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日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

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古書から生きた語彙探し

古書から生きた語彙探し    羅憮
 古書から生きた語彙を探すとは、言うは易いが、できない相談で、
古書から生きた語彙は探し出せない。
 『「文選」を読める青年』がいたとして数名の高校生ということになろうが、
「文選」を開いて、一心に生きた語彙を探すと、当然ながら多くの字は,
既に死語になっていることが分かる。では、どの様にして字の死活を分別するか?
多分、自分が理解できるかが判断の基準となろう。
しかし、六臣注(唐代の6人が注を入れた「文選」)を読んでからのは数にいれない。
元は死語だったが、六臣注で彼の脳に入って、それで生きた語彙になったのであり、
たとえ脳内で復活したとはいえ、まだ『「文選」を読めない青年』の脳では死語だ。
従って、白文(注の無い原書)を見なければダメだ。
 実際、注を見ないで分かるのが生きた語彙だ。
しかし彼はどうしてそれを見る前に理解できたか?
多分、いつか他の本で見たか、今も応用されている語彙だから分かったのだ。
それでは、「文選」から一体何を探せるだろうか?
 然るに、施氏は言う:宮殿などの描写をするのに有用だ、と。
なるほど尤もで、「文選」の多くの賦は宮殿について講じており、
更には何とか殿という特定の賦すらある。
青年が漢晋の歴史小説を書こうとし、当時の宮殿を描写しようとする時、
「文選」を調べるのはごく当然のことだ。
更に「四史」(史記・漢書など)「晋書」なども読まねばならぬ。
しかし、取りあげた僻字(見慣れぬ字)も死屍から拾いあげたに過ぎず、
少しばかり神秘的に言うなら、「復活」させたということになる。
清朝の故宮を書くとなると、「文選」との関わりはごく少ない。
 清の故宮すら書く予定も無いのに、そんなに広範な準備をするのは、
実に徒労で、時間もまったく足りない。
それ以外に「易経」や「儀礼」もあり、その中の語彙は周の占いと、
婚姻葬儀の大事を描写するのに役に立つし「文学修養の基盤」とすべしだ。
それでこそ如何にも「文学青年」らしい。
              11月6日
訳者雑感:
 日本人が中国から学んだ漢籍は、殆どが中国人学者の注が入ったものを読んで、
字句と内容を理解したうえで、返り点とか一二の符号のついた「漢文」を読みくだし、
暗誦しながら法則と思想を学んできた。
 中国人も現代の青年は、口語訳付きの物でないと理解できないので、
書店には、絵入り、口語訳付きの「古典」がたくさん並んでいる。
口語訳が付けられる前は、魯迅の指摘するように、唐とか宋明の時代の注釈付き、
所謂「文選六臣注」とか「楚辞注疏」というような「注」が無ければ正しく理解するのは、
とても困難だったろう。
40年前、田中首相が周恩来と国交回復に漕ぎつけたとき、
田中はその喜びを漢詩にした。
それを聞いた毛沢東は、田中が漢詩に興味が深いというので、彼の書斎に招いた時、
田中首相は漢詩がお好きだそうだから、と「楚辞注疏」を彼に送った。
毛沢東の故郷の先哲、屈原の「楚辞」を読むには、毛沢東すら「注疏」が無いと難しい。
今、私が訳している「魯迅の作品」も、「出版社注」が無ければ、とても難しい。
こうした「注」の無い原書からの翻訳はより困難だったに違いない。
1930年代の中国の時事、論敵の「文章」、上海の風俗や方言等等。
         2012/09/18訳
    
 
 
 

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