近頃「過激主義が来るぞ!」というのをしばしば耳にする。新聞にも「過激主義が来るぞ!」と何回も書いている。それでお金が少しある人は心配そうだ。
役人も忙しくなり、欧洲から帰国した労働者の運動を防止し、ロシア人に注意し、警察庁まで「過激党が機関を設立していないかどうか、厳重に調査すべし」と命令を出した。
慌てふためいて、厳重調査するのも分からんでもないが、まず最初に何が過激主義かを聞きたい。
これに就いては何も説明は無いので、知りようがない。私も知らないのだが、敢えて言えば「過激主義」が来ることは無い。それは心配無用だ。ただ「来るぞ」は来るから、心配せねばならぬ。
我々中国人は、決して輸入された何やら主義に引き回されることは無い。そんなものは抹殺し撲滅する力はある。軍国主義といっても、我々はこれまで他人と戦争してこなかったし、無抵抗主義といっても我々は(欧洲大戦に)参戦したし、自由主義といっても、我々には思想の表現すら犯罪とされ、二言三言話すのさえ困難だ。人道主義などとんでもないことで、我々はまだ人身売買もできるのだ。
だからいかなる主義であれ、いずれも中国を擾乱できない。古くから今日までの擾乱は、何らかの主義に依ったなどと聞いたことも無い。目下の例を挙げると、陝西学会の布告(軍閥の惨殺)、湖南災民の布告などは何と恐ろしいことか。ベルギーの発表したドイツ軍の苛酷な状況、ロシアの別の党の出したレーニン政府の残虐な状況などを比べると、彼らはまったく天下太平で、ドイツはやはり軍国主義を説くし、レーニンは過激主義を説いているのに、である。
これが即ち「来るぞ!」が来たのだ。来たのがもし主義なら、主義が達成されたら、それで了とされる。もし単に「来るぞ」だと、それは来ても尽きることは無いし、来てからどうなるかも分からない。
民国ができたころ、私は小さな県城(県庁所在地)にいて早々と白旗を掲げた。ある日忽然おおぜいの男女が紛々と乱入、乱逃した。城内からは田舎へ、
田舎から城内に、と。何事かと訊くと口々に答えて曰く:「やつらが来るぞ、と
言った」と。
これで分かるのは、みんな単に「来るぞ!」をこわがっており、私と同じだ。
あの時はまだ単なる「多数主義」があったきりで、「過激主義」は無かった。
2010/09/27訳
訳者雑感:
「阿Q正伝」のなかで、阿Qも革命党に入党したくて、いろいろ試みるのだが、夢をみているだけで、革命党からの誘いは何の音沙汰も無い。阿Qの入党したいという動機からして、金持ちの家に押し入って、金銀財宝、女性をかっさらってくることにあったのだから、空いた口が塞がらない。
しかし、民国革命前後の革命党というか、作品中にもあるように自由党とか何とか党など、沢山の党ができたわけだが、それらは何か具体的な主義主張を
明確に打ち出すことより、まずなにはさておき、それまでの政府の倉庫にあった「財貨」や金持ちの家の「家財一切」をかすめ取ることを専らとする手合いが多かった。これが、ここでいう「来るぞ!」ということが皆から恐れられた理由背景である。
魯迅の指摘する「輸入された主義」なぞ何の恐くも無い。そんなものは自分で抹殺撲滅する力はある、というのは、今日「輸入された社会主義」はソ連崩壊の前に、早々と自力で撲滅したかの観がある。
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