忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

新秋雑感

新秋雑感   旅隼
 門の外の狭い所で、二群れのアリが争っていた。
童話作家エロシェンコの名は、今では読者の記憶から薄れたが、
これを見ていて、彼のある奇異な愁いを思い出した。
 北京にいた頃、彼は真顔で私にこう語った:
「将来誰かがある方法を発明し、もしそうなったらとても心配だが、
ちょっとひとひねりするだけで、人間をすべて戦争の道具にしてしまうのだ」
 この方法はとっくの昔に発明されている。
だがいささか煩瑣で「ちょっとやそっと」ではできなかっただけだ。
外国の児童向けの本や玩具はたいてい、武器の使い方を教えているものが、
大半だと知れば、それはまさしく戦争の道具を造る装置だとわかる。
そしてそれを造るには、かならず天真な子供から始めねばならぬということは、
人間だけではなく、昆虫でも知っている。
アリの中には兵隊アリがいて、自分では巣を造らず、エサも集めず、
専ら他のアリを攻撃し、幼虫を掠奪し、奴隷として働かせる。
奇妙なのは決して成虫を掠奪せぬことで、それはもう教化が困難な為だ。
掠奪するのは幼虫とサナギに限り、盗まれてきた巣穴で成長し、
それ以前のことは何も覚えてなくて、永遠に愚鈍で忠実な奴隷として、
働くだけでなく、兵隊アリが掠奪に行く時にはついて行き、
侵略された同胞の幼虫とサナギを運ぶのを手伝う。
 しかし人類はそう単純にはゆかない。
「万物の霊長」たる由縁だ。
しかし製造者たちも決して手はゆるめない。
子供は成長すると、天真さを失うだけでなく、大抵はぼんくらになる。
経済不況の結果、出版界もしっかりした学術文芸書などは発行しようとせず、
教科書や児童書を、黄河が決壊したように次々出すが、中身はどうか?
我々の子供をどのように育成しようとするのか?
こうした点についてこれまで戦闘的評論家の論及は無い。
将来のことには誰もあまり心配しないようだ。
 
 「反戦会議」のことについては、新聞各紙が取りあげないのは、
主戦を唱える方が、中国人の嗜好にあっているからのようだ。
 反戦に冷淡なのは、それが我々の嗜好に反している証だ。
無論、戦争となれば当然戦うのだが。
兵隊アリについて行き、敗者の幼虫を運び、奴隷として勝ったような気になる。
だが人は「万物の霊長」だから、そんなことで満足していてはいけない。
戦いは当然やらなければならない。戦争の道具を造るアリ塚を壊し、
子供を害する薬餌を廃棄し、将来を台無しにする陰謀を暴きだして潰す:
これこそが、人間としての戦士の任務である。
                 8月28日
 
訳者雑感:
 主戦論者と講和論者(被侵略者側としては投降に近い)、宋末の岳飛と蓁檜。
日中戦争時代の蒋介石と汪兆銘。後者はいずれも後に、漢奸と罵られた。
魯迅の弟、周作人も日本の敗戦後、日本の傀儡政権下で文化的漢奸として、
日本に協力した廉で、蒋介石の国民党政府から、14年の有罪判決を受けた。
(後10年に減刑、更に毛沢東政権下で釈放されたが)
魯迅は本文に触れている33年上海で開かれた「反戦会議」の主席団の名誉主席に、
推薦された。
この反戦会議は英仏など世界帝国主義戦争に反対する委員会が33年9月に、
上海で開催したもの。
今回は日本帝国主義の中国侵略に反対し、国際平和を勝ち取る等の問題を討議した。
上海での開催について、国民党政府と租界当局が反対し阻止された。
それで秘密裏に開催したのだが、新聞もそれを無視して取り上げなかった。
魯迅は、反戦というのは中国人の「嗜好」にあわない証だと指摘している。
 
日本と中国は宣戦布告しないままに、15年戦争の泥沼に入り込んでいた。
 32年頃から太平洋戦争まで間は、双方とも「戦争状態から平和な関係」
を取り戻せないか、懸命になっていろいろ工作してきた。
日本が真珠湾攻撃を開始するまでは、日中双方とも「もやもやした」状態だった。
中国人の特質として、歴史的には異民族に侵略されたら、主戦論を唱えて、
抗戦するのが「あるべき姿」で、講和を模索する弱腰を「漢奸」と罵って来た。
 それでも、元や清のように、長期に亘って漢族を統治してしまった後は、
それらに協力した人々を漢奸と罵らない。
もしもの話しとして、中国の一部歴史家も「日本があの戦争に勝っていたら」
広大な中国大陸と東アジア諸国が一つの「大国家」となって、
今頃はEU米国を凌駕する「大国」になっただろう、という論文を書いた。
(趙無眠著「趙無眠辛辣説歴史」第2節「如果日本戦勝中国」)
 1930年代、混乱する祖国を嘆き、日本に協力して「安定した」体制をつくり、
平和な生活を取り戻したい、と考える人がいたとしてもなんら不思議は無い。
しかし、それは日本の敗戦の結果、全ての協力者は漢奸とされたのだ。
 
 本文では、魯迅は「反戦」ではあるが、主戦論者のようにはみえない。
当時の日中の兵力、力関係から、正面から抗戦しても歯が立たないことは、
残念ながら認めざるを得ない状況だったからか。
しかし、33年頃の状況は、侵略者に自国の子供を「アリの幼虫」と同じように、
「教育され」、育てられて、成虫として、侵略者の兵隊アリに協力して、
自分たちの巣の幼虫を運ぶ手伝いをしている同胞がたくさんいたのが現実だった。
万物の霊長として、そんなことではいけない、と説いている。
 
 絶交した後も、魯迅は周作人を批判したりはせず、かばったりもした。
しかし、侵略者に協力して、自分の幼虫たちを侵略者の目的に沿った形で、
教育することは「やってはならないこと」だと指摘している。
 同じ家に住んでいた頃、一緒に生活した盲目詩人エロシェンコの言葉を引いて。
「ちょっとひとひねりすれば、簡単に戦争する器械にできる」
ようにしては、万物の霊長たる由縁を失うことになる。
        2012/06/28訳

拍手[1回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R