魯迅の翻訳と訳者の雑感 大連、京都の随想など
未来の光栄
張承禄
今やほとんど毎年外国文学者が訪中し、到着すると決まってひと悶着を起こす。
以前はバーナード・ショー、その後、Dekobra(仏)がいる:ただV.Couturierについては、誰も話題にしたがらず、或いは話題にできなかった。
Dekobraは政治を談じることなく、問題を起こしそうにないと思われていたが、食事と色香でもてなされた結果、なんと「外国文人ゴロ」の悪名を得、我が論客たちによって、議論紛々となった。彼は多分そういう所へ小説のネタを探しに行ったのだろう。
生まれつき、鼻も低くて小さく、欧州人のように高くないのは仕方がないが、数角のお金さえあれば、映画を見に行ける。探偵映画はあきたし、恋愛ものも見尽くしたし、戦争ものもうんざり、コメディもつまらぬから、「猿人ターザン」や「密林の怪人」「アフリカ探検」などなど、野獣と野蛮人を登場させるようになった。しかし蛮地でも必ず蛮人の娘の曲線美を挿入する必要がある。我々もそれを見たいなら、批難されても、また見たいという未練が残り、「性」がそれを商売する人にとっても、とても大事なことが判る。
西欧で文学が壁にぶつかっているのは映画と同じである:所謂文学といえども何がしか、グロテスク・エロチックなものを探してきて、顧客を満足させねばならぬ。その為、探検旅行をする。目的はその地の主への挨拶や宴席ではない。だが素っ頓狂な質問を受けると笑って御茶を濁す。実はそんな事は知ってもしないし、知るまでもないのだ。Dekobraは、こうした手合いの一人に過ぎない。
しかし中国人はこの類の作品に、各種の所謂「土人」といっしょに登場する。新聞に載ったDekobra氏の日程ルートをみればすぐ分かる――中国・南洋・南米。英・独の類はしごく平凡なのだ。我々は描かれていることを覚悟し、描かれる光栄がより多くなることを覚悟し、そして将来、こういうことが有ったことを面白いと感じる人がいることを覚悟せねばならない。
1月8日
訳者雑感:魯迅はとても映画が好きだったようで、内山書店近くの住まいから車に乗って、繁華街の映画館にちょくちょく出かけた。「ターザン」物は何回か見たと日記にある。紹興で子供のころに見た「奉納劇」や「地獄極楽の芝居」などの影響か。三つ子の魂だ。
彼は日本人の映画評論家岩崎昶の「現代映画と有産階級」を中国語に訳しているほど映画に関心が強い。(「二心集」の同題の翻訳参照:2011年11月)
戦前の上海は映画の全盛期だったかもしれない。魯迅のいうように数角(数十銭)さえあれば、外国映画も見ることができた。だが、戦争物・恋愛物など飽きられてしまうから、映画をビジネスにしている人たちは、世界各地にでかけて「探検」映画を作った。そこには1930年代の(未開な)中国人の生活や場景が一杯描かれている。今、中国の書店にはそうした「老電影」から抜粋した「昔の上海の写真集」などが沢山積まれている。
2013/03/11記
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
最新TB
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
P R