えば、こんな展開にはならなかったかもしれない。
その点が、魯迅の指摘するとおり、こうした捏造で大事を成したものはいない、
との結論を導き出す。
古来そうであり、21世紀の今も天網恢恢疎にして漏らさずだ。
     2012/04/24訳
 


拍手[1回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R