高雅と言われる人は「口語文は卑しくて浅薄固陋、知識人の目にする値打も無い」という。中国で字の読めない人は、話ができるだけで「卑しくて浅薄固陋」なのは言う必要も無い。「自分は(古文を)書けないから、口語を提唱し、自らその固陋を覆い隠そうとする」吾輩などはまさに「卑しくて浅薄固陋」なのも言うまでも無い。
最も嘆かわしいのは、何名かの雅人が、「鏡花縁」の中の君子国の酒保のように、「御酒は一壺ならんか、両壺なりや。酒肴は一碟なりや、両碟か?的な高雅
さは保てず、古文を呻吟する時のみ、高雅で古風な品格を顕し、普通の話を始めると、「卑しくて浅薄固陋」な口語になる。4億の中国人の口から発する声はすべて一顧だに値しないとは、まことに哀れなり。
人間なのに仙人になろうとし、地上に生きつつも天上に昇ろうとする。現代人として現代の空気を吸いながら、朽ち腐れる名教(儒教)にしがみつき、死んだ言語で現在を侮蔑し尽くす。これは「現在の屠殺者」である。「現在」を殺したら、「将来」も殺す。
――将来は子孫の時代だ。
2010/09/28訳
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