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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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新秋雑感(2)

新秋雑感(2)  旅隼
 8月30日夜、遠くや近くから突然パンパンという音。
一瞬、あまり深く考えもせずに「抵抗」(対日)が又始まったかと…。
暫くして爆竹だと判り安心。次に何の節季だったかと考えた。
翌朝、新聞で昨夜は月食だったと知り、あのパンパンという音は、
我が同胞、異胞たちが(皆は黄帝の子孫と自称するが、黄帝に負けた、
蚩尤の子孫も必ずしもまだ死に絶えてはいないから「異胞」という)
示威行動をして、月を天狗の嘴から助け出そうとしたのだ。
 数日前の夜もとても騒々しく、街路に卓を並べ、
麺類とスイカを載せ:スイカにはハエと青虫、蚊が群がり、
その中の一卓の和尚は、むにゃむにゃとお経をあげている。
「回猪玀…! 唵(オン)ヤウン!ウン!!」(梵語の漢語訳)
これはまさに供養、施餓鬼をしているのだ。
盂蘭盆には餓鬼と非餓鬼があの世から抜け出てきて、
上海のシャバを見に来るから、善男信女は土地の人間として、
精いっぱいもてなそうとする。
和尚に「オンヤウン」と念じてもらい、数粒の白米をばら撒いて、
彼らに腹いっぱい食べてもらうのである。
 私は俗人だから、これまであの世の天国や地獄に関心は無かったが、
こういう時節には、この世に住む同胞と異胞たちの考えの高遠さと、
適切さを感じざるを得ない。
ほかのことは言うまでも無く、この2年間、大は四省(旧満州+熱河)、
小は九島(南沙諸島)の国旗の色が変わり、もうすぐ八島もそうなるだろう。
(別の南方諸島もフランスに占領されるだろうとの意)
しかし、それを救おうにも救えぬだけでなく、救おうとして、
『口を開くも、自らも危険で(この2句は印刷後「情勢からして救えぬ」
と、訂正された)、それゆえに、最も適切なことは、月を救うことで、
爆竹を鳴らし、天にも届くほどにとどろかせたとしても、
天狗が咬みついたりする心配はない。
月の酋長(もしいたらの話しだが)も、それが反動だとして禁じたりはしまい。
 人を救うのも同じことである。
戦災、干ばつ、イナゴの害、水災、…、農民たちはその対象に入らない。
幸いにして、災難から免れた細民に対して、どのような救い方があるのか?
それは当然、魂を救うに如かず。その方が手間を省き、功が多い。
立派な人たちといっしょで、仏典を念じ、塔を建てる功徳と同じだ。
これ即ち、所謂「人遠慮無くば、必ず近く憂いあり」で
「君子はその大なる者、遠なる者を務む」は亦この謂なり。
 況や、「庖人は庖を治めずといえども、屍祝は(巫)は尊俎を越えて、
これに代わらず」(領分を犯さない、しゃしゃり出ない)
というのもまた、古聖賢の明訓で、国事も治国者がいる限り、
細民は騒ぐまでもない。
だが、歴来の聖帝明王は、細民をないがしろにせず、
更に高度な自由と権利を与え、すなわち彼らがやりたいようにさせ、
専ら宇宙と霊魂を救うことにあたらせた。これが太平の根源で、
昔から今まで、それに沿って行われ、廃れることは無かった。
将来もきっと真っ先に廃されることは無いだろう。
 去年のことだが、上海戦争(事変)が初めて停戦となり、
日本軍が軍艦に戻り、兵営に退いた時、
あの晩もこのようにパンパンという音がした。
当時はまだ「長期抵抗」の最中だったため、日本人は我々の国粋を知らず、
また第何路軍が失地回復に来たと思い、則斥候を放ち、出兵…、大騒ぎとなった。
我々が月を救おうとしていると知り、彼らは亡霊を敵と疑ったことを悟った。
「お―、成程(Naruhodo)」(原来、かくの如し)
驚きと敬服の余、やっと平和の現状を取り戻した。
今年は斥候も出さないのは、多分中国の精神文明に感化されたのだろう。
「今侵略者と圧制者には、古代の暴君のように、奴隷にさえも、
呆けて夢を見るということすら許さぬ者がいるだろうか? …」
(カッコ内は皆傍点付き)   8月31日
 
訳者雑感:
 最後の句は私にははっきり理解できぬ点がある。
昔の聖賢は庶民の魂を救うための「風習」を守るのを許した。
奴隷の様な状態に置かれても、呆けて夢をみて暮らしてきた。
盂蘭盆には施餓鬼をし、月食には爆竹を鳴らして、天狗の嘴に食われる月を、
救いだそうとした。何かにつけて爆竹を鳴らして魂を救うのだ。
 大連の宿舎の近くに大きな病院があり、週に数回、朝6時に花火の音がする。
土地の人は、あれは病院で往生した親をあの世に送るためのものだ、という。
立派な病院で治療につとめ、看病したが、寿命尽きてあの世に行くに際し、
天に届くように大音声で報告するのだ、と。
 悲しみの中にも、孝という責めを果たした家族たちの思いが込められていよう。
周恩来が亡くなった時、中南海から毛沢東の爆竹の音が聞こえたという。
ほっとしたのだと言われている。       2012/07/05訳

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