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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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ユーモアから真面目へ

ユーモアから真面目へ
 「ユーモア」が風刺に片寄ると、本質を失うということはさておいて、
最も恐ろしいのは、ある人たちが「諷刺」で人を陥れることで、
「笑い話」にするなら命も伸びるし、運もたぶんよくなるだろうが、
その堕落ぶりが国産品に近づくと、しまいには西洋式の徐文長になる。
(徐は明末の滑稽な人間で、それをネタにした笑い話がたくさんある:出版注)
国産品提唱の下、広告にも中国の「自製舶来品」があるのも一つの証拠だ。
 私はその内に法律で、国民は喪に服しているような悲しい顔をせねばならぬ、
と明文化されるのではないかと怖れる。
「笑い」は元来「非法」ではないのに。
だが、不幸にして東北三省が淪落し、挙国騒然、愛国の士はなんとかして、
失地の原因を追及せんとするも、結果は原因の一つは、青年が遊び呆けて、
ダンスに興じてばかりいることだと判る。
(北京の)北海公園で、楽しくスケートをしている時、大きな爆弾が落とされ、
幸いけが人は無かったが、氷に大きな穴があき、滑る(逃げる)が大吉、
というわけには行かなくなってしまった。(滑るは逃げるに通ず)
 また、不幸にして山海関を失い、熱河も緊張が高まり、著名な文人学士にも、
危険が迫り、挽歌を作る者も出、戦歌を作る者も、文化の徳を講じるのも出た。
ひとを罵るのは固より憎むべきことだが、からかうのも文明的とは言えぬ。
皆が真面目な文を書き、真面目な顔をして「不抵抗主義」を補完すべきだ。
 ただ、大敵が国境を圧迫しているから、人間はやはり冷静ではいられぬし、
手に寸鉄も帯びねば、敵を殺すこともかなわず、心の中で憤るのみだ。
 そこで敵の代わりを求めようとする。この時ににやにや笑っていては、
災いに会う。(南朝の陳の後主のように)「陳叔宝には心肝がない(阿呆)
と言われる」だから機を知る人は、みんなと一緒になって泣き顔をして、
以て難を免れる。
「利口な者は眼前の損はしない」というのは古賢の教え也。
而して、この時「ユーモア」は昇天し、「まじめ」が残りの全中国を統一する。
 この辺のところが判れば、昔、なぜ貞女であろうが淫女であろうが、
人前では、笑ってもいけないし、ものを言ってもいけない:そして今なぜ、
葬式女が悲痛かどうかに拘わらず、路で大声だして泣くのかがわかる。
 これは正に「まじめ」なのだ。更に言えば「刻薄」なのだ。3月2日
 
訳者雑感:
魯迅は「藤野先生」で東京の清国留学生たちがダンスに興じている状況を描いている。
勉強に来たが、目的は社交を学び、帰国したらダンスの得意な外交官か役人になって、
官位に就く事だから、真面目に科学や数学も学ぼうとせぬ。
留学生の大半は帰国後の立身出世の為に、法律と政治を学ぶのが中心だった。
だが勉強もいい加減にしてダンスパーティに参加して、上流社会の仲間入りをし、
女性にもてようとする輩が大勢いた。
 今もそうだが、1930年頃の若者も、大学に入るのは「灰色の収入の多い」役人に
なる為であった。
 
 「利口な者は眼前の損はしない」という古賢の教えを守って、
目の前の明らかな損になることはしない。国連で中国の楊外相は「顔をひきつらせて、
尖閣(釣魚)は日本が盗んだ」と叫んだ。
そういう顔をして、泥棒呼ばわりしないと帰国後、損をすることを知っているから。
  2012/11/09訳

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