忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

文人に文無し

文人に文無し
 「大」の字がつく新聞の副刊に(大晩報)に「張」という姓の人が、
『中国の有為の青年に向かって「文人は元来行儀が悪い」という幌を隠れ蓑に、
人を罵るような悪癖を犯さぬように』と訴えている。それはその通りだ。
但し、その「行儀が悪い」の定義は、大変厳しいものである。
「所謂行儀が悪い」とは、いろいろな規則を守らず、不道徳な行為を指すだけでなく、
凡そ人としての情にはずれた劣悪な行為を含む」ということだ。
 ついで日本の文人の「悪癖」を例に挙げ、中国の有為の青年への殷鑑として、
一つ「宮地嘉六が指の爪で髪をすく」もう一つは「金子洋文が舌舐めずりする」等。
 勿論、唇が渇くことや、髪が痒いのは、古今の聖賢は美徳とはしなかったが、
悪徳として斥けなかった。はからずも、中国上海では、掻いたり舐めたりするのは、
それが自分の唇と髪でも「人の情から外れた劣悪な行為」となるそうだから、
しょうしょう気持悪くても辛抱する他ない。
有為の青年や文人になろうとするのは、日一日とますます難しくなってきた。
 だが中国の文人の「悪癖」は実はそんなことにはない。
只ただ彼が文章を書きさえすれば、掻いたり舐めたりする事は問題ではない。
「人の情に外れる」のは「文人の行儀が悪い」ではなく「文人に文章が無い」のだ。
 我々は2-3年前、雑誌で某詩人が西湖へ行き、詩を吟じたとか、
某文豪が50万字の小説を書いたという記事を見たが、これまで、何の予告もなく
出版された「子夜」以外、他に大作は何も出ていない。
 瑣事を拾いあげ、随筆を書く者はおり:古い文章を改作して自作とするのもいる。
寝ぼけた話を書いて評論だと称する者や:
薄っぺらな雑誌を出して一人密かに自慢しているのもいる。
猥談を集め、下らぬ作品を書き、旧文を蒐集し、評伝を出すのもいる。
ひどいのになると、外国文壇のニュースを少し翻訳して世界文学史家になり:
文学者辞典を作り、自分もその中に入れて世界的な文人になったのもいる。
そして今やもう、みんな中国の金看板的「文人」となっている。
 文人は文無しではすまされぬし、武人も同じく武無しでは話しにならない。
「戈を枕に旦(朝)まで待つ」と言いながら、夜になんの活動もせず、
「死を賭けて抵抗を誓うと言いながら、百余人の敵を見るとすぐ逃げ出した。
 只、電報や宣言の類だけは、駢儷体で書いて見事な文章をものしたという。
「武を偃(ふせ)、文を修す」という古くからの明訓があるが、
今は文章を司る星座は軍営を照らしているだけだ。
 そこで我々の「文人」は、唇を舐めることや、髪を掻かないようにし、
人の情を押し殺して、ただ単に「行儀をよくする」だけで満足している。
       3月28日
訳者雑感:
 1930年代の中国では、武人が(抗日)戦争に逃げ腰で、なんら抵抗せず、
文人も何の文章も書かないことを難じている。
文章で以て中国人の考え方・性格を改造しようと志してきた魯迅にとって、
当時の所謂文人たちが、上述のような「お茶を濁す」文章ばかり書いて、
人を感動させ・動かすようなものを書かなくなったことを嘆じている。
 しかし魯迅本人ももう長い間、所謂人を感動させる「文学作品としての小説」
を書けなくなっていた。そんなエネルギー・構想力が衰えていたのだろう。
またそれを発表する場も無かったのだろう。
2-3頁の雑感が殆どであるのは、どういう背景があるのだろうか?
翻訳で外国の作品の紹介に努めているが、紹興を舞台とした多くの作品から、
上海を舞台にした作品を書けなくなったのはなぜか?彼もその自覚はあったろう。
  2012/12/04記
 
 
 
 
 

拍手[1回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R