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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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小さなことから大を見る

北京大学の講義料徴収反対運動は、花火のように咲いてぱっと消えた。そして、馮省三という学生一名を退学処分させた。
 これはとても奇妙なことで、一つの運動の発生から消滅まで、只一人の学生だけが関わったというが、もし本当にそうなら、一個人の胆力がいかに大きかったか、そしてその他の多くの人のそれは無に等しかったというのか。
 講義費は撤回され、学生は勝ったが、誰かあの犠牲者の為になにかを祈ったということは聞かない。
 小さなことから大を見ると、長い間、解せなかったことが浮かび出てきた。
三貝子公園(今の動物園)の良弼(清朝の高官)と袁世凱を刺殺せんとして殺された四烈士の墓には、その中の三基には石だけの墓碑があるが、(あれから10年も経た)民国11年になっても、なぜ誰も一字も彫らずに放って置くのか。
 凡そ祭壇に犠牲を捧げ、血を瀝(したたら)した後は、この犠牲の肉を皆に
取り分けるだけで終わらすというのか。    1118
 
訳者雑感:シンガポールで張さんの家に下宿していたとき、一族の廟で祭りがあるから、連れて行ってやろうと言われた。祭壇の前に、大きな羊が丸ごと生贄として犠牲にされていた。皆が寄り集まって来て、その周りで昼を食べた後、
めいめいに羊の生肉の塊が分けられた。それぞれが家に持ち帰って、家族で食べるのだ。魯迅はこの最後の文で学生たちに何を呼び掛けようとしているのか。
彼は他の作品で、辛亥革命で命を落とした先駆者たちのことを書いている。その一方で、無名のままで犬死にした沢山の人たちは人々の記憶からも遠ざかり、
やがては名前すら彫られず消えてゆく。文学者のできることはそれを記録して、
後世に伝えることだ、と別の場所で書いている。
 毛沢東の遺体は酸素断ちして記念館にある。周恩来の灰は海に投ぜられて、
跡形も無い。
 日本の法事では、折詰めの巻きずしや魚などを持ちかえって、家族で食べることが一般的だ。もし中国の風習をその通りにしようとしたら、羊とか豚とか犠牲にできるだけの数を飼育しなければできない。宗教的なこともあったろうが、日本人は中国の犠牲としての生贄の動物を殺す代わりに、魚などで済ますことにしたのだろう。折詰めなど、まさしく箱庭の発想だが、死者、犠牲者の冥福を祈る方法も日中間に大きな差がある。
                 
 

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