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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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闘いを観る

闘いを観る
 我々中国人は、平和を愛すというのを好むが、実は闘いが好きだし、
人が闘うのを観るのが好きで、自分の仲間が闘うのを観るのが好きだ。
 最もよく観るのは闘鶏、コオロギの争いで、南方では黄頭鳥(羽が黄色の)、
画眉鳥(ガビチョウ)というのがあり、北にはウズラの、があり、大勢の閑人が、
取り囲んで夢中になって観るし、これで賭けもする。
 古時、闘魚もあったし、今は手品師がノミの争いを見せる。
今年の「東方雑誌」に、金華(浙江の地名)に闘牛があると出ていたが、
スペインのとは異なり、あちらは人と牛だが、我々のは牛同士である。
 彼らが闘うに任せ、自らはそれに与らず、只観るだけ。
 軍閥は只管自分たちで闘い、人民はそれに与らず、只観るだけ。
 しかし、軍閥も自ら闘うのではなく、兵隊にやらせるだけ。
だから年中、悪戦を続けるが、親分は個々には仲良くなり、忽然誤解は解かれ、
酒杯をあげて歓言し、共に侮りを取り下げ、報国を誓う。又忽然……。
言うまでも無いが、また忽然、自然に闘いを始めるのも免れぬ。
 しかし人民は彼らの演じる芝居に任せ、只観るのみ。
 但し、我々の闘士は、外敵に対しては只ふたつしか手が無い:
最近は「不抵抗」以前は「弩を負い先駆」である。
「不抵抗」は字面から明白だ。「弩を負いて先駆」は弩機のシステムがとうの昔に、
失伝してしまったから、考古学者に研究してもらい、製造できるかどうか、
負えるかどうか、そして先駆できるかどうか、確かめねばならない。
 やはり自分の兵を留め、現金で買った兵器を留め、自分たちで闘ってゆくのだ。
中国の人口はとても多いから、暫くは少数の残った者は観ているだろう。
ただもちろん、もしそういう状態にしておこうとするなら、外敵に対しては、
必ず「平和を愛す」でなければならない。         1月24日
訳者雑感:中国人は仲間同士が闘うのを観るのが好きだということ。
これは春秋戦国の7国、三国志の3国、その後の南北朝、五胡十六国などなど、
仲間同士ではなくとも内戦・内乱が常に起こった。フランスかどこかの学者は、
中国の四千年の歴史の中で四分の三は内乱で、安定していたのは千年だと言う。
それは1911年の辛亥革命から1949年の間も同じだ。
それで魯迅は言う:そういう状態にしておこうとするなら、外敵には「愛平和」
でなければならない。内乱と外国軍との戦乱が全国に拡大した結果、
人民は悲惨な状況に陥ったが、それでやっと内戦にケリをつけられたわけだ。
毛沢東は戦後訪中した日本人に対して、日本が国民党軍を叩いてくれたから、
彼の軍隊が、最終的に勝利できた、と。
         2012/10/03訳
 
 

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