忍者ブログ

日夜浮かぶの翻訳雑感

魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。

「殺す相手を間違えた」に異議あり

「殺す相手を間違えた」に異議あり
 曹聚仁氏の「殺す相手を間違えた」は、とても痛快だったが、
思い返してみると、なにか憤激しているようだから、異議を唱えたい――
 袁世凱は辛亥革命後、(革命)党員を大量殺害したが、袁世凱側からみれば、
間違って殺したのではなく、それは彼がエセ革命・反革命だったからだ。
 問題は革命者がだまされ、彼が北洋大臣から本当の革命家に転じたと錯覚し、
同調者として引き入れ、多くの血を流して、彼を総統の地位に就かせたことだ。
二次革命の時、袁世凱はまた大変身し「国民の公僕」から吸血鬼になった。
 しかし実はそうでもない。彼は本性を顕したにすぎない。
それで次々に人を殺した。北京市内の、ホテルや旅館など、全てに密偵を潜ませ:
「軍政執法処」を置き、嫌疑者、逮捕した青年をそこへ連行していったが、
彼らが再び生きて出て来たのを見たことはない:
又「政府公報」には連日のように、党員の離党公告が出ていて、
以前、友人に誘われ、誤って入党したが、今間違いに気付いたので、離脱し、
心を洗いなおして善人になる、という。
 暫くして袁世凱が殺したのは、人違いでなく、皇帝になる為だと証明された。
 20年前のことで、今20歳の青年は当時は乳飲み子。時の経つのは実に速い。
 しかし、袁世凱は皇帝になろうとしたが、なぜ彼のほんとうの敵であったはずの
(清朝の溥儀)旧皇帝を殺さなかったのか?これは余り議論するまでもない。
ただ現在の軍閥の混戦を見れば明らかだ。
彼らは生死をかけて争い、不倶戴天の敵のように叩きあうが、後に相手が「下野」
するとなれば、すぐとても丁重に扱った。だが革命者に対しては、争っていなくても、
一人も容赦せずに殺した。彼らは良く分かっていた。
 私は中国革命がこんなになったのは、彼らが「相手を間違えて殺した」為ではなく、
我々が相手を見誤った為だと思う。
 最後に「中年以上の人間を沢山殺せ」という主張については、少し異議があるが、
私も「中年以上」だから、要らぬ嫌疑を受けぬよう、目をつぶっておく。4月10日
(これは次に引用する曹氏の本文参照:訳者注)
 
 原稿には「丁重に」の次に、「外遊するとなれば、盛大に歓送会をし」
と言う意味の文章を書いておいたが、後に削られた。  4月12日記
 
訳者雑感:
今北京には袁世凱の「軍政執法処」と同じような「黒監獄」というものができ、
中央政府に異議を申し立てるために、地方から上京してきた「嫌疑者」たちを、
有無を言わさずそこに連行している、と報じられている。
黒監獄は、法の手続きを踏まずに、勝手に連行できる所で、何か所もある由。
彼らは再び生きて社会に戻ってこられるだろうか?心配だ。
 袁世凱の時代から百年経っても、考え方は変わっていないようだ。
ただ、習主席は、8つの方針を打ち出し、党の腐敗を減らそう無くそうとしている。
深セン視察には、道路を封鎖させなかった。道路に歓迎の旗振りを配備させなかった。
今後は会議で原稿を読むのを禁じたし、海外訪問時にも華僑や留学生の動員を禁じた。
 元の木阿弥にならぬことを切に願う。
   2012/12/11記

拍手[1回]

PR

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

フリーエリア

最新CM

[09/21 佐々木淳]
[09/21 サンディ]
[09/20 佐々木淳]
[08/05 サンディ]
[07/21 岩田 茂雄]

最新TB

プロフィール

HN:
山善
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索

P R