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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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男の進化

男の進化   虞明
 禽獣の交合を恋というのはいささか冒涜かもしれない。
だが禽獣にも性生活があるのは否定できぬ。
彼らは春に発情し、雌と雄が出会うと「ねえーわたしとどう」とじゃれつき、
結ばれようとするのは自然の成り行きだ。
固より雌は時に虚勢を装い、数歩離れてはまたふり返り、何度も叫び、
それは「同居の愛」がかなうまで続く。
禽獣の種類は多いし、彼らの「恋」の方式も複雑だが、
疑いの余地がないのは、雄に何の特権もない事だ。
 人間は万物の霊長で、男の本領が大きい。
はじめはもともとどちらとも言えなかった。
「母は知っているが、父を知らぬ」ということで、
母たちは一時期世の中を「支配」しており,
祖母などは、後の族長たちより権力があった。
その後、どういうわけか女の方が弱くなった。
首や手足に鎖をかけられ、輪や環をつけられ、
数千年後には、それが金や銀になり、真珠宝石がはめ込まれ、
そうした首飾りや腕輪指輪などは今、女が奴隷であることの象徴である。
女が奴隷となると、男は彼女の同意を求めることなく、彼女を「愛」した。
古代、部落間の戦争の結果、俘虜は奴隷とされ、女俘は強姦された。
その頃多分、春の発情期はとっくに「取消」され、随時随所で、
男の主は女俘を強姦できた。
今、強盗やゴロツキは女を人間扱いせぬが、これは昔の酋長式武士道の遺風だ。
 強姦の本領は、人間が禽獣より「進化」したとはいえ、
開化は道半ばにすぎぬ。
女がめそめそ泣き、手足をくねらせるのを見て、どれほどの楽しみがあるのか。
金という宝ができてから、男の進化は大変進んだ。
この世の一切は金で買える。性欲も例外ではない。
男は悪銭を使って、女の体を買えるようになった。
そして女に:お前を強姦するのではない。お前の願望で、
金が欲しいというからこうするので、互いの思い通り、
双方がフェア―な取引をするのだ!
蹂躙した後も女に一声「若旦那さんありがとう」と言わせる。
これは禽獣にはできないことだ。
だから妓女を買うのは男が進化した非常に高い段階である。
 それと同時に、父母の命で媒酌による旧式婚姻は、
妓女を買うよりさらに賢く、この制度で男は永久に生きた財産を得る。
新婦が新郎のベッドの上に抛り置かれた時、彼女には義務のみがあり、
値段を交渉する自由すらない。況や恋愛をや。
愛していようがいまいが、周公孔聖人の名の下に、
一人の男に一生従い、貞操を守らねばならない。
男は随時彼女を使えるが、彼女は聖賢の礼教を遵守しなければ、
「心の中によこしまな考えを持っただけでも、姦淫を犯した事になる」
もし雄犬が雌犬にこのような巧妙で厳しい手段を使ったら、
雌はきっとすぐにも「塀を飛び越えて逃げ出す」だろう。
人間はただ井戸に身を投げ、節婦、貞女、烈婦となるのみ。
礼教婚姻の進化の意義も、これを考えれば、はっきり分かる。
 男が「最も科学的」な学説を使って、無礼教な女といえども、
一人の男に死ぬまで従い、性欲は「獣欲」だと硬く信じ込ませ、
恋愛の基本的な条件だとは思わせぬようにした:
そのために「科学的貞操」を発明したら――
当然のことながら、それが文明進化の頂点となるだろう。
嗚呼、人間――男――の禽獣と異なる由縁也!
 自注:本編は古い道徳を守るための文章である。
     8月3日
 
訳者雑感:
「准風月談」という雑文集は、当時魯迅の名前で、「風雲」を談じる、
ということが当局の厳しい取り締まりで、出版できなくなっていたので、
別のペンネームを使って、「風月」を談じたものを集めたものゆえ、
彼としては柔らかい面を出している。
 本編を訳していたら、上野のパンダが出産した。
150グラム程の小さな赤ちゃんが乳首に吸いつく映像が可愛い。
その前に、シンシンがお尻を差し向けて、交尾を求めている映像や、
リーリーがシンシンに楽しそうにのっかっている映像まで公開された。
魯迅の指摘するように、リーリーは何の特権ももっていない。
ニュースでもシンシンよくやって、おめでとう、というのが圧倒的で、
リーリーよくやったというのは無い。
中国側のアドヴァイスに基づき、発情期の前後は竹ばかり食べさせた。
他の栄養剤などは与えず、自然のままにしたことが、今回の成功につながった。
魯迅のいう禽獣の交合は恋というのは冒涜をまぬかれぬ、
とはこのケースには当たらないかと思う。
年に一回しか訪れない発情期には、禽獣も恋をするといってよいだろう。
魯迅のころには映画が盛んになり始めていたが、パンダのような動物が、
あのように交合する映画はまだ撮影されていなかったのだろう。
「猫の恋」ともいうから、春に子孫を残すという本能のためとはいえ、
交合したくなるのは、恋といっても冒涜ではないと思う。
パンダは熊猫というから、猫の恋のDNAを受け継いでいるのだろうか。
相性がよくないと、自然交配はなかなかうまくゆかないらしい。
   2012/07/07訳 (相愛の二人が年に一度だけ会える日に)
 
 
 

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